第10話 この世ならざるもの、眠れ


 俺の意識が闇に沈むのと同時に、巨漢の丸太のような腕が俺を襲った。


 「カロン……どうしたの?」


 身体の支配権が死神に移ると同時に、沙衣の驚きを含んだ声が響いた。


「目が赤く光って……あっ、後ろに何かいるわ」


 そりゃあいるだろう。彼女には俺の身体に取り付いている死神の姿が見えるのだから。


「うおおっ」


 死神は巨漢の攻撃を紙一重のところでかわすと、テーブルからテーブルへ振り向くことなくバックステップで逃げた。


 ――よし、「大鎌」を使おう。


 死神が呟くのを聞き、俺は慌てて異を唱えた。


 ――ちょっと待ってくれ、相手はでかいだけで俺と同じ人間だ。怪我はさせるな。


 ――怪我でもさせない限り、奴は攻撃を辞めない。こちらが殺されてもいいのか?


 俺は唸った。死神の言う「大鎌」とは一種の「かまいたち」のことで、相手の身体を切り裂く技だ。力の調節次第では浅い傷で済ませることも可能だが、このデカブツに適用するからにはかなりの深手を負わせる気なのだろう。


 ――気にすることはない。正当防衛だ。……来るぞ。


 死神が体勢を低くするのと同時に、巨漢の腕が頭をかすめた。死神はそのまま膝の発条を使って巨漢の懐へと飛び込んだ。


「うおっ?」


 死神の右手が巨漢の胴の前で薙ぎ払われ、巨漢の衣服が切り裂かれるのが見えた。


 直撃か?そう思った直後、俺は死神の目を通して信じがたいものを見た。

 露わになった巨漢の胴には、黒い防刃プロテクターのようなものが巻かれていたのだ。


 「何の武器か知らんが、無駄だ」


 巨漢は口元に残忍な笑みを浮かべると、死神の襟首をつかんで高々と持ち上げた。


 宙吊りにされた死神は両手で巨漢の手をつかむと、引き剥がそうと力を込めた。


「無駄な抵抗はやめろ」


 巨漢が死神の首を絞め上げ、中にいる俺までが息苦しさを覚えた。まずい。このままだといずれ支配権が俺に戻ってしまう。昼間の死神は夜の時と比べて憑依できる時間が短いのだ。


 ――カロン、もう時間がない。こいつを殺していいか。


 死神が最後通牒ともとれる言葉を発した、その時だった。

「ぐっ」というくぐもった呻き声と共に死神の首をつかんでいた力が緩んだ。俺と死神はそのまま床に崩れ落ち、同時に巨漢がゆっくりと仰向けに沈んでゆくのが見えた。


 ――いったい、何が起こったんだ?


 死神の目を通して動かなくなった巨漢を眺めていると、カフェの入り口に銃のようなものを構えている人影が覗いた。

 ――明石だった。明石は固い表情のまま入ってくると、俺に気づいて目を瞠った。


「刑事さん……どうしてここに?」


「助かったよ、明石さん。……この化け物にいったい、何をしたんだい?」


「これ以上、暴れられては困るので非常手段に訴えました。針を打ちだす特殊な銃です」


 明石は前回会った時とは打って変わって、懊悩が滲んだ口調で言った。


「刑事さん……勝手なお願いであることは承知の上で申し上げます。この一連の騒ぎを通報しないでおいてくれませんか」


「ああ、構わないよ。俺もあれこれ聞かれるのは面倒なんでね。……その代わりと言っちゃあなんだが、この化け物について説明してくれんかね」


 俺が質すと明石はふっと自嘲めいた溜息を漏らした。


「そうですね。あなたには言わなければならないでしょう。……こいつは、このビルの中にある「アンフィスバエナ・フィジカルプロジェクト」で新製品のモニターをしている人物です。非常に気性が荒く、開発スタッフともめた挙句、製品を身に着けたまま部屋を飛びだして暴れ出したんです。事故とは言え、責任はプロジェクトが負わねばなりません」


「なるほどね……こんどそのプロジェクトについてお話を伺っても構いませんか」


 俺は警戒されることを承知で、明石に切り込んだ。だが以外にも明石は「いいですよ。我々としてもこんなことであらぬ誤解が広まっては困りますからね。包み隠さずお話しましょう」と答を寄越した。


「カロン、大丈夫?」


 沙衣が血の気のない顔で、俺の元に歩み寄ってきた。俺は「ああ」と短く返した。


「刑事さん……あんな怪物とわたりあってよく、無事で済みましたね」


 おずおずと近寄ってきたハンクが言った。傍らの秦は巨漢を興味深げに見下ろしていた。


「これじゃあいけないな。ファイターを作るつもりでモンスターを作ってしまうとは」


 秦がかすかに笑いを含んだ声で言うと、それを聞いた明石が不快そうに顔を歪めた。


「刑事さん、お話はまた日を改めてということにしませんか。ここの片付けもあるので」


 明石の申し出に、俺は即座に頷いた。……と、俺のポケットでまた箱が小さく鳴った。


 ――何を感じたんだ?「被害者」さんよ。


 俺は目の前にいる人々をかわるがわる眺めながら思った。明石だろうか。それともハンクだろうか。いずれにせよ、怪しい人間たちと言わざるを得ないだろう。


 ――お前さんがもう少し、ヒントになるようなことをしゃべってくれたらなあ。


 俺はポケットを上着の上からぽんと叩くと、沙衣の方を振り返って「帰るぜ」と言った。


              〈第十一回に続く〉

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