第20話 死闘決着

 女王の間でレヴォルグに向かってロゼが勝ち誇っていると、レヴォルグの隣に魔法陣が光り輝き、先の尖った黒い大きな帽子とマントを身に纏うネーマが現れた。

 彼女はちらりとロゼを見やると、レヴォルグに一言だけ伝えた。


「失敗した」

「……そうか」

「謝罪する。君の担当で勝手に動いた挙句失敗するだなんて、言い訳のしようもない」

「構わないさ。ネーマが必要だと思って動いたんだ。寧ろ、私の覚悟が足りなかったと思い知らされたところさ」


 肩を落とすネーマに、レヴォルグは鷹揚に対応する。

 状況を確認したディアは、ロゼへと問う。


「ロゼ。一つ伺いたいのですが、ネーヴィス王女殿下達は無事なのでしょうか?」

「手は回したわ。間に合ったかどうか分からないけれど……」


 ネーマ達を見て、ニヤリと笑みを浮かべる。


「無事でしょうね。反応から察するに」

「そうですか。それは……本当に良かった」


 心底安堵した様子で、ディアは頬を緩ませる。

 その表情が意外で、ロゼは思わずを目を丸くする。誰かの身を案じて、感情を表に出すとは思いもしなかったからだ。

 ディアが非情だというわけではない。ただ、内心はどうあれ、そうした感情を相手に伝わる形で表情に出さない人だと、ロゼは勝手に思っていたのだ。

 ロゼが黙ってしまったことを訝しんだのか、不思議そうに声を掛けてくる。


「いかがしましたか?」

「少し、意外だと思っただけよ。誰かを心配する貴方が。顔、緩んでるわよ?」

「それは……」


 言われて初めて気が付いたのか、そっと頬に手を当て表情を確認している。

 触れたところで自身の表情なんて分からなそうだが、気になるのか、指先で頬をなぞり、顔の動きを確認していた。


「不思議です。誰かの無事を聞いて、安心するなんて思いもしませんでした。死ぬことなど、珍しくもないというのに」

「あら? 私は不思議だとは思わないわよ。顔に出したのは意外だったけれど、貴方は誰かを護ろうとする人だもの。身近な者が亡くなったのなら悲しんで、無事だったならば喜べる、そういう人らしい方だと、私は思っているわ」

「……そう、見えるのですか?」


 どこか確認するような問い掛けに、ロゼは断言する。


「間違いないわ。ロゼ・ベッセンハイト公爵家令嬢が言うんだもの。絶対に決めっているわ」


 胸を張って堂々と告げると、ディアはきょとんとした後、おかしかったのか思わずといったように笑みを零した。

 純粋で可憐な笑顔。思わず状況も忘れて見惚れてしまいそうになる程魅力的な表情で、見ているロゼの方が顔を覆ってしまいたくなるぐらい、無垢な感情が見て取れる。

 まさか、こんな破壊力魔法を所持していたとは。これではフランを馬鹿にできないと、ロゼが内心慄いていると、ディアは歩き出す。


「――では。最後の仕事を片付けて参ります」

「ええ。任せたわ」


 堂々とした足取りでのディアの背に向けて、ロゼはたったそれだけを告げ、自身の命運を託した。


 ――


 レヴォルグと向かい合ったディアは、これまでにない程落ち着いていた。

 ザンクトゥヘレでの生活は、彼であっても死と隣り合わせだ。平穏、という言葉から掛け離れた環境であるが故、気が緩む、ということがほとんどなかった。

 それも、レヴォルグという強敵を前にしてだというのだから、知らず心が壊れてしまったのかと、自身を疑いたくなる程だ。

 そんなディアの精神状態を察しているのか、レヴォルグもどこか落ち着いた声音で話し掛けてくる。


「珍しいな。君が、そのように怒りの感情以外を表に出すとは」

「ええ。私も不思議な心持ちです。ただ、悪くはありません。これが、彼女達が普段感じている平穏だというのなら、私の憧れも間違いではなかったと、そう思います」

「平穏への憧れ、か。私は、君にこそ、そうした世界で生きていてもらいたいと思っているのだがね」


 どこか悔やむようなレヴォルグの口振りに、ディアは首を振る。


「いえ。ネーヴィスに出会った時から分かっていたことです。羨みはすれ、ザンクトゥヘレに生まれたことに後悔はない、と。ただ、彼女達を見ているのは、好きです」


 だから、と。ディアは続ける。その表情は先程までの穏やかさとは一変し、苛烈なまでの強い殺気が瞳に宿る。


「私の好む平穏を壊す者は、何者であれ殺します」

「本当に。私は最後まで君を嫌いになれそうにはないよ。ディア」


 まるで、羨むように零すと、レヴォルグもまた表情を引き締め、大剣を構える。


「先程までの戦いせいで、あまり動けそうにないものでね。これで、終わりにさせてもらおう」

「こちらも、継戦は望みません。最後です。貴方を殺し、平穏を護りましょう」


 手に力を込め、レヴォルグの動きを注視する。

 レヴォルグもだろうが、先程までの怒りに任せた無茶な戦いで、身体にガタがきている。血は流れ、ふらつく足を意志の力でどうにか立たせている状態だ。

 本気で身体を動かせるのは、後僅か。

 互いに隙を伺い、どれだけ経ったのか。ディアは最後の力を振り絞って足に力を込めると、ただ一直線に踏み出した。

 相手も考えることは同じだったか。全くの同時にレヴォルグが踏み出すと、大剣を振りかざし、天上からの一閃を見舞ってくる。


「らぁああああああああああああああああああああああああああああっ!!」

「はぁああああああああああああああああああああああああああああっ!!」


 互いに怒号を上げ、拳と剣をぶつかり合う。

 弾く、受け流すなどといった小細工は一切使用しない、ただただ全力の一撃の打ち合い。

 退けば負けると、支える足は床を砕き、前に前に力を込める。

 絶対に負けないという意志によって、力と力が拮抗し、互いの動きを止めた。

 だが、それも一瞬のこと。


「ぐっ……」


 レヴォルグが苦悶を上げた瞬間、剣を掴み取るとそのまま握力で噛み砕く。

 ディアの腕力は驚異的だが、彼の握力もまた、巨竜を想起させる膂力であった。何かを掴むような特殊な形をした掌底を打ち込むのは、岩をも噛み砕く握力があった故だ。一度噛み付かれれば、相手を握り潰すまで離しはしない。

 竜の爪牙に匹敵する彼の手によって、レヴォルグの大剣は半ばが喰われた。

 そうして、流れるままに裏拳で大剣を叩き折ると、一歩踏み込み、下げていたもう一方の牙を引き、突き出す。

 巨竜の一撃をまともに喰らえばどうなるのか。吹き飛ばされて原型が残るなど生ぬるい。

 ディアが放った一撃は、レヴォルグの腹を喰らい、抉り取る。弾けたように噴き出す血液が、女王の間を床を汚し、血溜まりを作り出す。

 レヴォルグは、折れた大剣を手から零すと、喰われた脇腹を押さえながら、ふらつく。


「これは、また…………かはっ………………見事にやられたものだ……」


 そのまま、二、三と下がると、彼は崩れるように背から倒れ込んでいく。


「……」


 頬に掛かった血を拭いもせず、冷たい表情で倒れていくレヴォルグを見下ろしていると、レヴォルグが地に伏す前に、黒色の何かが彼を支えた。


「レヴォルグ。帰還する」

「別に……構わんでも、いいぞ…………」


 レヴォルグが背から床に倒れ込む直前、滑り込むようにして身体を割り込ませたネーマが、彼を支えたのだ。

 自分を捨ておけというレヴォルグの言葉に、ネーマはむっと感情を露わにする。


「私達アポステルは、仲間を見捨てない」

「本当に、君達は優しいな……」

「もう黙って」


 血を失い過ぎたせいか、顔を青ざめさせながらも、彼は笑みを浮かべる。

 これ以上取り合うつもりはないと、ネーマは転移の魔法陣を展開する。

 確かな致命傷。普通なら死んでいてもおかしくない傷だ。深追いする理由はないが、相手がレヴォルグである点を考え、ディアは転移させる前に止めを刺そうと前に出ようとした。

 だが、彼を止めたのは、またしても少女の声だった。


「ディア!?」


 今度は聞き間違えようのない、彼が一度護れなかったネーヴィスの声。振り向きたい衝動と、レヴォルグへの止めを考えた思考がぶつかり合って、ディアの動きが一瞬止まってしまう。

 我に返った時には手遅れであり、レヴォルグ達は転移魔法を発動さえる瞬間であった。姿が掻き消える最中、レヴォルグはディアへと言葉を残す。


「今回は……敗北を認めよう。だが、我々の第一の目的であった聖具の回収は……果たし…………た。もし、生き残ったなら……今度は…………アポステルの第九使徒……レヴォルグ・イクザームとして相まみえよう」


 そう、言葉を残し、レヴォルグとネーマは女王の間から姿を消した。

 残ったのは、血に濡れたディアのみ。


「……」


 彼は、レヴォルグが消えた場所を見つめていると、とんっと、背中から誰がぶつかってきたのを感じた。

 首を回して背中側を見ると、ぎゅうっと両手でディアのコートを握ったネーヴィスが、顔を押し付けていた。

 何も言わず、すすり泣く少女にどうしたものか悩むも、しなければならないことを思い出し、しっかりと言葉にする。


「約束をしたのに、護り切ることができず申し訳ありませんでした」


 結局、かつて交わした約束も、自身の決意も護ることができなかった。

 自分は強い。そう自覚しているディアだからこそ、この失敗は力不足ではなく、自身の油断が招いた結果だと、情けなく思う。

 どんな罵倒も受ける覚悟であったが、ネーヴィスはコートで顔を隠したまま、ぐりぐりと顔を左右に振った。


「良いの、です。貴方は約束を護ってくれました。こうして私は生きていて、貴方も、生きてくれています。今は……それだけで十分です」

「そうですか」


 くぐもった声でそれだけ告げられ、彼女はしばらく、ディアから離れようとはしなかった。

 動くことも叶わず、困ったとばかりに顔を上げれば、いつの間にか集まっていたのか、ヴェッテやユースなどといった面々の騎士達が顔を揃えていた。その中には、顔に影が差したフランも見え、無事であったことに安堵を覚える。

 視線を移せば、ロゼが見知らぬ女性騎士と話しており、ディアの視線に気が付いた彼女は、笑顔を浮かべて声を掛けてきた。


「お疲れ様。ディア」

「……ええ。お疲れ様です。ロゼ」


 言われ慣れない労いの言葉。ややぎこちなく返したディアだったが、こんなちょっとしたやり取りに、少しばかり気持ちが軽くなる。

 こうして、ロゼ達令嬢の救出から始まったレヴォルグとの戦いは、一先ずの終わりを告げたのであった。

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