はじまる

 特公行は、依然、沈黙している。それが息を吹き返す前に、ことを成す。

 早ければ早いほど、よい。平賀博士の傷の完全な回復を待つわけにはいかなかった。

 多少の痛みは、我慢できる。しかし、人類に、未来に、これ以上の痛みを強いることは出来ない。

 その痛みの一部を作り出した責任。自らが求めた力の、代償。

 それを清算するのだ。


「大丈夫か、黒猫」

 自動運転のタクシーの中、黒猫に声をかけてやった。まだ何もしていないのに平賀博士がそう言うものだから、黒猫は小首を傾げた。

「傷のことがあります。ご無理をなさらぬよう」

 答えられぬ代わりに、平賀博士のことについて述べた。

「ありがとう。お前が一緒なら、心配はない」

「最善を尽くします」

 かつて東京と呼ばれたこの街を覆いつくすようなコンクリートと金属の山。相次ぐ大災害や大地震にも人は懲りず、何度も何度も作り直してきた。その度、この山は大きく、強くなってきた。これも、一種のホメオスタシスなのであろうか。

 その隙間を縫うようにして通された道を、二人はゆく。

「黒猫」

 平賀博士が、また口を開いた。

「私は、後悔はしていない。お前を造り出したことを」

 黒猫は、黙ったままである。

「私は、後悔はしない。今から、何が起きようとも」

 やはり、黒猫は、答えない。

「黒猫」

 無機質な瞳が、平賀博士を映した。

「お前には、私の娘の血が入っている」

「先日、その情報は記憶しました」

「だがな、お前は、私の娘ではない」

「わたしは、博士によって造られた、ヴォストークです」

「違う。そうではない」

 黒猫は、小首を傾げた。

「私の娘ではない。全く、別のものとして、お前を大切に思っている」

 このようなとき、どうすればいいのか、黒猫は知っていた。

 そっと、平賀博士の手を取った。

「もうすぐだ」

 平賀博士は少し微笑み、また視線を前に戻した。


 時速五〇キロメートルで、人が流れ去ってゆく。その全てに命があり、人生があり、目的がある。

 鳥。何のためにかは分からぬが一箇所に集まり、羽を休めている。窓は閉めているから何も聴こえぬが、その声を自律制御システムの中で再生することが出来た。そのひとつひとつの命。

 それら全てを追い越して、二人はゆく。

 その向こうにあるものを、二人は知らない。

 車はやがて目的地へ。ここから、更なる目的地へと、自らの足でゆくのだ。


「黒猫、いいか」

「はい」

 黒猫は、自らを強制的に休眠スリープ状態にした。戦闘モードは、起動したままである。

 平賀博士は、巨大なSRC造の建築物のエントランス前で、その状態の黒猫を引きずるようにして、タクシーから降ろした。斎藤が、それを待ち受けていた。

「今日出社して、はじめて聞いた。今日、何かの演習があるらしい」

「演習?」

「詳細は、分からん」

 集合エントランスのゲートを、斎藤のIDで開いた。受付を行っている機巧は、斎藤の身分を確認し、

「お帰りなさいませ。広報部次席課長、斎藤さん」

 と通り一辺倒の挨拶を述べただけであった。

 そのまま、研究棟へ。途中から、斎藤が黒猫を背負った。

「斎藤課長、それは――?」

 途中、すれ違う研究員が、声をかけてきた。

「アイちゃん。政府の、ヴォストークだ。どういうわけか機能停止しているらしいから、運んできた」

「ほんとうですか。早く、第一研究室へ」

 その研究員の案内を受け、第一研究室と呼ばれる広大な施設へと向かい、入り口を開かせた。そこへ黒猫を運び込み、寝台に寝かせた。

「主席技師を、呼んできてくれ」

「分かりました」

 駆け出してゆく、研究員。

 しかし、その足音は、研究室の出口で、悲鳴に変わった。


 胸を刺し貫かれ、うなだれる研究員。つい先程までものを考え、言葉を発していた命が、消えた。

「くそっ、ヤバい」

 斎藤が、後ずさった。

「露見していた――?」

 平賀博士が、腰からハンドガンを抜き、スライドを引いた。

「見つけた」

「くろねこ」

「殺す」

「殺さないで」

「助けて」

 強化人間。

 それが、この研究室に、ゆっくりと入ってくる。

「人には、あらかじめ、他者を攻撃する遺伝子があるらしいな」

 斎藤は、恐怖と諦念のためか、わけの分からぬことを口走っている。

「こいつらは、それに支配されている」

 ゆっくりと、後ずさりをしながら。

「信じられるか。培養液の中の細胞が、僅か一年ほどで、大人の身体になるんだぜ」

 平賀博士が、発砲。その弾丸に撃たれた二体が、倒れた。やはり、脆い。ほとんど、生身の人間と変わらない。

「黒猫のコートの中に、銃がある」

 なおも弾丸を撃ちながら、博士は叫ぶように言った。斎藤は、言われた通り黒猫のコートの中を探り、ハンドガンを取り出した。

「撃てるか」

「撃てるわけ、ないだろう」

 とりあえず、平賀博士がしていた通りにスライドを弾き、映画などで見た通りに構え、引き金を引いていた。これで安全装置セイフティがかかっていれば、彼は混乱し、撃てなかっただろう。

 一発発砲すると、肘から先が吹き飛んだかと思うほどの衝撃がある。

 その弾丸は一体の肩にあたった。

「痛い、痛い――」

 苦痛の声を上げる、強化人間。

「こりゃ、たまらないな」

「ためらうな、斎藤」

 平賀博士が、十六発の弾丸を撃ち尽くした。

「だって、こいつら――」

「人と、思うな」

 空の弾倉を捨て、新たなそれを再装填し、ロックされたスライドを戻す。そして、また撃つ。

 強化人間どもも、ハンドガンを構えた。平賀博士と斎藤は、揃ってデスクの陰に身を隠した。

 発砲。

 その間隙を縫い、手だけを出し、応射する。あちこちで火花が上がり、硝子は割れ、室内は散々な有様になっている。

 狙いを付けようと上半身を出した斎藤が仰け反り、絶叫する。

「大丈夫か!」

 平賀博士には、それを顧みる余裕はない。

 まだ、あと十体ほどはいるか。平賀博士は、残りの弾を撃ち尽くした。

 硝煙の匂いが、立ちこめている。

「銃を、よこせ」

 斎藤が、呻き声を上げながら、寝転がったまま銃を渡してくる。

 肩から出血している。すぐに生命に危険が及ぶことはないであろうが、重傷であることに変わりはない。


 これは、人が作った道具。

 人の形をしていた。

 いや、人そのものであった。

 何の経験も与えられず、ただ本能のままに、人を殺す人。

 それを前に、平賀博士は、斎藤の銃に残された弾丸を撃ち尽くした。何発撃ったかは、分からない。射撃をしながら残段数を数えるような訓練は、積んでいない。

 何発目かで、またスライドがロックした。強化人間は、まだ五体ほどが残っている。それらが握るハンドガンの銃口が、一斉に平賀博士の方を向く。

 平賀博士は、眼を閉じた。彼には、失うものはない。失ってはならぬものを、全て失っていたからである。しかし、失ったあとの生の中で、得たものもあった。それは、黒猫であった。

 作戦は、失敗した。緒方がどのような方法でこの作戦を知ったのかは分からぬが、襲撃を見越し、強化人間を配置していたのだ。平賀博士は、その目的を果たすことも自らの恨みと怒りを癒すことも出来ぬまま、今、死ぬのだ。


 発砲音。

 それが、天井や壁を駆け回った。

 どうやら、即死すれば、痛みもないらしい、と平賀博士は思った。彼もまた生物である以上、痛みを嫌う。背の痛みだけが、疼くようにして残っているが、弾丸が体内を食い破る痛みは、一切無かった。

 風。

 即死していても、それは感じるらしい。

 そして、よく知った匂い。

 綺麗好きな黒猫は、その香りを漂わせながら、いつも自分に入浴を勧めてきたものだ、と彼は思った。

 おかしい。

 即死しているのに、黒猫の匂いが再生されるとは、どういうわけか。硝煙の中にあるそれを、嗅ぎ分けられるというのは、一体どういう働きによるものなのか。

 さすがに、理解した。

 ただ、自分が眼を閉じているだけなのだと。


 恐れ。

 それを振り切り、眼を開いた。

 どうやら、ほんの一瞬しか、時間は流れていなかったらしい。

 二度目の、発砲。

 真っ黒なケプラー繊維のコートが翻り、その弾丸を止めた。

「ご無事ですか」

 黒猫。休眠状態から、ひとりでに覚醒したらしい。腰から、二挺のハンドガンを抜く。

 五発。それで、強化人間は全て沈黙した。

「黒猫。どうやって、休眠状態から――」

 黒猫は二挺のハンドガンにそれぞれ再装填をしながら、答えた。

「休眠状態に入れば、自発的に覚醒出来ませんので」

「だから、どうやって」

 黒猫が振り返る。その眼に、ぽかんと口を空けたような顔をしている平賀博士が映っていた。

「簡単なことです。休眠など、しなければいいのです」

「――まさか、寝たふりを?」

「おはようございます、博士」

 ホルスターに、ハンドガンを戻す。

「おい、何でもいいから、どうにかしてくれ。痛ぇ」

 斎藤が、泣き声を上げた。彼には悪いが、平賀博士は、苦笑を禁じえない。

 まさか、黒猫が、狸寝入りをするとは。

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