幼い少女の声によって強制終了される

ユリの夢想は、幼い少女の声によって強制終了シャットダウンされる。


『――ユリ!後方から敵』


頭の中に直接響くような、あるいは世界そのものが発するような声。


敵。


並行世界の中において、いやその外側であっても。

わたし(たち)にとっての敵とはすなわち――連合の人間だ。


「――っ!?」


振り返りざま、手元の白い光球を打ち出しながら後退する。時間的に元の世界でも人通りが少ないだろうとはいえ、街路樹の立ち並ぶ路上で、というのは少し予想外だ。


動き辛い。ロングスカートはやめておけばよかった。


わたしの背後まで迫っていた男はその速度に急制動をかけて、手にした白光する棒で光球を打ち払う。近所のコンビニに軽食を買いに来たようなラフな服装の若い男。羽織ったパーカーの紺色は、白黒の世界によく映える。白い光が弾け、ユリの光球は宙に消えた。

剣? いや、適当な枝か竹刀あたりに【アップ】の光を纏わせているのだろう。それだけで触れた物質が凶器と化す。服装的に、まるでビニール傘を持ってるみたいに見えてしまうが。


『ユリ、敵は三人。【アップ】系二人、【ダウン】系が一人。フレーバー世代はわかりません』


そうだ。この監視システムも疎ましい。

ユリは比良坂への苛立ちを、少女の機械的な声にも重ねて思う。


より深い研究をするために、ユリは比良坂の【組織】に属することを選択した。それ以外の道などなかった。真理に近付くためであれば、あの白衣メガネの妄想ちゅうにびょうに一枚噛むことは必然の成り行きであった。【組織】に属したユリは、ATPI のプロトタイプを手に並行世界リバースを舞台として連合と戦闘を繰り広げた。戦闘。なぜ研究者がそんな物騒なことをやらなければならないのか、とも思うが、得られた知識と実データは【組織】所属以前とは比べ物にならなかった。


しかし同時に、並行世界の中における彼女の一挙手一投足は、この【メルト】と呼ばれる監視システムにトレースされることになっていた。誰かにすべて見通されているというのは、とても不愉快な気持ちだ。


『……ユリ?』

「聞いてますよ。モニタリングありがとう」


不安げな声色で安否を問うところまで、まるで人間のようだ。システムの音声が幼女のものである理由は謎だが、さほど興味もない。単に比良坂がロリコンなのかも知れない。


不愉快ではあるが、メルトの警告で命拾いしたのも事実だ。

足音はなかった。直接攻撃を加えてきた男は【アップ】だったから、こいつの靴か何かに【ダウン】の弱化効果を使用して音を弱めていたのだろう。


複数の敵に狙われ、現在視認できるのはひとりのみ。それでもユリに焦りはなかった。


先程の光球を打ち消せたことで、押し切れると踏んでいたのだろう。男は既に加速を開始して、ユリの【チャーム】が苦手とする近距離に持ち込むべく間合いを詰めて来る。


ふぅ、と息をつくと、ユリはゆるく手を広げて光球を周囲に浮かばせる。通常【チャーム】が同時に操作可能な攻性フレーバーの数は 2,3 個といったところだが、ユリの発生させたその数は 10 を超えている。ロングスカートが風圧に揺れた。


男は、その物量にひるむ。一瞬の躊躇を見逃さない。彼女はと笑うと、横一列に放たれた光球群が風を裂いて男を襲った。

回避方向を上下に制限された男は跳躍して光球をかわすが、ユリはすでに、追加の光球を散弾銃のように空中にばらまいている。体勢が制限される空中で、その「面」の攻撃に対処することは不可能に近い。【チャーム】使いとして常識外れの弾数に男の顔がこわばる。その表情は、黒に覆われてユリから視認できなくなった。


黒い盾が中空に出現して、散弾を防いだ。


三人のうちのひとり、【ダウン】使いの展開する防御壁だった。黒壁はユリの放った白い光の弾をように消滅させると、それ自体もすぐに消える。

消失した盾の後ろから出現する、ビニ傘、じゃなくて【アップ】の白い光を纏わせた棒を振り被ったパーカー男。その表情にもう動揺は見られない。


『ユリ。おそらく二人の攻撃範囲に入っています。いちどはなれて』

「ふふ、はぁい」


少し舌っ足らずな幼女の声が響き、その場違いさにユリの顔がほころぶ。


メルトの指示を聞くよりも前に、ユリは適度に光球を宙に浮かべながら下がっていた。浮かべた光球は機雷のように相手の追撃を制限する。ユリがと呼び好んで使用するテクニックだが、膨大な光弾を生成できる彼女以外には利用が難しい、ある種の専用技だった。

パーカー男はユリの狙い通り、攻撃を断念してその光る棒で近場の光球を弾く。男が体勢を整える間に、ユリも相手から距離を取ることに成功した。


盾を展開したと思われる【ダウン】系の敵の姿は見えないが、そもそもこの能力の射程はそれほど長くない。近くに身を隠しているはずだ。

そしてメルトによればもうひとり【アップ】系がいるらしいが……。


「メルト。見えないヤツ、どのへんかわかります?」

『はい。自販機の向こうに【ダウン】系で、もうひとりの【アップ】系は遠いです。【チャーム】かも知れません。ちゅーい』

「ありがとう。まぁ撃ち合いなら大丈夫かなぁ」

『ユリ、ちゅーいしてください』

「はいはい、ごめんね」


ユリは人数の不利を手数と情報で補っていた。

天才と呼ばれる彼女は迷わない。刻一刻と変化する状況を前提条件とマージして、シミュレーションを続ける。あとは身体の限界範囲内で、その最適解に従うだけである。


やるべきことをやるだけの天才にんげん


(最初に狙うのは――)


ユリはいくつかの光球を合体させて一回り大きな光弾を生成すると、自販機に向けて打ち出す。

派手な音を立てて爆散する自販機の影から、ユリよりも少し年上、20代半ばと思われる女性が転びそうになりながら飛び出してくる。学生時代はギャルやってました、でも今はちょっと落ち着いてます、というファッション。うーん、友達になれと言われると、もちろん出来るけど、ちょっと苦手なタイプだ。

現在この【ダウン】は防御とサポートに専念しているようだが、デバフでこちらの力を弱めてくるような手を打たれると面倒だ。殺しておこうか。


『ユリ、不必要に並行世界リバースを破壊しないで』

「ごめんなさいって」


いつも思うが、この幼女監視システムは若干おせっかいだ。

言われたことだけやっていればいいのに。


「メルト、遠くの【アップ】系の動きに注意しておいて」

『はい』


指示を飛ばしてメルトのおせっかいを抑制しつつ、ユリは【ダウン】使いの女を視界に捉え――ようとしたところで、横手からユリに向かって、街路樹を足蹴あしげにしたパーカー男がその身体ごと肉薄する。


ユリは苦笑しながら、男に向かって白い光をする。男は再び光る棒きれで身体に当たる光球を弾こうとするが、すべてに対処しきれず光のひとつが脚に被弾した。ユリの光球は弾け、パーカー男の左足首から先が消し飛ぶ。光球の機動力を押さえ、代わりに一瞬即発の爆弾として機能するような設定を行ったためだ。


男の身体は破裂の衝撃で吹き飛ばされ、街路樹に背中を打ちつけて呻く。


血飛沫がユリの白い頬を彩っている。そっちからやるつもりはなかったのに。


「ごめんなさいね、あなたはあとで」


パーカー男に視線も向けずに吐き捨て、ユリはゆったりとした動作で、光球を周囲にと展開する。10,20,30……こんなところか。


ダウン系列の第二、第三世代である【ストレンジ】や【ボトム】となれば話は変わってくるが、あの女はスタンダードな【ダウン】だろう。基本的に【ダウン】は単独では戦闘に向かず、誰かと組んで初めて戦略上有効に機能する。


だからこそ、確実に潰す。


やはり単独での戦闘を避けるように、【ダウン】のギャル女はパーカー男をフォローできる位置に向かって走る。その進路を妨害するように撃ち出されるユリの光球は、すべて女の張る黒い盾に防がれた。


ユリは少し眼を細めて、再び光球群を生み出す。次は上下左右に360度、全方位からギャル女へ攻撃をしかける。

さすがに、女の足が止まる。先程ユリの光球が男の足を吹き飛ばした光景が脳裏をよぎるのか、過度に防御に意識が寄り過ぎている。


ユリはいちいち生成に意識を向けるのが面倒になり、左手からポコポコと連続的に光球を生み出しながら身体を周回させ、それを右手から凄まじい速度で射出する。光の弾帯、機関銃の出来上がり。


ロングスカートは白い光の破壊など意にも介さず、優雅に風に舞い踊る。


実際の機関銃と異なって、ユリから撃ち出される光球は途中であらゆる角度に変化して女を襲った。上空に高く打ち上げられた光球がタイミングをずらして落下する。狙いが外れたかと思った光球がブーメランのように引き返して後ろから飛来する。それに混じり、心臓を狙う弾列が女の生命を破裂させるべく最短距離で牙を剥く。


ギャル女は飛来する光弾をひとつひとつ目視して防ごうとしていたが、ユリが機関銃の掃射速度を上げると黒い盾はどんどん大きくなり、最終的には身体を守るように全身を【ダウン】の黒い壁で覆ってしまう。天井の一部が空いていたので、玉入れみたいだと思いながら、光球を投げ入れる。惜しい、防がれてしまった。


ああして完全に身体を覆ってしまうと、まるで棺桶のようだ。


(ちょっと悔しいけど、わたしの弾じゃ破れないか……)


ユリの研究によると、フレーバーの「時空間的な影響範囲」と「与える影響の強さ」はトレードオフの関係にある。盾として使用する【ダウン】は極めて限定された空間へ作用するために、広い範囲をはしる【チャーム】に大して硬さの面で根本的な優位性を持つようだ。それにしても、実戦はいい実験になる。


実験は実験として、状況は解決しないと、ね。


この【ダウン】使い、それなりのテクニックとフレーバー量はあるようだけど、戦術レベルでの対応が雑すぎる。

ちょっと全方向から攻撃が飛んできたくらいで亀のように盾の中に引き篭もってしまうのは、まったくいただけない。確かに攻撃に対して安全かもしれないが、当然ながら視界は遮られてしまう。


「見ざる言わざる、ワトソン君……っと」


わたしは全方位攻撃のリズムをちょっと工夫する。時折一方向の弾幕を緩めてみたり、次の瞬間には集中砲火をかけたり、ピタリと止めたかと思えば、頭上から雨のように光弾を降らせる。


視覚情報のない相手に対してこうして連続して不規則な攻撃を続けていれば、壁を解除するタイミングが判断できず、その場に釘付けにされざるを得ない。さもなくば身体全体を黒い盾で覆ったまま、真っ暗闇の中で走り出さなければならない。どちらにしろ、戦闘中の位置取りで不利になることは目に見えているのに。


とはいえ、わたしの方も圧倒的優位というわけでもない。光弾であの黒い棺桶を破れない以上、膠着状態である。こうなると持久戦という道もある。根比べになったところでフレーバー量で負ける気はしないが、三対一の状態でそのルートを選ぶのは悪手だろう。


――と、そこで思い出して、街路樹の根本で立ち上がろうとしていたパーカー男に追撃を加える。機関銃のおすそ分け。顔を恐怖に引きらせた男は【アップ】を纏わせた棒で光球を弾き落とすが、ひとつふたつ、脇腹にユリの弾を食らう。腹部からと溢れる血を押さえながら、男はうずくまった。


(さて……)


膠着状況を打破するために足元の地面を崩すなど色々と策は思い付くが、わたしはちょっとした実験をやってみることにした。


一点集中で、落とす。


フレーバーの「時空間的な影響範囲」と「与える影響の強さ」はトレードオフの関係にある。

【チャーム】で、時空間の範囲を極限まで絞るとなると。


「……こうかな?」


ユリは片手でピストルの形を作って、人差し指を女に向ける。


機関銃の光弾の生成を止め、すべてのフレーバーを指先に集める。彼女の人差し指に宿る白い光は神々しいほどで、あたりを昼間のように照らした。


「……?」


黒い棺桶の中に引き篭もっていた【ダウン】の女は、これまで晒された不規則な弾幕の揺さぶりを恐れていた。機関銃の掃射が止まっても、しばらくは何が起こっているのかわからないまま黒い盾を貼り続けていたのはそのためだ。


女はおそるおそる、ユリに面した側の黒い盾を解除する。そこに見たのは、絶望的なまでの輝きを放ちながら、女に向けられた人差し指であった。


「――ヒッ!?」

「あーだめだめ、ちゃんと張ってて」


言われるまでもなく、ギャル女は再び黒い盾を張る。その盾は他の方向の防御を捨て、一面だけに集中されていた。彼女の全身全霊を以て展開された黒壁は、これまで見た中で最大の厚さを誇っていた。


「――


刹那。


呑気なユリの言葉と共に、彼女の人差し指からレーザーのように白い光が伸びた。

直径にしてほんの数センチ。ユリの指が示す極々狭い範囲だけに限定された【チャーム】の破壊は、甲高い音をあげて【ダウン】の黒い防壁を貫通する。


その光は寸分違わず、連合の女の心臓を射抜いていた。


白い光は、一瞬で消える。破壊を行う時間も極小となるように限定したためだ。

光の槍が引き抜かれると、女の身体はどさりとその場に崩れ落ちた。ユリは満足げに笑って、自分の指を顔の前に立てる。


「いいね、これ。パンくずほどじゃないけど気に入ったかも。名前付けるなら……レールガン? それだと著作権的なものに引っかか――おっと」


ユリは何の予備動作もなく、いちダースほどの光弾をスピード優先で横手に撃ち込む。かろうじて立ち上がり何か行動を起こそうとしている、手負いのパーカー男を視界の隅に捉えたためだ。


何発かは弾かれ、何発か身体に命中したらしい。再び呻きを上げ、男が血の海に身を沈める。さほど威力に振ったつもりはなかったが、流れ弾を受けて男が身を寄りかからせていた街路樹が倒壊してしまった。


あとで片付けるつもりだったけど、で終わっちゃったかな。


またしても、メルトのたしなめるような声が響く。


『ユリ。破壊は』

「わかってます。遠くの【アップ】系はどうしてる?」

『動き、ありません』


さすがに妙だ。この期に及んで何の動きもない?

この二人にしても、命の危機が迫っても、三人目の援護を期待するような素振りはなかった。


『あっ』

「どうしたの?」

『最後の【アップ】のはんのう、消えました』


メルトのレーダーから消えたということは、並行世界リバースから出て現実世界に戻ったことを意味する。

少なくとも今ここでは、戦う気がない、ということか。


『どうしますか?』

「どうもしないよ」


やるべきことから外れたのだから、もういいでしょ。そこまでの責任感もないし、わたし自身にメリットもない。


(……それにしても)


連合には、この程度の有象無象しか居ないのだろうか? わたしがこうして【連合】を撃退していけば、比良坂の目的は達成されてしまうだろう。

一般大衆への、ATPI の拡散。広まろうとする技術。知識のばらまき。何ひとつ原理もわからない技術は世界を席巻して、人間の認識を変える。それを成し遂げた貢献者として、百合崎わたしの名前が筆頭に上がるのだ。


――それは嫌だな。


わたしは、崩れた街路樹の根本に蹲るパーカー男に近付く。

パーカー男は虫の息ではあったが、まだ生きていた。止めを刺すため、ではない。


死にかけのてきを見下ろすわたしと、すべて諦めたように、恐怖わたしを見上げる男。


『……ユリ?』


わたしはメルトの呼びかけを無視する。


「ねぇ、有象無象」

「……」

「命を助けてあげるから」

「……!」


男の目に、生気が宿る。

いやいや。先程まで片手間で嬲られていた相手に、なんて眼を向けるの。

何だかおかしくなり、くすくすと笑いながらわたしはを口にする。


連合そっちに入れてくれない?」


わたしは比良坂と【ハイゼンベルク】を裏切って――研究成果を手土産にして――【並行世界統治連合】にくみすることを決めた。そちらの方が、おもしろいと考えたからだ。


ただ純粋に、おもしろいことに飢えている。


それ以外のすべては、天才ユリにとって興味の対象ではなかった。

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