あたしは返事をしなければいけない。



「――何故、君は泣くんだ?」


 頬に触れるひんやりとした手の感じが伝わってくる。あたしがそっと目を開けると視界は歪んでいて、でもそばにいるのがルークであることはすぐにわかった。あたしの顔を覗き込むようにしている。心底不思議そうなその問いに、あたしは彼の手を払い、手の甲で涙をごしごしと拭う。


「……悔しいからに決まっているじゃない」

「悔しい……? どうして?」


 寝かされていた台に片手をつき、上体を起こす。ルークはその台に腰を下ろしていた。自分がいる場所がよくわからなかったが、真っ白な石で造られた広い空間の中央にいるらしいことがかろうじて把握できた。

 あたしは問いに答える。


「だってあたし、やり残したことがあるって気付いちゃったんだもん」


 休まずに道場に通い続けたのは、強くなりたかったからだけじゃない。マイトに会って、認めてもらいたかったからなんだ。そばにいても足手まといになることがないくらい強かったら、どんなときでも近くにいてくれるんじゃないかって、心のどこかで思っていたからなのよ。


 ――ま、まぁ、マイトとしては、あたしを守れるくらい強くならなきゃそばにいる資格がないって考えていたみたいだけどさ……。


 とにかく、あたしはマイトに返事をしなければいけない。

 好きだ、の返事を。


「やり残したこと、か。――もしもそれが愛の告白なのだとしたら、諦めておいた方が無難だよ」


 ルークは顔を隠していた布を払い、面白くなさげに言う。


「な、何でよ?」


 あたしは心の中を覗かれたような気分になり、むっとしたまま彼を睨む。


「死ぬことがわかっている相手から告白されても、戸惑うだけだから。――実際、残されてみてよくわかったが」


 反論しようとして、しかし、彼が奇妙なことを言っているのに気付いてやめた。


 ――実際に……?


「……ルーク、それ、どういうことなの?」

「おや? 興味があると? 僕の身に起きた実に無意味で陳腐な物語に」

「あたしのやり残したことを諦めさせようというつもりなら、是非聞かせて欲しいものだけど?」


 ルークが皮肉るように言うので、あたしは煽るように返す。

 すると彼はあたしを引き寄せてぎゅっと抱き締めてきた。


「ちょ……ちょっと、いきなり何……?」


 焦ってもがくが緩める気配はない。もともと勝てる相手ではないのだ。あたしが諦めて身を任せると、ルークはあたしの頭を優しく撫でた。


「――クロードかマイトを常にそばに置いておいたのは正解だったね。二人きりになってしまったら、自分を抑える自信がない」

「が、頑張りなさいよ。あたしを襲ったら、呪うわよ!?」

「呪う、か。それも悪くないかもしれないな」


 ぐらりと視界が動く。あたしは再び台に寝かされ、覆いかぶさるようにルークが姿勢を変えた。


「あたしは良くないわよっ! ってか、話はどうしたのよ、話は!?」

「どうしても彼女を思い出すと、君に触れてみたくなる」

「そういう問題じゃないでしょっ!?」


 ぎゃあぎゃあ騒いでいると、ルークはくすっと笑った。


「……?」

「僕が襲うって、本気で考えているのか?」

「お……思いたくないけど、魔がさすってこともあるんじゃないの?」


 それにこの体勢、身に覚えがあるだけに危機を感じるのだが。

 それにそれに。うっかりここで彼があたしを抱いてしまったら、今期の選出者は神を倒す前にその資格を全員が失ってしまうことになり、非常に困る展開のはずである。ルークが神の交代を望んでいるのであれば、絶対にそれだけは避けたいはずだ。


 ――望んでいない場合、結構危険なんだけど。


「君が彼女に似ているのがいけないんだよ」

「知るかっ、そんな都合!」


 あたしが吠えるように叫ぶと、彼は切なげな表情を浮かべて呟いた。


「――僕は欲に任せて彼女を抱いておけばよかったのかな……?」

「彼女って……先代の月影の乙女のこと?」


 問うと、ルークは静かに頷く。


「抱いていないってことは……やっぱり、あなた、今の神の側近なのね?」

「――もう、嘘をつく必要はないから、全部教えておくか」


 言って、上から退く。あたしを押し倒したのはからかいたかったからか、それとも、本当に触れてみたいと思ったからなのだろうか。ルークの本心は見えにくい。彼が嘘に慣れすぎてしまっているから、伝わりにくいのだろうか。もしもそうなら、悲しいことだと思う。

 あたしは起き上がると、ルークから距離を取った場所にぺたりと座る。手がすぐに届かないだろうギリギリの位置。離れてみたところで本気になったルークを追っ払うことなんて到底無理なんだろうけど、こういうところから油断しないに限る。


「……警戒してるね。良い心がけだ」

「そっちもしっかり自分を保ちなさいよ? ――で、話の続き」


 少し寂しげに微笑むルークに、あたしは話を促す。


「彼女は僕がこの世界で一番愛した人だった。だから、選出者の規則に従い、彼女が選出者になった」


 彼はどこか遠くを見つめ、ぽつりぽつりと語り始める。

 それは、結末のわかりきっている切ない恋物語。


「当時は貧富の差が激しく大規模な戦争があった時代。貴族の家に生まれた彼女は家を守るために生まれたときから許婚がいるような身分の娘で、僕は彼女の家を守る兵士として長年仕えていた家の息子として育てられた。もちろん、養子だったがね。僕に流れる膨大な魔力が魅力的だったのだろう。しかしそんな身の上はさておき、僕は彼女を守るため、戦闘訓練ばかりの日々を送っていた。――そんなある日、神の側近から神の使いであることが知らされ、選出者として彼女を差し出すように言われた。拒否するなら、その場で殺すとまで告げられ、守るために僕は彼女を選出者にした。理不尽な思いを抱えたまま」


 怒りを思い出したのか、彼は奥歯をぎりっと噛み、端正な顔を歪めた。そして同じ口調のまま続ける。


「彼女は自分が女性であることを非常に嫌悪している方だった。自分が男であれば親の言うことに従って結婚させられることもない、自分の道を自分で選べる、そう考えていらっしゃったのだろう。そんな彼女に僕は、神を倒して新たな神を招くために一緒に出ていかないかと手を差し伸べた。決められた日々を送ることに退屈さを感じていた彼女が、今まで見せなかった嬉しそうな笑顔を浮かべて僕の手を取ったのを、今でもはっきりと覚えているよ」


 いつの間にか声に優しさが溢れていた。ルークのそんな声を聞くと意外だと感じるのとともに、その一面を出せないようになってしまった出来事の残酷さが想像できる。彼は決して元から冷たくて残忍な内面を持った人間ではなくて、優しくて温かな人柄だったのだろう。今、目の前で語る彼のそれが演技であったとしても、あたしはそう信じたい。

 あたしは何も言わず、ただルークの話に耳を傾ける。


「運命は残酷で、他の選出者と対峙することなく僕たちだけが残ってしまった。戦争が、他の選出者たちの命を奪ったのだ」

「!」


 ――戦争が……?


 どれほどの戦いだったと言うのだろうか。他の魔導師よりも長けているだろう神の使いがそばにいたにも関わらず、守れないだなんて。

 絶句していると、ルークは続ける。


「それを知った彼女は、今の神を倒し平和な世界を維持できる神を産むと決めた。戦争と貧富の差があるこの世の中では、誰もが幸せになれないと考えたのだろう。戦争の前線に立つことこそなかったが、僕とともに各地を回って見てきた人々の様子や、自身が感じてきた不満からこのままでいいはずがないと思ったんじゃないかな」

「じゃあ、死ぬとわかって、彼女は神を産んだの? あたしの知る、今の世界を作るために」


 あたしの問いに、彼は首を横に振る。


「騙されたんだ」

「騙された?」

「神の側近にね。――神を産み落とすことさえできれば、選出者から解放されて普通の生活に戻れる、そう聞いていたのに、彼女はそう信じていたのに……」


 ふと、選出者に任命されたときのことを思い出す。彼は、神を産み落とせば恋だの愛だの自由にしろと、そんなことを言っていた。そんな感じでそそのかされたというところだろうか。


「彼女は神を倒す前に言った。戦争のない平和な世の中になったら、ルークのお嫁さんになりたい。家を黙って出てきてしまった以上、戻るわけにはいかないのだから、責任を取ってくれ、と。互いに愛を語ることがなかった中で、たぶん、それが彼女の精一杯の想いの伝え方だったんだと思う。――そして、神を倒し新たな神を産み落とした彼女は、僕の手の中で冷たくなっていった。彼女が望んだ世界に、彼女の姿はなかったんだ」


 すっと、ルークの整った顔に一筋の雫が伝った。


「大抵の欲しかったものはすぐに手に入れることができたのに、一番欲しかったものだけ手にすることができなかった。彼女は僕に思いを打ち明けたのに、僕は何も伝えることができなかった。――こんな理不尽なことって、あるか? 彼女が望んだ世界を守るために、彼女のいない世界でずっと存在し続けなければならない僕の孤独を、誰がわかってくれるんだよ?」

「――だからって、あたしや他の選出者たちに同じ思いを抱かせようとするのは愚行だと思うわ」

「じゃあ、君は僕に救われるなと言うのか?!」

「違う」


 答えて、あたしはルークに近付くと、そっと抱き締めた。


「――もう、だいぶ楽になったんじゃないかしら? ずっと、聞いて欲しかったんでしょう?」


 あの涙は、悔しくて流れたものではない。彼女を想い、流した涙だ。だから、とても綺麗に見えたんだと思う。


「ミマナ……?」

「あなたを解放してあげるわ。先代の神の側近が邪魔しにこないところを見ると、神が代替わりした時点で側近としての役目が終わるってことでしょ? こんなところでそんな思いに縛られていないで、もっと自由に生きなきゃもったいないわ」

「だ、だが、神を倒し、新たな神を産み落とせば、君は――」

「そんな規則、あたしが壊してやるわよ」


 あたしはルークから離れて正面に立つと、ぐっと拳を握り締める。


「あたし、マイトとクロード先輩に言わなきゃいけないことがあるし、一緒に町に帰るって約束してるのよ。破るわけにはいかないでしょ?」


 そう。あたしには帰るべき場所がある。伝えたい思いがある。あたしは死ねない。死ぬわけにはいかない。

「だから、必ず死ぬんだぞ? そんな希望を持つよりも現実を見るべきだと言っているんじゃないか!」

「甘く見るんじゃないわよ!」


 あたしは両手を腰に当てて胸をそらせる。


「あたしには幸運の女神様がついているの。そんな切ない終わり方、あたしには合わないわ」


 きっぱり言ってやると、ルークは呆れたと言わんばかりの表情を浮かべる。


「まったく……僕の人生で最大の親切心に耳を傾けないとは、残念だ」

「未来に対して悲観したくないの。希望に満ち溢れた明日が来るべきだわ」


 それに。

 あたしには思うところがあった。前任の月影の乙女がそのような末路を辿ったのなら、ひょっとしたら、可能性があるような気がするのだ。


「もう勝手にしろよ。今の君なら、神を倒すことは容易じゃないかな」


 言って、ルークは一つの通路を指す。


「その先にある部屋に、神はいる。――いや、ある、と言ったほうが正確かもしれないが」


 ――ある?


 彼が言い直したその理由を問おうかと思ったが、行けばわかることなのでただ頷く。


「わかったわ。――ありがとう。ルーク」


 あたしは背を向けて、示された通路へと足を向ける。


「そうだ。ミマナ?」

「ん?」


 通路に入る直前で、あたしは呼び止められて振り向く。


「彼女が望んだ世界は、君にとって素晴らしいものだったか?」

「そうね――悪くない世界よ。あたしは素敵な世界だって思うわ」

「……良かった。僕が守ってきたこの世界が、君にとって良いものだったのなら、少しは報われた気がするよ」


 吹っ切れたような、ほっと安堵したような表情を浮かべるルーク。彼のそんな顔を見ることができて良かったと思う。


「じゃあ、あたし、行くね」


 手を振って、振り返してくれたのを横目に見ながらあたしは通路に足を踏み入れたのだった。

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