その程度がお似合いなんだ

――時は遡る。


「気に病むこたぁねぇよ……コンティニューして来い」


侵入され、破壊され、蹂躙された【ハイゼンベルク】と呼ばれる組織の深層。蛍光灯の明かりが照らす小さな部屋で、比良坂ひらさかさとしは銀の眼鏡の奥から、地に伏せる六郷ろくごう夜介やすけを見下ろしている。


「……」


吐き捨てる言葉に何の反応も示さない夜介を見て、比良坂は眉をしかめ小さく舌打ちをした。


それを他人事のように眺めながら、百合崎ゆりざきはなは首を傾げて白衣の男に問いかける。


「あれれ、死んじゃいますよ。都合が悪いんじゃないんですか?」

「うるせぇな。いまやる。――


比良坂が長い人差し指をと振ると、人形のように立ち尽くしていたメルトネンシスと呼ばれる少女が、やはり人形のようにゆらりと動く。


その瞳に意思はない。


彼女の白い肌から染み込むどんな冷たさも、その虚ろな眼を覚ますことは出来ない。メルトは裸足のままコンクリートをひたひたと歩いてゆく。両脚を失って血を流し、ピクリとも動かない六郷夜介の身体のそばへと。


崩れそうな細い身体に白いブラウスだけを纏う少女は、まさにいま、生命の燃焼を終えようとする青年の側に立つ。


「……」


比良坂の言葉に応えるように、少女は無言で六郷夜介の身体に手をかざした。


――目が眩むほどの白い光が、六郷夜介の身体を覆う。


薄暗い地下を満たす一面の白は、あたかも白黒の世界のすべてを飲み込むかに思われた。それでも、その光は【アップ】や【チャーム】が見せたような破壊を司るものではない。その効果は、すぐに六郷夜介の身体へともたらされた。


砂糖菓子が流水に溶ける光景を逆再生するように。


白い光に包まれながら――切断されていた彼の両脚が、再びそこに現れたのである。



それは【トップ】のフレーバーによる【創造】の力であった。


比良坂が、白衣の下から伸びる脚で六郷夜介の頭を踏みつける。すると、夜介はわずかに顔をしかめた。その顔には徐々に血色が戻りつつあり、彼の身体が生命の手綱を引き戻したことが見て取れた。


「……へぇ」


それを見て、百合崎花の瞳が輝いた。


そこに、自身の【チャーム】による破壊が容易く巻き戻されたことへの不満や屈辱はない。単純に新しい情報インプットを得て、未知に対する彼女の興味が激しく燃え上がっているだけである。


穏やかな笑みの奥底に、好奇心という狂気をたたえている。


「それは【トップ】の【創造】――ですね。メルトちゃんが第三世代の力を使えるということは、わたしの予想は概ね正しそうです」

「……」

「センサーとしての機能は【トップ】の副作用? それともある種の応用なのかしら……。フレーバー効果は第三世代【ボトム】と何らかの機能的対比があるはず。そもそも【創造】の対象は? いまやる、ってことは死体には使えないってことですよね。蘇生や、新たな生命の創造は不可能?」

「……ふん」

「ふふ、おもしろいですね」


比良坂聡は、その謎解きに付き合うつもりはなかった。彼には理想があり目的がある。しかしながらそれは、彼の非凡なる頭脳を以てしても容易に到達することの叶わない理想であった。その事実の前に、この男は己と世界に不機嫌を撒き散らしながら生きることしかできない。


それでも。


かつて背を向けて歩んでいた正反対の天才たちは、わずかな言葉のやりとりを終えた段階で、共通のヴィジョンを見据えて同盟関係を結ぶに至っていた。


「こんなもんじゃねぇよ。ちゃんとから、グダグダ言ってないで手を貸せ」

「はぁい」


そうして、三人は何処かへと立ち去る。一人はつかつかと苛立たしげに。一人は上機嫌にふわふわと。そして最後の一人は、操り糸に引かれるような足取りで二人の後を追う。


――あとに残されたのは瓦礫と、何もかもが刈り取られたように荒涼とした敗北であった。



◆◆◆◆◆



「メルトのフレーバーで、身体を再生……」


朝食を終え、空の食器を前にして小春は僕に事の顛末を語った。


僕は何も、あのまま死にたかったわけではない。そのはずだ。それでも僕は、彼ら――先生と花さん、そしてメルト――に対して、どのような思いを顕にすればよいのか、考えあぐねていた。


「そう。正直、あんたがお姉ちゃんにボロボロにされたとこも再生されたとこも、あたし自身は見てないけど。あたしも、メルトとふたりで【ダウン】の壁に隠れた時に……身体を治してもらったから」


失われたと思われた僕自身の命は、メルトに――いや、それを使役する「先生」に救われた。イベント戦闘とはよく言ったものだ。負けてもゲームオーバーにはならず、勝手にされる。


先生は僕とゲームをしているつもりなのか。まるで、あの夏のように。


「……そんでさ」


過去の記憶に想いを馳せかけていた僕は、小春の呼びかけに意識を引き戻す。


「ん?」


何やら小春は言い辛そうに、膝の上で手を組み、視線を泳がせている。

躊躇いの気持ちを示すように、人差し指でぴしぴしとスカートを弾いていたかと思うと、意を決したように僕の方に向き直った。


その視線の真正面さに、たじろぐ。


「夜介、あたしを助けようとしてくれたでしょ。二回も」

「……いや、まぁ、あれは」


僕の目を見つめて放たれた、強い意志を伴うストレートな感謝の言葉。その黒い瞳は、僕の口から自動的に流れ出そうとしていた言い訳やごまかしを、すっかりと蒸発させてしまった。


「……うん」

「だから、朝ごはんはそのお礼。これでチャラとか言うつもりはないけど……」


再び目を逸らしてごにょごにょと言葉の力を失っていく小春。ようやく明かされた「謎」の解に、僕は思わず頬を弛ませる。律儀というか、真面目というか。その真っ直ぐさには眩しさすら感じる。それは僕がいつしか忘れていた、なにか尊いものに違いなかった。


こんな状況だと言うのに楽しくなって、僕は大して考えずに彼女の言葉に乗っかった。


「そうだな。毎朝作ってもらうくらいじゃないと割に合わない」

「……それ」

「なに?」

「どういう意味よ」


上目遣いに僕を睨みつける小春の頬と耳たぶは、わずかに紅潮していた。その反応を眼にして三秒ほど思考した僕は、致命的なコミュニケーション事故を起こしたことを自覚する。


「……ごめん」

「は? ……謝るんだ」


謝罪をしたはずが、小春の反応はより悪い方へ向かっていく。どうすればいいというのか。僕は藁にもすがる気持ちで話題の転換を図った。


「こ、小春……さん」

「さん要らない。なによ」

「小春は、どうして、花さん……お姉さんの邪魔をしようとしたの?」


ふ。と、小春から発されていたピリピリとした感覚が和らぐ。


「邪魔?」

「うん。ボロボロだったし、正面から挑んで敵わなくて」

「……」

「それに花さんは、たぶん君を……殺すことも躊躇わなかった」


彼女の人差し指に集まる、輝かしいほどの【チャーム】のフレーバーを思い返す。あれのもたらす破壊の鋭さを我が身に感じた今ならわかる。


僕が止めなければ、おそらくは。世界にまっすぐな瞳を向けるこの少女の命は、他ならぬ彼女の姉の手によって奪われていたことだろう。


「お姉さんに負けて、歯向かったら殺されるような状況で。どうして」

「……負けたから何よ?」

「え?」


そのとき小春の黒い瞳にどのような感情が浮かんでいるのか、僕はうまく汲み取ることができなかった。


「あたしの人生、お姉ちゃんに負けたことしかないんだけど。じゃあ何、あたしはもうおしまい? 死んでるの?」

「……」

「仕方ないじゃない。何度負けても、クライマックスを迎えても……生きてる限り、その先も生きてくしかないんだから」

「……小春は、それをずっと見てきた?」

「うん。ずっとそうして生きてきた。お姉ちゃんは天才だから、色々なものを終わらせてきた。確かに【ユリとアザレア】としてのあたしたちも、決着が着いたかも知れない。でもね」


彼女の表情が語るものは悲壮さでもなく、諦めでもなく、決意でもなく――ただ、そうあるものをあるがままに受け入れる、慈愛そのものなのだと気が付いた。


「あたしたち【花と小春】は、終わってないの」


終われない、かな。小春は小声でそう訂正する。


「百合崎さんの、たったふたりの姉妹だから」


そこまで語った小春は、へへ、と照れたように笑う。僕はそれをとても綺麗だと感じた。


「あたしは別に、お姉ちゃんがやることを邪魔しようとしたんじゃない。あたしを……ちゃんと見て、まだここにいるよ、って。そう言いたかっただけ」

「……そうか」

「夜介はさ、何かと本気で戦ったことある?」

「……」

「お姉ちゃんにはがない」


それは百合崎花が天才であるがゆえに。全存在を掛けて、己の外側にある何かひとつを追い求めたことがない。


「あたしにとっては、がお姉ちゃんだから。お姉ちゃんと本気で向かい合って殺されたら、それでいい」

「……そんな風に」


そんな風に言うなよ、と僕は少女をたしなめようとした。余裕のある大人らしく、優しく教え諭すように。


だが、僕の口からはその続きが出てこなかった。代わりに漏れるため息の中には、畏敬の念が含まれていたように思う。僕は沈黙を選択した。


「だからあたしは、お姉ちゃんを本気で泣かせてやるの」

「泣かせる? そんなこと……」


できるわけがない。


「夜介が、あたしを手伝ってくれればできる」


断言。再び小春の黒い瞳はまっすぐに僕を貫いていた。


「だからお願い」


話は奇しくも僕たちを取り巻く状況の核心へ迫ろうとしていた。すなわち――



僕はこの一連の事象における僕自身の在り方を、今の今まで決断できずにいた。


「……」


そして、いま僕は、ひとつの結論を出していた。誰に強制されたわけでも、巻き込まれたわけでもない。それでも、最後に僕の背を押したのは目の前の少女の瞳であった。


メルトネンシスと呼ばれる少女が何者であっても、僕のやるべきことは変わらない。そしてその「やるべきこと」は、小春を「手伝う」ことにも繋がるだろう。


「わかった」


僕はいくつかの意味を込めてそう応える。


「小春が花さんを泣かせたら、次は僕らで、ってやつを教えてやるのはどう?」

「お姉ちゃんに、あたしたちが?」

「そう。凡人のくだらない悩みとか、天才にはわからない卵焼きの味とか」

「……いいね、それ」


小春はと表情を崩して笑った。その細められた目元の形は、どこか花さんの笑顔と似ていたように思う。



六郷の血筋と、ゆかり姉さんの亡霊と、先生との因縁に決着を付けて。並行世界をめぐる争いを片付けたら、君のお姉さんとメルトを連れて、色彩のある世界へと帰ってこよう。


そうして花さんは【フレーバー】だの【並行世界】だのと別れを告げて、小春と。たったふたりの姉妹で、幸せに暮らしていればいい。己の才能に踊らされて、無限に広がる「やるべきこと」とずっとひとりで戦い続け、迷子になってしまっている天才には――その程度がお似合いなんだ。

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