第11話 星の隙間を――青菊の回想

 小さい頃から運動神経はよくなかった。直射日光に当たるのが苦手で、外に出るのは好きじゃなかった。曇りの日の体育も、走ったり跳ねたりが苦手だから嫌いだった。

 身体を動かすのが全く好きじゃない。だから本当は、夜の道を歩くのは、体育と同じくらい気持ちが疲れた。

 それでもそうしなければならなかった。


 もうすぐ誕生日が来てしまう。

 そうしたら、パパもママも私の誕生日を祝うお芝居をしなくちゃならない。

 もう、それが申し訳ない。


 だから逃げなくちゃ。

 誰かに見付かったらどうしよう。

 逃げ切らなくちゃ。

 どうしたら分かってもらえる。私が『どうでもいい』ってことを。


 バッグに入れた缶の中で硬貨がジャラジャラ音を立てるのが気になって、途中で一度立ち止まり、缶を開けて隙間にハンカチを詰めた。

 夏の夜。手が汗ばむ。

 街を背にしていた。

 大人になる薬があるなら今すぐ飲みたいと思う。大人だったら、夜、誰に見付かっても補導されたりしないのに。


 街へは行きたくない。街にはみんながいる。ママもパパもお姉ちゃんもたくさんいる。

 広告に、ポスターに、街頭ヴィジョンに、映画館に、みんなの欠片かけらがきらきら光って、私の肌はちくちく痛くて、でも誰も酷いことは言わなくて、もういっそ私はきらきら光る欠片に転んで怪我をしたらいいのに。


 なのに酷く鈍い動きで、私は暗い山の閉鎖ゲートを潜った。

 醜い、と思った。

 こんなに格好の悪い人間は、うちには自分の他にいない。

 鞄を背負い直して上り坂を進む。とても暗かった。常夜灯はないらしい。

 怖いよりも安心した。誰にも見られたくない。

 濃密な森のにおいがする。

 植物に生まれればよかった、と不意に考えた。植物は綺麗だ。植物は黙っていても文句は言われない。

 黒々とした影の中を歩いていく。

 息が切れた。いつまでも上り坂だ。上空には川のような形に星空が見える。左右は木々が生い茂って闇だ。

 その星の隙間を、シップが横切るのが見えた。鴬台おうだい空港が近いから高度を落としていて、視力のいい青菊には小さな窓が並んで光っている様子まで良く見える。

 巡航船シップが好きだ。夜のシップは大きな星のよう。ずっと前に宿泊したことがあるが、窓から見える雲海は昼も夜も静謐で美しく、永遠に晴れた空は強烈に青かった。夜明けも夕暮れも燃えるような色彩が何もかもを飲み込み、夜は地上のどんな宝石や照明よりも強く遠く星が輝く。

 あれから空に焦がれている。

 自分がとても嫌な人間のような気がした。空を好きな理由があまり良くない。ママよりもパパよりもお姉ちゃんよりも綺麗なものを見つけたと思ったから、というのが。でもそう思ってしまった。


 だから好きだなんて、私はひねくれている。


 この前、パパにシップが好きだと言ってしまった。何となく、言わないでおけばよかったような気がする。

 また行くか、とパパは言った。忙しいのに。

 私本当は、うちの子じゃないのに。


 暗い。息が苦しい。道が見えない。

 星は遠く、真っ黒な夜の山。


 ちいさな私。

 無力な私。

 醜い私。


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