第5話 海の町

 しんどい、気持ち悪い、助けて。


 今、私は船の上にいる。そして本日二度目のグロッキーを味わっているところだ。詳しくは10分前、防波堤での会話から。


 「そういえばさっきおばさんと話していた人は誰だったの?」


 「さっきの人?ああ、あの人は船頭さん。本当はフェリーであっちまで行けるはずだったんだけど、今日の便はもう終わっちゃってたみたいでさ。そのことを相談してたんよ」

 

 船頭?フェリー?あっち?ちょっと何を言っているのか分からない。目的地はここのはずじゃないか。どうして船なんか乗る必要があるんだ?


 「おばさん、もしかしてですけど、今からフェリー観光するつもりじゃないですよね?」


 私はいたって真面目に聞いたのだが、おばさんは私が冗談を言っていると思ったのか、ニッコリ笑顔ではにかんでみせた。


 「残念だけどクルージングはまた今度ね。それであっち島までは船頭さんが送ってくれることになったの。荷物は先に届けてあるから二人送るくらい朝飯前だって。もう昼も済んだのに。本当に面白い人だよね」


 いや、たぶんだけど、あんまり面白くないよ。というか船頭ジョークは今はどうでもいい。話が知らないところで進み過ぎていてもう私の頭は混乱状態。ひよこが頭の上で回ってるよ。


 私の困惑した様子におばさんも気がついたらしく、無言でお互いに見つめあったまま首をかしげる。何だかフクロウがご対面している感じになってしまった。そういえばミミズクの「ズク」ってフクロウって意味で、耳のあるフクロウだからミミズクって呼ぶらしい。確かソースは誰がしの初耳学。

 

 埒が明かないと感じたのか、おばさんの方から齟齬の修正が始まった。

 

「こずえちゃんの下宿先がどこにあるか、私こずえちゃんに言ったっけ?」


 答えはノー。大きく首を横に振る。


「じゃあ今から船に乗るってことも言ってないよね」


 答えはイエス。これにはヘッドバンキングで応えたいくらいだ。私はちぎれんばかりに大きく首を縦に振った。

 次は私からの答え合わせ、というか今のおばさんからの質問で粗方の予想はとうについていた。こんなに気の重い答え合わせは初めてだよ。


 「あっち島ってもしかしてあれ?」


 先ほど砂浜でも見た、ちょうど向かい側にある大きな島を指差して聞く。


 「イエス」


 そう言われてもう一度、向かいの島を端から端まで眺めた。が、島とこちら側をつなぐ橋も道もどこにも見当たらない。

 そして私は恐る恐る最後の質問をした。


 「あの島までは船でしか行けないってこと?」


 「ザッツライト」


 ガクッと膝が砕ける音がした。力なくその場に崩れ落ちる。そして目の前にはすでに一隻の漁船がエンジン音をたてて待ち構えていた。


 そして今に至る。


 どうしてこんなにも絶望にうちひしがれているかというと、実は私、乗り物には滅茶苦茶弱い。車はもちろんだけど、船なんか乗った日には酔いがひたすらに襲ってくる。


 「ほらほらこずえちゃん、海きれいだよ海!」


 私のこの悲惨な状況を尻目に、おばさんは船の甲板で年甲斐もなくはしゃいでいる。

 さてはさっきの帽子の腹いせか。だとしたらまんまとおばさんにしてやられたよまったく。うっ、気持ち悪い。


 さしものカラフル帽子は、船から飛ぶといけないし、被っていてもまたおばさんの琴線に触れかねないので、持ってきていたリュックの中にしまい込んである。


 「お嬢ちゃん大丈夫か?」

 

 リュックを抱き寄せうずくまって居ると、操縦室らしい所から船頭さんがひょっこりと顔を出した。


 「その呼び方はやめてください……」


 多分今の「お嬢ちゃん」はツッコむところじゃなかった気がする。船酔いのせいで応対もちぐはぐだ。

 私はまるでゾンビみたいに船の縁にもたれかかってうなだれながらも、船頭さんに手でOKサインを送った。


 「いま出せたのはこの漁船くらいやけん。もうちょい我慢してくれな」

 

 「あいあいさー……」


 ひたすらに襲いくる吐き気とめまいに意識が持っていかれそうになりながらも、あと少しだからと言う船頭さんの言葉を信じ、必死に耐える。

キラキラした水面を眺めているとうっかり落っこちそうだ。

 

 そうだ、こんな風に酔ったときは近くじゃなくて、遠くの方を見れば良いんだった。確か他にも幾つか乗り物酔いの対策がテレビの番組でやってた気がするが、もう忘れてしまった。やっぱりなんとか先生の初耳学だったかな。


 そう思って船の前方をに頭を向けると、対岸からでも見えていた「あっち島」なるものがだんだんと大きくはっきりと見えるようになってきていた。


 近づいてみると意外と大きい島なんだな。島というと私みたいな都会暮らしの人は無人島とかこじんまりしたものを想像しがちだが、案外町一つが存在するほどに大きな島もあるらしい。


 感心していたのも束の間。景色を観るのすらも辛くなってしまい、ついに私は船上でノックダウンした。


 

 「こずえちゃん、着いたよ」


 肩をぽんぽんと叩かれて顔をあげると、忌々しい船の揺れはいつの間にかおさまっていた。


 「えーこの度はご乗船、誠にありがとうございました。どうぞごゆっくりお楽しみください、ってな」


 船頭さんがそれっぽい挨拶でおちゃらけてみせる。おばさんはそれを聞くと、条件反射ようにまた爆笑していた。どうやら船頭さんのギャグはおばさんのツボに入っているらしい。


 ここは対岸と同じ、船着き場のようで目立つように置かれた大きな看板には「ようこそ、渥池島へ!」と書かれていた。 

 なるほど、渥池であっちと読むのか。


 船から島に跳びうつると、まだ酔いが覚めきっていないのか、足元がぐらぐらと揺れる感じがして、思わずおばさんに寄りかかってしまった。するとおばさんは嬉しそうに微笑を浮かべ、私の腰の辺りを優しくさする。

 やはり間違いない。この人は変態だ。


 「ありがとうございます、船頭さん」


 おばさんが船頭さんに軽く頭を下げた。それをに続いて私もペコリとお辞儀する。


 「全然かまへんよ。こういうのも仕事やけん。かえちゃんは見送り終わったら帰るんやったね。わしもちょうどこっちに用事あるけ、ゆっくりお見送りしてあげんさい」


 かえちゃんとはおばさんのことで、本当はかえでという名前だ。

 強い訛りのせいもあってか、船頭さんの言葉が一層温かみを増して伝わってくる気がした。

 

 「こずえちゃんもこれからは同じ島民じゃけ、遠慮なんかせんと、いつでも頼ってな」


 「ありがとうございます」


 私たちはもう一度深く頭をさげて、船頭さんと船着き場にお別れを告げた。


 「どお?ここの人、いい人ばかりでしょ」


 下宿先に向かう道中、おばさんが自分のことのように自慢げに問いかけてきた。


 「ばかりってほど、この地域の人とは会ってないけどね」


 「もう、素直じゃないな、こずえちゃんは」


 でもまあ、少なくとも船頭さんが優しい人なのは伝わった。この島の人たちが良心的なのも、時間がゆっくり流れているかのようなのどかな自然や町並みのおかげなのかな。こんなことをおばさんに言ってしまうとまたつけあがりそうだから言わないけど。

 

 あ、そうだ。船頭さんだけじゃなかった。ここで会った人。浜辺のガキンチョどももそうだが、あのヒッチハイカー。彼に関してはこの地域の人どころかこの国の人なのかも怪しいところではあるが。

 「変な人も多いけど、いい人たちばかりだから」というおばさんの言葉を思い出す。私はもしかしたら、引っ越し一日目にして島民の特徴をすべて味わい尽くしてしまったのかもしれない。


 そんな馬鹿なことを考えながら歩いていると、道を少し登った先に木造の立派な家が現れた。近くの家屋と比べてみても一回りほど大きいその家は、周りの家屋の少なさのせいか、より目立って見える。


 「あそこだよ」


 私の視線を悟ったらしく、となりでおばさんが呟いた。この人はたまに私の心を読んで今一番欲しい物をプレゼントしてきたりするし、おばさんはもしかしたらエスパーなんじゃないかと思うほど勘が鋭い時がある。

 

 おばさんに言われて、もう一度視線を前に向ける。

 あそこが私の下宿先。新しい家なのか。

 そう分かった瞬間、胸が少し高鳴った。なんだ、今さら緊張しているのか私は。引っ越しも全部自分で決めたことじゃないか。もう後戻りはできないし、戻るつもりもない。

 

 でも、ただ一つだけ望みを言っていいのなら、どうか、絵に集中できるような静かな生活がおくれますように。

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