45 たった一人を目がけて、駆ける


 意識のすべてを奪うたった一人めがけて、駆けようとして。


「アドル様! 落ち着いてください!」


 隣のギズが、自分を馬ごとアドルの目の前に投げ出すようにして、アドルの行く手をふさぐ。


「どけっ!」

「どきません! お一人で出て、フェリエナ様をお助けできると!?」


 その名が、わずかにアドルに冷静さを取り戻させる。


 フェリエナの新緑の瞳が、真っ直ぐにアドルを見ている。

 蒼白な顔で震えながら。それでも毅然きぜんと背を伸ばして。


 そのすがるような眼差しに宿る憂いを、今すぐ打ち払えぬ己の無力さに、はらわたが煮えくり返る。


戯言たわごとは、もう十分だ」


 かぶとの面頬を下ろす。

 ギズが弾かれたように道を空けた。


「彼女は、お前などのけがれた手でふれていい女性ひとではない! 我らが女神を返してもらうぞっ! 総員、武器構え!」


 アドルの叫びに、騎兵と領民達が天まで震わさんばかりの声で応じる。

 

 煌めく剣と槍が、怒号と一緒に突き上げられる。

 砕かんばかりに、長槍の柄を握り締め。


「突撃っ‼」


 アドルの声と共に、歩兵達が駆ける。


 農民達に難しい戦術をこなすことなどはできない。

 集団となって前進し、目の前の敵と戦うだけだ。


 耳をつんざかんばかりに響く、武器が打ち合わさる音、怒号、悲鳴。

 ぶつかり合った互いの歩兵達の間で、すさまじい音が鳴り響く。


 どちらが優勢かは一目瞭然だ。ヴェルブルク領のほうだ。


 フェリエナのおかげで改善された食糧事情、迎撃側という疲労のなさ、そして自分達の村に攻め入られた怒りが、数の不利を覆していた。


見る間に崩れそうになる自軍の歩兵を見て、後ろに控えたランドルフ軍の騎兵達が動く。


 アドル側の歩兵達の前列を横から急襲する気だ。目の前の敵と必死に戦う歩兵達は側面からの急襲など予想もしていないだろう。ましてや相手は騎兵だ。襲われたらひとたまりもない。


「左だ! 敵の騎兵を迎撃する!」

 

 騎兵達に指示を出し、アドルは馬の腹を蹴ると真っ先に駆け出す。

 臨戦態勢をとっていたギズ達が即座に応じる。


 アドルは向かって左から回り込もうとする騎兵達に正面から応じるように馬を走らせた。


 毎日、アドル自ら手入れをしている愛馬は、主の意に応え、たくましい身体のすべてを使うように疾駆する。

 速度の上昇につれてひどくなる揺れを身体全体を使って吸収し、視線はひたりと前に据えたまま、ぶらさない。


 戦術的には、騎兵達が領民達に入り込んだ直後の側面を狙う方が正しいと、理性ではわかっている。

 だが、それではヴェルブルク領のために命を張っている領民達が無事では済まぬ。


 アドルは唇を引き結び、迫る騎兵達をひたと見据えて駆ける。じわりとにじんだ汗を初夏の風が吹き飛ばす。

 地を震わせるほどの馬蹄の重低音が鳴り響き。


 互いに一丸となった騎兵達が、歩兵達の戦う左翼でぶつかりあった。


 長槍を構えたアドルは、先頭の騎兵に長槍を突きこむ。


 皮鎧とあなどることはできない。厚く煮固めた皮鎧は、生半可な刃など通さない。また、角度によっては鎧の表面を滑ったり、柄が折れる可能性もある。


 ゆえに、狙うのは腕。


 鋭く突き出した穂先が、相手の肩口をえぐる。

 馬とアドルの体重、そして互いの勢いをのせた穂先が敵の腕をへし折り、吹き飛ばされるように敵が落馬する。


 騎手を失った馬とすれちがいざま、後続の騎兵がアドルに槍を突き出してくる。

 攻撃で体勢が崩れていたアドルは、敵の槍を装甲の厚い鎧の肩口であえて受け、衝撃を流す。


 二人目とすれ違ったと思った時には、すでに三人目の騎兵が目の前に迫っていた。


 落ちた速度を上げながら、アドルは三人目の騎兵に突きかかる。

 しかし、先ほどの兵と違って手練れらしきその騎兵は、速度の乗らぬアドルの槍を巻き上げるように上へと弾いた。


 かろうじて槍は手放さなかったものの、大きく胴が空く。


 その隙を見逃す敵ではない。手早く槍を手元に戻した騎兵が、振り下ろし気味に突いてくる。


 磨き抜かれた穂先が、陽光を反射して死神の鎌のようにぎらつく。

 勝利を確信した敵の顔が喜悦に歪む。が。


 アドルはあぶみももを締めつけて体勢を保持しながら左手を手綱から放す。


 逆手抜き打ちに放った剣撃が、敵の穂先を切り払った。

 貫通力を失った敵の槍がアドルの鋼の鎧に当たり、折れる。


「ふっ!」


 呼気とともに、アドルは長槍を渾身の力を込めて振り下ろす。


 敵の兜の側面に槍の柄が当たり、丈夫な樫の柄がへし折れるが、その衝撃で敵は意識を失ったらしい。


 相手が地面に落ちていくのを尻目に、槍を手放したアドルは左手の剣を順手に持ち替え、右手で手綱を掴んで馬の横腹を蹴った。


 混戦を抜け出したアドルは、馬首を返し先ほどの一合の結果を確認する。


 槍を受け、落馬する者。

 手傷を負い、体勢を立て直す者。

 敵を打ち取り、悠々と駆け抜ける者。

 痛み分けとなり、すれ違う者。


 様々な動きを見せる中、敵側は大きくまとまったままさらに歩兵達から離れるように左翼側へと曲がっていく。


 対してアドル側はそのまま歩兵達のすぐそばに留まった。


「アドル様! 敵が再度こちらへ突入してきます!」

 ギズが馬首を巡らせながら叫ぶ。


「ああ」

「ここはあの集団を追って……」


「駄目だ!」


「なぜです! このままでは、勢いをつけたやつらがここへ突っ込んできます!」


「我々がここから動けば、後ろの領民達はどうなる!?」


「っ!」

 アドルの叫びにギズが息を飲む。


「領民を守れぬ領主など必要ない! 民を守るのだ!」


 アドルの叱咤に、騎兵達がめいめいに武器を構え、歩兵達を守るように壁となる。


 騎兵とは矢のようなものだ。

 先端は鋭く、勢いをつけて放てば、あらゆるものを貫く。


 しかし、止まっている騎兵は脅威ではなく、側面から衝撃を受ければたやすく折れる。

 領民達を守るために騎兵が留まるなど、ランドルフならば愚の骨頂だと嘲笑するだろう。


 だが。


 アドルは剣の柄をぐっと握りしめる。


 来い。そのまま、脇目もふらず、真っ直ぐに。


 止まっているアドル達へと、転回を終えた敵の騎兵達が突進を始める。

 馬速を上げ、まさに長大な騎馬の矢と化して突進してくる。


 アドルはつばを飲み、剣を構え直した。


 あと数歩で敵の槍の穂先が届くというその時。


 突如、側面から別の一群の騎兵が現れ、ランドルフ軍の側面に突っ込んだ。

 予期せぬ伏兵に、ランドルフ軍の陣形が大きく乱れる。


 布に穴を穿うがつかのように、ランドルフ軍の騎兵の突撃を打ち破ったのは。


「エディス! 助かった!」


 見慣れた全身鎧の友人に、アドルは喜色に満ちた声を上げる。


 木立ちの向こうに、エディスの援軍の姿を捉えたからこそ、アドルは騎兵達の突撃の前に立ちふさがるという選択を取れたのだ。エディスの動きをランドルフ側に悟らせぬおとりとして。


 エディスが間に合うかどうかは賭けだったが、運命の女神はアドルに微笑んでくれた。


「アドル! ここはわたし達に任せてお前はフェリエナ様をっ!」

「感謝する!」


 エディスの声に叫び返し、アドルは馬首をランドルフの本陣へ巡らせる。


「続ける者はわたしに続けっ!」


 告げるなり、馬に拍車を入れ、矢のように走り出す。

 ギズをはじめとした数人がアドルに続く。


「ランドルフ様の元へ行かせるなっ! 何としても食い止めろっ!」


 敵の指揮官の声に応じ、本陣に控えていた騎兵達がアドル達の迎撃に突撃してくる。しかし、


「どけっ! わたしの前に立ちふさがる輩には容赦せんっ!」


 己の内から吹き出る怒りのまま、アドルはえる。


 長槍を失い、剣一本になろうとも、今ならば己の前に立ちはだかる者すべてをほふれる気がする。


 戦場の狂乱に囚われかけたその耳に。


「アドル様は真っ直ぐ進んでください。後はわたしが」


 幼い頃から常に隣で聞こえていた静かな声が届く。

 ここが戦場だと忘れてしまいそうなほど、いつもと変わらぬ落ち着いたギズの声。


 ギズの声を聞いた瞬間、すとん、とアドルの心がいつもの位置へ戻る。


 代わりに感じるのは、アドルの背を守ってくれるギズの気配。安心して後ろを任せられる存在を信じ、アドルはただひたすらに前へと駆ける。


 ランドルフを守っていた騎兵達が繰り出してくる槍を、自らが傷ついても構わぬとばかりに、鎧にこすらせるようにしてかわす。


 鎧などどうなってもいい。ただ一歩でも前へと心が叫ぶ。

 はやる心に突き動かされるまま、敵の只中ただなかを駆け抜ける。


 押し寄せる殺意の波がふっ、と途切れたと思った時には、アドルはランドルフ本陣の前へただ一騎飛び出していた。


 陣幕の前で叫ぶランドルフの姿を視界に捉える。

 そして、その前には。


 何よりも欲するフェリエナが、馬に乗せられたまま、無理やり引き出されようとしていた。


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