「ヒント」


「大丈夫、別に他の人に言いふらすとかしない。

 ただ、そうなるとこちらの状況も変わってくる。

 …な、ユウキくん。」


ユウキもコクコク頷き、

スミ子は首をかしげる。


曽根崎がスミ子の症状を指摘するのはわかるが、

どうしてユウキが…


と、ここで曽根崎がスミ子の顔を見た。


「…虚に入りやすいのは精神的に不安定な人間が多い。

 しかも一度入れば空間や虚に落ちやすい状態になる。

 その期間のあいだに、すぐに連れもどせる人間が必要でね…」


ユウキはその言葉を受けて自分を指差す。


「俺はしばらくスミ子さんに付き添うことになった。

 空間に引っ張り込まれたら連れ戻せるようってね。

 無事済んだら正式に空間修理師になれるんだってさ。」


その言葉に合わせるように、

曽根崎がすっと一枚の黒いカードを出す。


「…症状は一週間ほど続く。

 その間、ひと所に留まったり自宅にいるのは避けたほうがいい。

 一度空間で大きな被害があったところならなおさらだ。

 しばらくはホテルを転々とすることになるだろうから、

 入りような時にはこのカードを使ってくれ…こちらで決算しよう。」


それに対し、ユウキが口を開ける。


「それ、空間委員会の特別カードでさ。

 空間関係の仕事は全国を飛び回る必要があるから、

 公共機関やホテルの宿泊代、レストランや一部の服屋の

 会計なんかを必要経費として建て替えてもらえる代物なんだよね。

 師匠がよくこれ使って俺と趣味の旅行に行ってたの、懐かしいなあ。」


カードを見ながら思い出に浸るユウキに

曽根崎は渋い顔をする。


「…ちょっとその話は聞き捨てならないな。

 あとで経理部に連絡して澤口君に詳細を確認しておかないと。」

 

「あ、やべ。」


そんなハートフルな会話は行われている中で、

スミ子はカードを受け取ることを辞退しようと口を開く。


しかし、曽根崎はそれを制した。


「いいんだよ、ここに来るまで君に辛い思いをさせてしまったからね。

 迷惑料だと思ってくれればいい…と言っても一週間ほどの期限付きだが。」


曽根崎はスミ子にカードを握らせると、

「さて」と言って自分のカバンを持つ。


「私は、医者と話をした後に部署に戻ることにするよ。

 君はゆっくり休みながら体を治してくれ。」


そして、曽根崎はユウキの方を向く。


「あと、今回は私が見ていたから虚に入ることを許可したが、

 次に空間の類が発生したら私に連絡して指示を仰ぐようにしてくれ。

 経過に関しては随時メールで報告するように…では、頼んだよ。」


「はーい」とユウキは元気よく返事をし、

曽根崎は部屋から出て行った。


…あとにはスミ子とユウキだけが残された。


スミ子は一つ伸びをすると、

もそもそとベッドから起き上がる。


なんにせよ、医者からすぐに退院できると言われた以上、

長居する必要はない。幸い、気分もそんなに悪くはなかった。


そして、立ち上がった時、

スミ子は自分の手首に巻かれた糸に気がついた。


…それは赤い毛糸で編み込まれたミサンガ。

いつ付けられたかも覚えていない紐状の腕輪。


その時、スミ子は虚で聞いた言葉を思い出した。


『…私の部屋に来な。ヒントを渡そう。』


スミ子はその言葉を吟味しながら靴を履き…


「…おいおい、どうしたんだよ。急にどこに行くんだ。」


支度もそこそこに歩き出したスミ子の後を、

ユウキが慌ててついてくる。


スミ子はエレベーターに向かうと、

最上階のボタンを押した。


「さっき虚で聞いたでしょう。

 この病院の中に赤ん坊がいるのよ、

 マザー・ヴンダーとか名乗ってた赤ん坊。

 そいつが部屋に来いって。」


いつしか、ユウキに対してもタメ口になっていたが、

そんなことには構ってられない。


すると、ユウキは意外な言葉を口にした。


「いやいやいや、俺はあんたの虚に入ったけどさ、

 その病室にいたのは赤ん坊じゃなかったし、

 そんな名乗りも聞いてねえよ。」


その言葉に驚くも、

すでに二人を乗せたエレベーターは動いている。


「でも、鳥について調べるならそこに来いって…」


「待て待て、鳥って一体なんの話だよ…」


慌てるユウキの言葉を遮るように最上階にエレベーターが着き、

スミ子はユウキの横をすり抜けて病室へと足を向ける。


「おい、ここって特別病棟…」


ユウキの言葉を無視し、スミ子は廊下を進む。

そう、確かこの近くに…


スミ子は気がつく。

目の前に目当ての人物の病室があることに。


その名前は、もちろん「マザー・ヴンダー」などという

ふざけた名前ではなかった。


「佐藤カスミ」という、ありふれた名前。


でも、それが記憶の中で

スミ子が開けた扉で間違いなかった。


スミ子は軽く病室をノックし、

「失礼します」と言ってから中に入る。


…そこは、重篤患者の病室だった。


透明なシートに覆われ、

ベッドに一人の老婆が横たわっている。


人工呼吸器や、計測の機械や、

いくつものチューブに繋がれた老婆。


やせ細った体で薄く目を開き、

宙空を見つめている。


その様子は、とても赤ん坊には見えなかった。


虚の中で見た保育器に入れられた

赤ん坊とは似ても似つかなかった。


「…失礼しました。」


とっさにそう答え、

スミ子はドアを閉めようとする。


その時、靴先に何かが触れた。


それは、一本の錆びの浮いた鍵。


赤い紐が通され、

金属の輪に二枚のプレートがついた小さな鍵。


スミ子はそれを拾い、

とっさに目の前の老婆を見る。


『それが、ヒントだよ。溝口の嬢ちゃん。』


薄く開いた老婆の目が、

スミ子にそう言っているように聞こえた…

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