第四十一譚 《季節》の姫君は彼を愛す

 日が暮れても、町は賑やかだった。

 食堂には町の者が大勢集まり、うららかな春の到来に杯を掲げている。群衆が大声で笑い、窓枠が微かに震えた。吹雪に殴られ続けてきた窓が、いまは歓喜の熱気に曇っている。群衆の声は厚い扉から洩れて、外まで響きわたっていた。

 すでに夜更けだ。広場に人影は絶えている。

 宿屋の屋根には綺麗な少女が腰掛けていた。銀の髪がさらさらと、春宵しゅんしょう微風そよかぜにそよいでいる。隣には氷の鎧をまとった《冬》が寄り添っていた。《冬》が帯びていた寒気はずいぶんと衰えて、町に暮らす者を脅かすようなことはない。


「解せん。あれほど《春》を嫌い、殺めるに至った者たちがなぜ、新たな春に浮かれるのか」

「時が経ったのよ。季節がめぐらなくても、時はめぐるものだわ。にんげんが殺めた季節を、にんげんが望んでよみがえらせるだなんて愚かだと、わたしはおもうけれど」

「あの季環師きかんしが、それを是と言ったのか」


 クワイヤは静かに頷いてから、視線を地に落とす。


「わたしは、殺すとおもっていたわ。にんげんが、産まれたばかりの《春》を殺すんじゃないかと。にんげんは愚かだから。あとさきのことなんか考えない。変わることはこわくて、あなたに護られていれば、楽だもの。だから、きっと、おんなじことを繰りかえすはずだって……けど、そうはならなかった。そうはならなかったのよ」


 彼女は複雑そうに繰りかえす。


「ひとってほんとに、わからないわ」


 屋根から浮かびあがる。クワイヤは、羽根もないからだで重力を無視する。

 彼女が舞いおりたところにはセツがいた。セツは外套を巻きつけ、荷物を肩に掛けていた。

 町の者から詫びられ、春を甦らせてくれたもうひとりの英雄だと囃されていたが、みなが酔っているのをいいことに抜けだしてきたのだ。


「いくのか、季環師」


《冬》が石畳に着地する。


「お世話になりました」


 セツは笑い、綺麗な辞儀をする。


「それはこちらだ。汝は春の魂を救い、《新たな春》に季節を継承させてくれた」

「あなたは眠りにつくのですね」


《冬》は毅然と振る舞っていたが、睡魔に襲われているのか、瞬きが重かった。


ようやく《新たな春》に地域を預けられた」

「新たな春とはお逢いになられたのですか」

「是だ。吾の巣まで訪ねてきた。《新たな春》はまだ幼く、頼りがない。されど、慈愛に満ちた瞳は確と受け継いでいた。あれならば、滞りなく季節を巡らせることができるだろう」


 青藍せいらん双眸そうぼうが町を一望する。互いに身を寄せて、果てのないような極寒にたえてきた町だ。季節を殺めて、季節に愛され、季節を愛することを想いだした町だ。軒を連ねた家の群からは暖かなあかりが洩れていた。あかりの数だけ、細やかな幸福が息を続けているのだ。


「《春》は遂に最後まで、人間を護り続けたのだな」

「ええ、あなたも」

「吾は護っていたつもりはない」

「ですが、冬の砦があったから、町は侵略されずに済んだ。それは事実だ。それにあなたはすさまなかった。不眠だけではありません。不条理にたいする怒りを覚えながら、あなたはこらえ続けてくれた。一晩あれば、あなたは町を凍りつかせることができたのに。ありがとうございます、僕らを、人というものを、最後まで信じてくださって」

「《春》の意とことわりを重んじたまでだ」


 ふるりと《冬》がたてがみを振る。氷雪が散った。


「……汝は、実に奇態きたいだな」

「え、そうですかねぇ」

「理を重んじ、季節に等しい思考を持ちながら、絶えず人の側から物をいう。季環師とは昔から、人と季節の調停者ちょうていしゃだ。だが、これほどまでに季節との結びつきが強い者には、出逢ったことがない。季節かり故か?」


 クワイヤは眉の端をとがせて、肩を竦めた。


「あいかわらず、あなたはわかっていないのだわ。調停者だとか、季節懸かりだとか、そんなものがなくても、かれはかれだわ。ほかでもないこのわたしが、愛するのよ。愚かなやからとはなにもかもが違っていて、あたりまえだわ」


 彼女は傲慢に笑った。


「愛か」


 かみ締めるように《冬》が繰りかえす。

 セツは微かに頷きながら、微笑んだ。


「ええ、愛してくれた。彼女が、僕を」


「左様か。いわんや《光季》の姫君に愛されているのだ。いかに稀なることか。されど、季節懸かりとは、実に難儀なものだ。土地を地域とさだめるのとはまるで異なる。果敢なき人の身をもって、季節の地域となるのだから」


「理解しています。人の身にはすぎる果報だ。ですが光季が巡るべき地域は朽ちてしまった。僕が、彼女を護らなければ」


 彼は瞳に揺るがぬ意思を漲らせていた。

 

 戦争の果てに故郷は朽ちた。絶望に暮れていた彼は産まれたばかりの季節と逢い、その季節を護るのだと誓った。

 綺麗だったからだ。綺麗だった。

 無辜むこたるは、彼女のことだと想った。

 

 斯くして、彼は、季節にすべてを捧げたのだ。

 

 光季の地域の顛末を知り及んでいたのか、《冬》はその意を尋ねることなく、重く頷いた。


「なれば、季節と理に添い、旅を続けるがよい」


 石畳をかつんと蹴り、《冬》が背をむける。


「汝の旅路に幸福があらんことを」


 最後に祝福をひとつ。

 地吹雪が巻きあがり、《冬》は細かな氷雪になる。巣に帰ったのだ。


 荷物を持ちなおして、セツは広場を進んでいく。広場の端にかけられた橋を渡る。遠まわりにはなるものの、雪の壁が崩れていたところから登り、壁の上を進めば、冬の砦を越えることは可能だ。町の者からは「雪がとけるまでは滞在してくれ」との声を貰っていたが、これだけ積もった雪がなくなるのは春を跨いで、夏に差しかかる頃になる。春になって雪が緩んだら、輪かんじきを履いて進むのも難しくなるので、冬の砦を越えるならばいまだ。

 橋を渡り終えたところで、後ろから声を掛けられた。


「待ってください!」

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