第1回 劉備、皇帝となる

 漢文大系本、第3巻、62~63ページ。

 西暦221年。


〔昭烈皇帝〕、諱備、字玄徳、漢景帝子中山靖王勝之後。有大志、少言語、喜怒不形。身長七尺五寸、垂手下膝、顧自見其耳。◯蜀中伝言、「曹丕簒立、帝已遇害。」於是漢中王発喪制服、諡曰孝愍皇帝。夏四月、即帝位於武担之南、大赦、改元章武。◯以諸葛亮為丞相、許靖為司徒。◯立宗廟、祫祭高皇帝以下。◯立夫人呉氏為皇后、子禅為皇太子。

 

〔昭烈皇帝〕、いみなは備、あざなは玄徳、漢の景帝のの中山せい王勝ののちなり。たい有り、言語少なく、喜怒あらはさず。け七尺五寸、手をるれば膝よりもくだり、顧りみればみづかの耳を見る。◯しよく中伝へて言ふ、「さううばひて立ち、ていすでに害にふ」と。ここいて、漢中王さうを発して服を制し、おくりなしてかうびん皇帝とふ。夏四月、帝位に武担の南にき、たいしやし、元を章武と改む。◯諸葛亮を以てじようしやうし、きよせいす。◯そうびやうを立て、高皇帝以下をかふさいす。◯夫人呉氏を立てて皇后とし、ぜんを皇太子とす。


〔昭烈皇帝〕は、名を備、あざなを玄徳といい、漢の景帝の子である中山せい王の劉勝の子孫である。大いなる志があり、口数は少なく、感情を表に出さなかった。身長は七尺五寸あり、手を垂らせば膝より下に伸び、振り返れば自分で見られるほど大きく垂れた耳をしていた。◯蜀の地に、「そうが帝位をさんだつして即位し、献帝はすでに殺された」といううわさが伝わってきた。そこで、漢中王(劉備)は、献帝の崩御を発表してに服し、献帝にこうびんこうていというおくりなをつけた(実のところ、噂は誤りで、献帝は殺されていない)。夏、四月、武担の南で皇帝に即位し、囚人の恩赦をおこない、元号を章武と改めた。◯諸葛亮をじょうしょうとし、きょせいを司徒とした。◯そうびょうを建てて、漢の高祖の劉邦からの歴代の皇帝たちを合わせて祭った。(漢王朝の後継者を名のる立場から。)◯夫人の呉氏を皇后とし、子の劉禅を皇太子とした。

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