上原さんは異世界転生できない

紫花

上原さんは異世界転生したい

第1話

 春は出会いと別れの季節――――


 桜の木の下に運命が待っているなんて、最初に考えたのはどこの誰なんだろう。

 山間の盆地の街であるここで桜が花開くのは、出会いの季節というには少し遅い。

 2年への進級で特にクラスが変わるわけでもなく、転校生が来るわけでもなく。年度が変わって、教室が変わって、なんとはなしに心に訪れていたざわめきも、4月も末にもなれば、すっかりいつもの日常へと落ち込んでいるものだ。

 今年も何も変わらない、ただ刻々と過ぎていく日々を費やしていくのだと、思っていた。

 

 ――――だけど。


 俺はその日、運命と出会った。

 春の風に吹かれて花びらが舞いあがり、そして舞い降りる。桜色の雨の下で。


 ――――知っていた。


 彼女の背負った悲しい過去も、そしてこれからの過酷な運命も。


 陽ざしを溶かし込んだような淡い色の髪を、春の風に揺らして。

 桜に覆われた空を振り仰いで、彼女はそっとつぶやいたのだ。


「……異世界転生したい」

「ブフォッ」


 ……そんな過酷な運命シナリオ聞いていない。



 ◇◆◇


 運命なんていうものを信じなくなったのはいつからだろう。

 小さい頃は、運命にいつか巡り会えると思っていた。新学期の通学途中で転校生の美少女とぶつかったり、小さい頃に引っ越していった親友がとびっきり可愛くなって戻ってきたり、7年ぶりに訪れた街で再会したり、親方空から女の子が!


 小さい頃とか嘯いたけど、これ中学生ぐらいまでは思ってたクチですね……。


 それは良いとして……どれだけ長く夢を見続けていたところで、人はやがて気付く。この平和で平凡な現実に、いつか出会う運命なんてものはなく、それ故、今目の前の現実から逃れ出る特効薬なんてありはしないのだと。

 現実に運命シナリオは無く。

 

 それに気付いた大抵の人は、きっと、運命の無いこの現実に適合することを選ぶ。

 劇的じゃなくても素敵なことはこの世界にいくつもあるらしい。全力で青春を費やすに値する部活動だったり、趣味だったり。可愛らしい同級生の女の子と付き合うようになることだって、あるらしい。きっと……運命なんて大げさなものでなくても、それは素敵なことなんだろう。


 だけど、時折諦めの悪い奴も居て……。

 運命を――――劇的な出会いを、永遠の誓いを、一生に一度きりの恋を――――探し求め続ける人も居る。

 現実に無い運命を探し続けた人の行き着く果て。

 果たしてそれは、全ての願いの叶う天国なのか、あるいは癒えない渇きにもがき続ける無間地獄なのか。

 さてはて、これはそういうところに片足を突っ込みかけていた高校二年生である、平山裕太が巡り合った、ちょっとばかり現実だと正視するには過酷な出来事のお話である。

 

 運命を諦められなかった人の行きつく世界の果て――――人はそれを、『創作』と呼ぶ。

 


 朝の風景はいつだって平和だ。

 教室の後ろドアをくぐると、何人かの視線がちらりとこちらを向く。だけど、何も見なかったかのようにすぐに仲間同士でのおしゃべりや、読書へと戻っていった。

 まばらなクラスメイト。ベランダ越しに差し込む透明度の高い光。

 朝の時間は好きだった。教室を満たす空気はまだ静かで穏やかで。みんなが程よく自分達の空間に収まっている。

 これが人が増えてくると、教室という空間は、30人近くの人間に快適なパーソナルスペースを提供するには、致命的に狭いことが明らかになってくる。それぞれのグループの空間が重なり、押し合い、へし合い、居心地の悪い空気を生み出す。概ね態度も声も大きい連中が、窓際あたりに大きなスペースを占め、自己主張に乏しいソロ組は、隅っこの方で縮こまることになる。俺とかですね。


 それは、ぱらぱらとクラスメイトが増え、俺が肩を縮こまらせはじめたくらいの時間帯のことだった。


 ドアを引き開ける音がした。


 一瞬止まるクラスのざわめき。靴音がリズム良く近づいてきて、俺のすぐ前を通る。

 顔を上げた。


 ブレザーの背中に流れる、淡い色をした艶やかな髪、色白の頬はしかし血の色を透かして健康的で、切れ長の眼を覆う睫毛はびっくりするほど長い。

 クラスの雰囲気をがらりと塗り替えるような、美少女。


 その様子をまじまじと見てしまって……髪と同じように淡い色合いの瞳が、こちらを向いた。

 目が合う……目がはなせない。


「おはようございます、平山くん」

「え……あ、うん……お、おはよう……上原さん」

 

 詰まりかけた喉を、しかし咳払いなんてするのも見苦しく、掠れた声でなんとか挨拶を返した。

 霞むような……って表現が適切だろうか。ふんわりと微笑んで、彼女は、自席へと去って行く。

 

「おはよ、上原さん」

「どしたのー、平山くんとなんか挨拶して?」


 なんかとはなんだよ。

 彼女の席の周りには、すぐに仲の良い女子が駆け寄って行って、賑やかな空間ができあがっていく。

 当然のことながら、俺がその空間に入り込む余地なんてあるわけもなく、なんか扱いに抗議する勇気も無く、ぽつねんと一人また読書を再開するのみだ。


「……平山、見すぎじゃね? きもちわる」

「挨拶貰えてよかったよなー」


――――うぐ……。


 誰のものともつかないひそひそ声を浴びせられて、胃の辺りが重たくなった。絶対聞こえるように言ってるだろ。


 彼女はこの四月からの転校生。大分クラスに馴染んできている感じはするものの、まだちょっと特別な存在といった空気が残っている。東京から、長野の隅にあるこの割と田舎な街への転校で、どこか垢抜けた雰囲気を纏う綺麗な彼女に、なんとかして接点を持ちたいと願う男子は多いらしい。

 一方、俺、平山裕太は、生まれも育ちもここ。容姿はまだましな方なんじゃないかと希望混じりの自認を抱いているが、如何せんクラスの中心的存在とは言い難い。太陽系の惑星で例えると冥王星あたりかな……あれ、惑星から外れたんでしたっけ。俺もクラスメイトと認識されてるか危ういところあるからなー、ぴったりだなハハハ(自虐

 こういうことは気をつけていたはずなのに。別にクラスに馴染もうとも、みんなに好かれようとも思わないから、ただただ目立たず、居ないものぐらいに扱って貰って過ごそうと、細心の注意を払っていたはずなのに……不用意な注目と悪感情を浴びるはめになってしまった。


――――あいつ……。


 日の光を浴びて柔らかく暖かい色にきらめく、同級生の後頭部に呪詛の念を送る。

 賑やかに会話を交わす一団の中で、特段口数が多いわけでは無いのに、やはり一際目立つ彼女。

 時折横顔をがこちらを向くけれど、俺の呪念に彼女が気付くはずも無く……だけど、どうか逆恨みだとは思わないでほしい。

 

 だって彼女は……上原ひなたこそは。

 昨日の放課後、桜の木を見上げていた女の子その人なのだから。


 あの景色は、本当にそれはまるで一枚の絵みたいで……どこかの物語の中に迷い込んでしまったような心地がした。ずっと、見ていたかった気がした。

 正直、見とれていた。


 それをぶち壊した責任は、俺には無い。

 

――――異世界転生したい。


 そんな……俺じゃなかったとしても、誰一人として予想だに出来ないセリフを突然呟いた、彼女に全ての責任があると思うのですけど。

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