『悪役令嬢喫茶 ジェノヴァ』からの誘(いざな)い

宇枝一夫

序章 Invitation écrite(招待状)

第1話 Precious Gift

 土曜日の午後五時前。

 沈みかけたお日様の光が、私の顔を紅く染め上げていた。


 とある地下鉄の一番出口の前に、私はたたずむ。

 待ち合わせでも、ぶらつくわけでもない。


 だって私は、誰からも見向きされない、なにもない女だから。


 カジュアルでもなく、フォーマルでもない服装をまとった私。

 私を包み込むのは、はじめて着る、フリル付きの紫のワンピース。


 生地も高級……装飾具アクセサリーも高級……なのかな?

 もちろん買ったわけではない。買うわけがない。

 今から私が向かう建物、そこから送られてきたのだ。

 貸衣装ではない、永遠に身に纏うことが許される、


Precious Gift大切な贈り物として……。


 だって、これを着ることが、一つ目のルールだから。

 

 カバンの中にはホチキス止めの、手作りの冊子。

 衣装と一緒に送られてきた、色あせて、汚れて、端っこが破れた冊子。


 中を見る気はない、必要ない。

 題名は……今から私が向かう場所。


 だってこれが、私に宛てられた招待状だから。

 

 ハザードランプを出しながら、漆黒のクラッシックカーが音もなく私の前に停止した。

 運転席から現れたのは、車と同じ漆黒の執事服を纏った長身の男性。

 三十……四十……いえ、それ以上かも。

 もしかしたら、それ以下かも……。


 だって年齢は”書いていなかったから”。


 私を見つけると、白い手袋をはめた右手を厚い胸板に当て、うやうやしく礼を捧げてくれた。


「お待たせして申し訳ございません。”マルゲリータ様”」

「あ、いえ、そんなには……」


 ”はっ!”と思い出す。

 ”今の私”は『マルゲリータ』なんだと。


「ご苦労様。あと、いちいち謝罪は無用です。貴方もここは初めての道でしょう?」

 そう、今の私は、身も心もマルゲリータ。


 だって、それが二つ目のルールだから。


 『悪役令嬢喫茶 ジェノヴァ』の”招待客”として、当たり前の振る舞い。


 カバンを手渡し、後部ドアを開けてもらっての、初めての乗車。

 あ、タクシーの自動ドアは除く……。

 スカートのすそなんて、いちいち気にしない。


 だって、私は”おてんば”マルゲリータだから。


 ”いつも通り”、彼は私のスカートの裾を直してくれた。

 そしてシートベルトをゆっくりと付けてくれた。

 ”今日も”彼の香りとぬくもりが、私の体を優しくくすぐってくる。


 だって、これが彼の優しさなんだから。


 でも恥ずかしがらない、気にしない。

 だけど、ちょっとだけ頬を染める。


 だって私は”お年頃の”マルゲリータだから。


 彼は音も立てずドアを閉めると、慌てず急がず颯爽さっそうと、運転席に乗り込んだ。


『よく生きてかえってこられましたね。お嬢様』


 慇懃いんぎんだ。無礼だ。皮肉なんて気にしない。


 だって、私がゆるしたんだから、彼の本音を。


「”お嬢様”。”いつぞや”のようにシートベルトを外さないように。”日本の”警察はいろいろとうるさいものですから」

「わかってるわよ! 子供の頃の話をいちいち蒸し返さないで! まったく、”アンタ”ってば私をいつまでも子供扱いして!」


 そう、私はジェノヴァ家のマルゲリータ。一人の淑女レディー

 名前で呼ばれるのは、かしこまるのは、人目をはばかる外の世界だけ。

 ”我が家の”車の中は、我が家も同然。


 だから、彼のことを”アンタ”って呼ぶ。

 でも、私は決して彼の名を口にしない。知っているから口にしない。


 だって、私は”誓いを立てた”マルゲリータだから。


 ほんのわずか、背中をシートに押しつけられて、車はアスファルトを滑り出した。

 ハイブリッドだ電気自動車なんて、無粋ぶすいなことは言わない。想わない。


 だって、これはジェノヴァ家の”馬車”なんだから。


「お嬢様、何か音楽をお聴きになりますか?」


『……パァーポー パァーポー! パァーポー!!』

『救急車ガ通リマス』


「結構よ。静寂を楽しむのも、淑女レディーとしてのたしなみですから……」


『ごう差点をぎゅぎゅうじゃがどおりま~ず! 道を開けでぐださ~い!」


「静かなものね。学園での喧噪けんそうが嘘みたい……」


『ありがどうございま~す!』

『パァーポー!! パァーポー! パァーポー……』


 都会の喧噪なんて、今の私には存在しない。


 だって私は”物語の中の”マルゲリータだから。


「その御様子ですと、また何か”しでかした”のですか?」

「たいしたことないわ、テシェン家の”公女様”が校舎裏で煙草を吸っていたから、風紀委員として思わず張り手をお見舞いしただけよ!」


「まったく……”また”公爵様へお詫びにうかがわなくては……」

「放っておきなさい。公爵閣下でさえあのの喫煙癖には手を焼いているんだから! そのうち自分の服に火がついて大やけどするわよ!」


 彼の声は一片もかけることなく、私の体に染み入ってくる。

 彼はジェノヴァ家の執事。私の忠実な下僕。


 そして、私を一番見てくれる、知ってくれる男性ひと


「さぞかし大声で怒鳴ったことでしょう。喉を湿らせてはどうですか? 清水せいすいをご用意しております」

「フン! 見てきたように……。そうね、頂こうかしら」


 後部座席の背もたれの真ん中が、ゆっくりと倒れてくる。

 中に入っているのは、ラベルをはがしたペットボトルと、白い紙コップ。

 紙コップから体内に注がれる清水は、ぬるくもなく、冷たくもなく、私の中に残っている俗世間のあかを洗い流してくれるようだった。


「ふぅ~。これは南アルプスかしら?」

「いいえ、お嬢様、六甲でございます」


 バックミラーに映る、わずかにつり上げたアイツの唇。

 そんなアイツの頭を、ジト眼でにらみつける私。

 児戯じぎに等しい、ちょっとした悪戯いたずらも、私には心地いい。


 だって、彼と二人っきりになれる場所は、馬車ここしかないのだから……。


「ディナーはいかがなさいますか? 本日のお品はこちらの”魔法のメニュー”にございます」

 助手席の後ろのポケットに収められた、黒いケースに包まれたタブレット。

 指先が触れるだけで、黒い画面から天然色のメニューが浮かび上がってきた。

 はじめて見るメニュー。でも、全ての料理を知っている。


 だって、魔法のメニューだから。


「ちょっと”運動”したからお腹すいたわ。一通りもらおうかしら」

 ”我が家のメニュー”に値段なんか書いてあるわけがない。


「よろしいのですか? あまり食べすぎると、お洋服を仕立て直すゴルドばあさんの手間が増えますが……」

「う、うるさいわね! 乙女の体をあれこれ詮索せんさくするんじゃないわよ! それに、ちゃあんと1/2ハーフサイズにするわ!」


 私はお品書きの横にある《1》、《1/2》の中から《1/2》のボタンを押すと、光の粒子が指先で花開く。

 すべて押し終わると、最後に《確定》のボタンを押す。


”♪~♪”


 オルゴールのが車内に響き渡った。

「かしこまりました。すぐさま調理にかからせて頂きます。到着の折にはご用意できるでしょう」


 背もたれに体を預け、軽く息を吐き出す私。

 正直、全部食べられるかどうかなんて、お腹と神様しか知らない。

 でも……罪悪感も悔いもない。


 だって、これが最後の晩餐ばんさんなんだから……。


 お屋敷をでたら、もう二度と、戻れないのだから……。 

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