鉄から人へ

 4月2日午前4時49分。駿河湾内にて国籍不明の武装商船を、静岡県警藤枝警察署組織犯罪対策4課が拿捕した。反応装甲や対人ミサイルで固められた商船の捕縛に4課は人員の7割を投入。補足から拿捕まで実に8ヶ月を要した大捕物であった。密輸品の内訳はロシア製のアーマン(機械歩兵)、ギアスーツ(機械装甲服)、歩行戦車等の重火器類でいづれも先の大戦後に国際条約によって輸出入が禁止されたものばかりである。


 5隻の鉄塊を曳航し、最寄の港へ向かう船上に4課理工班”小査しょうさ”の牧田京弥まきたきょうやの姿があった。


「コレはまたえらい数ですね、革命でも起こすつもりですかいな~っと」


 ベンチコートと作業用の暖パンに身を包み彼は手元のPENによって密輸品の型番を記録していた。既製品に改造を加えたこれらの違法兵器は外装の刻印などが削り取られている為、わざわざ一つ一つ手作業でソフトウェアに侵入する必要がある。先程までの激しい銃撃戦の跡を小慣れた様子でうろつきセキュリティと格闘していた。


「牧田小査、共用回線での私語は慎んでください。指揮が乱れます」

「いいじゃないですか少しくらい。どうせ撤収作業員さんの点呼ぐらいしか使わないじゃないでしょ?」

「牧田君!」


 オペレーターに注意され渋々ヘッドギアを外した牧田の耳に海風が突き刺さる。気温は摂氏3度。今世紀初頭では真冬と表現されたであろう温度がこの4月には平然と観測されている。


「いぃー!耳痛ー!」


 大規模な地球規模の寒冷化の原因は先の大戦の気化爆弾とも自転軸のゆがみだと言われている。しかし世間一般は所謂”有識者の方々”が提唱するふらふらした仮説などを信頼しておらず、皆ほとんど同じ「原因不明」という認識であった。


「ったく、専用回線くらい用意してくれればいいのに。だから4課は守銭奴の点数稼ぎ呼ばわりされてるんだってもう~」


 耳をさすりながら毒づく牧田であったが手元のヘッドギアからノイズが走ると気温からではない寒気を背中にしっかりと感じた。繋がっていないものにノイズは走らない。


「いいいや、今のはその先月の現場で日雇いの弾薬屋が愚痴ってそう言ってたっていう噂でして……」

「牧田小査。寄港後司令部に出頭しなさい。すぐに」


 牧田の鼓膜を刺激したのは駿河湾の寒風でもオペレーターの甲斐甲斐しい注意でもなく、指揮所にいる後藤中部ごとうちゅうぶの要請だった。


 広野海岸公園に敷設された4課の司令部は仕事を終えて撤収作業の真っ最中である。日雇いの作業員たちの間を縫いながら後藤の元に直行した牧田の額には汗がにじみ視線は真上のテントの接着面を泳ぐ。


「私が何を言いたいか分かりますか?」

「無線の私的利用についての件でしたら先程平井さんに注意を……」

「違います少査、貴方の勤務意識についてですよ」


 自ら座っていたパイプ椅子を作業員に差し出し部下に正面切って対峙した後藤の表情には本人の自覚していない恍惚が滲み出ていた。部下を人前で叱責するという組織人に許された最大の快楽を骨の髄まで味わいつくそうとしていることを察した牧田は、相手との間に正面装甲よりも厚いシャッターを下ろす。


「我々の装備品や日ごろの給金は有志の方々からの出資から賄われているものです。誰かのお金で買って頂いた備品を”使わせていただいてる”という自覚が貴方からは感じられません」


 「そんな当然のこといちいち顔に出しませんよ」と紡ぎかけた自分の口を真一文字に締め切り、無我の境地至った牧田は後藤の自慰行為を実に15分も間近で眺める羽目になった。こちらに対して反省と対策を要求するという絶頂を後藤が味わっている頃には真上のテントは既にトラックに積み込まれ横顔に朝日が差し込んでいた。


「明日までに解析を済ませておいてください。室長には私から話を通しておきます。もしも今後同じような意識で4課の仕事にあたるようなことがあれば、今までのような仕事はできなくなると思っていてくださいね。分かりましたか」

「はい」


 32回目のはいによっておぞましい一人上手が幕を閉じた。しかし今日という一日が自分にとって色々な最悪の始まりに過ぎないということを牧田はまだ知らない。


 

 時針と分針がお互いを重ね合わせ愛を確かめ合う記念すべき瞬間に、組対4課理工班の電算処理室には、住民たちの闘志を燃え移らせたかの如く煌々と明かりが灯り、部屋の真ん中には立体の電子模型が映し出されている。

 部屋には牧田を含めて4人の電脳技師が目の前の画面とにらめっこをしながら押収されたソフトウェアの暗号化と格闘していた。下は19から上は45まで。”肉は知性の入れ物に過ぎない”という彼らのモットーを体現する如く文字通りの老若男女が山積みになったデータチップをさばいている。


「相変わらず言い訳がクソほどへたくそなんですから室長は~。そんなもんすいませんの一言で済ませとけばボロ出さずに済んだでしょうに」

「これでも我慢したんだぞ!たく、あの時の後藤の顔見せたやりたいよほんと」


 4つ下の最年少にひとかけらの敬意もなく叱責されて憤慨しながらもその手は休みなく動く。


「らしいっちゃらしいけどね。マキちゃんいつも一言余計だし、そんなところで妙な知恵使って危機回避されちゃ日ごろの私らのストレスの甲斐がないもん」


 最年長は周りの3人が緑色のデジタルワイヤーと手繰たぐるのを横目に、たった一人紙の書類と格闘していた。品目ごとに使われているソフトウェアやおおよその加工所、プログラミング施設の目星をつけて一覧にしている。


「おじさん、それあとどれくらいで終わります~?」

「お日様が出るころ前終わらせたいね。今折り返し地点過ぎそうってところ」

「あぁ~ダルぅ。こんなことなら早めに仮眠室行っとけば良かったな~」


 下限はさんざんに文句を言い、上限は眼精疲労に苦しみ、アベレージ二人は口数少なと対照的ながら、狭い電算処理室内では次々と獲物の出身地が判明していく。無論人力で特定できるのは兵器が組み立てられた地点までだ。装甲板や人工筋肉、弾薬などには国際法で定められたマークも記載も無く、兵器中核ともいえるコアプログラムにはAIによるセーフティロックがかけられている。だが「それを破るのが仕事だろ!」と彼らに言っても、30年前に生まれたAIが組んだセーフティでさえ既に官用レベルのハードウェアでは人力で破れないレベルまで達していることを鑑みれば致し

方ないことだろう。


「腹減んないすか?」 

 平均直上、黙りこくっていた29歳がここ5時間ぶりに声を出した。


「あぁ~確かに。仮眠明けから何も食べてなかったですもんね」

 同じような思考で同じような動きしかしてこなかった4人の腹から一斉に空腹の足音が顔を出す。

「僕親子丼!」

 最年長が夜食をねだる。

「いや自分で買ってきてくださいそんなかさばる物。三船君はどうする?」

「自分で行きますよ。向井さんにまた間違えられたくないし」

「じゃあちょい休憩ですか」

「牧田の分は行ってくるよ。いつものやつでしょ?」

「お、じゃあお願いできます?」


 当事者としての責任を感じ、最も作業量を多くとっているであろう23歳に29歳が気を遣い、牧田は一人電算室に取り残された。夜食までのロスタイムではあるが日の出前の帰宅を目指して少しでも解析を進めておこうとデスクに着いた時、自身のコンソールから警告音が発せられた。


「おいおい頼むぞ。ただでさえスペック足りないのは分かってるけどさ」


 データが消えることを恐れてバックアップからの再起動を図ろうとした瞬間、部屋

の電源が落ちた。


「なんてこった!」


 暗闇の中で慌てふためく牧田であったが、ふと部屋の中央の立体スクリーンが再起動された。そこには小さく日本語での文章が表示されていた。


「なんだ、これ?」

 



 ねぇ


 どうしてみえないの


 どうしてきいてくれないの


 みんな、あのこがきらいなの


 こえをきいて あのこのこえを


 


 文は一文字ずつゆっくりと打ち込まれ、全ての文が牧田の目に入ると同時に一斉に消去された。部屋の電源が再び入りコンソールが再起動すると唐突な出来事に面食らった牧田の目にさらなる衝撃が舞い込んだ。デジタルワイヤーフレームが班の皆を見送った時には無かった変化を見せており、数十枚に重ねあわされた暗号プログラムはまるで下手な積み木細工の様にバランスを失いその姿をかろうじて保っている状態だった。


「まずいものでも踏んだか……?」


 くうに浮かぶ緑の電子の糸は手も触れることなく次々と形を変えていく。兵器の制御系コンピュータが自立行動を起こすこと例は無いことは無い。だが牧田の電脳技師としての感性はこれが外部からのアクセスだと告げる。すると後のことを考える前に牧田はその深淵を覗こうと自らに手で崩壊寸前の暗号プログラムにとどめを加えた。


「何やってんだホントに……」

 口では否定しても溢れ出した好奇心を抑え込むことは難しい。それは彼だけでなくAI技術に関する研究職が著しく制限されたこの国の技師全員に言えることであるが。

 数にしておよそ86層にもわたる防御スクリーンが連鎖的に取り払われ、立体スクリーンに深淵がさらけ出される。しかし想像していた実像からかけ離れた物を目の当たりにし、牧田は間の抜けた声をこぼす。

「ぬ?」


D-7


 たったの二文字、もしくは一つの単語が広々とした立体スクリーンの真ん中に浮かび上がっている。スクロールや角度変更をして隅々まで見回してもても製造年月日や国名、委託業者などその兵器を稼働させるまでに関わった者たちの足跡は無かった。


「どういうことだ……」

 システムの深層、人間でいう大脳にあたる部分に刻印されたこの文字列が何を指し示すのか。今の牧田の頭にはそのことに対する興味よりも大きな危機感が生まれていた。 


 。見てはいけない、知ってはいけない類のモノ。フィクション、ノンフィクション問わず牧田の頭の中にある膨大な量のアーカイブスにはこのような情報を閲覧した者の末路は揃いも揃って似たような結末で記録されていた。自分の未来予想図が組みあがっていく途中で聞きなれた音が部屋に響く。

 内からロックされた電算室の出入り口から呼び出し音が鳴り同僚の帰りを知らされた牧田は咄嗟に私物のPENにバックアップを取って慌ててドアを開けた。


「マッキーごめん、ツナタマゴが品切れでさ。こっちのやつでいい?」

 へらへらと謝る45歳を出迎えた23歳は息を切らして、額には大粒の汗が滴り、瞳孔は部屋の光量に反比例するように開ききっていた。


「どうしたんです?コーヒーでもこぼしました?」

「いいいいいや何でもないよ!あっ!瀬木さんありがとうございます頂きます」

 3人が部屋に入るのをさりげなく体でブロックしながら牧田は満面の笑みを一瞬で

鋳造してまくしたてる。


「じぃーつはさー!3人が言ってる間にカタがついてさ!」

「え、”源流”をすか?」

「そうそーうそそそ!だから今日はもう残ってもらう必要なくなったみたいでですね!とりあえずもうここで解散ってことで大丈夫ですよー!」

「え?でも後藤さんに渡すペーパーがまだ出来てないんだけど……」

 瀬木せぎこと45歳の副室長は不安げな声で牧田に問う。

「あぁ~んそんなもんやっときますよ~!元はといえば僕が皆さんを巻き込んだ形ですし!毎回毎回、残業徹夜朝帰りのローテーションなんて体に障りますから!とにかく今夜はもう皆さん家に帰って温かいお風呂とベッドに入って明日も元気に会えることを切に願ってますおやすみなさいでは!!!」


 一方的に閉じられた遮電扉の前で3人の理工班は夜食を抱えながら立ち尽くす。

「どうします?」

「……し、下のラウンジで皆で食べようか」

「お先っす」


 突然の残業からの解放にに悲喜こもごもな感想を漏らしながら歩き去っていくとともに、扉の内側ではまるで殺人の隠ぺいを図るかの如く動き回る牧田がいた。各班員のデスクに痕跡が残っていないか、署内のハブコンピュータとの同期がまだ行われていないかを確認すると、保存を行わずにデバイスの主電源を一つ一つぶち抜いていく。普段の彼らからすれば悪夢のような光景だろう。だが行っている室長本人にはは悪夢以上に恐ろしい何かに感じられた。より確実にデータの繋がりを絶つため室内のブレーカーを落すと、先程まで張り巡らされた電子の糸が暗幕で引き切られ室内の端末はこれで完全に孤立した。


 真っ暗な鉄かごで一人安堵の息を吐いても牧田の不安はぬぐい切れない。暖房と放射熱が止まり室温が急激に下がり始め、額を伝う汗が牧田の頭を直接刺激する。だがそれによって思考はクリアになることは無く、若き電脳技師は眠れぬ夜を明かすこととなった。

 


「はい?」


 翌日、4課理工班電算室の前。理工班最年少、三小田聖翔みこだせいしょうが入室を拒否された際に発した言葉である。

「どういうことです?」

「今申し上げた通りです、牧田京弥少査の査問が終わるまで理工班電算室の一切の設備は使用できません」


 ギアスーツに身を包んだ警備員二人が遮電扉の前に立ちふさがり、上司が拘束された旨を初めて知らされた三小田の目は回遊魚の如く宙を泳ぐ。


「えぇ~ちょおっとそれは……」

 昨日の妙な態度が事態の原因を隠すためのモノなのだということは容易に想像できるがそれ以上に、”境界”近くとはいえ一介の所轄の電脳技師に対してここまで物々しい対応をとる必要のある事とは何なのかが三小田には気になった。


「室長はどこです?」

だ」

「誰に呼び出されたんですか?」

「知る必要はない」


 職場が目の前にあるのに働くことを許されない19歳は自身の身の振り方上司の行方の両方を朝から気にする羽目になり、露骨にうんざりした顔を警備員に見せつけてその場を後にした。



 

「飲まないんですか?」

 返答の前に質問の主が自分のカップに手を伸ばしてきて牧田は面食らう。

「あぁ失礼、冷めてしまうといけないのでね。新しいものを飲まれますか?」

「甘いものはあまり……」

「なるほど、では……すまない彼にエスプレッソを」


 背もたれを使わず背筋の伸びた姿勢でウェイターに注文を取る目の前の男に車で連れ出され、牧田京弥は首都圏から外れた抽出屋にいた。抽出屋とは端的に言ってしまえば天然の嗜好品が楽しめる高級店であり、月給45万の独身男性でも易々と暖簾のれんをくぐれるような場所ではない。窓の外の景色の様に緊張で凍り付いた背中を必死に揺らしながら牧田は現状を打破しようと試みていたが、向かいの席の男に先手を取られる。


「さてどこまで話したましたか?自己紹介は済ませましたっけ?」

「はい、自分が」

 無自覚に不意を打つ返答であったが、男は変わらずにこやかに返す。

「あぁそうでしたね。では改めて。警務省内事局けいむしょうないじきょく局長、安藤類あんどうたぐいです。よろしくお願いします、牧田京弥少査」


 内地の治安維持機構の管理、運営方針の決定を下すのが警務省であり、警視総庁直下の組織員である牧田には上司にあたる人物であった。


「それで、国内の安全と海外に対しての警備保障をを総括する部署の局長さんがわたくしに何の御用ですか?もしかしてわたくしの日頃の献身ぶりを知って個人的に興味がお湧きになられたとかいうことですか?」


 攻撃こそ最大の防御とばかりに心にも無い文言を畳みかける牧田だが、自分の相手が質の悪い出玉で言いくるめられるような人物でもないことは自然に察することができた。言うなれば向こうの出方を探るための威力偵察であったがのだが、安藤の返しは単刀直入どころかミサイル直当ての様に強烈だ。ブリーフケースからメモ帳を取り出しおもむろに何かを書き記してこちらに差し出してくる。書かれていたのは牧田にとっては目覚めの極めて悪いモノだ。


”D-7”


 薄いメモ用紙の上に丁寧な字で、昨日自分が目にした英字が並んでいる。危惧していた事態が訪れ牧田は自身の軽率な行動を反省した。あの時後藤に旨いこと返していれば、嫌味を言う時に無線を切っていれば……!何にせよ何かしらの不都合なことを知った自分が辿る末路を思い返すと、ならば何を聞いても同じと開き直り、背中から先程までの緊張が一気に消え失せた。筆談での問いかけに牧田は言い返す。


「えぇ、ほんの数時間前の付き合いですけど、確かにその言葉を見ました」

「どこで?」

「昨日の未明に駿河湾で拿捕した台湾系グループの密輸船の積み荷からです。警務省の局長殿であれば既にご存じの事かとは思いますが」

「それは外装に?それとも電子系に?」

「電子系です。制御プログラムの最深部、民間レベルのCPUではとてもたどり着けない位置に刻印されていました」


 説明が終わると安藤は牧田から取り上げたホットチョコレートの残りを一気に飲み干し、テーブル越しに更に身を乗り出して尋問を続ける。


「貴方はなぜそれを閲覧出来たんです?藤枝警察署のセントラルコンピュータでは戦術クラスのAIが組んだセキュリティでも突破するまでに一世紀はかかるでしょう」


 予想できていた質問であったが聞いてきた本人の立場は牧田の想像をはるかに超えていた。身近な着地点ではすぐに裏を取られると思った牧田は咄嗟に返す。


「古い友人に協力してもらいました。中国の第3機鋼連隊の電算員で、先方にサンプルの本体を転送して擦り合わせをしたんです。結果的に僕は答え合わせの場に居合わせただけって感じでして……」


 同盟国の電算員との共同解析という有り得なくは無い線での創作。藤枝署で処理に臨む密輸品ルートの解析には旧アジア機構を通じて中国・韓国などの同盟諸国の機関にも解析を依頼するのが可能であった。今回はたまたま事態の収拾が速かっただけなのだと牧田は己に言い聞かせる。


「貴方にはこれが何を意味するか分かりますか」

 言葉こそ質問の形ではあるがそこに疑問符はない。

「自分は専門家ではありませんので……、てっきり教えに来て下さったのかと思っていましたが」


 我ながら不遜すぎると内心で自嘲し、牧田は目の前の官僚に自分を呼び出した意図を訪ねた。


 断熱処理のされた二重窓の外では舗装路の上を身を裂かんとするばかりの寒風が吹きすさんでいる。その外に視線が流れ、安藤は不意に語り始める。


「僕が初めて警務省に入った頃まだ首都が東京だった時に、”警察”というものが終わるのを見た。すべての治安活動がアーマンに取って代われコンクリートと電子の街を肉を持たない心が守り始めたころだ。大戦での活躍や他国での運用実績を見て誰しもが東京を理想都市だと確信した。これからの時代、匿名の暴力によって無辜の人々の命が脅かされることは無くなっていくと。AIが核に代わる抑止力となっていくとね」


 空になったカップに視線を落とした安藤は、小指でカップの縁を弄びながら空虚な目で言葉を紡ぎ続けた。


「事実あのようなことが起きてもなお、政府自体はAIの使用に好意的です。国民は自身らの生活に対して関わりの無い部分に目を向けなくなり、命無き隣人の開発はよりその規模を内向化していった。それは研究者である貴方には理解しやすいでしょう」


 牧田の同意を受け取ると安藤は自分が呼び出した相手に対して正面切って対峙した。


「我々は半年前この文字列を初めて発見した。場所は旧自衛隊の八ヶ岳ドローン基地。それ以降これの出所を掴むために国内外問わず選りすぐりの技術者を集めて解析を試みました。が、その結果は期の支出簿の項目を増やしただけでした。何も痕跡さえもつかむことができずに。その理由が分かりますか?」


 通常、AIは自動的に思考し外部からのアクセスに対しての行動を選択する。攻撃か防御か、受容か拒絶か。しかし大本から分離されて載せられた機材に応じた能力に限定されたAI、所謂”分霊”は自動でコードの書き換えを行うことなどできないはずだった。


「お恥ずかしながら」

「私はこう考えています。何者かが国内の戦略規模の自立型AIを占拠し、其処から生産した”分霊”を諸外国に輸出、兵器に搭載して密輸したと」

「しかしコードの書き換えが行える人物がその辺にいるとは……」


 言葉を紡ぎきる前に安藤の意図を察した牧田はもはや自分がまな板の上の鯉であることを知った。わざわざ厳重な拘束をせずこちらの自由を奪わないのは協力を仰ぐという建前の為であることを理解すると、彼は虚実の功績で評価されることがここまで不愉快なことかと痛感した。


「自分は何をすれば?」


 若き技師の問いかけに答える男の顔には既に笑みも含みも残っていない。雷鳴のとどろく雨雲を見つめるかの如く、その瞳に先の未来に対する怯えが含まれていることは、その時限られた人物しか知りえないことであった。




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