第8話:アルトレア伝承

  『森に足を踏み入れてはいけない  森の守り神が目覚める

   森を汚してはならない  森の守り神が悲しむ

   森の命を奪ってはいけない  森の守り神の怒りがその身を亡ぼす』


 ゴレアに乗ったキラクを先頭に、リリアたちは森を行く。

 奥へ奥へと進むうちに、森は深さを増し、足場もないほどに草木は生い茂っていく。

 歩くことに精一杯なリリアとトレイユを他所に、キラクの目は輝き続けていた。

 見たことのない動植物に、探求心が疼いてたまらないのだ。

 しかし、それと同時に、今は研究を止めて森の奥へと進行しなければならない事実に、キラクは今まで感じたことのない我慢を強いられているためか、知らず知らずのうちに唇を噛み締めていた。


「おい……。あいつ、大丈夫か? さっきから表情がおかしいぞ」


 キラクの様子を見て、不審な目をするトレイユ。


「あぁ。あれはね、慣れれば気にならないよ。きっと、この辺にある動植物の研究がしたいのよ。けど、今はできないから、ああやって気を紛らわしているんでしょ」


 リリアは慣れたもので、苦笑いしながら答えた。

 すると、前を行くゴレアの歩みが止まった。

 キラクの堪忍袋の緒が切れたのかとリリアは思ったが、違った。

 リリアたちはゴレアの傍に駆け寄って、目の前の光景に驚いた。

 今まで、鬱蒼とした森がずっと続いてきたのだが、それが急に原っぱのような場所へと変わり、その数メートル先には岩山が始まっているのだ。

 原っぱは左右に広がっていて、よく見ると、原っぱと言うよりかは湿地帯だ。

 ところどころにある水溜りが、太陽の光を浴びてキラキラと輝き、柔らかい地面の上に無数に生える色とりどりの植物が美しい。

 動物はおらず、小さな昆虫たちが花から花へと飛び回っている。 

 岩山は、大した高さではないが、ごつごつとした焦げ茶色の大きな岩が無造作に生えていて、生き物を寄せ付けない空気が漂っている。


「これは……。グレゴロの道……」


 トレイユが、呟くようにそう言った。


「え……。何それ?」


 リリアの言葉に、怪訝な顔になるトレイユ。


「何それって…、覚えてないのか? 小さい頃、よく婆様たちから聞かされていたろ? 古くから伝わるアルトレア伝承の一部にあった、グレゴロの道。神聖なる禁断の森を守る怪物グレゴロの通った後に、川のような道ができて、やがて小さな生き物の住処になるって」


 トレイユの言葉に、リリアは一所懸命に記憶を遡るが……。

 覚えているはずもない、リリアはそういう女だ。


「その、怪物グレゴロとは何だ? この森は、グレゴロの森と呼ばれているらしいが」


 キラクが会話に加わってきた。

 例によって、口をくちゃくちゃ動かしながら発言したものだから、トレイユはさらに怪訝な表情になる。


「その怪物グレゴロが、森の中心にある神々の住まう聖地を守っているって話さ。姿を見たやつはいない。グレゴロに対峙すれば最後、命を落とすからだ……。ただ、その影を見たやつが大昔にいて、小さな山のようだったと伝わっている。そして、無数の光を帯びていたと……。けど、誰もその正体はわからない」


 トレイユの話を聞いて、キラクの表情が変わる。

 唇を噛み締めることも忘れて、どこともつかぬ方向を凝視している。

 おそらく、誰にもわからないグレゴロの姿を想像しているのだろう、口角が微妙に上がっている。


「じゃあ、ここにグレゴロの通った後にできる道があるってことは……。この先にあるあの岩山が、神々の住まう聖地……?」


 リリアの言葉に、トレイユは静かに頷く。

 岩山を見つめるトレイユの横顔に、額に、汗が流れている。

 阿呆なリリアにもわかる。

 トレイユは明らかに、恐怖している。


 シーラ族であるリリアたちにとって、幼い頃から聞かされてきたアルトレア伝承は、神話であり、絶対的な守らねばならない掟である。

 それはシーラ族に限ったことではない。

 その昔、現在の王国が誕生する以前、この地方は全てアルトレアという名で統一されていた。

 アルトレアは、いわばこの辺り一帯の様々な種族の祖となる一族。

 長い年月を経て、アルトレアは分裂し、様々な種族が誕生して、小さな村がいくつもできて、今の世の中のようになったのだ。

 全ての種族に通じることは、みんなが同じアルトレア伝承を持っていることだった。

 リリアのように、そのほとんどを忘れてしまう阿呆もたまにはいるだろうが、何度も繰り返し聞かされてきた伝承は心に深く刷り込まれ、普通はトレイユのような状態になるものだ。

 そのため、この森に迂闊に足を踏み入れる輩はそうはいない。

 ましてや、森の深部まで進行したのは、ここ数百年でリリアたちが初めてだろう。

 それくらい、グレゴロと名付けられたこの森の守り神は、周辺種族から恐れられているのだ。


「では、そのグレゴロとやらに見つからないうちに、ここを渡った方がいいな」


 キラクは、どうにかグレゴロから興味を逸らすことに成功したようで、気持ちを伝説の花へと再調整した。

 キラクの言葉に、青褪めるトレイユ。

 覚悟をして森に入ったつもりだったが、いざグレゴロの道を目の前にしてみると、いつもは勇敢なトレイユでさえ逃げ出したい気持ちになったのだ。

 そんなことはお構いなしに、ゴレアは足を進める。


「トレイユ、大丈夫だよ。キラクがいるし」


 リリアは、何も覚えていないが為か、気楽な言葉を口にして笑う。

 そして、躊躇することなく、ゴレアの後をついて行く。


 リリアのその様子を見て、トレイユの中の何かが、静かに燃え始める。

 トレイユにとって、二つ年下のリリアは、妹のような守るべき存在だった。

 保安官になったことは知っていたが、一人で森へ入ったと村で聞いてから、無鉄砲で向こう見ずなところは相変わらずだなと安心すると同時に、森は危険だからと心底心配していた。

 それが、いざ森で出会ってみて、どうだ。

 見知らぬひ弱そうな男を、頼りになると言って傍に置き、自分よりも前を歩いている。


 負けてはいられない。

 村を救うのは、俺だ。


 トレイユは、心に渦巻く恐怖を振り払い、一歩を踏み出した。 






 キラクは、衛星映像で地図を出し、この辺り一帯の詳細な地形を調べる。

 グレゴロの道は、今いる岩山をぐるりと取り囲んでいる。

 まるで、岩山へ入ろうとする全てを阻止するために、そこに道を作っているようにも見える。


 やはり、この岩山には重要な何かが隠されている。

 伝説の花は、きっとこの岩山のどこかにある。


 キラクはそう確信していた。

 それと同時に、アーシードラゴンの事も気にかけていた。

 と言うのも、実は、キラクは一度、この岩山に入ったことがあるのだ。

 質問されなかったのでリリアには告げていないのだが……。


 この森へ来た二か月ほど前。

 研究を始める前に、森の全体像と生物分布を知るため、一度森の全てを見て回ったのだ。

 その時既に、グレゴロの道を発見し、変わった地形だなと思ったのだが、そんな怪物には出くわさなかった。

 そして、今いる岩山に足を踏み入れ、アーシードラゴンに出会っていたのだ。


 キラクの考えでは、アーシードラゴンは守るべき種だった。

 この世界には様々な種類のドラゴンが生息しているが、キラクの知る限りでは、アーシードラゴンはこの森にしか生息しておらず、人が手を加えれば絶滅してしまう可能性がある生物なのだ。

 その為、生態系に関して神経質なキラクは、この岩山での研究は細心の注意を払って行わなければならないと思い、まずは大雑把に研究が進められる森の入り口付近で研究を開始したのだった。

 そこへリリアが現れて、ここまで来る羽目になったのだが……。


 伝説の花は見たい、採取したい、研究したい。

 だが、アーシードラゴンのストレスになるような事だけはしてはいけない。

 俺たちは部外者だ、侵入者であり排除すべき対象だ。

 できるだけ静かに、物音を立てず、気配を消して、進まねばならん……。


 そんな思いからか、キラクの操縦するゴレアの歩みはとてもスローテンポで、リリアはその不可思議な行動に首を捻った。






 トレイユは怯えているために慎重に、キラクは細心の注意を払っているためにスローテンポで。

 二人の歩みがあまりに遅いので、リリアはうんざりする。

 確かに、岩だらけで足場は悪いが、そこまで歩き辛いわけではない。

 それに、急がなくてはいけない。

 なのに、二人の歩みは遅く、なかなか前に進めない。

 加えて、既に日も暮れたとなれば、今日はこの殺風景な岩山で一晩を過ごさなくてはならない。

 けれど、近くにアーシードラゴンがいるかも知れない。

 そう思うと、うかうか寝てもいられないだろう。


 リリアは、アーシードラゴンについてだけは、アルトレア伝承の内容を覚えている。


  『黄金に輝く角を持つドラゴンは、神の使いである

   その背に天使の羽を持ち、自由に空を飛ぶ

   黄金に輝く角を持つドラゴンは、悪魔の使いである

   その身に炎を纏い、近付くものを灰へと変えてしまう』


 村にあるリリアの生家には、代々受け継がれてきたアーシードラゴンの角が一本ある。

 かつては黄金に輝いていたのだろうが、もう数百年以上前のものだということもあり、その色は褪せている。

 しかし、それを手に入れた祖先の話は伝わっている。

 一族の中の一人、アルトレア伝承に魅せられた勇敢な男が、単身グレゴロの森へ入り、手に入れたのがその角だ。

 そしてその男は、シーラ族にアーシードラゴンに関する新しい知識を与えた。

 まず、アルトレア伝承にあるアーシードラゴンの記述は、ほとんどが正しいということ。

 しかし、その身に炎は纏っておらず、赤い肌をしているということだ。

 幼いリリアは、どうしてだか、アーシードラゴンについてだけは興味があった。

 その祖先の男の血族だからなのか、ただの好奇心なのかはわからないが、一度でいいから、アーシードラゴンをこの目に映してみたいと思っていたのだ。


 それが今回、このような形で森に入ることになろうとは思ってもみなかったが、それでも、アーシードラゴンを見る機会が巡ってきたのだと、どこか運命的なことを感じているのも事実だった。






「今日はここで休もう」


 のろのろとした足取りのゴレアの中から、キラクがいつもより小さな声でそう呼びかけた。

 キラクも怯えているのだろうかと、リリアは考える。

 岩山の、比較的平地の狭い場所に腰を降ろすゴレア。

 リリアとトレイユも、岩に腰を降ろす。

 トレイユは、まだ辺りを警戒している。

 だが、そんなことは無駄なんじゃないかとリリアは思う。

 岩山に入ってからというもの、生き物を一つも見ていないのだ。

 草木もなければ、動物もいない。

 岩だけの世界。


 こんな場所に、本当にアーシードラゴンはいるのだろうか?


「もう半日も歩けば、この森の最深部、および中心部に到達する。そこに、花はあるのだろう?」


 キラクの問い掛けに、何のことか一瞬わからなくなりながらも、リリアは頷く。


 そうだった。

 キラクには花を探しているってことになっているんだった。


 しかし、周りには植物が全く見当たらない。


 こんな、植物が生息できない場所に伝説の花があるだなんて、本当にキラクは信じているのだろうか?


 少しばかり不安になりながらも、キラクは疑いの目を向けてこないので、リリアは余計なことを言わないようにと口を閉じている。

 すると、隣に腰掛けるトレイユが、魔光式銃に魔力を溜め始める。

 シーラ族特有の、紫色の光を帯びた魔力だ。

 トレイユのそれは、魔力の濃さのためか、リリアのそれよりも紫色が濃い。


「何に使うつもりだ?」


 トレイユの行動に、キラクが尋ねる。


「決まっているだろ? アーシードラゴンに出くわした時のためだよ」


 トレイユの返答に、ギョッとするリリア。

 キラクの目が、鋭く光る。


「お前……。アーシードラゴンを襲うつもりか?」


 キラクの言葉に、しまった、と思ったのだろうトレイユは、キラクから目を逸らす。


「違うよ。もし、襲ってこられた時のためさ。護身用だよ。相手はドラゴンなんだからさ」 


 トレイユの言葉は、普通の人間なら納得するだろうが、キラクはそうもいかない。


「たとえ襲われたとしても、俺たちは仕方ない。彼らの縄張りに勝手に入っているのは俺たちなのだからな。故に、断じてアーシードラゴンには手を出すな。彼らは、俺たち人間なんかよりも、ずっとずっと尊い存在だ」


 キラクの言葉に、トレイユの心が揺れる。

 トレイユの脳裏には、村で苦しむ人々の姿が思い起こされていた。


「人間よりもドラゴンが尊い存在? 言ってくれるな。それは本心か?」


 キラクを睨み付けるトレイユ。

 その手は、先ほどよりも強力な魔力を発して、魔光式銃に蓄積し続けている。


「俺は本心しか口にしない。人間は、この世界に掃いて捨てるほど存在している。人間は、その知恵故にどこでも生きていける。しかし、他の生物たちは違う。殊にドラゴンはそうだ。住み慣れた環境が壊れれば、その地に住まうドラゴンは絶滅してしまう。とても繊細な生物だ。世界にとって、ドラゴンは尊く貴重な存在。対して人間は……。俺に言わせれば、ゴミでしかない」


 キラクの言葉に、トレイユがキレた。

 立ち上がり、リリアのものよりも大きな魔光式銃の銃口を、ゴレアの中のキラクへと向ける。

 瞳は薄紫色の光を放ち、短い銀色の髪が逆立って、その表情は怒りに燃えている。

 リリアは慌ててトレイユを抑えにかかる。


 こういう状態は、村で何度も見たことがある。

 村の酒場ではよく、酒に酔った大人たちが喧嘩をして、激しい魔力のぶつかり合いになることがあった。

 今まさにトレイユは、その酔って喧嘩をしていた大人たちと同じ状態なのだ。

 シーラ族の者は、心が怒りに満ちると、魔力の放出が制御不能となり、今のようなトランス状態になってしまう。

 それを止めるには、魔力でもって押さえつけ、冷静さを取り戻すよう促すしか方法はない。


「トレイユ! やめてっ! キラクに悪気はないのっ!」


 なんとか銃を降ろさせようと、トレイユの腕にしがみつくリリア。

 しかし、リリアには、自分の魔力でもってトレイユを押さえつけることは愚か、腕力でさえもトレイユには劣る。


「放せっ! こいつは、俺たちの命なんて何とも思っちゃいねぇんだっ! 俺たちの村が、みんなが、弟が死にかけているっていうのにっ! 人間の命なんて何とも思っちゃいねぇんだっ!」 


 トレイユは、我を忘れてしまったかのように怒り、怒鳴り散らす。

 もはやリリアにはどうしようもない。

 キラクには、トレイユの言葉の意味がわからない。


「撃ちたければ撃てばいい。しかし、撃てば、その瞬間にお前は、シーラ族としての誇りも、何もかもを失うことになるぞ」


 キラクの瞳が、出会った頃よりもさらに冷徹な、凍った赤に染まっていることに、リリアは気付いた。

 このままでは、二人とも無事では済まない。

 そう判断したリリアは、仕方なく。


「トレイユ……。ごめんっ!」


 その言葉と同時に、渾身の力を込めて、トレイユの溝内を膝で蹴り上げた。

 トレイユは、言葉も出せないままに気を失い、その場に倒れた。

 魔光式銃の魔法陣は光を失い、地面に落ちた。

 あまりの出来事に、リリアは呼吸を整えることで精一杯だ。


 これほどまでに怒ったトレイユを、リリアは見たことがなかった。

 それに、トレイユの言葉。

 弟が死にかけていると言っていた。

 それほどまでに、村に病気が蔓延しているのだ。

 事は一刻を争う。


 早く、早くアーシードラゴンの角を手に入れないと……。


「さっきのはどういうことだ?」


 背中越しに、キラクが尋ねてきた。

 今、キラクを正面から見る自信がない。

 嘘をついたことが全てばれて、怒りの矛先が自分に向いてしまいそうだと、リリアは思った。


「わかんない……。もう、今日は寝るね」


 キラクに背を向けたまま、倒れたトレイユの体を楽なように寝転ばせて、リリアも地面に伏した。

 シェルターがあれば中に隠れることができただろうが、生憎、この岩山の間にできた狭いスペースではシェルターは出せないだろう。

 それに、ここはもうアーシードラゴンの縄張りの中だ。

 いつ、アーシードラゴンが現れてもおかしくない状況だ。

 襲われても、キラクはきっと助けてはくれない。

 自然の摂理だとか何とか言って、アーシードラゴンを傷つけるようなことは絶対にしなだろう。


 リリアは、キラクに気付かれないようにと丸くなって、静かに二丁の魔光式銃を握り締める。


 自分の身は自分で守らなければならない。

 そして、自分たちの村は、自分たちの力で救わなければならない。

 最初からわかっていたことなのに、忘れかけていた……。

 トレイユが来てくれなかったら、今でもきっと、キラクのペースに飲み込まれて、アーシードラゴンを狩れずに帰っていただろう。

 けど、それじゃ駄目なんだ……。


 気を失ったままのトレイユの横顔を見つめながら、リリアは闘志を燃やしていた。

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