冥葬刑事カロン

五速 梁

第1話 鳩は掃き溜めに舞い降りる


「おう、生きてたか。あと十分遅かったら欠勤扱いにしてるところだぞ、カロン!」


 特務班の部屋に顔を出したとたん、俺はみぞおちに膝蹴りを入れられた。思わず身体を折った俺の頭を、今度はヘッドロックが見舞った。


 不躾な事この上ない挨拶をした犯人は、壁倉大三かべくらだいぞう。通称ダディ。俺の上司だ。


「生きてますよ。一応はね。署に来るのなんて久しぶりだから、間違えて役所に行く電車に乗っちまいました。大体、来たところでみんな忙しいんだし、俺なんてどうせ捜査が始まったら死ぬんでしょうから」


 俺はぶつくさ言いながら、部屋の中央にある会議テーブルについた。この部屋にはダディの机以外、個人のデスクなんて言う気の利いたものはない。殺人課の一部をパーティションで区切っただけの、四畳半にも満たない部屋だ。贅沢を言える身分ではない。


「まあそうぼやくな。死ねば死んだだけ、賞与の額も跳ね上がるってもんだ」


 ゴリラに似た俺の上司が言った。先ほどの暴力にも、俺は全く腹を立てていない。奴にとって暴力は親愛の証であり、もっとも有効なコミュニケーション方法なのだ。


「ところで、噂の新人は、まだ到着してないんですかね」


 俺が尋ねると、ダディの強面が薄気味悪く歪んだ。一応、これが奴の笑顔なのだ。


「隣の部屋にいるよ、カロン。まあ、楽しみに待ってるんだな」


 カロンというのは俺のあだ名だ、由来はギリシャ神話に出てくる、三途の川の渡し守だ。


 どうしてそういうあだ名がつけられたかというと、俺の仕事が殺された人間の魂を弔うことだからだ。

 ちなみにダディは、俺と上層部との間を調整するため、つまり俺のために殺人課の中から選ばれて配属された人材だ。そう考えると、今度赴任してくる後輩も、何らかの理由で――おそらくは捜査中のお目つけ役として――選ばれた人材に違いあるまい。


「しかしただでさえ狭いアジトに、これ以上、人が増えるってのはいかがなもんですかね」


「なに、悪いことばかりじゃないさ。三人いれば、もめごとになった時に多数決ができる」


 ダディはそう言うとシガーの形の禁煙パイプを咥えた。しばらく前から署全体が分煙になっており、由緒正しき紫煙渦巻く刑事部屋は今やノスタルジーの彼方にしか存在しない。


「まあ、そうなったらたぶん、二対一でおまえが不利になるだろうな」


「そうとも限りませんよ。人望がないのはお互い様です」


 俺がカウンターを放つと、ダディは歯を剥き出して笑った。


「たしかにな。お互い、人望があったらこんなしけた掃き溜めにはいないだろうよ」


 ダディはわざと、パーティションの向こう側に聞こえるような声で言った。どうせ何を言おうとこの部屋に怒鳴りこんでくるものはいない。ここはそういう部署なのだ。


 俺たちが薄ら寒い会話をしていると、ふいにぺらぺらのドアがノックされた。


「どうぞ」とダディがよそ行きの声で応じると、ドアが開いて一人の若い女性が入ってきた。


「失礼します。今日付で特務班勤務を命じられました、河原崎沙衣かわらざきさえです」


 顔の小さな、鳩のように丸い目をした婦人警官は、笛を鳴らすような声で挨拶を終えた。


「まあ、かけたまえ。私はこの部屋の責任者、壁倉だ。よろしく。……そっちのいびつなトマトみたいな男がうちのエースだ」


「あんたが新人さんか。俺は朧川六文おぼろかわむつふみ、通称カロンだ。お世話をよろしく頼む」


 俺が可能な限りの愛想で自己紹介すると、沙衣と言う新人は深々と頭を下げた後、「あの……他の方は?」と言った。


「他の方もなにも、ここの部署は俺たち三人だけだよ」


 俺が言うと沙衣は「三人……」と呟いたきり、その場に固まった。


「そう、三人だ。うちの部署は捜査本部が解散した未解決事件、いわゆるコールドケースの再捜査が主な仕事だが、ちょっとばかし特殊な勤務形態なんでね」


「特殊と言いますと?」


「基本的に毎日の出勤は自宅から直接、殺人の現場に出向いてもらう。そこで犯行の痕跡を洗いだすのが仕事だ」


「捜査が終了しているのに、ですか?」


「そうだ。捜査が終わってからがこの男の出番なんだ。いずれわかるよ。掃き溜めみたいな場所だが、まあ腐らずにやってくれ」


 そう言うとダディは目で会議テーブルを示した。さすがに脅したりはしないにせよ、あの顔と声ではさぞ、びびっていることだろう――そう思って沙衣の顔を見た瞬間、俺は思わず目を瞠っていた。沙衣は丸い目を大きく見開き、しきりに首を傾げていたのだった。


「あのう……私の机は、どこですか?」


 善良そのものといった顔立ちの新人婦警は、さも当然のように言い放った。


「机?……面白いことを言うお嬢さんだ」


 俺は精いっぱい、凄みをきかせた声で言った。だが、お嬢さんの反応は俺の予想の上を行くものだった。


「もしかして、このテーブルと椅子ですか?……違いますよね?」


「もしかしなくても、そうさ。俺にも専用の机はない。そもそもこの部屋に配属された人間がここで業務をすることはほとんどない。まさか三人しかいない部署に、一人づつ机が支給されるなんておめでたいことは思っちゃいないだろう?」


 俺が言い切ると、沙衣はぽかんと大口を開け、呆れたようにこちらを見た。


「いくら何でも机もないような部屋では、仕事ができません」


「机ならあるじゃないか、立派なものが。パソコンだって置けるし、資料を積んでおく隙間だってある。何が不満だ?」


「そうですね……」


 沙衣はダディと俺の顔を交互に見ると、すうっと息を吸った。


「しいていえば、先輩刑事の対応が不満です」


「なんだって?」


「てっきり指導を受け賜われるものとばかり思っていましたが、恫喝するしか手段を知らない先輩ということであれば、私も覚悟を決めるしかありません」


「ほう、どうするんだ?先生に言い付けるか?それとも泣いてお家に帰るかい?お嬢さん」


「……私が教育するしかありません」


 俺は言葉を失った。さすがに署長の肝入りだ。鳩かと思いきや、中身は猛禽類らしい。


「カロン、お前、この子になんかあだ名をつけてやれ」


「そうすね……鳩に似てるからポッコちゃん、なんてどうすか」


「ほう、いいね」


「ぜ、絶対に嫌で……」


「よし、それじゃあポッコ君、これから現場に出向くからついておいで」


「あのう、本人の意向とかそういうのも重要かと」


 控えめな口調でに抗議を始めた沙衣に、ダディがにやつきながら追い打ちをかけた。


「カロンはマイペースだから、目を離さんようにしろよ。ポッコ」


「あのう、そういうのってパワハ…………」


 不服そうな表情で俺たちを見ていた沙衣の目が突然、驚いたように大きく見開かれた。


「どうした、ポッコ」


「カロンさんの背中から……」


 俺はぎくりとした。今、まさに「あいつ」が目ざめたところなのだ。


 ――まさか、この娘「視える」のか?


「……いえ、なんでもありません。たぶん、わたしの気のせいです」


 沙衣はこころなしか血の気の引いた顔でそう言うと、眼鏡のブリッジを手で直した。


              〈第二回に続く〉

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