22 新妻への贈り物


 アドルやエディス達が狩りから帰ってきたのは、午後を回ってからだった。狩りの成果を持ち帰ったアドル達を、城の玄関先で迎えた下男達が、口々に歓声を上げる。


 兎や鹿、狐など、いくつもの獲物の中で、一番目を引くのは、立派な牙を生やした大きな猪だ。固い毛皮に覆われた大きな体は、たるのように大きい。


「茂みからこいつが飛び出してきた時は、危うく馬が棹立さおだちになるところでしたよ。怒り狂っていて、矢を射っても止まる気配もなく突進してきて……」


 馬から下り、獲物を積んだ荷車のそばで朗々と武勇伝を話すエディスの言葉に、フェリエナは思わずエディスの隣のアドルを見やる。


「大丈夫だったのですか!? お怪我などは……?」

 エディスが笑ってかぶりを振る。


「ご心配には及びません。アドルの奴、すぐに弓から槍に持ち替えて、猪めがけて突き出しましてね。一突きで、見事に討ち取りましたよ」


「よかった……」

 思わず安堵の息を吐く。

 猪の牙は大きく、鋭い。まともにぶつかれば死者が出ることもある。


 フェリエナの様子にアドルが苦笑する。


「エディスが大げさに言っているだけです。実際は危ないことなど何もありませんでしたから」


 話すアドルの服は、狩りで多少乱れているものの、怪我をしている様子はどこにもない。

 心から安堵の息をつくと、アドルの柔らかな笑顔が返ってきた。


「さあ、もう中に入っていてください。わたし達は井戸のそばで解体作業をしますので。見て楽しいものでもないでしょう」


「かしこまりました。狩りの成果を、厨房ちゅうぼうにも伝えておきますわ」


「いやー、今夜の夕餉ゆうげが楽しみだ」

 気の早いエディスにアドルが吹き出す。


「なら、豪勢な夕餉にありつくために、早く解体しないとな。頼りにしているぞ」



 ◇ ◇ ◇



 夕方近くになってから、フェリエナはパタタの様子を見に畑へ向かった。朝と夕方に畑の様子を見るのは、もはや日課になっている。


 少しでも水やりが楽なようにというアドルの計らいで、畑は井戸のすぐそばにある。

 まだ解体作業をしていたらどうしようかと思っていたが、フェリエナが顔を出した時には、すでに作業は終わり、ギズが下男達にあれこれと指示を出していた。


 肉は、干し肉や塩漬けに加工し、長い冬を越えるための貴重な食料となる。毛皮を商人へおろせば、貴重な現金収入だ。


「ギズ。兎の毛皮は売るなよ」

 ギズの采配さいはいにアドルが口を挟む。


「兎の毛皮だけ、残されるのですか?」

 フェリエナが何気なく尋ねると、アドルが言いよどんだ。


「その……。こちらの冬は寒さが厳しい。貴女が風邪をひいたりしては大変ですから」

 アドルが申し訳なさそうに視線を伏せる。


「申し訳ありません。新しい外套がいとうを贈れたらいいのですが……」


「とんでもありません! 外套はもう、持っておりますもの」

 ぶんぶんと首を横に振る。


「お気遣いありがとうございます。外套のふち取りなどに使わせていただきます」


 冬の寒さを心配してくれるということは、少なくとも、春まではフェリエナを離縁する気はないということだ。

 そんなことで、思わず目が潤みそうになる。


 二人のやりとりを眺めていたエディスが、口を開く。


「ところで、見慣れぬ花が咲いていますが……。あれは何の花ですか?」


 エディスが指さしたのは、パタタの畑だ。十日ほど前から咲き始めた薄紫色の花が、よく茂った葉の間から、顔をのぞかせている。


「パタタの花ですわ」


「ああ、あの新大陸から伝わったという。どうりで、見慣れないわけだ。可憐な花ですね」


「お気に召されたのでしたら、今夜の食卓に飾りましょう」

 ごつごつと不格好な実からは想像できないほど、パタタの花は可愛らしい。薄紫色の五枚の花びらを持つ姿は、星のようにも見える。


「一輪いただいてもよろしいですか?」


「もちろんです」

 フェリエナの返事に、エディスがパタタの花を一輪つみとり。


「……なぜ、わたしに差し出す?」

 エディスが眼前に差し出した花に、アドルが憮然ぶぜんとなる。


「奥方に贈るなら、実用的な物以外にも色々あるだろうが。お前のことだ。花なんて贈ったこともないんだろう?」


 確信を持って告げられた言葉に、アドルが押し黙る。確かに、アドルから花を贈られた記憶はない。


「可憐な奥方に、愛らしい花はうってつけだろう? お前が嫌なら俺が――」


「貸せ」

 フェリエナに伸ばされかけたエディスの腕を、アドルが乱暴に掴んだ。エディスから花を奪い取ったアドルが、フェリエナに向き直る。


「あの……」

「動かないでください」


 一歩踏み出したアドルの手が、フェリエナへと伸びてくる。

 武骨だが優しい指先が、ぎこちなくフェリエナの髪をかき分ける。指先が耳朶じだにふれ、くすぐったさに思わず身を固くした。


「……確かに、可憐な花は貴女によく似合う」


 フェリエナの左の耳元に花を飾ったアドルが、満足げに微笑む。至近距離での微笑みに、フェリエナは思わずうつむいた。


 頬が熱くなっているのが自分でもわかる。

 エディスに促されたとはいえ、人前でこんな風に手ずから花を飾ってもらうなんて、恥ずかしすぎる。


「あ、ありがとうございます……」

 蚊の鳴くような声で礼を言うと、困ったような表情が返ってきた。


「わたしに礼など不要です。気の回らぬ武骨者で……。礼ならエディスに」


「エディス様も、ありがとうございます」

 アドル以外なら、気負わずに礼を言える。


 にっこり笑って礼を述べると、なぜか薄く顔を染めたエディスが、笑ってかぶりを振った。


「いえいえ。可憐な奥方様に喜んでいただけたのなら、それに勝る喜びはありません。……初々しくて、こちらまであてられました」

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