11話 手で働きながら、心で考える

 乾燥海苔の入った味噌汁を作って、ごめんなさいと母に謝った夕食のあと、テーブルにザクロが出てきた。

 父が会社の同僚から貰ってきたものらしい。


 メグミは顔を近づける。

 目が悪いわけじゃない。

 その異様な形、タマネギにも似た果実は、はぜ割れた巨大なホウセンカだった。

 裂け目から薄い赤紫の果粒が集まっているのがみえる。唯は宝石箱につめこんだ星々の輝きのようだと話していたが、そんなメルヒェンチックなものじゃない。赤く染め上げられた細胞を顕微鏡でのぞいているような感じがする、とメグミは思った。


 テレビや雑誌でザクロが体にいいですよ、特に女性は食べた方が健康になりますよ、とか言っていた気がする。ザクロジュース、ザクロゼリー、ザクロケーキといった加工食品なら抵抗なく口にできるのに、食べたいと思えない。

 だいたいどうやって食べればいいんだろう、いくらの卵みたいな赤い実を。

 メグミは父をみた。


「手でほぐすようにしてその実を一つひとつ口に入れて食べればいい、中に種があるからちゃんと出すんだぞ」


 種があるの?

 この中に?


 メグミは指でザクロの実をつまみ、前歯で噛んだ。水っぽい酸っぱさ、ほのかに甘い。幼稚園に通っていた頃になめた、道端にはえていたレンゲの蜜に似ていた。


「あいつの家にはザクロの木があるらしくて、毎年今頃になると持って来るんだよ」


「父さんが小さい頃は、イチジクやアケビと同じくらいよく食べたもんだ」


「けど、家に植えてあるザクロをザクロといてはいけないらしいんだ」


「たしか、セキリュウって言わなければいけないんだと」


 父はお茶を飲みながら新聞を見ていた。

 メグミはひとつつまんで歯で噛み種を出すのくり返しをしながら、父の話を聞いていた。

 秋人は食べ終わった茶碗を流し台に置いて、二階の自分の部屋に行ってしまった。

 洗い物をしている母が言った。


「昔はザクロやイチジク、サルスベリ、柿や梨なんかも家の庭に植えない方がいいって聞いたことがあるね」


「うちみたいな小さな家じゃなくて大きなお屋敷は特にね」


 母は昨日、習い事があったから父が洗い物をしていた。できるときにできる人が洗い物をする、それが安曇家のルールだ。

 おいしくないから植えちゃダメなんだね?


「そうじゃなくて、垂れ下がるものは庭には植えてはいけないって、昔から言われてるのよ」


「ザクロの木には棘がある、サルスベリは名前のごとくすべりやすい、柿の木は折れやすい」


「メグちゃんは木登りしたことはないだろうけど、私の子供の頃はよく木に登る子がいたものよ」


「それにザクロやイチジクは栄養価が高くて、昔はイチジクのある家には体の弱い人がいるとされたって、おばあちゃんに聞いたことがある」


「肺結核とかの病気にかかっている人が食べるものだったからね」


 母は、手際よく茶碗や箸を洗ってプラスチックの四角いザルに置く。ガスレンジの上に乗っている空っぽの鍋を手にして水をかけた。


「庭には松などの針葉樹を植え、手のひらを開いた葉っぱのような広葉樹は植えてはいけないないとも言うよな」


「葉っぱが落ちてきて掃除が大変だから、という話もあるけれど、落ちる、散る、というのが病人のいる家、そうじゃない家でも縁起が悪いとよく聞く」


 と父は言い、湯飲みのお茶を飲み干した。

 メグミは、そう言えばと思いあたることがあった。兄が中学三年で高校受験を控えているとき、落ちるだの滑るだのそういう言葉を使ってはいけないと母に注意されたことがあった。口にしたからと言って、試験の合否なんてものは当人の実力の有無だから、落ちる滑ると言ったからといって受かるときは受かるし、落ちるときはやっぱり落ちるものだ、とメグミはザクロを食べながら思った。

 口から出した種をみて、たとえそうだとしても転ぶとか言われるのはあまり気分がいいことではないとも思った。

 そのときふいに大輝勇のことが気になった。


「メグちゃんも来年は受験生なんだから、今日は塾がないからといって遊んでないで、勉強しなさいよ」


「この前の中間テストの結果だって、よくなかったんでしょ。テストだけがすべてと言わないけど困るのはメグちゃんなんだからね」


 わかってます。


 メグミはティッシュペーパーで種をくるみ、生ゴミのごみ袋に捨て、残ったザクロをラップに包み冷蔵庫に入れた。


 二階の自分の部屋に戻ってから、数学の宿題に取りかかろうとノートと教科書を机の上に広げた。でも問題に手が着かない。シャーペンを手に持ち、親指でペンの頭を押しながらペン先からでてくる芯をみていた。カチッ、カチッときこえる秒針が刻むような音とともに伸びて、三センチくらいの長さの芯がノートに落ちた。くり返し押し続けていると次の芯が顔を出してきた。


 はやく謝らないといけない。悪気があって笑ったわけじゃないことを、あいつに謝らないといけない気がする。大輝勇は変なヤツには違いないけど、変じゃない普通な子なんていないんじゃないかな。

 シャープペンシルの先には五センチくらい芯が出てきている。

 芯の出っ張りが個性だと思う。

 長すぎる芯だと字は書けない。

 長い芯は邪魔で折れやすい。

 芯はまたノートの上に落ちた。

 なにしてるんだろう、とメグミは思いながらそれでも芯を出し続ける。

 なかなか出てこない。

 芯の出てこないペンでは字も書けない。

 芯のないペンは意味がない。

 ペンは字を書くものだから、書けなければ意味がない。

 でも、とメグミは思う。

 かけないペンはかけるようにすればいい。

 芯がないなら芯を補充し、先がつまっているなら取り除いて出るようにすればい い。

 ペンは字を書きたがっている。

 まだ字を書きたがっている。

 それなのに字を書けなくしてはいけない。

 思っているだけでは何も始まらない。

 明日あいつに謝ろう。

 どんな顔して謝ればいいのかわからないけど、許してもらえないかもしれないけどまずはそこからだと思う。

 謝らないとまた勉強を教えてくれないから。

 メグミは解き方のわからない問題をみながらそう思った。

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