「砂塵からの脱出」

廃墟となっているはずの病院で

院長室が風の巻き上がる砂漠となった。


スミ子がこじあけた空間からは、

巨大な空間を彷徨う鳥、『小夜鳥』が姿を現した。


混乱に次ぐ混乱のさなかで、

さらに上空から大量の金属プレートまで

降ってきたのだからスミ子はたまらない。


先ほどからの金縛り状態から、

いつしか自身の体が動けることにも気づかず、

スミ子はひたすら砂地を逃げまわる。


体に当たる金属板は痛く、

地面にこぼれる二枚組のプレートの片方には

見覚えのある牛の文様が刻まれている。


荒れ狂うような叫び声や何かの鳴き声も聞こえるが、

砂を巻き上げる風によって周囲の様子はよく見えない。


視界の悪い中でスミ子が逃げていると、

不意にその腕を誰かが取った。


「…大丈夫か、スミ子くん。

 どうやら、ここは天城院長の作り出した空間のようだ。

 幸い何かが起きて儀式は中断したようだが…

 今、ユウキくんと急いで出口を探しているところだ。」


それは曽根崎で、

いつしか吹き荒れていた風は大分緩み、

視界の確保が容易になっている。


…確かに、今なら脱出できるかもしれない。


スミ子は慌てて曽根崎についていくことにした。

そんな折、ユウキの声が近くに響く。


「曽根崎さん、こっち。

 人が入れそうな洞窟がある。

 一旦、そこに避難しましょう!」


ユウキの言葉に従い、

曽根崎とスミ子は先ほどいた場所から

100メートルほど先にある岩の地帯へと向かった。


みれば、足は砂に埋まり、

ところどころ散らばるプレートは風にさらわれ、

流砂により遠くへと流されていく。


そんな中を曽根崎とスミ子は

こけつまろびつ必死に歩き、洞窟へと避難する。


「…まったく、あれが天城院長が信望する

 『カミサマ』だというのなら、ゾッとしないな。」


そう言いつつ、持ってきたティッシュに

ペッペと曽根崎は口の中の砂を吐き出し、

ユウキは疑り深そうにあたりを見渡す。


「まさかこの場所に罠とかありませんよね。

 逃げ出した信者とかを捕まえるトラップとかあったら、

 俺たち、洒落にならない状況になっちゃいますよ。」


しかし曽根崎は落ち着いたもので、

洞窟の中の手近な岩に腰掛けると、

ごそごそとタバコを取り出し、一服する。


「…ま、そうなったらそうなった時だ。

 ここは一旦落ち着いて一服させてくれ。

 ユウキくん、ここに来てから何分くらい経つ?」


ユウキはこんな時でもタバコを吸おうとする曽根崎に

驚いたようだが、少し目をつむってこう答える。


「…3分50秒ほど。

 残り時間は15分強ですかね。」


すると、それを聞いた曽根崎は「ふむ」と言って

タバコを片手に立ち上がる。


「いい線を言っているな、ユウキくん。

 正確には3分と54秒06だ。

 空間修理師になるためには体内時計は

 正確でなくてはいけないからね。」


そして、曽根崎は洞窟の中を歩き回る。


「そして、大事なのは諦めないことだ。

 空間のわずかな歪みを見つけ地上に帰ることを常に念頭に置く。

 …ま、私はもっぱら『これ』に頼っているけどね。」


そう言うなり、曽根崎は「ふうっ」と息を吐きだし、

タバコの煙の流れを追う。


煙はゆるゆると流れていき、

それは外ではなく壁に面した岩の隙間へと流れていく。


「タバコでなくても煙の出るものならなんでも良いんだけれどね、

 私はこっちの方が手軽にできるから空間の隙間を探す際には

 毎回タバコを持ち歩くようにしているんだ。」


そんなことを言いながらも曽根崎は

携帯灰皿でタバコをもみ消す。


「でも、君たちはやっちゃダメだよ。

 私以外の人間で同じことをした男性が三人ほど、

 黄泉戸喫と同じ状態で18号室行きになったからね。

 概ね私だけができるスキルみたいなものだと思ってくれ。」


そして、手際よく自身のリュックサックから

金テコを取り出すと岩の隙間に差し込んだ。


「ちょっと力がいるからユウキくんも手伝って。」


そう言って、男二人でテコを動かすと、

「ガコン」という派手な音とともに壁が崩れ、

ひと一人分は潜れそうな穴と黒いぶよぶよとした壁が出現した。


「この壁が空間の境目となる大元の物質だ。

 …ま、本来なら空間は入った穴から出るものだが、

 今回は緊急脱出としてここに穴を開けよう。」


そう言うなり、曽根崎はユウキのもっていたカバンから、

使い方の分からない一台の掃除機のようなものを取り出した。


「これは、噴出機といってね。

 中にパテをセットすれば広範囲にわたって

 空間に繋がる穴を閉じることができるが…」


曽根崎は掃除機のスイッチを押し、

「出」の部分を「入」に切り替える。


途端に機械は唸りを上げ、

膜状の空間をベリベリと引き剝がし、

周囲に広い穴を作り上げていく。


「こうして空間内で使えば、

 手近な空間に我々の世界へと繋がる穴を

 作ることができる代物なんだよ。」


その穴の向こうを見てスミ子は驚く。


人一人ほど取れそうな穴の先には

どこか別の建物の内部であろう、

広い廊下が広がっていた。


「よし、この辺でいいだろう。

 ユウキくん、スミ子くん。先に進みたまえ。」


そう言うと、曽根崎は機械のスイッチをオフにして

スミ子たちに先に行くようにうながす。


穴を抜ければそこは見覚えのある建物で、

スミ子は道具を使えばこんな簡単に空間から出られるのかと、

半ば呆然としながら外へと出る。


「ユウキくん、パテの準備を。

 ここに穴を開けておくわけにはいかないからね。

 何が出るかわからないし、さっさと塞いでしまおう。」


そう言うなり曽根崎はユウキに促すと、

巨大なパテを機械にセットしユウキに持たせる。


そして、流れそのままにユウキに噴出機を使わせ、

あっという間に穴をパテで塞いでしまった。


「…まあ、町の途中にジムニーを置いてきてしまったが、

 我々の命よりは安いだろう。私が怒られれば済むことだ。」


すっかり元の壁と同じようになった

穴の跡を曽根崎は残念そうに撫でたが、

すぐにスミ子たちの方に向き直る。


「君たち、どちらとも怪我はしていないかい?

 私はもちろん大丈夫だがね。」


その言葉に、スミ子もユウキも体を確かめ、

お互い首を振る。


「そうか、よかった。

 何よりも五体満足が大事だからね。」


そうして、曽根崎はホッとした時のくせなのか、

胸ポケットに入れてあるタバコに手を伸ばそうとする。


だが、その手を一人の女性が止めた。


「…申し訳ありません曽根崎さん。

 当院では禁煙でして。吸うなら外でお願いします。」


それは、白衣を着た眼光の鋭い女性だった。


そして、彼女はスミ子の方へとむきなおり、

すっと近づくとスミ子の胸ポケットから鍵を取り出す。


「…これ、祖父の病院の鍵ですよね。

 院長室の鍵。なくしたと思っていましたけど、

 どうしてあなたがそれを持っているのかしら?」


スミ子はそれを見てギョッとする。


そういえば金輪が切れた後、

スミ子は拾った鍵をずっとポケットにしまっていた。


だが、この女性はどうして

鍵のことを知っているのだろう。


そこに曽根崎は、落ち着き払った声で言った。


「いえ、院内で拾いましたもので、

 いつかお返ししようと思っていたんですよ。

 先日はお世話になりましたね、内科医の天城ハルカ先生。」


スミ子はその苗字を聞いて思い出す。


…廃病院の院長の名前は天城、

目の前の女性も天城、


そして彼女は鍵を祖父のものだと言い…


「そう、それはよかった。助かりましたわ。」


そうして白衣を着た天城ハルカ女医は、

曽根崎たちに小さく会釈した。

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