第18話 不安定な気持ち

 それから、丸へのイジメはぱったりとやんだ。

 俺がぐだぐだ悩んでいたのが嘘みたいに、あっさりこの騒動の幕は下ろされた。

 驚いたことに、丸への嫌がらせに丸が反抗したのだ。

 足を引っかけるというあまりにも子供っぽい嫌がらせに丸はもうやめてほしいとその場で言った。

 そして、それに乗っかるように江守さんが丸へと加勢することで、クラス内では完全にイジメた側が悪という構図が出来上がった。

 イジメを見て見ぬ振りする人が多いのは自分も標的になったら恐いという心理によるところが大きいらしい。

 でも、江守さんがイジメられている側についたならば、その心配はない。

 それは、江守さんはいわばクラスのスクールカーストの頂点に君臨している生徒だから。

 その生徒が言ったことにわざわざ逆らおうとする人間がいるはずがない。

 二股疑惑も完全に消えてはいないが、取り立てて騒ぎたてる人もいなくなった。

 結局、あの噂が悪意をもって流されたのか、自然にでてきたものなのかは分からなかったけれど、それをつきとめる必要は感じなかった。



「たいちゃん」

「ん?」


 この日は珍しく登校中に丸と会ったので、一緒に学校に向かっていた。

 ここ一週間ほど会ってなかったので、なんだか懐かしさを感じる。


「ありがと」

「……」


 丸の小さな口から漏れた感謝の言葉は確かに俺の耳に届いたが、何も返さなかった。

 イジメが終わったことに俺が絡んでいることを察したんだろう。

 丸のくせにやけに鋭い。

 でも、俺は江守さんに頼んだだけだし、実際は何もしていない。

 感謝は江守さんにして欲しいと言いたいところだが、そうしたら俺が何をしたかがばれてしまうので黙っていた。


「なんで許したんだよ」


 丸は、最終的に自分をイジメていた人達と和解した。

 丸にした仕打ちは忘れて、今後は今まで通りにするということで手打ちになったのだ。

 教師に言いつけるとまではいかなくても、もう少し罪悪感みたいなものを負わせてもよかったんじゃないかと捻くれた俺は思ってしまう。


「だって、これでまたイジメになったら可哀相だよ」


 丸は透き通った声で言った。形だけでも和解しなかったら、おそらく今度はイジメていた側がイジメの対象になっただろう。

 嫌がらせはされないにしても、今以上に風当たりは強くなっていたはずだ。

 イジメていたんだからそれくらいの報いは受けて当然なんだけれど、丸はそうは思わないらしい。でも、それが丸が丸である所以なんだろう。


「それと、一つ聞いていい? 聞いてもいい?」

「なんだよ」


 丸が俺の正面に回り込んで、丸い双眸で俺を見上げてくる。

 ずっと子供っぽい子供っぽいと思っていた。言動も顔つきも幼いし、スタイルも同年代と比べて決して良くない。

 でも、久しぶりにじっくりと彼女の顔を見ると、俺が思っていたよりずっと綺麗だった。

 寝癖みたいに跳ねている髪の毛も、触ると餅みたいに柔らかい頬も、俺を見上げる丸い瞳も、薄紅色の唇も、全部変わっていないようで変わっている。昔は何も感じなかったのに、今は確かに女性らしさを纏っている。俺達の関係が変わりつつあるように、変わらないものはないのかもしれない。


「双日先輩と付き合ってるの?」

「……なんでそんなこと聞くんだよ」


 驚いて一瞬言葉が出なかったが、そんな気持ちを抑えて何とか聞き返す。


「いいから、答えてよ」

「付き合ってない」


 丸がいつになく真剣な表情をしていたので、俺は正直に答えた。

 もう、丸が何を考えているのか全然分からない。岡谷と付き合ってるんだから、俺がどうなっていようが関係ない。

 俺は嘘が分かるから、こいつが考えていることなんて手に取るように分かる。

 その上、十年近くも付き合ってきたんだから丸の知らないことなんてほとんどない。

 ――そのはずだった。

 でもよく考えてみれば俺が分かるのは言葉にして明確に表された気持ちだけ。

 俺は言葉にしてもらわなければ、何も分からないのかもしれない。

 分かった気になって安心してたんだ。丸には俺しかいないって。


「そうなんだ」


 丸は噛みしめるようにぽつりと呟いた。

 それ以降、ほとんど何も話さずに俺達は教室についた。

 前までは丸と一緒にいて会話が途切れることなんてあまりないことだったので、ここまで喋らないのは珍しい。

 最近喋ってなかったからお互い話しかけづらかったんだと思う。少なくとも俺はそうだった。それでも、その沈黙はなぜか心地の良い沈黙だった。



 その日の放課後、丸と岡谷が二人してこそこそしながらどこかに向かっているのが目に入った。人目につかないところで恋人っぽいことでもするんだろうと思っていたけれど、二人の表情を見るとどうやらそうでもなさそうだった。

 お互いやけに固くなっている。甘い雰囲気なんて1μもない。

 見るべきじゃないと思いつつも、俺は二人の様子がどうしても気になり、後をつけることにした。

 もし、恋人っぽいことをやりそうならば早々に退避すればいいだけだ。

 二人が向かった先は、昨日俺が岡谷を呼び出した体育館裏だった。

 体育館裏は人通りのないスポットだけれど、この時期だと虫もいるし、いちゃいちゃするにはちょっとどうなんだと首を捻らざるを得ない。

 俺は下手に顔を出すと見つかるかもしれないのと、二人の姿を見たくなかったので、どっちからも見えない位置で声だけを聞くことにした。


「僕と付き合ってください」


 俺は耳を疑った。まだこの二人は付き合ってなかったんだ。

 そこで俺はあの日の丸の言葉の理由が分かった。

 なんで脚本を書いた俺が忘れてたんだ。あの言葉は――あの台詞は劇中のヒロインの台詞そのままだった。

 だからあれは嘘じゃなかったんだ。本人にとっては嘘でも演じている役からすれば嘘じゃないんだ。


「……なんで私なの?」


 かなり長い沈黙の後に丸の探るような声が聞こえる。


「実は二年生になってからずっと丸ちゃんのこと気になっていて。

でも、三井くんと付き合ってると思ってたから、諦めてたんだ。

だから、二人が付き合ってないって知ったときすごい嬉しくて、演劇部のおかげでいっぱい話すようになって、もっと好きになったんだ。お願いします、付き合ってください」


 僅かに衣擦れの音がした。

 ここで岡谷は頭でも下げたんだろう。


「ごめんなさい、岡谷くんとは付き合えないです」


 丸のその返事を聞いて、俺は内心安堵してしまった。


「どうして? 丸ちゃんも僕と話すとき楽しそうにしてたじゃないか。僕のことが嫌いならそれでいいけど、もし少しでも好きだったら――」

「岡谷くんのことは好きだよ、人としてって言うのかな……。演劇部で誰も話しかけてくれないとき、岡谷くんだけは話しかけてくれた。すごい嬉しかったよ、それに私のことで親身になってくれて」

「それなら、なんで……」

「私は好きな人がいるから」


 丸が俺に好意を持っていてくれているのは分かっていた。

 あそこまで露骨に態度に表してきていたんだから、どんなに鈍感でも分かる。

 でも、それがどういう種類の好意かは分かっていなかった。

 友達としてなのか、それとも兄のような存在としてなのか、それとも……。

 それの答えは、この丸の言葉が示していた。


「それって三井くんのことだよね?

あいつは都築先輩と付き合ってるんだ、この前写真を見せたじゃないか。

この抱き合ってる写真! あいつに騙されちゃ駄目だよ、丸ちゃんを弄んでいるんだ」


 抱き合ってる写真? 俺は耳を疑った。

 双日先輩とそんなことをしたことはあったか。

 俺は記憶を探ると、一つ思い当たることがあった。

 もしかして、この前脚本の進捗を話したときに、肩のゴミを取ってもらったときかもしれない。あの時は、角度次第では抱き合っているように見えてもおかしくない。


「たいちゃんは双日先輩と付き合ってないよ」

「なんでそんなことが言い切れるの?」

「たいちゃんが付き合ってないって言ったから」

「丸ちゃんが純粋なのは僕も知ってるけど、いくらなんでもそれは簡単に信じすぎだよ。

都築先輩とは隠れて付き合ってるんだから、そう言うに決まってる。

それで丸ちゃんともあわよくばって思ってるんだ。

三井くんと付き合いの長い丸ちゃんに言いたくはないけど、全然分かってないよ」


 その通りだ、岡谷。

 いやその通りではないんだけど、ここでは岡谷の言い分に理がある。

 写真という証拠があるのに、張本人の俺が言ったから信じるっていうのはどう考えてもおかしい。


「違う、分かってないのは岡谷くんだよ。たいちゃんが付き合ってないって言ったら、それは付き合ってないの」

「本気で言ってるの? そんなに無条件に信じるのは絶対におかしいよ」

「たいちゃんは私がちゃんと聞いたことには絶対に嘘はつかない。

もし本当のことを言わないにしても、そういうときは嘘をつくんじゃなくて話題を変えて誤魔化そうとするんだよ。たいちゃんが付き合ってないと言い切ったんだから、私はそれを信じる」

「丸ちゃんにとっては僕の言葉より三井くんの言葉の方が信じられるんだね」

「そういうことに……なるかな」


 丸がちょっと言い辛そうに答えると、岡谷の深いため息が聞こえた。


「分かった、じゃあ諦めるよ。でも、演劇部では今まで通りに教えるから」

「うん、ありがとう。それと……もう、たいちゃんに迷惑はかけないで」

「え?」

「あの噂、岡谷くん……だよね?」

「な、なんで……」


 岡谷の声が、狼狽えて震えている。

 岡谷があの噂を流したわけがない。

 そんなことをしても何も得しないどころか、自分に被害が受ける可能性だってある。


「私が嫌がらせをされてるとき、見て見ぬ振りをしているようですごい辛そうな顔してた。あれって後悔していたんだよね?」

「ち、違う、僕はあんなことになるとは思ってなくて……」


 証拠なんて何もないんだから、仮にそうだとしても誤魔化せばいいのに、岡谷は認めた。

 そういえば、俺が岡谷にイジメを止めるように頼んだときもこいつはやけに辛そうだった。

 あの時は、あの表情は丸がイジメられていることに対しての感情だと思っていた。

 丸は岡谷を近くで見ていたからこそ、彼の感情がどこから来ているのか分かったんだろう。


「三井くんと丸ちゃんが喧嘩してたから、今僕と丸ちゃんが付き合っているってなれば、三井くんが諦めてくれると思ったんだ。でも、なぜか丸ちゃんが二股をしてるっていう話に変わっていっちゃって……」


 なるほど。

 理解は出来ないけど納得は出来る。

 岡谷の思い通りになったことは腹立たしいが、俺はその策にまんまとはまっていたわけだ。

 俺との仲が拗れている間に既成事実を作ってやろうと思ったってことだ。


「そうだったんだ……」

「ごめん、許してもらえるとは思ってないけど、本当にごめん。こんなことになるとは思わなかったと言っても、こうなっちゃったのは僕のせいだ。もう丸ちゃんとはできるだけ話さないようにする」

「ううん、そんなに気にしないでこれからも今まで通り話してほしいな。全く気にしてないわけじゃないけど、怒ってないのは本当だから」

「なんか今の丸ちゃん、椿本先輩みたい……って、ごめん比べられたくなかったよね」


 岡谷の言いたいことはなんとなく分かった。

 丸の懐の深さみたいなのが、紅さんと重なった。

 あの人は長い付き合いの俺でも本気で怒ったところを見たことないレベルで寛容で清濁併せ呑む心の持ち主だ。


「そんなことない、お姉ちゃんは尊敬出来るし、ああなりたいって私も思ってる。

だからそう言ってもらえると嬉しい」

「椿本先輩もすごく優しいけど、丸ちゃんも相当だね。分かった、丸ちゃんさえ良ければ、これからもいつも通りに接するよ」


 俺はそろそろ話が終わりそうな気配を感じたので、足音を立てないようにその場を去った。

 ずっと俺の後ろをついてきていた丸がいつの間にか随分強くなった。

 この騒動だって俺の助けがなくても、一人で解決出来ていたような気がする。

 現に岡谷が原因であることに俺は気付かずに、丸は気付いていたんだ。

 双日先輩に告白されてからだろうか。

 いや、違う。

 ちょっと前に双日先輩が言っていたとおりだったんだ。丸に足りないのは自信だと。

 丸は引っ込み思案で、人付き合いが苦手で、俺が間に入らないと男と話せない。

 俺がいないと丸は何も出来ない。そんなわけない。

 それは俺がそう思い込んでいただけだったのかもしれない。俺が彼女の前を塞いで、一歩を踏み出せなくしていただけだったんだ。

 丸の成長は歓迎すべきことであるはずなのに、少し寂しさを感じた。

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