第10話 二枚の千円札

 都築先輩とのデート当日。

 俺は待ち合わせの駅に、待ち合わせの時間より十五分前についた。

 流石にまだ来ていないと思いつつも駅前広場を歩き回っていると、すぐに都築先輩を見つけた。あまり人の多くない場所を選んだといえ、休日なのでそこそこ待ち合わせをしている人はいる。そんな中でも彼女は一際存在感を放っていた。

 肩の出てない白のワンピース。装飾のないシンプルなものだ。腰にはワンポイントとして黒革のベルトが巻き付けられている。


 シンプルな服を着る人の考えは大まかに二つあると俺は考えている。

 一つは俺みたいに、シンプルな服装は外れがないというもの。無地のシャツなら大外しはないという素人ばりの考えだ。

 そしてもう一つは、飾り立てる必要がないというもの。ゆったりとした服で身体のラインを見せないだとか、ヒールを履いて足を長く見せるとかはよく聞く話だ。

 これらは身体のラインが綺麗で足の長い人からすると、必要のない着こなしに他ならない。そうした人は素材が良いからこそ、シンプルな服の方が栄える。

 広場にはそこそこ人がいるにも関わらず、彼女の周りはなぜか謎の空間が出来ていた。


「何あれ、撮影?」


 そして、その変な空間のせいで何かの撮影なのかと勘ぐっている人までいる。

 こうなると、非常に近づきがたい。かといって、このまま遠目に眺めているわけにもいかない。


「お待たせしました」


 俺は意を決して都築先輩に近づき声をかける。

 周りの視線がこっちに集中しているのを感じたけれど、気にしていたらきりがない。俺と先輩の容姿が釣り合っていないことくらい分かってる。

 都築先輩は俺を視界に捉えると、笑顔を浮かべて右手を挙げる。その姿は、まるで映画のワンシーンみたいで俺みたいなモブキャラが映り込んで良いのかと躊躇してしまうほどだった。


「すみません、待たせてしまって」

「待ち合わせ時間にはまだまだあるんだ、謝る必要はない。それよりも言うことがあるんじゃないか?」

「え?」


 先輩は腰に右手を当てて、さながらモデルのように立つ。


「服ですか?」

「なんだ、分かってるじゃないか。それなら今日の私の服装について一言」

「先輩の服について俺なんかがどうこう言えませんよ。

それに周りの人達を見れば、似合っているかどうかなんて分かるじゃないですか」


 俺の服は無地の白シャツに灰色の薄いカーディガン、下はデニムという無難中の無難という服装。

 こんな人間が、都築先輩の服装についてどうこう言う権利なんて持っているわけがない。


「気持ちはちゃんとした言葉でしか伝わらない。これは誰の言葉だったかな……」


 都築先輩は白々しくそんなことを呟く。


「分かりました、言えば良いんでしょう。とても似合ってますよ、そういうシンプルな服は素材が良いからいきるんでしょうね。一見するとお淑やかなお嬢様みたいです」

「その言い方だと違うみたいに聞こえるな」


 俺の微妙に棘を含ませた賛辞に、先輩は口をとがらせる。


「実際違うじゃないですか。先輩はお淑やかとは対極の人でしょ」

「お淑やかなのが好みならばそうしてもいいよ」

「結構です」

「あえて触れないでいたが、君の隣のそれはまさか私達のデートに付いてくるわけじゃないだろうな?」


 都築先輩が指さすその先には、俺より僅かに遅れて来た丸がいた。水色のブラウスに花柄のフレアスカートという装いは、いつもの制服よりも少しだけ大人びて見える。


「あれ、今日は二人でお出かけだって……」


 丸も信じられないものを見るような目で都築先輩を見ている。

 実は今日は丸にも声をかけてあって、俺と都築先輩と丸の三人で遊ぶ予定にしていたのだ。それを知っているのは俺だけだ。


「流石にデートに他の女性を連れてくるのはデリカシーがなさ過ぎる。流石の私も呆れて何も言えない」

「誘う時に言ったじゃないですか。本来の意味でのデートと言えるかも微妙だって」

「それは女性が二人いるからということか?」

「そうです。それに演劇部でお世話になってるお礼なんですから丸がいてもおかしくはないはずです」

「ものすごい屁理屈を言っている自覚はあるか?」

「ありますよ」


 ないわけがない。


「その屁理屈を認めるにしても、他の人を誘うのであれば予め私に言っておくのが筋じゃないか?」

「それはその通りです。すみませんでした。だけど、言ったら断られると思ったので、仕方がなかったんです」

「はあ、もういい。ここで君と言い合っていても埒があかないし、こうしてめかしこんで来た以上、帰るのも癪だ。なんのつもりか知らないが、今回だけは許そう。いや許せないが……これはもう惚れた方の負けだな。椿本妹がいるのに帰るわけにはいかない」


 都築先輩の中にどれだけの葛藤があったのか、彼女は表情をころころと変え、最終的には呆れるように大袈裟にため息をついた。多分許してくれたみたいだ。

 ただ問題はそれだけじゃない。


「き、聞いてない! 聞いてないよ! 私、たいちゃんと二人だと思って、楽しみにしてたのに! あんまりだよ、あんまりだよ!」


 都築先輩と比べて、丸の取り乱し方は尋常じゃなかった。今にも泣きそうなくらい丸い瞳に涙を溜めている。

 確かに言わなかった俺に全面的な非がある。だけど、こんなになるとは思ってなかった。


「黙ってたのは悪かった」

「嘘つき! たいちゃんの嘘つき!」


 丸が俺の胸を両の拳で何度も叩いてくる。全然痛くはないけれど、流石に申し訳ないという気持ちが強くなってきた。


「嘘はついてない。二人で遊ぶなんて一言も言ってない」

「うー……屁理屈、屁理屈だよ……」


 嘘はついていないけれど、こんなのは嘘をついたも同然。俺は都築先輩のようにはなれない。都合の悪いことは誤魔化すことでしか嘘を隠せない。


「演劇部で都築先輩にお世話になってるのは事実だろ? そのお礼をしようって会なんだから、そんなに怒ることないだろ」

「それはそうだけど……でも……」


 丸はようやく手を止めるが、どうしても納得できない様子だ。


「私がいるのが気に入らないなら帰ってもらっても一向に構わないぞ。そうなったら、私は当初の目論見通り二人きりでデートが出来るわけだ」


 都築先輩がそう言って、自分の腕を俺の腕へと絡めてきた。あまりにも露骨な挑発だ。


「わ、私は帰りませんから!」


 丸はそれにまんまと乗せられてしまった。そして、俺と都築先輩の間に強引に割り込んできた。


「それなら、これ以上騒いでいても目立つだけだ。彼への恨みは後日晴らすとして、今日は別の目的があるだろう?」


 先輩が待ち合わせ場所に立っている大きな時計を見る。

 もともと多少遅れてもいいように余裕をもって待ち合わせ時間を決めていたので、上映までにはそこそこ時間がある。


「まだ四十五分ありますけど、チケットは受け取っておきましょう。もう予約してあるので」


 俺はいますぐに場所を移りたかったので、映画館に向かうことに決めた。時間に余裕があるので、まだまだゆっくりできたんだけれど、都築先輩の言うように俺達は周囲の注目を一手に引き受けている。痴話喧嘩とでも思われていそうなだけに居づらいことこの上ない。


「さて君の選んだ映画がなにか楽しみだ」

「そんな期待されても困るんですけど、これですよ。今話題のサスペンス映画です」


 あらかじめ映画の批評サイトを回って、ネタバレをされない程度に評価を調べてきた。今から見る予定の映画は、どこのサイトでも評価されていたものなので多分面白いはずだ。


「タイムリープ物の映画か、実は私も見たいと思っていたんだ。流石君の選択はセンスがいいね」

「先輩も俺も恋愛映画を好んでみるようなタイプじゃないですし」

「私は恋愛映画が良かった……」


 丸がぶつぶつと不満を漏らしている。サスペンスは丸の好みとはちょっと外れているのは分かっていたので、可哀相なことをしてしまった。


「私は恋愛物も嫌いじゃない。椿本妹が恋愛映画が好きなら、それでも良かった」

「恋愛物は内容次第では気まずくなりかねないので避けたほうがいいかなと」


 邦画ならばあまりそういったシーンはないだろうけれど、洋画だとベッドシーンがあることは少なくない。それを見てどうこうという年齢ではないけれど、女性と見るにはやっぱり気後れしてしまう。


「それに丸がいるので」

「それ、どういうこと?」

「そういうのはお前には早い」

「早くない! 早くないよ! 私だってたいちゃんと同い年なんだから!」

「確かに早いかもしれない」


 子供みたいに騒いでいる丸を見て、都築先輩はおかしそうに笑いを漏らした。


「じゃあ、映画館行きましょう。ここのショッピングモールに入ってます」

「手は繋ぐか?」

「繋ぎません」


 冗談めかした声とともに差し出した手を俺は完全に無視して歩き出した。

 俺はショッピングモール内の映画館の券売所でチケットを買う。

 都築先輩にチケットを渡すと、引き換えに千円札を差し出された。


「なんですかこれ」

「映画のチケット代だ」


 俺から誘った映画のチケット代で、しかも千円。この程度の金額まで割り勘にするのは、何となく気が引ける。

 俺が受け取るかどうか悩んでいると、


「まさか、こういうことは男が奢るものだなんて言い出さないだろうね」

「まさにそれっぽいことを言おうと思ったんですけど」

 図星をつかれたので白状すると、都築先輩は呆れたように頭を振った。

「私の方が年上なんだから、気を遣う必要はない。それに私は演劇部の部長だから部の予算は自由に使えるんだ」


 彼女の言葉が嘘ではなかったので、俺は驚いて言葉を失った。


「冗談だぞ?」


 俺の表情がよほど驚いているように見えたのか、都築先輩が慌てて弁解する。

 冷静に考えれば部の予算を自由に使えることが真実でも、それを自分のために使っているとは言っていない。


「分かってますよ。ただ、こういうのって誘った方が払うのが普通なんじゃないですか?」

「稼ぎがあるわけじゃないんだ、自分の分は自分で払うのが普通だろう」

「今日は日頃のお礼なので素直に払わないでいてくれるとありがたいんですけど」

「そこまで言うなら今日は払わない。ただ次にデートに行く時は私が払おう」

「行きませんよ」


 先輩は渋々出していた千円札を財布にしまった。


「はい、たいちゃん」


 そう言って丸も千円札を差し出してきた。


「いいのか?」


 丸が頷く。

 都築先輩にも言えることだけど、騙すようなことを言って連れてきてしまった。しかも、丸の好みとはずれた映画を見せようとしているんだから、丸にも払わせる気は無かった。


「なんで私の時はすぐに受け取ろうとするの?」


 俺は千円札を受け取ると、丸はなぜか頬を膨らませた。


「お前が頷いたから」

「都築先輩の時は食い下がってた。なんで都築先輩だけ特別扱いするの」

「特別扱いなんてしてない。お前が払うって言うから受け取ったんだろうが。何が不満なんだよ」

「だって都築先輩だけ特別扱いされてるのは嫌なんだもん」

「逆だろ」

「逆?」

「俺はお前を強引に連れてきたんだぞ? 普通は俺が払うのが筋だろ。だから、都築先輩には払わせなかった。お前の千円を受け取ったのは今更お前相手に気を遣う必要はないからだ」


 もし俺と丸の付き合いが短かったとしたら、この千円札は間違いなく受け取らなかった。


「それって、私の方が特別扱いされてたってこと?」

「特別扱いというより、幼馴染みだから気を遣いすぎなかったってだけだ」


 そう言うと、丸がほほえんだ。

 何とか丸の機嫌が直ったので、映画館に入ろうとしたところで服の袖を都築先輩に引っ張られた。彼女の方へ振り向くと、千円札を俺の手に押しつけてきた。


「なんですかこれは」

「私も払うことにした」


 結局、俺は丸からも都築先輩からも千円札を受け取った。

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