第8話 帰郷

 他人と狭い部屋に押し込められると、息が詰まる。

 俺は二時間くらいで耐えきれなくなった。

 

「外に出ていいか? 車の上に乗らせてもらう」

「おい……」


 眉をしかめる博孝ひろたかを無視して、俺は走行中の車のドアを開けようとした。


「あ、生体ロックが……あれ?」


 何か言いかけたみつるが、途中で黙る。

 カチッと音を立てて簡単にドアが開く。

 外に出ながら俺は、ドアは生体認証で登録した人しか開けられないようになっていたのだろう、と推測した。俺の名前がデータベースに残っていたのだから、認証情報が残っている可能性もある。

 しかし、普通はセキュリティを考えて、組織を離反した者の情報は削除するのが通例である。

 俺の情報はわざと残されていたのだろう。

 夏見は何を考えているのだろうか。


「ふー……」


 車のボンネットによじ登り、適当に座って暗い空を仰ぐ。

 戦闘に飛び込んだのは夜のこと。

 あと数時間で夜明けだろうか。


 支援車両は、放置自動車が転がっている高速道路を南下しているところだった。錆び付いた標識の上に赤い目のカラスが止まっている。カラスたちは俺を見ると、ギャアギャア鳴いて飛び立った。


 廃墟になった街と、静かに光る海。

 俺はただただぼうっとして、それらの光景を見送った。


 いつの間にか時間が経ち、夜明けが来た。

 

「ユウさん、朝ごはん、一緒に食べませんか?」


 車両のドアが開き、仏頂面の博孝と共に葉月はづきが、俺の隣に登ってきた。

 サンドイッチを手渡してくる。

 コンビニで売っているようなフィルムに包まれた食べ物だ。支援車両に積んである食糧なのだろう。


「ありがとう」


 俺はありがたくサンドイッチを受け取って、フィルムを剥がすと口を付けた。

 具は卵とツナだった。


「……人間なんだな」


 博孝は俺を複雑そうに見た。


悪魔イービルは、人間の食事をしない」


 俺がサンドイッチを食べるのを見て、警戒が解けてきたらしい。

 正確には悪魔イービルと人間のハイブリッドなので、そこまで腹が減らないのと、悪魔イービルとしての食事も必要なのだが、それは言わないでおこう。無駄に警戒を煽る必要はない。


「博孝は失礼だよ。ユウさんは良い人だよ! ねえ?」

「って、当人に聞かれても」


 にこにこした葉月に話を振られて返事に困る。

 博孝は俺たちのやり取りを無視して、遠くを眺めていた。


「……イズモが見えてきたな」


 支援車両はとうげに差し掛かっている。

 山を越えた先に、沿岸に発達した都市が見えてきた。

 都市の周囲を取り囲むように、高い壁が屹立している。

 壁の中の街の中心付近に、周囲の建物と比べても非常に高い、特徴的なタワーが建っている。白み始めた空を背景に、真新しい高層ビルディングの群れは青い光を放った。




 車両に乗ったまま、俺たちは都市を囲む壁を越えた。

 途中に検閲のような場所があったが普通にスルーされた。

 どうやら話が通っているようだ。


 俺は自衛都市イズモに足を踏み入れた。


 長い間、廃墟になった東京に暮らしていたからか、都会に来た感が半端ない。人の数が多いし、建物は綺麗で整っている。

 それと……。


「なに、あのモルモットみたいなの」


 見慣れない茶色の丸っこいげっ歯類が、往来のそこかしこを闊歩している。

 踏みそうになった俺は、モルモットの目が赤いことに気付いた。


「悪魔?」

「知らないんですか? この子はマーモルモです!」


 葉月がモルモットを拾い上げる。


悪魔イービルの研究の過程で生み出された、人を襲わない悪魔だそうです。元はイービルウイルスに感染したモルモットを、品種改良したらしいですが」

「へえ……」


 年月が経つと変わるものだ。

 悪魔の侵攻が始まった当初は、人々は赤い目を見ると震え上がって恐怖していた。しかし今では、かなり悪魔の存在に慣れてきたらしい。

 マーモルモとやらは、なぜか俺に関心を示して、複数匹わらわら近寄ってきた。俺の正体に気付いているようだが、敵の下級悪魔と違って逃げる様子はない。むしろ撫でてといわんばかりに、丸い頭を押し付けてくる。


「……葉月っ!」


 集まってきたマーモルモに困っていると、通りの向こうから老婦人が焦った様子で走ってくる。

 老婦人は白いブラウスに黒いスカートを履き、胸元に十字架を下げていた。


「お母さん!」


 葉月と老婦人は、がしっと抱き合う。

 

「心配したのよ、葉月……!」


 どうやら老婦人は、迎えにきた葉月の母親のようだ。

 上品な雰囲気の彼女に見覚えがあるような気がして、俺は目を細める。

 俺の視線に気付いたように、老婦人は振り向いた。

 葉月が我に返って、俺を紹介しようとする。


「あ、お母さん、彼は私の恩人で」

「……神崎君?」


 老婦人は俺の名前を懐かしそうに呼んだ。

 視線をあわせてようやく、俺も思い出す。


「久しぶり、あおいさん」


 時の流れは残酷だ。

 美人な女性だった葵さんは、近所のおばさまになってしまっている。だが不思議なことに、残念な気持ちより、再会を喜ぶ気持ちの方が大きかった。


 向こうもそれは同じだったようだ。

 目元に光る涙に手を添え、葵は俺を見る。


「神崎君、やっと会えた。ずっと、あなたにお礼をしたいと思っていたの。あの時、助けてくれて、ありがとう……」


 礼を言いたいのは俺の方だ。

 彼女の言葉を聞いて、イズモに来て良かったと、単純にもそう思えたのだから。


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