第8話 孤独と孤高

 演劇部の活動に参加するようになって、俺の今までの暇な日常は嘘のように忙しくなっていた。 

 演技以前に滑舌や声量といったものが絶対的に足りてない俺達は、都築先輩の指導の下その練習ばかりをさせられていた。

 丸は演技に関しては都築先輩も認めるレベルだったが、基本的な技術は足りていない。俺に至っては演技も技術も足りない。朝に都築先輩と丸と練習をして、放課後は演劇部の練習に混ざりつつ自主練をする。

 帰宅後も丸と二人で自主練。台本を書く時間なんて授業と授業の間の休み時間くらいになっていた。

 そして、演劇部に顔を出すようになって都築先輩の偉大さが身にしみて分かった。

 主演であり演出担当であり舞台監督。練習スケジュールからどの日に何の練習をするか、大道具小道具の作成から衣装の準備まで全てに携わっている。

 流石に制作実務にまでは関わってはいないが、様々な役割の部員のスケジュール管理を一人でやるなんて高校生の出来るレベルを優に超えている。

 もともとは紅さんと二人でやっていたことを一人でやっているのだから、その大変さは俺の想像を絶していた。


「都築先輩、ちょっと照明のことでご相談があるんですけど。

この場面の単サスなんですけど、ここまで当てていいんですか?」

「この場面は二人だけに当てて、パネルは嫌って欲しい」

「分かりました」


 もう俺には何の世界の言語か分からないけれど、照明に関することだってのは分かる。

 都築先輩は練習時間でも休憩時間でもとにかく質問攻めにあう。

 それは演技に関することだけではなく、裏方の仕事に関することも多い。

 ここまでやることが多いことを知っていたら、俺は屋上であんな偉そうなことをこの人に言えなかった。

 休憩時間で仲がいい人同士で集まって雑談をしている中、一人で水を飲んでいる都築先輩。休憩中で質問がないときは都築先輩は大抵一人でいる。

 今も舞台に一番近い最前列の椅子に一人で座っている。他の部員は舞台袖や舞台の縁に腰掛けたりしていて都築先輩の周りには誰もいない。


「お疲れ様です」


 丸がトイレに行き、話し相手がいなくなり手持ち無沙汰になったので都築先輩に話しかけた。

 都築先輩以外の演劇部の面々には俺と丸は存在しないかのように扱われている。

 透明人間にでもなったのだろうかと錯覚してしまうくらいだ。

 事情が事情なので仕方ないと思って、俺も他の部員にはあまり関わらないようにしている。


「お疲れ様、三井くん。どうだ、私の演劇部は」


 普通なら貴方のじゃないでしょとツッコむところなんだろうけど、この人がいうと冗談にならない。なにせこの部活は紛れもなく彼女と紅さんが作り、育てた部活なんだ。


「こんなこと言ったら失礼かも知れませんけど、すごいしっかりしてて驚きました。

都築先輩と紅さんがいるからこその部だと思ってたのに、皆自分の役割をしっかりこなしているというか。すみません、なんか上から目線で」


 上下関係はしっかりしているが、一年生と二年生は仲が良さそうで雰囲気も悪くない。

 大まかな指示は都築先輩が行うけれど、それ以外は二年生が先頭に立って一年生を指導している。

 都築先輩は最上級生と言うより顧問みたいな立ち位置だ。


「いや、構わないよ。それが正直な感想ってことなんだろう?

君がそう思っていることは知られて私は嬉しいよ。そういうことを臆せず言えるのは君の美徳だと思う」

「皮肉に聞こえるんですけど」


 彼女の無色の声が嘘をついていないことは分かっていた。

 ただ、都築先輩の真っ直ぐな言葉に気恥ずかしくなって、こんな言葉が口をついて出てしまった。


「そんなつもりはない、私の本心だ。私が卒業しても、この演劇部は残る。だから、私がいる内に育てたい。都築双日つづきふたび椿本紅つばきもとこうがいたから演劇部はすごかったと言われたら、後輩達が可哀相だ」

「育てたいと思っているなら、俺と丸を誘うべきじゃなかったと思いますけど。大会のためなのは分かりますけど、ちょっと違和感があります」

「私にも色々思うことがある。そこには当然君に話せないこともある」

「無理に聞き出そうとは思いませんけどね。あと、ちょっと背負い込みすぎじゃないですか? もうちょっと他の人に仕事振り分けた方がいいと思いますよ」


 ほぼ部外者の俺なんかに言われるのは余計なお世話だと思ったけれど言わずにはいられなかった。それくらい、彼女の負担は大きく見えた。俺が見ている苦労は、都築先輩の本当の苦労の半分にも満たないような気がする。


「私だってやりたくてやっているわけじゃない。今はこれがベストだからこうしているだけで、徐々に後輩達に出来ることを増やしてもらっている。私の肩の荷が下りるのはもう少し先ってわけさ」

「そんな忙しかったら友達と遊ぶ時間だってないでしょ」


 都築先輩がおかしなものを見るような目で俺を見てくる。


「なんかおかしなこと言いましたか?」

「いや、なんでもない。それより、こうして私と君が二人で身を寄せ合って密談しているのを、他の部員はどう見ているんだろうね。この二人付き合っているんじゃないかなんて言われたりして」


 俺がわざわざ一つ席を空けて座ったのに、彼女は距離を縮めるために俺の隣の椅子に座り直した。そして、彼女は蠱惑的な笑みを浮かべて囁いてきた。制汗シートによるせっけんの匂いが俺の鼻腔をくすぐる。


「それなら先輩が俺を恐喝してると思われている確率の方が高いと思いますよ」

「君は本当に面白くない」


 都築先輩はふんと鼻を鳴らして立ち上がると、練習の再開を宣言した。



「たいちゃん、次移動だよ」


 丸が俺の肩をぽんぽんと叩く。

 ぼーっとしていた俺の意識が戻され、周りを見るといつの間にか俺と丸以外誰もいない。そういえば次の授業は一つ上の階にある視聴覚室でやるという話だった。


「行くか」


 ノートと筆記用具を持って、一つ上の階に向かう。

 この学校は二階が一年生、三階が二年生、四階が三年生の教室になっている。

 たまに移動教室で上の階に行くとき、上級生の間を縫わなければいけないので少しきまずい。

 視聴覚室に向かう最中、都築先輩のいるであろう教室の前を通る。俺はふと中が気になって横目で教室の中を見る。そこには、窓際の席に座っている都築先輩がいた。

 背中に棒でも入っているのかと思うほど背筋を真っ直ぐに伸ばし、ノートに何かを書き込んでいる。

 別に都築先輩だけが一人でいるわけではなかったのだけれど、彼女の周りには見えない壁でもあるかのように誰もいない。周りといっても彼女を中心に半径2mくらいの範囲に誰もいないので、何かしらかの聖域なんじゃないかと思ってしまう。

 他の一人でいる生徒とは明らかに異なる浮き方をしている。


「やっぱりすごいね、都築先輩って。近寄るなオーラみたいなのが出てる」

「近寄るなオーラ……」


 確かに都築先輩には近寄りがたい雰囲気がある。

 演劇部の活動に参加してみて、それを強く実感した。彼女は後輩から尊敬されてはいるが慕われてはいない。休憩時間に都築先輩が後輩と談笑している姿は一度も見ていない。

 それはどこか近寄りがたいからなんだけれども、その雰囲気を作っているのは都築先輩なんだろうか。微かに哀愁を漂わせている都築先輩の背中を見て、俺はそんなことを考えていた。

 


 お見舞い兼俺も演劇部の活動に本格的に参加することになった報告として、紅さんに会いに来ていた。

 紅さんはまだ手術を受ける決意が出来ていないみたいで、丸の目論見は外れていた。丸が独り立ちするとかそういうのが心残りではないようだった。


「都築先輩って友達いるんですか?」


 建前とかそういうので飾り立てるのは面倒くさかったので、俺はベッドで上半身だけ起こしている紅さんに直球で聞いた。


「なんでそんなに双日のことを気にするの?」


 形のいい眉を寄せる紅さん。この前お見舞いに来た時も都築先輩のことを聞いたので、流石に紅さんも気になったようだ。勢いで誤魔化せるかと思ったけれど、そこまで甘くなかった。


「最近、あの人とよく話す機会があって。それでなんというか寂しそうな感じがしたんですよね」

「寂しそう? 双日が?」


 紅さんは目を丸くして、聞き返してくる。


「部活でも教室でも一人でいるから、友達とかいるのかなって思いまして」

「へえ、随分よく双日のことを見てるんだね」


 なぜか紅さんはぶすっとした顔で返してくる。

 その声色は紅さんには珍しく嫌みが込められたような響きがある。


「見てるというか、目に入ってるだけです」

「友達らしい友達は私くらいだね。一年生の時からずっと」


 紅さんは納得してくれたのかしてないのか、小さく息を吐いた後に俺の質問に答えてくれた。


「一年生の時からですか?」

「双日は正直すぎるんだよね。その点帝人君とよく似ているんだけど、あの子はそれ以上に建前がないから、前からよく人と衝突してたんだ」

「俺は正直なわけじゃないです、嘘をつきたくないだけです。ただの自己満足ですよ、のっぴきならない状況だったら普通に嘘つきますし」


 俺が嘘をつきたくないのは、相手の嘘が分かるのに俺だけ嘘をつくのはフェアじゃないから。

 かといって、絶対に嘘をつかないかと言えばそうじゃない。つくときはつく。

 だから所詮自己満足なんだ。正直者とかそういう類いじゃない。


「ふふふ、それが正直ってことでしょ。でもそれは長所であって短所でもあると思うんだ。私達の年代の――特に女の子は共感とか同意を欲しがるんだよね。

何でもかんでも同意をすればいいとまでは言わないけど、人間関係を円滑にするためには嘘でも同意した方がいい場面もある。憧れるけどね、双日みたいな生き方って」


 所謂空気を読むというやつだ。

 俺も空気を読むことは好きじゃないけれど、場の空気に従った方がいいときは逆らわないことが多い。

 都築先輩は俺みたいに日和らないで言いたいことは言うタイプなんだろう。自分を曲げない彼女のやり方は格好良いと思うけれど、俺には出来ない。


「そうですね。あの人の場合、それが正論だったりするから余計質が悪いんでしょう?」

「そうそう!」


 紅さんが身を乗り出して同意すると、急に顔をゆがめて、胸に手を当てる。

 何かしらの発作が起きたのかと思ったので、俺は急いで看護師の人を呼ぼうと立ち上がると、紅さんの手が俺を掴んだ。そして首を左右に振る。


「すぐに収まるから大丈夫。もうちょっとだけお話しさせて。それで、双日の話だよね。一年生の時にちょっとクラスで揉めちゃって、孤立気味になっちゃってね。虐められてたわけじゃないんだけど、あんまり友達が出来なくて、双日も双日でそれならそれでいいってスタンスだったから、私以外に喋る人はあんまりいなかったんだ。

二年生の時は演劇部の実績でのせいで周囲が双日を一目置くようになったの。一年生の時の反省を踏まえたのか分からないけど、あんまり積極的に人と接しなくなってきちゃって、それがまた双日を孤高の人として昇華させた」

「要するに友達が欲しくないわけじゃないけど、一人になっちゃったって感じなんですね」


 屋上で都築先輩は一匹狼を気取っているわけじゃないと言っていた。

 人と積極的に関わりにいくと対立して、関わらないと近寄りがたい人になる。都築先輩は自分でもどうしていいのか分からないんじゃないだろうか。


「本人がそうじゃなくても、周りがそうだと思えばそうなる。本当は人と話すことが好き、でも周りの多数が人と関わるのが好きじゃないと思えば、全体の認識は本人の在り方とは逆になる」

「レッテル貼りってやつですね」


 そして一度作られた先入観は時間が経てば経つほど強固な物になる。

 今の都築先輩のイメージは二年間の月日でそう簡単に覆らないほどに固まってしまった。

 実際俺だって都築先輩と話すようになるまではここまで話しやすい人だとは思ってなかった。


「紅さんはなんで都築先輩と一緒に演劇部をしようと思ったんですか?」

「それは、双日が寂しそうに見えたから」

「え?」


 紅さんのその言葉は嘘だった。俺は驚いて彼女の顔を見ると、悪戯を見つかった子供のような笑みを浮かべていた。


「なんて言うと思ってたでしょ? そういうわけじゃないよ。ただ、双日と一緒なら面白くなりそうだと思っただけ。双日を見て寂しそうだと思うのは帝人君くらいだよ。それと、あまり双日に深入りしない方がいいよ」

「深入りしない方がいいって、どういうことですか?」

「そのままの意味。演劇部の活動に参加するのは良いけど、双日と仲良くなりすぎちゃ駄目」


 意味が分からなかった。紅さんは都築先輩の親友。そして、俺は紅さんの幼馴染み。自分にとって親しい人間同士が仲良くなることは、彼女からすれば歓迎すべきことのはずだ。紅さんはそういう人だ。


「都築先輩が俺によくない影響を与えるってことですか?」

「違う。多分気は合うと思うよ」


 ますます紅さんが何を考えているのかが分からなくなった。気が合うと思うのに、なんで深入りするななんて言うのか分からない。


「双日の話はやめよう。それより、演劇部で丸は頑張ってる?」


 紅さんが強引に話を変えてくる。まだ問い詰めたいことはあったけれど、俺は仕方なくその方向転換に付き合うことにした。


「良くやってますよ。俺の方が足引っ張ってて大変です」

「帝人君がいてくれるなら私も安心だな。丸のために演劇をやってくれるとは流石帝人君、男前! 色々迷惑かけちゃうと思うけど、温かく見守ってね」


 丸の話をするときの紅さんはすごく優しげな表情をする。いつも穏やかではあるけれど、特に。


「紅さんは丸のことが心配ですか?」

「そりゃ心配だよ、可愛い妹だから」

「妹だからですか? それとも丸の性格的な意味でですか?」

「丸が人見知りなのを心配してるかどうかっていう意味?」

「簡単に言えばそうです」


 丸は自分が人見知りだから、紅さんが安心して手術に踏み切れないというような話をしていた。

 俺は紅さんがそう考えているとは思えなかったので、良い機会だし直接聞いてみることにした。


「私は人見知りなのも丸の個性の一つだと思ってるから、無理に変える必要はないと思う。

あの子が変えたいと思ってるならそれは歓迎すべきことだけどね。そんなことを聞くってことは帝人君は変えた方がいいと思ってるの?」

「俺も紅さんと同じです。無理に変える必要はないんじゃないかって思ってて。でも、丸がやりたいなら応援してあげたい」

「と言いつつも浮かない顔してる」


 紅さんが俺の内心を見透かしているかのように、間髪入れずに畳みかけてくる。


「上手く言葉に出来ないんですけど、ひっかかるんですよね」

「分かった。丸の人見知りが治ったら、頼ってもらえなくなるって思ってるんじゃない?」


 俺を見て、紅さんがニヤニヤ笑っている。


「それはないです。頼られるのは悪い気はしないですけど、あいつとの関係はそれだけじゃないですから」

「良いこと言うね、それ丸にも伝えてあげよっと」

「それはまじでやめて下さい」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る