第十八譚 《春》を葬る雪の棺

 町の広場はすっかりと雪が掻かれていた。端に積まれていた雪塊せっかいもない。あれだけの雪が流雪溝りゅうせつこうを流れてあとかたもなくなったのだ。地域を愛する若者は実に頼もしいと感心する。だが雪がなくなっても、まだ油断はできない。ほうきでも掃ききれになかった雪が滑りどめのおうとつに詰まり、石畳が凍結していた。

 建物の角をまがって、子供の群がやってきた。

 寒くとも子供は元気いっぱいだ。凍った石畳を走りまわる。市場も畳まれ、広場全部が遊び場になって楽しいのだろうと思っていたら、セツの側でいきなり子供のひとりが転んだ。他の子供が気がつかないのか、走り去ってしまった。


「あ、あの、だいじょうぶですかぁ?」


 しゃがんで、声をかけてみる。

 子供はうつぶせていたが、やっと起きあがった。男の子だと思っていたが、女の子だった。涙ぐんでいたが、頬が凍るので、ぐっと我慢しているのがけなげだ。


「痛いところはありませんかぁ?」

「…………よそものさんだ」


 子供はあきらかに戸惑っている。正確にはこわがられている、のだろうか。


「よそものさんとは話しちゃだめだよっておとうさんが……けほ、けほっ」


 咳きこみ始める。胸をうちつけたのだろうか。セツが手を差し伸べると、せきが驚くほどに冷たかった。子供の息ではない。これは、冬患いに罹り始めた時によくみられる咳だ。

 背中をさすってやれば、段々と呼吸が落ち着いてきた。


「ありがと……」


 子供はぽつりと言った。


「どういたしまして」


 頭巾に乗った雪をはらってやる。

 木の実のような瞳がまじまじとセツを見つめてきた。よそ者と喋ってはいけないと言いつけられているわりには好奇心が勝っているのか、子供は逃げない。


「ね、それ、おにんぎょうさんなの?」

「違うわよっ」


 セツがなにかをいうまでもなく、クワイヤが声をあげた。

 子供は驚いて、びくりと身体を縮ませる。


「ごめんなさい、驚かせてしまいましたねぇ。彼女は、妖精さんなんですよぉ」

「なんだ、妖精さんかあ。だから、そんなにきれいなのね」


 子供はきらきらと瞳を輝かせた。

 クワイヤは綺麗だと褒められ、機嫌をなおす。ふふんと胸を張り、ついでに腕から舞いあがった。町の者がみているのではないかと、セツは気が気ではなかったのだが、クワイヤは気にせず優雅に一回転を決めて、また腕に収まった。


「ほんとうだ、妖精さんなんだ、けほっ」


 すっかりと子供は妖精のとりこになっていた。

 警戒が解けたいまならばと、セツは薬を取りだす。


「あの、晩になっても咳が続くようでしたら、これを飲んでみてくださいねぇ」

「けほけほっ、これ、なあに? へんなにおいだね」

「ちょっとだけにおいがありますが、味はにがくありません。妖精さんのおくすりですよぉ。これを飲めば、咳がとまって元気に遊べるようになりますからねぇ」

「妖精さんの?」

「ええ、そうですよぉ」


 できるかぎり優しい声をだして薬を受け取らせる。子供は葉につつまれた薬を握り締めて、嬉しそうに笑った。町の者、まして警戒の解けた子供と接触できる機会などまたとはない。セツは気になっていたことを尋ねておくことにする。


「あなたは、春というものをご存知ですか?」

「しらないよ? なあに、それ」


 嘘偽りのない無邪気な言葉が、胸に刺さった。


 ハルビアが言っていたとおりだ。この町の子達は春という季節があることさえ教えられずに育ち、終わらない冬を疑わずに暮らしていくのだ。

 分かってはいたことだが、鈍い衝撃があった。冬ばかりが続いているとは言っても、それは歪すぎる。

 この地域は《季節》ごと、春を葬るつもりなのか。


「春は、すごく綺麗なものですよ。近いうちに見せて差しあげましょう」


 ぽんぽんと頭をなぜてから、セツは立ちあがった。


「それじゃ、僕はいきますねぇ」


 よそ者と喋っているのが見つかり、あの子供が叱られるようなことになったら可哀想だ。

 遠ざかると、後ろから子供が手を振ってくれた。手袋に覆われたちいさな手が可愛らしい。こちらからも振りかえす。



 この町はあらゆる真実を雪で覆い、埋葬してしまおうとしている。

 季節だけではない。おそらくはもっと凄惨な真実が、雪の棺には埋まっているのだ。

 春を甦らせるだけでは終わりそうもない。この穏やかな町が、どのような経緯で春を殺めたのか。なぜにいまだ、春の魂は縛られているのか。真実を暴かなければ。


 それが、この町の平穏を壊すことになっても。

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