第九譚 旅人は《冬》の町をゆく

 広場にはおうとつの激しい石畳が敷かれていた。石畳に積もった雪はざっとほうきで掃かれている。箒のあとがついた石畳の表は凍りついているが、おうとつが滑りどめの役割を果たしていて、気をつければ転倒することはなさそうだ。クワイヤを抱きあげているので、セツはよけいに神経をつかって石畳を進んだ。先をいく木製の車輪は危うげもなく、石畳を転がる。さすがは凍りついた道の操縦にも慣れているのだ。

 広場の中央には木が植えられていた。葉の枯れ落ちた枝は樹氷に覆われ、垂れさがり、なんの木なのか、まったくわからない。長すぎる冬を象徴するような姿だった。


 広場では朝から市場が催されていた。野菜に穀物に魚と、採れたばかりの食材が安値で販売されている。真っ赤に熟れているわりには硬そうな果実に長細い黄金の芋。鱗がまだついたままの魚鶏コッチもつるされている。凍りついた小振りの魚が直立して陳列されている様は、他の地域ではまず見られない光景だ。大型の流氷鱒グラーナはさすがに横たえて売られていた。

 ざっと眺めたかぎりでは、それほど量はないが、町の暮らす者にはじゅうぶんにいき渡る数だ。市場の様子からは、町が決して貧しくはないことが見て取れた。


「この地域特産のものがたくさんありますねぇ」

「そう、なのですね。私は生まれた頃からずっとこの土地のものだけを食べてきたので、よくわからないのですが、確かに食べ物にこまったことはありません。作物はどれも寒さに強く、家畜も豪雪のなかでも健康に育ち、牧場では毎朝乳が搾れ、卵も採れます」

「牧場というと、僕が倒れていたところですよねぇ」


 確か、町のはずれにあるのだったか。


「牧場では綿羊蹄モップを飼っています。鶏は隣の養鶏場ですね。なんでも綿羊蹄モップの飼い葉を積んだ上に倒れていたとか。どこかから落ちてきたんじゃないかとうわさになっていましたよ」

「牧場に被害がなくてよかったです、ほんと」


 ハルビアは笑っていたが、崖から転落してきたセツからすれば、笑いごとではない。小屋の屋根を突き破って落ちてきていたら、大変なことになっていた。まずは小屋の弁償からはじめなければならなかっただろう。


「穀物もこの豪雪のなかで実るんですか?」

「ええ、そのあたりでも少量ですが、栽培していますよ」


 ハルビアが広場の側にある林を指す。林には動物が侵入しないように柵が張られていた。だが見るかぎりでは、作物が植わっている様子はない。ただの霧氷むひょうでかたまった雑木林だ。


「えっと、あの林ですか?」

「あれ、ご存知ありませんか? あれが、このあたりの穀物なんですよ」

「あんな凍りついた樹木から穀物が収穫できるんですか?」

「あの樹木は、枝先が穂になっているんです。樹氷に保護されているので、毎年時期になると氷を落として収穫します。ここ数年は収穫量が減っていますが、それでも町の人だけで食べるのでしたら、まだ充分な量があります。脱穀して、かゆにするのならそのまま。挽いて粉にして練れば、生地になります。他の土地では違うんですね」

「いやあ、長く旅を続けてきましたが、こんな穀物ははじめてです」

「大抵の作物は、寒さにも雪にもたえられます。さすがに凍蕃茄トトは屋外では枯れてしまいますが、建物のはりに蔓を絡ませて栽培しています」


 凍蕃茄トトと言われた果実を手に取る。野菜を売っていたおばさんが近寄ってきた。


「ハルビア嬢ちゃん! 今朝は激辛の凍蕃茄トトが入荷しているんだよ、見てって!」

「ありがとうございます、おばさん。でも旅人さんに振る舞うのに、激辛はちょっときびしいと思うので、辛さひかえめのものをひとつ譲っていただけますか?」

「おや、旅人さんも一緒なのかい」


 急におばさんの表情が曇る。

 旅人にたいする警戒があるのか。よそ者であることを抜きにしても、人形みたいな少女を抱きかかえている青年というのは、常識的に距離を置きたい相手に違いなかった。


「あんた、旅人を宿屋に置いているそうだけど、だいじょうぶなんだろうねえ?」


 声をひそめて、といっても筒抜けなのだが、おばさんがハルビアを案じるように尋ねた。


「いい旅人さんですよ。親切で、今朝も洗い物を手伝ってくださって」

「あんたねぇ……。人が好すぎるというか、なんていうか。あんたは昔から優しくて、それはいいところだけれど、ちょっとばかりぼやっとしてるから、おばさんは心配だよ。なにかがあってからじゃ、間にあわないこともあるんだよ? あんたは美人さんなんだからね」


 セツからすれば、ずいぶんな言われようだが、ハルビアが町の人々に愛されていることは重々伝わってきた。ハルビアの穏やかな人柄によることは疑いようもないが、この小規模な町では人の結びつきが強く、おおきな家族のような感覚があるのだろう。事実、おばさんは実の娘でも案じるように親身だった。


「僕は人畜無害ですよぉ?」


 こまったような微笑を浮かべ、セツは弁解する。


「どうだろうね。よそ者なんて信頼できないよ」

「ひどい言いようだなあ。けど、まあそりゃ、そうですよねぇ。旅人が信頼できないのはよおくわかります。ただ、僕は誓って、悪人ではありません。ま、そのうちにいなくなりますので、よろしくお願いしますよぉ」


 セツを眺めまわして、おばさんはふんと鼻を鳴らす。


「まったく、だらしがない喋りかただねぇ」

「えぇ? そうですかねぇ」

「なんていうか、胡散臭うさんくさいんだよ。それにその髪はなんだい。男は黙って短髪だろ。町の若者とはえらい違いだ。ほんとうにだいじょうぶなんだろうね? ハルビア嬢ちゃん」

「おばさん、言いすぎですよ。ちょっと変わっているけれど、優しい人ですから」

「ふうん、そうかねぇ……なんにしても、気をつけなさいよ」


 野菜を受け取り、市場から遠ざかる。

 ハルビアが心配そうに尋ねてきた。


「あの、気を悪くなさったのではないですか?」

「全然ですよぉ。ハルビアさんこそ、気になさらないでくださいねぇ」


 ハルビアに気遣われ、セツは笑いながら頬を掻く。


「なんか、こう、嫌われやすいといいますか。そんなに変ですかねぇ、僕」

「え、えっと、あの……だいじょうぶですよ!」

「微妙に、ふわっとしたかんじで励まされても」


 つまりは、全部が変だということではないのだろうか。


「旅人さんというだけでも、みんな、構えてしまって。これまでは町に旅人さんが訪れることなんてありませんでしたから。ただそれだけなんです。ほんとうはみんな、いいひとばかりなんです。だからどうか、みんなを嫌いにならないであげてください」


 彼女は町の者と旅人のどちらも気遣っているのだと思い至り、セツはにこやかに頷いた。


「もちろんですよ、僕は気にしていませんので」


 クワイヤは腕のなかでふんと肩を竦めた。


「セツの凄さがわからないなんて愚かだわ」

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