第6話 夜、ディアとの会話

 音もない、静寂が支配する牢屋内。

 陽の光も当たらない場所故に、昼なのか夜なのか分からない。そのため、ディアとフランが通路の篝火を消した時間帯を夜と定めていた。

 牢屋内では、誰もが簡素な毛布を身体に掛け、微かな寝息を零しながら眠っている。

 令嬢達の中で唯一起きているロゼは、穏やかに眠るリーリエを見て微笑む。

 リーリエや令嬢達を起こさないよう、静かに立ち上がると、ロゼは鉄格子へと近付く。

 牢の外では、鉄格子に背を預けて座るディアと、彼の肩を借りて眠るフランの姿が見て取れる。

 ロゼは鉄格子を間に挟み、ディアと背を預け合うように座った。そうして、囁くような小さな声で話し掛ける。


「起きてる?」

「眠れませんか?」


 やっぱり、と。

 即座にディアから返答があったことに驚きはない。

 彼も周囲に気を使っているのか、その声は小さい。


「眠れませんか、じゃないわよ。貴方こそ眠りなさいよ」


 ロゼ達が捕らえられてから数日。

 ディアが一切眠っていないことを、ロゼは知っていた。それが、誰でもないロゼ達のためであることも理解している。けれど、この程度のお小言ぐらい許して欲しい。心配するな、というほうが無理なのだ。

 だからといって、自分達の身の安全を考えれば、強く拒絶もできはしない。


「けれど、丁度いいわ。少し、貴方と話したいと思っていたのよ」

「何か伺いたいことでも?」

「お礼、よ。リーリエを助けてくれたことのね。――ありがとう。貴方のおかげでリーリエは救われたわ」


 背を向け合っているため、顔を合わせることはないが、ロゼは真摯な気持ちを声に込めて感謝を述べた。


「……? 貴女にお礼を言われる理由がわかりません。私は、リーリエという少女に薬を与えました。しかし、貴女には何もしていません」


 不思議そうな声。

 まるで、ロゼがリーリエのことでお礼を口にするのはおかしいと告げるようなディアに、やれやれとばかりにロゼは苦笑する。

 どうにも彼は、他人に向ける感情というものの理解が薄いようだ。

 少しでもこちらの気持ちが伝わればいいなと、ロゼはぽつぽつと語り出す。


「公爵家って分かるかしら?」

「貴方達の国における身分制度の位、という認識です」

「そ。それも最上位の、ね。王家に次ぐ権力者と考えてもらって構わないわ。で、私はその公爵家の令嬢。王に次ぎ権力者の娘だもの。大抵の者は対等に接してくれることはないわ。取り入ろうとする者、敵対する者。様々だけれど、対等と呼べる者は近付いてこない」


 確固たる権力を持つ故の孤独。

 貴族であれ、これが男爵や子爵であれば違ったのだろうが、ロゼは公爵家の者だ。貴族階級という身分制度がある以上、対等な関係など望めるわけもない。


「貴女は、対等な者がいない自身の立場を捨ててしまいたいと、そう考えているのですか?」

「まさか。自身の立場は理解しているし、捨てたいなどと思わないわ。地位も、権力も、お金も、あって困るものではないもの。だからこそ、私は現状を是とするわ。けど、ね? それでも、対等に話し合える関係を望むこともあるのよ」


 公爵家令嬢という立場に不満はなく、それ故の弊害も受け入れよう。

 そもそもロゼは元来面倒臭がりであり、人と接するのさえあまり好まない。誘拐という不測の事態でなければ、率先して前に出て行動するなどもってのほかだ。

 そのため、干渉されないというのなら面倒がなくてよいのだが、一切干渉されないというのも、寂しいものなのだ。

 ロゼのそんな内心を誰かが聞けば「我が儘な」というだろうが、知ったことではない。ロゼは我が儘なのだ。


「対等に話し合える相手。それが彼女だと?」

「ええ、そうよ。きっかけは私からだけど、リーリエは相手が公爵家令嬢であっても、取り入ろうすることなく、嘘偽りなく接してくれたわ。珍しいのよ? 私の言葉を鵜呑みにしないで、ちゃんと受け止め、肯定であれ否定であれ、自身の言葉を返してくれる相手というのわ」


 当たり障りのない、ロゼを持ち上げるだけの言葉とは違う、真摯な対応。

 しっかりと考え、肯定だけでなく否定もしてくれるリーリエと接するのは、とても楽しい。


「だから、私はリーリエが大好きだし、彼女を救ってくれた貴方に感謝をするの。私の大切な親友を救ってくれてありがとう、ディア」

「…………」


 感謝を述べるロゼに、ディアはしばし黙り込む。

 反応は返ってこないが、元より自己満足のお礼だ。言いたいことが言えて満足したと、ロゼはリーリエの傍へと戻ろうとしたが、ディアがぽつりと呟いたため、動きを止める。


「……少し、貴女方が羨ましいですね」

「私達が?」

「ええ」


 意外なディアの言葉に、ロゼは目を丸くする。

 出会ってから数日程度だが、ディアがそのような感情を口にするとは思わなかった。ロゼ達を助けようとしたことからも、相手を気遣う心がないわけではないだろうが、他人の意見に感情を揺らすような人ではないと思っていたために、その驚きは大きい。

 ロゼの驚きなど気が付いていない様子で、本当に羨ましいなどと思っているのか疑問に感じる程淡々とディアは語る。


「平穏の中、疑うことなく相手と信頼し合える関係というのは、ここにはありませんから」

「それは、フランも?」

「……さあ? どうでしょうか。私には分かりかねますが、彼女との関係を信頼し合うとは、言えないと思っています」


 ディアとフラン。

 ディアからの感情は読み取れないが、フランからは一身に彼を信頼しているのが誰でも分かる。それでも信頼し合えていないというのなら、ディアが彼女を信頼していないということなのか。

 根掘り葉掘り聞きたくなる気持ちが疼くが、ロゼに対するディアの心証が悪くなるのは避けたい。女性貴族特有の噂好き精神を堪え、訊きに徹する。


「ただ生きるためだけに、殺し、奪う。この地に住まう者は、貴女達からすれば最底辺の屑でしかないでしょう。無論、私も含めて」

「私は、貴方を屑だなどと思わないわ」

「いえ、屑ですよ」


 理由はどうあれ、一切関係のないロゼ達へと危険を顧みず手を差し伸べてくれるディアが屑であるはずがない。

 そうした確信からの否定だったが、ディアは即座に否定した。


「悲観しているつもりはありません。私はディア・ファーリエという個人として生まれ、ザンクトゥヘレで生きることに何の憂いもありはしない。けれど、貴女達のような生き方もあるのだと知った時には、そのような生き方もあるのだと憧れを抱きました。ロゼ。貴女と同じです。自身の立場に何も不満はないけれど、それでもと思ってしまうことがある。それだけです」

「……そう」


 ディアは語ることは語ったというように、もう話し掛けてくることはなかった。

 背中合わせで座ったまま、ロゼはディアについて考える。

 ザンクトゥヘレという人が生きるには劣悪な環境で育ったディア。彼がどのような思いで生きてきたかなど、ディアと接した短い時間では分かるはずもない。

 自身のことを屑と貶めながらも、今の自分に何の不満もないという確固たる強さを持つディアに慰めなど必要あるまい。

 そも、ディアが自身のことを話してくれたのも、ロゼへの返礼でしかないのだろう。ロゼの押し付けがましいお礼に対して、彼なりの気遣いで自身のことを語ってくれたのだと思う。

 そうでなければ、ディアは自身の感情など他人に語りはしないだろう。信頼し合える関係が羨ましいという彼の言葉が真実なのであれば、信頼していない相手に語る内容ではないのだから。

 故に、これ以上の言葉は余分だ。意味のない言葉だ。

 そう理解しながらも、いつの間にかロゼのは口は開いていた。


「ディア。貴方が自身のことをどう思っているか、私には分からないわ。たかだか数日程度過ごしたぐらいで、理解したなどとおこがましいことは言わない」


 けれどね、とロゼは敢えて断言する。


「――こうして誰かのために手を伸ばせる貴方は、きっと平穏の中で生きる資格がある。貴方ではなく、この私、ロゼ・ベッセンハイトが認めるわ」


 ディアの反応など待たず、言い逃げするように機敏な速さでリーリエの元へと戻り、毛布を被り横になる。

 まさしくエゴ。

 ただの押し付けの言葉に意味はないと理解しつつも、口に出さずにはいられなかった。

 それでも、ロゼは満足し、気分が心地良かった。

 相手がどう思おうと知ったことではない。ロゼは自身が満足すればそれでいいのだ。

 なにせ、ロゼは我が儘な令嬢なのだから。

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