第十一話 燦々の目

「現人と魔人は長い間、抗争の関係にあります」


 レドリー先生が教壇に立ち、柔らかい面持ちで生徒らに語りかけている。


「ずっとー?」


 一人の生徒が手を挙げて言う。


「ええ、ずっとです。長い間、というのは適切ではありませんでしたね。気付けばずっと。記録として残っているのは最も古くて千年前。そしてそれが三界歴の始まりともされています」

「どうしてずっと喧嘩してるのー?」


 今度は別の生徒が手を挙げる。


「それは魔人がとても非常で残虐であるがためです。ずっと大昔から、現人は魔人に迫害されてきました。おそらく千年以上前からも……」


 しかし、とレドリー先生は続けた。


「そこで天人様はこの世界を三つに分けることで平穏をもたらしました。魔人は魔界に、天神様は天界に、そして現人は現界に。ですが、それでも界門がある以上、彼らは攻め入ってきます。だから天人様は魔人に対抗するために『加護』と呼ばれる力を我々に授けてくださりました」


 現人にのみ発現する特殊能力。それは生まれつきだったり、


「とにかく魔人は危険な生き物です。関わりを持ってはいけません。許可なく魔界へ侵入するのも、言語を知ることもいけません。魔界及び魔人への干渉の規定についてはまた別の授業で詳しくお話します。……というわけで、現人と天人の協力関係、そして魔人との確執についてでしたが……」


 レドリー先生はチラリと時計を覗く。


「時間ですので今回はここで終わりにしましょう」


――――


 マレスたちは大空洞内で暖を囲っていた。適当な岩を椅子代わりにし、倒したぽこぽんの肉を焼いて食う。


「むむっ! これ、美味しいです!」


 クリーム色の少女が怒涛の勢いで肉にかぶりつく。見かけによらずワイルドな食べっぷりだ。相当腹が減っていたのだろう。実際、倒れてしまったのは空腹だったからだそうだ。


「あの、天使様……?」

「リリーゼ」

「えっ?」


 彼女は指先に付いた肉の油をぺろっと舐める。


「私の名前はリリーゼです。リリィって呼んでください。あと、天使でもないですよ」


 天使とは、読んでそのまま「天からの使い」だ。一般的には公的な目的で現界に降りてきている天人をそう呼んでいる。


 つまり、このリリーゼという天人の少女は公的な目的があって現界に来たわけではないということだ。


「リリーゼ様はどうしてこんな場所に……」

「リ・リ・ィ! あとその話し方も駄目です。もっと気安く話してください」


 リリーゼは人差し指を立てて指摘する。


「しかし天人のあなたにそのような口の利き方は……」

「いいんです」

「ええと……」


 マレスとエルは互いに顔を見合わせて表情で示し合わせる。


「ほんとにいいんですか……? 僕らを試していたりとか……」

「そ、そんなことありません! 有り得ません!」

(言葉の重みがすごい……!)


 彼女は手を顔の前でブンブンと振って否定する。嘘をついているようには見えない。他でもない天人様のご所望とあらば、それに従うしかないだろう。


「なんか罪悪感があるけど……本人が言うなら仕方ないわね」

「うん……そ、それじゃあ、よろしく。……リリィ」

「はい! いい感じです!」


 彼女は嬉しそうに手を合わせて微笑んだ。


「あぁ、あと僕はマレス。マレス=オリユーズ」

「エル=ガレミアよ」

「マレスにエルですね!」

「……リリィも砕けた話し方でいいんです……いいんだよ?」

「これは私の癖でして、誰に対してもこうなんですよ」


 天人は皆そういうものなのか、リリィの育ちがいいのか。どちらかは分からない。マレスは「そっか」とだけ答えた。


「で、話を戻すけど、どうして現界に?」

「そ、それは……」


  天人が使い以外の用で現界に降りてきたのだ。きっと重大な理由なのだろう。マレスたちはごくりと唾を飲んだ。


 リリィは体をモゾモゾと揺らし、やがて心を決めたのか口を開いた。


「家出ですっ!」


「えっ」

「えっ」

「えっ?」


 マレスとエルが呆気に取られて目を丸くしたのを見て、必要のないリリィまでなぜか首を傾げた。


「ええっと、……どうして?」

「お父様と喧嘩しました」


 リリィは頬を膨らませてぷいっと顔を横に向けた。


「酷いんですよ! お父様ったら私が作った料理を『おいしくない』って言ったんです! そんな正直に言わなくてもいいじゃないですから! だから私もう怒って――」

「……ぷっ、ふふっ」

「あは、あっはっはっは!」


 まさか天人様がこれほど無邪気だとは思ってもいなかったものだから、マレスたちはついつい笑ってしまった。


 天人にも若気の至りがあるようだ。


「むっ。笑い事じゃないんですよ! 私にとってこれは大事件なんです! 天地がひっくり返るほどの由々しき事態なんです!」

「わかった。わかったよ。……くくっ」


 天人と出会った緊張と、予想外のやんちゃぶりとの落差が彼らの横腹をつつく。リリィはより一層頬を膨らませて今にも爆発しそうだ。


 直後、地鳴りが起きた。リリィが爆発したわけではない。


『ガギ、ギギギ……』


 反対側にある洞窟から一ッ目の巨人がギロリとこちらを睨んでいた。笑い声におびき寄せられたか。しかも気が立っているように見える。


「エル、リリィ。下がってて!」


 マレスはすぐさま臨戦態勢を整える。


「私も――痛ッ」

「エルは無理しないで。リリィのことだけお願い」

「あんたは一人で平気なの……?」

「大丈夫。なんか、負ける気がしないんだ」


 既に一度戦った相手だからというのはもちろんある。しかしそれ以上に死地が彼を底上げした。イレギュラーさえ無ければこの相手なら容易い。そんな得体の知れない、しかし満ち足りた自信が彼を覆っていた。


「私も一緒に戦います!」

「えぇ!?」


 だが、ひとつイレギュラーがあった。彼らは出会っていた。天真爛漫、純真無垢なこの天人と。


「いやいや、リリィに危ないことをさせるわけには」

「いいからいいから。こう見えても私、強いんですよ」

「え、そうなの……? うーん、でも……」


 マレスは押しに弱い。女性からは特に。


「リリィ。あなたはあくまでも天人。もしあなたが怪我したら色々と大変なのは分かっているでしょ?」

「大丈夫ですって! なんとかしますから!」


 天人はあくまで現人が敬うべき存在。もし天人が現人のせいで怪我をしようものなら大事になる。もちろん本人がなんとかするというのであれば問題はないのだろう。


 だが双方には価値観に溝がある。マレスたちはリスクを背負う側だから慎重にもなる。


「……どうしても戦うつもりなら話し方戻しますよ? いいんですかリリーゼ様?」

「あーだめだめ! ……分かりました。じっとしています」


 しかし、こういうときのエルは強かった。リリィが困るであろう言葉を的確に選び取り、無理やり丸め込んだ。


 リリィは渋々承諾し、エルの傍らで膝を抱えてしょげてしまった。




 一ッ目の巨人が大きく振りかぶる。それと同時に巨人の胴体から血飛沫が舞う。マレスの渾身の一振が土塊の鎧ごと巨人を裂いていた。巨人が喚く中、マレスは巨人の膝裏を強打した。急に重心が落ちた巨人はバランスを保てず尻もちをつく。マレスは(土塊の鎧はあるが)無防備の巨人に容赦なく太刀を叩き込んだ。


「マレス、すごいですね!」

「う、うん……」


 エルはマレスがぽこぽんを倒した瞬間を見ていない。その僅かな間に何があったのか。その変貌ぶりに、彼のことが全くの別人――というよりもウィタが重なって見えた。


「ねえ、やっぱり一緒に戦っちゃ……ダメですか?」

「だめ」

「おねがい!」


 リリィが子犬のような目でずいっと身を寄せる。


 まだ寸刻の関係だが、彼女が非常に好奇心旺盛で、かつ頑固であることをエルは理解していた。


 この目はきっと止められないだろう。エルは戦闘しているマレスの方を見る。巨人はもう死に体。土塊の鎧は剥がれ落ち、露出した肉から血が流れている。もはやものの数秒で決着は着くだろう。


「……お好きにどうぞ」

「やったー! エル大好きです!」

「痛い痛い痛いっ! ばか!」


 リリィがエルに勢いよく抱きついた。


 後ろから聞こえてくる黄色い声で察したマレスは「あはは」と苦笑いして、巨人から距離をとる。


「よし、いきますよー!」


 リリィの両手が淡く光る。


 現界にはこんな御伽噺がある。


 ある日、天界の都を不死鳥が襲った。都は瞬く間に消すことのできない紫の炎で焼き尽くされ、混乱が渦巻いた。


 そんな中、立ち上がったのは一人の青年。彼は魔力で錬成した光の弓を引き絞ると、頭上へと向かって打ち放った。放たれた矢は途中で放射状に分かれ、都に降り注いだ。混乱がより険しくなる。しかしその矢は天人をすり抜け、紫の炎だけを浄化した。矢を受けた不死鳥は苦しそうに叫び、都を去ったのだという。


(きっとリリィも美しく弓で戦うんだろうなあ)


 リリィは強く地面を蹴った。


「えいや〜っ!」

「素手かよ!?」


 リリィの拳が巨人の頬に炸裂する。どうっという重い音と一緒に巨人の体が浮いた。地面に打ちつけられた巨人はピクリとも動かない。見れば巨人の顔に深く打痕がついていた。


「ねっ! 私、強いでしょ?」


 彼女は自慢げにピースサインを見せつける。


「リリーゼ様? 少しお話が」

「あっ」


 感情の伴っていない笑顔のエルに、リリィは青ざめる。このあとエルにこっ酷く叱られたリリィであった。


   *


 その後、彼らは出口を求めて洞窟を進んだ。エルはコンパスで方角を確認しながら、落下地点からの距離をおおよそ測定する。途中何度か魔物と遭遇したが、マレスがそれを撃退。リリィはずっと煩かった。


 そして半日後。彼らはようやく洞窟の出口を発見した。縦穴になっている出口からは生の日差しが煌々と降り注いでいる。その光を目指すように、マレスが先に一人で岩壁の凸凹に手をかけ、よじ登った。


 薄暗かった視界が開け、瑞々しい緑色が目一杯に彼を囲う。久々に吸う外の新鮮な空気にほっと一息をつく。しかし下から「早くー」との声が聞こえたため、マレスは急いでロープを下ろして彼女らを引き上げた。


 どうやら出た先は森の中のようで周りを草木が覆っていた。正面は草が薄く生え、道になっている。


 しばらく歩いていると道を隔てるように備え付けられている柵。そして、その向こうに看板が立っていた。看板にはマレスたちが来た方向を示す矢印と『"危険" これより先レベル6危険区域アリ』の文字。


「げ、あそこレベル6だったの!?」

「思ってたよりもピンチだったんだね。僕たち……」


 エルの見立てよりも高い危険度。冒険者にとって危険の読み違いは命に関わる。とはいうものの、今回のイレギュラーは変異種のぽこぽんだけだった。つまりレベル6の魔物であれば対処可能だということだ。それが分かっただけでも儲けものだろう。


「とりあえず道に沿っていけばレグリアに着くのかな」

「そうね。方向的には合ってるわ」

「それじゃあ行きましょー!」

「おー!」

「ストォーーップ!」


 二人の意気込みをかき消すように、エルが歯止めをかけた。


「その見た目はまずいんじゃない?」


 エルがリリィを指差す。


 連れに天人をがいるとばれたら彼らとしても、家出をしているリリィにとっても喜ばしいことではない。


「それなら問題ありません!」


 リリィが目を閉じ、自然体に構えると徐々に光輪が消え、翼が折りたたまれた。


「……はい、これでばっちりです!」

「「おおー」」


 二人は慎ましく拍手した。別段技術力が高かったからというわけではなく、そもそもそんなことが可能だったのかという驚きの拍手だ。


「へえ、こう見ると私たちと同じように見えるわね」

「えへへ、お揃いですね」


 お揃いというのもなんだかおかしな表現だが、それが嬉しいのかリリィは無邪気に微笑んだ。


 準備の整った三人はレグリアを目指して意気揚々と砂利道を鳴らして歩いた。


   *


「やっと着いたね」

「すごく長かった気がするわ」

「これが現界の村なんですね!」


 三人は眼前に広がる集落を見て言う。山の麓にあったシュタト村やマル村とは異なり、平地に耕地と住居が散らばっている。三人が来た南西の道と中心地へ続く北の道がそれぞれ伸び、森林が村を囲うように生い茂っている。


 冒険者として初めての外国。その初めての村。エルに関してはレグリアに来るのは初めてではないものの、やはり感傷に浸りたいところだったが、しかし彼ら(リリィは除く)にそんな余裕はなかった。


「とりあえず休めるところを探そっか。今日はもう……ふああぁ」

「そうね……ふああぁ」


 休憩は適度にとってはいたが、ごつごつした洞窟では取れる疲れも取れない。二人は揃ってあくびを漏らす。


 そんな二人を見てあくびの真似をするリリィ。


 三人は村へ入る。道中の立て札によれば『 』という村らしい。隣国だからか家の造りはそこまで違いはない。強いて言えば使われている木材が明るい木肌をしていることくらいか。


 入口から歩いて少し、他とは異なる造りの建物が一つ。目立つように建てられたであろう赤い屋根のその建物。その扉の右上にはベッドのマークが描かれた札がぶら下がっている。


 マレスは「こんにちわー」と挨拶しながら扉を開けた。扉の内側に取り付けられていたベルがちりんと鳴る。


「おや、いらっしゃい」


 真正面のカウンターには受付であろう女性が一人。三十代後半くらいの恰幅のいい御仁だ。


「一人用の部屋と二人用の部屋をひとつずつ借りたいんですけど」

「えぇ!? 私だけ一人とか寂しいです!」

「違うわよ。こいつが一人部屋よ」

「えぇ!? 一緒の部屋がいいです!」

「それは無理よ」

「えぇ!? 三人部屋はないんですか!?」


 リリィのスイッチが入ってしまった。受付の女性がは「ふふっ」と笑うと、手前にいるマレスに質問した。


「今年から冒険者になったのかい?」

「はい、そうです。よく分かりましたね」

「この時期になると毎年何組かここを訪れるのさ。あなたたちは結構早い方だね」

「そうなんですね。まあ早く外を見てみたかったのは間違いありませんね」

「三人は賑やかで楽しそうだねえ」


 女性は子猫のじゃれ合いでも見てるかのように三人を見つめる。


「あら、あなた……」


 ふと、女性が何かに気付いた。


(もしかして……)

(リリィが天人ってばれた……!?)

「間違ってたら申し訳ないんだけど――」

「なに母さん。また冒険者?」


 女性の声を遮るように子供の声が聞こえた。受付横の、たぶん女性の家族が使う通路からマッシュヘアの小柄な――ちょうど十年前のマレスと同じくらいの身長の――少年が三人を無愛想に睨んでいた。


「こんにちは」

「……早く出てってよ」


 少年が思わぬ棘のある言葉を吐く。


「こら! レック! お客さんにそんなこと言っちゃダメでしょ!」

「……」


 叱咤も取り合わず、レックと呼ばれた少年はどことも言わずに正面の扉から外へ去っていった。


 女性は「ごめんなさいね」と謝る。彼女曰く、さっきの少年は息子だ。少し前から冒険者を嫌っている。彼女は三人を部屋まで案内しながら教えてくれた。




 マレスが部屋に荷物を置く。ベッドが窓際に一つ。その横には引き出しが三段あるチェストにランプが設置されている。ベッドから向かって右――つまり扉から向かって左には全身が映るくらいの鏡が乗ったデスクが置いてある。


 宿屋としては最低限の設備だろうか。


 コンコン、と扉を軽く打つノックの音。マレスが「はーい」と返事すると扉がゆっくり開いた。エルとリリィが立っていた。あとでマレスの部屋でミーティングをしようという約束だったのだ。


 エルとリリィがベッドに、マレスは机から椅子を引いて腰を下ろした。


「というわけで今後についてだけど、とりあえずエルの怪我が治るまでこの村に滞在しようと思う」

「……ごめんなさい」

「しょうがないよ。冒険者なら怪我は付き物だし、なによりは予想外だった。しょうがない」


 マレスはエルがなるべく気に留めないように流暢に慰めた。


「で、もう一つ考えないといけないことが。……まあ、考えるのは僕じゃないんだけどさ」


 マレスは彼女に目を移す。


「リリィはこの先どうするの?」

「えっ」


 何も考えていなかったのか、あるいは自分の話になると思っていなかったのか、きょとんとする。流れで一緒にこの村まで来てしまったが、彼女はそもそも際遇の関係。しかし、短いとはいえ最早他人ではない彼女のこの先も心配になるものだ。


「んー……うーん……あっ、簡単なことでした!」


 しばらく頭をこねこねと揉んで悩んでいたリリィは突然、閃いたと言わんばかりに掌をパッと開く。彼女はとても笑顔だ。


 あっ、これはまずい。マレスとエルは彼女の目を見て直感した。


「マレスとエルの仲間に入れてください!」


 燦々と輝く彼女の目は二人を捉えて離さなかった。当然だが、光は止められない。


「……お好きにどうぞ」


 その恐ろしい光量に当てられた二人に抵抗する意思はなかった。

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