第38話 か弱き者よ、汝の敵を撃て


「お見事です、カロン刑事。我々の最高傑作をあっさりゴミ同然にするとは」


「成仏させることがゴミだというのか」


「生者の掟など、我々には無意味です。魂とは永久に迷う物、情など必要ない」


「生まれ変わりも冥界の掟の一つだぜ、先生。どうやらこっちの世界にも、俺以上に腐った連中がのさばってきたようだな」


「あなたもそう変わりないのですがね。パイアー、ネメアー、ヒュドラ……覚えていないとは、嘆かわしい」


「おまえが「オルトロス」だったのか」


「いかにもその通り。せめてもの情けで、刑事の姿をしているうちに葬ってあげましょう」


 陽海が言い放つや否や、小柄な身体が捩じれながら伸び始めた。ガスを注入された風船のように五倍ほどの大きさに膨れ上がった身体は、もはや人間のそれではなかった。


「この疑似冥界では、お前の力は半分も発揮できない。おとなしく闇に還るがいい」


 二つの頭部を持ち、蛇のたてがみを生やした怪物を前に、俺は思わず後ずさった。


 ――こいつはマグナムでしか倒せない。だがチャンスは一度きりだ。……どうする?


特殊警棒に手が触れた次の瞬間、俺の身体はオルトロスの爪に貫かれていた。


「……ぐはっ」


 黒い血を吐きながら吊り上げられた俺を、今度は蛇の牙がおそった。頭を庇った左腕にいくつもの穴が開き、冥界の毒が注ぎこまれるのがわかった。

 俺はオルトロスの一方の首に向け、鞭を放った。鞭が捉えた敵の頭部が火球を吐き、俺の放った炎と空中で激突した。


「くく……無駄なあがきだ、カロン刑事」


 オルトロスのもう一方の口がせせら笑い、俺の身体は床に勢いよく叩きつけられた。背中と腰を襲う激痛に思わず呻いた直後、今度は怪物の足が俺の右腕を踏みつぶした。


「うぐっ」


「こうやって身体の部品を一つづつ、潰してゆくのがいいかも知れないな。そうすれば、いくら不死身の刑事でもこちらに来ざるを得なくなるだろう」


 腕の上の巨大な足がすり潰すような動きを見せ、俺はあまりの不快感にまたも声を上げた。どうする、このままでは反撃のチャンスすらつかめない……そう思った時だった。


「ぐええっ」


 遥か頭上で叫び声がこだましたかと思うと、身体にのしかかっていた力がふっと緩んだ。


 俺は転がりながらその場を逃れると、オルトロスの方を見た。頭部の一つに何かが飛びかかり、目を攻撃しているようだった。


「……ケン坊、よせ!」


 俺は背後を振り返った。オルトロスを攻撃しているのはケヴィンのコヨーテだった。


「兄貴、俺が引きつけてる間に、早く」


 身体を震わせながら目だけは敵を必死で見据えるケヴィンに、敵の口が火球を放った。


「ケン坊!」


 間に合わない、そう思った瞬間、透明な翼をまとった沙衣がケヴィンの前に立った。


「ポッコ!」


 オルトロスの火球は沙衣の翼に遮られ、霧散した。俺は安堵すると同時に、怒りがこみ上げてくるのを覚えた。


「お前の相手は俺がする、同僚に手を出すんじゃない」


 俺が二人の前に立ちはだかると、オルトロスは四つの目に残忍そうな笑みを浮かべた。


「麗しい同僚愛だな。……長い生者の暮らしで、無駄な感情が芽生えたか?カロン刑事」


「……無駄かどうか、今、教えてやるぜ」


 俺はホルスターからマグナムを抜くと、右手で構えた。と、その瞬間、オルトロスが目を細め、嘲笑うような表情をこしらえた。


「その手で引鉄が引けるのかね、カロン刑事」


「……なんだと?」


「先ほど腕を踏みつぶされた時、一緒に指の骨も折れたんじゃないのか?」

 

 ――くそっ、気づいていたか。


「そう簡単に折れるような物じゃない。人差し指だけ動けば充分さ」


 俺は動揺を悟られぬよう、平静を装いながら言った。オルトロスに指摘された通り、人差し指を含む数本が折れていた。俺は気づかれぬよう、左手を盗み見た。蛇の毒が回った左手は膨れ上がり、サポートの役割を果たすには不十分だった。


「……はったりはよすんだね、カロン刑事。なんでもないというのなら、引鉄を引いてみたまえ。……さあ、どうやって銃を撃つ?」


 こめかみから汗が噴き出し、俺は人差し指に全身の力を集中した。……だめだ、やっぱり動かない。これまでか――俺が死を覚悟した、その時だった。


「こうやって撃つのよ!」


 細く柔らかい感触が指に被さったかと思うと俺の指ごと引鉄を引き、轟音とともにマグナムの銃口が火を噴いた。


「ぐうっ……?」


 オルトロスの胸元にめり込んだスケルトン・マグナムが金色に輝き、五億年前の甲虫が目覚めるのがわかった。


「生と死の調和を乱す者よ、邪な魂と共に砕け散るがいい!」


「があああっ!」


 次の瞬間、オルトロスの身体は激しい光を放って跡形もなく四散した。


「……やっと地獄のどぶ掃除が終わったか」


 俺はまるで悪夢のような地下空間をながめ、思わず安堵の息を漏らした。


「……カロン、大丈夫?」


 俺の背中で沙衣が言った。俺の指に自分の指を当てがい、引鉄を引いたのは彼女だったのだ。


「なんて乱暴な女だ。指が砕けちまうかと思ったぜ」


 俺は軽口を叩くと、沙衣の手をぽんと叩いた。


「さあ、片がついたらこんなところはおさらばだ。……ケン坊、荒木の死体を運び出すのを手伝ってくれ」


「お安い御用です、兄貴!」


 そういうと、ケヴィンは半べそをかいたまま荒木の死体を持ち上げようとした。……が、腕に力を込めたとたん、ケヴィンの細い身体は枯れ木のようにその場に崩れ落ちた。


「私の方が力があるんじゃない?……二人がかりでいきましょう」


 沙衣がそう言ってケヴィンに歩み寄った、その時だった。部屋全体が不気味な振動に包まれ、壁のあちこちに亀裂が生じ始めた。


「まずい、冥界からの力を絶たれて張りぼての祭壇が崩れる。急ぐんだ」


 俺は地上に通ずる階段を探した。ほどなく祭壇の裏に天井の穴へと伸びる石段が見つかり、俺は二人をうながした。


「ここから地上に出られるぞ、急ぐんだ」


 俺たちが連れだって石段を上っていく間にも部屋は崩壊を続け、終点らしき扉にたどり着く頃には、眼下の床は瓦礫となって消滅していた。


「俺が外に出たら続いて飛び出せ、行くぞ!」


 俺は二人に告げると、歪んだ扉を力任せに押し開けた。同時にまばゆい光が俺たちを包み、気が付くと俺たちは「第一天界ビル」のエントランスに転がり出ていた。


「戻ってきた……」


 沙衣が震える声で言うと、ケヴィンが「夢みたいっス」と涙声で続けた。


「ようやくこの世に還ってきたな。……まったくこんなに長く働いたのは初めてだぜ」


 俺は窓の外に目を向けると、携帯を取りだした。


「……ダディですか。カロンです。……ええ、ビルの地下にあったホラー映画のセットは全て瓦礫になりました。これから三人で狭苦しい部屋に戻ります」


 俺は通話を終えると、二人の方を向いた。荒木の死体は殺人課の連中に運んでもらおう。


「……ねえ、なんて言ってた?ダディ」


 沙衣がいつもの丸い目で俺の顔を覗きこんできた。俺は一瞬躊躇した後、正直に答えた。


「せっかく発注した棺桶がいらなくなったんで、俺たち用の仮眠ベッドにするんだとさ」


 紗枝の目が一層大きくなったのを確かめると、俺は肩をすくめて「行こうぜ」と言った。


              〈最終回に続く〉

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