File-05 希望は夜の闇に輝く

第38話 流星

 日和ひよりとは病院で出会った。

 彼女は難病で個室に隔離されていたのだが、俺は間違って彼女の病室に迷い込んでしまったのだ。

 初対面の彼女は着替えの真っ最中だった。

 

「うぎゃっ?! ご、ごめん!」

「別にいいよ。なんだったらもう少しじっくり見ていく?」

 

 日和は豪胆に笑って俺をからかった。

 外出する機会の少ない少女の肌は白く、痩せた身体は痛々しいくらい細かった。

 カーテン越しの光を浴びた日和の裸体は幻想的で、まるで妖精のようだ。

 俺は思わず見とれてしまっていた。

 

「君、何かから逃げてるの?」

「ちょっと検査が嫌で」

 

 その頃、俺は悪魔イービルと人間のハーフだと分かった後で、定期的な検査を義務付けられていた。人を人と見ていない研究者に捕まって、実験動物にされるのが嫌で、逃げ回っていたのだ。

 

「お茶をご馳走してあげよう。そこの机の引き出しに入ってるから、私の分も入れて」

「なんでもてなされる側の俺が茶を入れるんだよ」

 

 しかし日和は明らかに病人だ。

 俺は仕方なく指示に従ってカップにティーパックを入れ、病室に備え付けのポットから熱湯を注いだ。

 

「世の中は悪魔イービルで大騒ぎだね」

「お前、他人事みたいに……」

「他人事よ。私は夏見製薬の経営者の一族だもの。この豪華な檻みたいな病院で守ってもらえる。一般人と違ってね」

 

 一般人が聞いたら怒りそうなことを平然と言って、日和は笑った。

 その尖った声音に自虐の色を見て、俺は溜息をついた。

 

「……自分だけ守られてることを、申し訳なく思ってるのか?」

「!!」

 

 俺の指摘に、少女は息を呑んで、泣きそうな顔になった。

 

「……君、なんて名前?」

神崎優かんざきゆう

「優くん。私、あなたみたいなデリカシーの無い人、キライ」

「えっ?!」

 

 それが付き合いの始まり。

 強がって、悪態ばかりつく日和ひより。その本心が分かる俺は、気になって病室に通う。そうして少しずつ、気持ちが通じていく。

 

「優くんは、悪魔イービルと人間のハーフなんだって?」

「お兄さんから聞いたのか」

 

 第一次EVEL対抗部隊でチームメイトの夏見と、日和は、兄妹きょうだいなのだと、俺はしばらくして知った。兄の夏見は、俺と妹の付き合いを邪魔するどころか、好意的に支援しているふしがあった。なんだろう、悪魔イービルの血をひく俺が妹に近づいたら、普通は嫌がらないだろうか。変わった兄貴だ。

 

「……優くんなら、いいよ」

「日和?」

「優くんになら、食べられてもいい」

 

 はにかんでいるような、悪ふざけしているような、小声のメッセージ。

 日和の台詞の意図しているところを悟って、俺はぎこちなく彼女にキスをした。

 冷たい風が吹く春の夕暮れ。

 やがておわりが来ることを分かっていながら、俺たちは束の間の逢瀬おうせを繰り返す。

 滅びゆく世界で、病人の日和と、悪魔の血を引く俺。

 未来なんてある訳がなかった。

 

 

 

 追憶の影が去り、俺は現実に戻ってくる。

 二十数年後の現実世界へと。

 

「神崎さん!」

 

 葉月を抱えた博孝ひろたかが叫ぶ。

 

火炎戦車ファイアタンクが街に!」

 

 上級悪魔のシモンは倒した。

 ハルは白い竜の姿になって西の空へ飛び去った。

 だが、まだ事態は収束していない。

 肝心の火炎戦車ファイタタンクの脅威は、去っていなかった。

 

「斎藤が作った薬は効かなかったのか……?」

「ぼさっとしないで! 全力でイズモに引き返しましょう!」

 

 花梨かりん黒麒麟ナイトジラフの槍を持って、勇ましく発破をかける。

 

「まだ、私の乗ってきた車が使えますよ」

 

 白衣の斎藤が、城跡の木陰に隠れていた屋根無し迷彩色のジープをとんとんと叩いた。

 

「俺が運転しますぜ、旦那!」

「竹中、生きてたのか」

 

 傷だらけだが元気そうな竹中が、ジープの運転席に入っていく。

 同じく無事だったらしいみつるが歩み出て、博孝につかつか歩み寄った。

 

「葉月ちゃんは、私が引き取ります!」

「だが……」

「博孝さんは名誉挽回のために戦ってください! 葉月ちゃんは私と斎藤先生でみますから!」

 

 一時的とは言え、敵方に回っていた博孝には負い目がある。

 博孝は悔しそうな顔をして頷いた。

 俺たちはジープに飛び乗って火炎戦車ファイアタンクを追う。

 

火炎戦車ファイアタンクが!」

 

 巨大なダンゴ虫はとうとう、イズモの防壁に到達してしまった。

 どしん、と音を立てて、壁に体当たりする。

 地面が揺れて、ジープが跳ねた。

 

「このままじゃイズモが!」

 

 花梨が悲鳴を上げる。

 その時、火炎戦車ファイアタンクはうずくまったまま、震え出した。

 何か苦痛にもがくように、身体をねじりはじめる。


 轟……!

 

 悪魔の吠え声が大気を震わせ、黒い巨体がほどけ始める。


「……薬が全身に回るのに時間が掛かったのでしょうか」

 

 斎藤が呻いた。

 防壁に穴が空くギリギリのタイミングだった。

 

 たちまちのうちに火炎戦車ファイアタンクは、無数の雲霞うんかのごとき下級悪魔の群れに変じた。

 

「やった!」

「いえ、まだです! 今度は分散した無数の悪魔を倒さないといけません!」

 

 博孝の歓声に、みつるが険しい表情で答える。

 火炎戦車ファイアタンクから分裂した悪魔は、ざっと数百体はいそうだった。

 悪魔は次々と防壁に取りつく。

 しかしその瞬間、防壁の上からレーザー光線のような光が放たれて、悪魔の一部を焼いた。

 

「あれは……?!」

『例の対空装備だよ。間に合って幸いだ』

 

 みつるのノートパソコンから夏見の声がした。

 通信回線をつないだらしい。

 例の対空装備って、出発直前に増築するって言ってた奴か……。

 

『防壁に近づくとこちらの攻撃に巻き込まれる恐れがある。君たちは適当な場所で待機してくれ。対空装備で数を減らしてから、敵を各個撃破する』

「いや、それじゃ足りないだろ。敵の数が多すぎる」

 

 俺は行儀悪く夏見の言葉をさえぎった。

 黒麒麟ナイトジラフの弓を撫でて、イズモの防壁を埋めるような悪魔の群れに照準を当てる。

 

「一発、でかいのを撃つ。そうしたら、後はお前の言う通り各個撃破すればいいさ」

『神崎、私は指示していないぞ』

「温存してどうする? クラウドタワーに続き、防壁まで破られたら、お前の権力も失墜するぞ」

『……』

 

 夏見は何故か俺に甘い。

 今だって、俺の残り体力に気遣って、切り札を切れずにいるのだから。

 

『……無理はするな』

「了解」

 

 今、無理をせずにいつ無理をするんだか。

 

「神崎さん……?」

「その辺で止めてくれ。そこから狙撃する」

 

 戸惑うみつる。夏見との会話は、事情を知らない者には意味が分からないだろう。

 しかし、説明足らずの俺の要請に竹中は黙ってジープを停車させた。

 俺は弓を持って、ひらりと付近の民家の屋根に飛び移る。

 

「これを撃ったらしばらく動けなくなるから、後は頼む」

「えっ?」

 

 瓦屋根を踏みしめて、俺は意識を集中した。

 

「……千匹の悪魔を撃墜したってのは誇張しすぎだろうが、まあいい。とっておきを見せてやるよ」

 

 赤い光の粒子が俺の周囲で円を描く。

 空間がきしむほどの「力」が辺りで揺らめいた。

 ごうごうと渦を巻く風と共に、俺の弓に光が収束していく。

 同時に虚脱感が俺を襲った。

 この技は文字通り、全力を使う技だ。

 残りの体力を持っていけと言わんばかりに弓矢につぎこんでいく。

 しかし今回は事前に何発も大技を撃っているので、なかなかに苦しい。中途半端な矢を撃ってしまえば、技の使用後に動けなくなるので危険だ。ここはギリギリを越えて生命力まで振り絞るしかない。

 

「……俺を助けてくれ、日和ひより

 

 唇から漏れたのは、無意識の祈りの言葉。

 

 

 ――大丈夫だよ。私はいつだって、優くんと一緒にいる。

 

 

 肩に温かい手が触れた感触がした。

 最後の光が矢に充填される。

 数百の悪魔を殺しきるのに十分な力が溜まった。

 

「――"流星雨"!!」

 

 矢が辿る幾百もの軌道、その流れ星のような輝きを思い描きながら。

 俺は切り札を撃った。

 

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