二話 怒らないで聞いて欲しい

 リーシェッド領のある大陸の最南端。余りにも生命の少ない荒れ果てた暗い岩平原の中央に、異物感を放ちながら存在する城がある。それこそが【孤王】ミッドフォールの住処。影を使い魔として使役する彼はずっとこの地で一人生活をしている。城下に町などなく、孤独を貫く一匹狼として各地で人気の高い彼だが、決して同族を嫌っているわけではない。ただ本人は生を受けて長いので隠居を決め込んでいるだけなのだ。


「ミッドォ!! 兄ぃ!!」


 そんなご隠居様の城を前に、割と新米な魔王は元気よく声を張り上げる。その横に立っていたメイド長は無表情ながらも、羞恥心から三歩後ろに下がった。

 叫んでから数秒ほど。地面から滲み出すように影が生まれ、その中から細い龍の形をした小さな化け物が姿を現す。


「ダレダァ! デケェコエダシヤガッテ!」

「ん? 門番のペティ・ジョーか。いたのならちゃんと立っていろ」

「リーシェッドカヨォ! カッテニハイレ!」

「門を開けてくれ。我が開けたら壊れるんだ」

「カーッハ! テメェハブキヨウダカラナ!」


 狂ったように笑う口の悪い使い魔は、そのまま影の中に沈んでいく。同時に大きな門が重々しく口を開くと、どこからかペティの声だけが鳴り響いた。


「オウセツマニイケ! アルジハフロダ!」

「また風呂か。長いんだよなミッド兄の風呂は……」


 頭を掻きながら城の中に入るリーシェッドとシャーロット。夜のように暗い室内で迷わないように、入口に常備されているカンテラに火を灯した。





 応接間で待つこと二時間。客人用にこの部屋だけは明るくしてあるから闇に鬱屈うっくつとすることはないが、ここまで長く待たされては我慢の限界だった。

 リーシェッドはソファから立ち上がり、腕を組んだまま内包する魔力を急激に高めた。


「リーシェッド様、何を?」

「ミッド兄ごと風呂を破壊してくる」

「その魔力だと、城ごと消えかねませんが?」

「それも面白かろう」


 冗談の欠けらも無い王者の眼光。シャーロットを相手にしていて多少は成長したが、リーシェッドは元々短気なのだ。


「風呂以外なら壊してもいいよ」

「ミッド兄!! 遅いぞ!!」


 いつの間にか部屋の隅の影から姿を現したバスローブ姿のミッドフォールは、湿り気を帯びる髪を拭きながらリーシェッドの頭をポンポンと叩いた。


「そう怒鳴らないでリーシェ。長い命、ゆっくりやっていこうじゃないか」

「人生観を説くんじゃない! 客人を置いて風呂を満喫するのは常識の問題だ!」

「常識のある王は門の前で叫ばないよ?」

「そ……そう、なのか?」


 軽く笑ったミッドフォールは、影を身体に絡ませて闇の衣をまとう。リーシェッドと形状のよく似たマントはその身体にピッタリとサイズ調整されており、いかにも強大な王の貫禄が出ていた。と言うより、リーシェッドが兄貴分であるミッドフォールの真似をしているだけである。

 リーシェッドの座っていたソファの対面に腰掛けたミッドフォールは、足を組んで本題に入る。


「会議も終わったばかりだと言うのに、領土の話をしに来たわけではないのだろう。別件かな?」

「あぁ、ミッド兄が編み出した廻廊について聞きたいことがあるのだ」

「廻廊?」


 ミッドフォールは目隠しの布を少し上げて足組みを解いた。彼の声色が少し低くなる。


「まさかと思うけど、この前言っていた人間界の侵略をするために廻廊を使ってアンデットを送ったら、よく分からない所に繋がったから正確な調整のやり方を教えてくれなんて言わないよね?」

「そそそそそそそそそんそんそんそん!!」

「リーシェッド様、『そんなわけないだろ? いくら我でも勝手はせん。王の立場もあるからな』です。ほら、練習通りに」

「お前は黙ってろシャーロット!!」


 寸分の違いもなく言い当てられたリーシェッドの心は乱れに乱れた。シャーロットのフレンドリーファイアまで食らってしまい、もう弁解の余地は完全に消え失せる。

 冷や汗をだらだらと流し、目を見開いたまま固まるリーシェッドを黙って観察するミッドフォール。彼女にとって、風呂の時間が短く感じるほど長い長い時の流れを感じていた。


「はぁ、本当にリーシェは根っからのじゃじゃ馬だね」

「うぅ……ごめんなさい」

「謝らなくていいよ。今起きていることは遅かれ早かれ必ず起こる。そういう因果さ。それに、僕はこの眼で『視て』いたからね」


 そう言って、ミッドフォールは目隠しをズラしてその目でリーシェッドを見つめる。

 ミッドフォールの目は【離見りけんの魔眼】と呼ばれている。生まれながらに莫大な魔力を宿し、『緋色の右目は時を知り、碧色の左目は境界を知る』と逸話が流れるほど特殊なものだった。過去と未来、世の果てまで全てを見る事が出来るという作り話のような能力だが、実際にその力で魔王に上り詰めている。本人は「心を読めないのが惜しい」とダメ出しをしていた。


「え、視ていたのか?」

「うん」

「なら同罪じゃないか。驚かせてくれるわこいつめ」

「……リーシェのそういうところ、嫌いじゃないけどさ」


 開き直りの速さは魔界一。手の平を返したリーシェッドはふんぞり返って膝を組むと、もはや逆に偉そうにミッドフォールを指差す。


「要件はわかっておろう。廻廊の調整はミッド兄がやればいいとして、もちろん我にも視せてくれるのだろう? 事の顛末てんまつを」

「……シャーロット」

「はい、後ほど教育の見直しを致します」

「任せたよ。ほら、この水晶を覗くといい」


 ミッドフォールはマントの中から直径二十センチ程の水晶を取り出すと、リーシェッドに投げ渡す。ミッドフォールがその目で視たものを記録する特別な水晶だ。

 リーシェッドとシャーロットは顔を寄せて中を覗く。映し出されたのはやはり軍隊の敷地内。夜に送り出したのに真昼間に大きな廻廊が出現し、訓練をしている兵士の前に次々とゾンビが姿を見せた。


「お……えぇ?」


 そして迅速に射殺されるゾンビ達。まるで握手会のように順番に現れては消されていくその光景に、リーシェッドは空いた口が塞がらなかった。


「銃って、こんなに速いの?」

「喋り方が昔に戻ってるよリーシェ」

「銃って、こんなに速いの??」

「二回言ったね」


 手持ちの資料は絵で表現されているからわからなかった。リーシェッドの目には弾すら見えず、透明な何かに当たって突然倒れていくゾンビ達。しかも、頭の欠片すら残らない程強力な銃まで持っている人間までいて、報告書の意味を理解する。


「水晶越しだから多少見えにくいだろうけど、たぶん避けるのはなかなか難しいよ」

「す、すす水晶越しだしな!」

「威力は見ての通りだけどね。防御魔法無しなら僕らも危ないだろうね」

「そ、そう……か」


 すくっと立ち上がったリーシェッドは、ミッドフォールに背を向けて天井を眺める。しばらくして、そのまま出口の方へ歩き出してしまった。


「もう帰るのかい?」

「あぁ、庭の木を数えたくなった」

「君の城に庭はなかったと思うけど、落ち着いたらまたおいで」

「世話になったな」


 ふらふらとした足取りで退室していったリーシェッドと菓子折を置いていったシャーロットを見送り、ミッドフォールはため息を落とした。


「だから反対したのにな」


 妹分が立ち直れるか心配しつつも、台風が去った後のような開放感に身を委ねる独りの王。

 その時間も束の間、リーシェッドと同じくらい声のでかい使い魔が騒がしく扉を叩き開けた。


「アルジィ!」

「うるさいよペティ。なんだい?」

「ソトヲミテクレェ!」


 気疲れしているのにと、重い腰を上げて窓の外を覗く。するとそこには、寂しそうな顔でミッドフォールを見上げる一匹のアンデットドラゴンがいた。


「置いて、行かれたのか……」


 そして、ミッドフォールの家族が増えたのであった。

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