第15話 招かれざる客にはナイフを


 俺たちは牛頭原のオフィスを後にしたその足で、ビルの最上階へと向かった。


 エレベーターを降り、「デュアルライフ」と刻まれたプレートのドアを開けると、こじんまりしたオフィスが現れた。俺は受付の、人形のように無表情な女性社員に来意を告げた。


「こちらです、どうぞ」


 女性社員はアポイントも取らずに現れた二人組を警戒するそぶりもなく、奥の別室へと招じ入れた。


「社長は多忙なので、手短にお願いいたします」


 俺は「できればそうしたいところだね」と言って室内に足を踏み入れた。社長室には重厚な作りの机と応接セット、それに秘書が使用すると思われるパソコンデスクがあった。


「お忙しいところ、突然すみません。「ペパーランドカンパニー」の牛頭原さんの紹介でうかがいました、三途之署の朧川といいます」


 椅子に凭れ、こちらを見ている人物は俺が手帳を示しても、何の反応も見せなかった。


「ようこそ、社長の五道です。牛頭原の紹介と言われましたが……どのようなご用件で?」


「我々は二年前の死体消失事件について再捜査をしてましてね。荒木丈二という名前に聞き覚えは?」


「さあ、聞いたことがあるかもしれませんが、二年前となりますとね……」


 五道は小さな目を瞬かせ、そらとぼけてみせた。


「死体は司法解剖に回される直前、獄卒会の人間と思われる男たちに奪われたのです。その死体を欲した人間……つまり「買い手」と繋がっていたのがあなただと聞きました」


「面白いですね……仮にそうだとしたら、どうします?私を逮捕しますか?私や部下を拘留したところで、有用な情報は出てこないと思いますよ。……もちろん、死体もね」


 五道は余裕の笑みを浮かべながら言い放った。むろん、俺もそんな期待はしていない。


「それは承知の上です。私はただ「買い手」の名前をうかがいたいだけです。……教えていただけますね?」


 俺は前のめりになって五道の目を覗きこんだ。五道はしばし俺と見つめあった後、きっぱりと首を横に振った。


「残念ながらその要求には応じかねますな。私にはその荒木とかいう人物の死体に関わった記憶がない。つまり死体を所望した人物のこともわからない……そんな人物がいたとして、の話ですが」


 俺の不意打ちに近い追及にも、五道は決してひるむ様子を見せなかった。


「そうですか、残念です。……それではこちらで勝手に調べさせていただいて構いませんね?あらゆるデータを掘り起こせば必ずあなたと「買い手」の接点が見つかる……私はそう信じてます。ここでおっしゃった方が賢明かと思いますが」


「わざわざお越しいただいて恐縮なのですが、知らないものは答えようがありませんな」


 五道はいささかもぶれることなく、否定の言葉を繰り返し続けた。


「……わかりました。お時間を取らせてすみません」


 俺は肩越しに沙衣の方を振り返ると「用事は済んだ。帰るぞ、ポッコ」と言った。


「お待ちください。わざわざ御足労いただいたのに、空振りでお帰りになるというのもご気分が悪いでしょう。せめて、私からの心づくしを受け取っていただきたい」


 五道はそう言うと、パソコンに向かっていた秘書と思しき女性に何やら合図を送った。

 女性はすっと席を離れると、奥のキャビネットから何かのボトルとグラスを取りだし、机の上に置いた。


「勤務中の刑事にアルコールを薦めるんですか」


 俺がやんわりくぎを刺すと、五道はにやりと口の両端を吊り上げた。


「酒と言いますか、これはとある未開の部族に伝わる飲料を口当たりがよくなるよう調整したものです。なんでも「不死の秘薬」と呼ばれているようで、面白い味がしますよ」


「不死の秘薬だと……」


 五道が講釈を垂れている間に、女性は乳白色の液体をなみなみとグラスに注いだ。


「……さ、どうぞお飲みになって」


 女性は俺の前に立つと物慣れた仕草でグラスを持たせ、俺の顎に触れた。指先の感触が俺の顎に伝わった途端、なぜか口元の筋肉が緩み、痺れるような感覚が全身を包んだ。


 俺は気が付くとグラスを口元に運び、傾けていた。濡れた森のような香りの液体が俺の舌を滑って喉に注がれた瞬間、俺は尻のあたりに鋭い痛みを覚え、グラスから口を離した。


「痛っ」


 思わず顔をしかめ、振り向くと目を三角にした沙衣が俺を睨みつけていた。どうやらこっそり俺の尻をつねったらしい。


「こんな時に何を……」


 俺が苦言を呈する前に「何をじゃないでしょ」と、怒りを含んだささやきが飛んできた。


「もうちょっと警戒してよ。捜査中でしょ」


 俺ははっとした。言われてみればその通りだ。俺はグラスを女性につき返すと、口をぬぐって一歩退いた。


「け、結構なお味でした。では、私たちはこれで……」


 俺は珍しくぎこちない態度でいとまを告げると、五道の部屋を出た。部屋を出る直前、ちらりと背後を振り返ると、五道と女性秘書が不敵な笑みを浮かべているのが見えた。


「どうしたの?らしくないわよ」


 エレベーターに乗りこむと、沙衣がさっそく説教を始めた。


「そうだな……どうもあの部屋に入った時からなんだか調子がくるってた気がする。やはり牛頭原の言う通りあいつは普通の人間じゃない。あの女もだ」


「それって、あの世から来たってこと?」


「あの世かどうかはさておいて、やくざの類じゃない事は確かだな。……こうなったら俺流のルートで探りを入れるしかない」


「どういう意味?」


「蛇の道は蛇ってことさ。ああいう目立つ手合いは必ず、裏社会で名が知られているはずだ。地下に潜ってみよう」


「地下に……?」


 沙衣が訝るように小首をかしげた、その時だった。エレベーターの箱が何の前触れもなく突然、降下を止めた。階数表示を見ると、まだ五階だった。


「おかしいな。一階を押したはずなんだが……」


 俺は改めて一階のボタンを押した。が、いくら待ってもボタンは点灯しなかった。


 首を傾げていると、いきなり目の前の扉が開いて五階の廊下が現れた。


「……待てよ、このエレベーターは確か二基、並んでいたはずだ。隣の箱に乗れば下まで行けるかもしれない」


 俺は沙衣を促して廊下に出た。と、ほぼ同時にエレベーターの到着する音が聞こえ、俺たちの目の前でもう一基の扉が開いた。乗っていたのは書類を携えた事務服の女性だった。


「すみません、一階に……」


 俺がそう口にしかけた瞬間、女性が箱を飛びだして俺の腹に何かをつき刺した。

 俺がよろめくと女性は再びエレベーターに引き返し、そのまま扉を閉めた。


「――カロン!」


 腹からナイフの柄を生やしている俺を見て、沙衣が悲鳴を上げた。


「誰か……誰か来て!」


 沙衣はそう叫びつつ携帯を取りだした。俺は床に膝をつきながら「大丈夫だ。俺はこのくらいじゃ死なない」と宥めた。


 俺が通報しようとしている沙衣を制し、なんとか立ちあがろうと足に力を込めた、その時だった。複数の足音が聞こえ、数人の男たちが廊下をこちらにかけてくるのが見えた。


「――牛頭原?」


 男たちの先頭にいたのは、牛頭原だった。


「すまない、俺がうかつだった。五道の名前を出した時、実は少し嫌な予感がしたんだ」


「これはあの男が命じてやらせたことなのか?」


「おそらくはな。お前が簡単には死なないことを知ったうえでの警告だろう。俺の車で病院まで送るからここは任せろ。……おい、車をビルの前につけろ。この人を運び出すんだ」


 牛頭原は部下たちに指示を出すと「この程度のことで死ぬなよ、カロン」と俺に耳打ちした。


              〈第十六回に続く〉

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