幕間 ウィタ=ティーゼスは振り返る。

 規則正しく並ぶ人の列。皆、一様に剣を構えては振り下ろす動作を繰り返す。その列の先頭にいる白銀の髪の少年は漠然と剣を振り、しかし裏腹にその軌道はは誰よりも鋭く弧を描いていた。


(やる気が出ない)


 反抗期というわけではないのだが、時折感じるやるせなさ。嫌いではない、苦しくもない。自失。言うなれば倦怠期。


 剣を振るうことは楽しい。しかし悪い意味で子供らしくない少年は、ただ楽しいからという理由で目的もなく過ごすことを煙たがる。見通しの利かないその景色に早くも嫌気が差していた。


 そんなある日、本を読んだ。それは子供向けに作られた勇者の伝記のようなもので、その勇者の最期は実にあっけないものだったが、それまでの冒険譚は少年の心を大きく揺さぶった。


 未知の領域への進入、仲間との出会い、魔王との対峙……その全てが少年の興奮を掻き立てた。やっぱり子供である少年はその壮大な英雄譚に心を掴まれた。


 劇的でもなんでもない、日常の途中で一冊の本を読んだだけだったが、しかしそのきっかけはそれからの日は色濃くするのに十分だった。




 ある日教室で高らかに宣言している者がいた。ぼくは勇者の生まれ変わりだから勇者を目指す。馬鹿げている。しかしどうしたろうこの気持ちは。


(イライラするな)


 ただの本を読んで決意した自分に対して、彼は前世の夢を見たと言う。


 普通と特別。


 それが偽りだったとしても、その差は少年には到底許せることではなかった。羨ましく、恨めしい。まるで自分は特別ではないと言われているような気がして、思わず喧嘩を吹っ掛けてしまった。


 結果は圧勝も圧勝。感情的になった自分が原因で発生した勝負だったため、少しだけ後ろめたさがあったのだが、勝負が終わってからそれも消えていた。


 明らかに努力をしていない愚か者。声高に夢を語っておいてこいつは何もしていないのだ。普通も特別もどうでもよくなるほどに彼は失望した。


「お前は偽物の勇者だ」




 しかしそんな愚か者が突然入門したいと道場にやって来た。確かに最近、心を入れ替えた節はあるのだが、まさかこの道場にやってくるとは。


 だが、どうせ長くは持たないだろう。ウィタは思う。


 しかしながら、勇者を目指す少年の、同じく勇者を目指す少年に対する予想のような願いは叶うことはなかった。


 一年が経っても彼は挑み続けてきた。未だに相手にならない実力差なのに立ち向かってくる彼はやはり愚か者だったが、何度も受けているうちにウィタは得も言われぬ熱を密かに抱いていた。これが対抗心だと気付いたのはもう少し後のこと。


 その年、彼らは『武の栄典』を観戦しに行くことになった。


 勇者を目指す彼らが夢を叶える場所にして、勇者としての夢が始まる場所。そして彼らよりも一回りも二回りも大きく、彼らと志を同じくする強者たちが勇者の座を争って激戦を繰り広げていた。


(すげえ、すげえ!)


 らしくもなく興奮を露わにするウィタ。


 一回戦から白熱した戦いが繰り広げられていたが、最高潮の盛り上がりを見せたのはやはり決勝戦だった。


 原初から始まり、数々の英雄を輩出する、この由緒ある武の栄典が開かれる国――ラナーヘイロが持つ世界最高峰の兵団の最上である『龍の腕』ゾング=スー。彼に対するは三十年間その座を誰にも許さなかった『紅蓮の勇者』アルドルト=ヘンリ。


 食らい尽くす龍と飲み下す激流。互いに油断をすればその瞬間終わってしまうほどの戦い。


 ――それが一般人の見ている景色だ。


 この二人の間にそびえる分厚い壁にどれだけの人間が気付いているだろう。正確ではなかったがウィタにはそれが見えていた。


 壮大な茶番だ。しかし少年はそれに呆れるわけではなく、むしろ見惚れていた。極めたはずの者を掌で転がすゲームメイク。パフォーマンスとはいえ対戦相手への侮辱に等しい行為だが、眩いリスペクトがそれを塗りつぶした。


 本で想像したよりもずっと遠くの存在。それが勇者。


 勝利したのはアルドルト。遂に過去最高タイの四期連続優勝を果たした彼はその偉業を鼻にかけるでもなく涼しげな笑顔で観客を迎えた。


 むせ返るほどの熱気が闘技場を覆い尽くす。


 その熱気に煽られたかのように、制御の利かない何かが少年たちの中で唸り始めた。


「「俺(僕)は勇者になる!」」


   *


 さて、未だ冷めやらぬ会場の熱気を後にして、ウィタらは外へ出た。会場の周りは賑わいで溢れかえっている。大規模なイベントで多くの学校や仕事が休みなのだ。そしてそんな観光客を狙って稼ぎの絶好の機会である商人たちが所狭しに露店を構えている。


 三人が適当な店で食事を済ませたあと、ウィタの父が二人に駄賃を渡した。最終日は決勝戦のみだったため、余った時間は自由にしていいとのこと。ウィタの父は用事があると言ってどこかに行ってしまった。


「うおぉぉぉおおおおおっ!」


 普段手にすることのないお金を手にして吠えるマレスは、露店が立ち並ぶ通りの奥の方へと走り去っていった。


 ウィタは一人取り残され立ち尽くす。


(特にやることもないし適当にぶらつくか)


 ディラ街では見慣れない町並み、服装、人種……これはある種の冒険だ。知らない世界、未知の体験。人の川に店の森。


 用はないが興味はある。表には出さないがマレス同様、彼の中の好奇心が疼いていた。


 武器屋でも探してみようか。とりあえずマレスが向かった方向とは逆の方向に足を進めた。




「うぅっ……ぐすっ……」


 マレスが歩き出してすぐのこと。人の川が中央付近のある一点を避けるように流れていた。そこには涙目で立ち尽くしている獣人の少女。雑踏は彼女に気付いていないのか、気付かないふりをしているのか、流れを乱すことなく少女を通り過ぎる。


「どうしたんだ。迷子か?」


 だが、ウィタはその少女に声をかけた。


「おにいちゃんだれ?」

「俺はウィタ。お前の名前は?」

「……シェイラ」

「苗字は?」

「みょーじ……」


 不思議そうにウィタの顔を覗き込む。見たところ四、五歳だろうか。垂れた丸耳、明るい毛色にポンチョを着ている。寒地のラナーヘイロでは一般的な服装のひとつだ。


「……えっと、この街に住んでるのか?」

「う、うん」

「家は?」

「あぅ……」


 小さく悲鳴を上げるシェイラ。怖がらせるつもりはないのだが、ウィタが前のめりに質問するものだから、幼き少女には圧迫されているように感じた。


「す、すまん。シェイラのお母さん、お兄ちゃんが一緒に探したいんだけど、いいか?」


 それに気付き謝るウィタ。シェイラに目線を合わせてなるべく優しく語りかける。少女はそれに対して不安がりながらも、小さくこっくりと頷いた。


「それじゃあ行くか」


 ウィタが手を差し出す。シェイラは自分より大きなその手をまじまじと見つめてから、おもむろに掴んだ。


 その時、不意にクルクルと、小鳥のさえずりのような音が聞こえたような気がした。ウィタが横を見ると、自分のお腹を押さえながら見つめている少女の姿があった。


「腹減ったのか」

「……うん」

「そうか」


 ウィタはシェイラの手を引き、適当な露店の前で止まった。芳ばしい香りが鼻をくすぐる。どうやら様々な魔物の肉を一口大に丸めて焼いたものに香辛料をまぶしたものを売っているらしい。


 どうせ使う予定もなかったお金だ。ウィタは店主に一人分の代金を渡し、肉団子がいくつか入った袋を受け取った。


 それを傍目で見ていたシェイラに手渡す。シェイラは一瞬、見慣れない料理と容器を観察するが、あっさりとその香りに懐柔され、袋の外から肉団子を器用に押し上げると、袋から顔を出したそれを頬張った。


「おいしい!」


 少女は目を煌めかせ、ウィタに訴える。見知らぬ少年に抱いていた緊張も幾ばくかは解けたようだ。


「よかったな」少しだけ口元を緩める。兄弟のいないウィタにとって不思議な感覚だ。


「おにいちゃんもたべる?」

「いや、俺は別に」

「たべないの……?」

「……っ」


 シェイラが肉団子が入った袋をウィタに差し出す。既に昼飯を食べ、お腹が空いていないウィタは断ろうとするが、シェイラが悲しそうな顔をするものだから、言葉が詰まってしまった。


 ウィタは仕方なく袋を手に取ろうとする。


「あーん!」


 が、肉団子がウィタの口元まで押し寄せていた。思いもよらなかった行動にウィタ、硬直。


 兄弟もいない。剣道場の門下生として作法を教えられ、師匠でもある硬派な父の姿を見て育ってきたウィタにとって、こういうことは想像だにしていなかった。


 固まるウィタを見て、食べたくないのかとまたもや顔が萎れそうになるシェイラ。ウィタは戸惑いながらも口を開けて、肉団子を咥えた。


「あんちゃんたち仲いいねー! 兄妹?」

「んぐっ……!」


 不意打ち気味に肉団子の店主から呼びかけられ、思わずむせるウィタ。ぎりぎり口の中で耐えてくれた肉団子を咀嚼し、飲み込んだ。


「ち、ちがいます。この子とは……そうだおじさん。この子のこと知りませんか? 迷子みたいなんです」

「迷子かあ。生憎はこの街の人間じゃねえから分からねえなあ」

「そうですか。あ、これ美味しかったです」

「へへ、あんがとな。嬢ちゃんの家族見つかるといいな」

「はい」


 ウィタは一瞥して肉団子屋を後にした。


 その後はシェイラが興味を示した露店に寄っては聞き込み、寄っては聞き込みを繰り返した。見たこともない植物を売る花屋、繊細な細工を施している人形技師に奇天烈な大道芸を披露するピエロたち。世界が集約しているお祭りに、ウィタの興奮も段々と抑えられなくなってきた。


 しかし、聞き込みの方はてんで収穫なし。シェイラの身元を知る人物になかなか出会えない。国外からの人間が多くいるこの時期なら仕方の無い話だ。


 雑踏の流れに乗って次の店を探していたとき、ふとウィタが立ち止まった。


「すまん。少しここ寄ってもいいか?」


 シェイラの心の赴くままに行動していたウィタが初めて興味を示した。


 武器や防具がずらりと並べてある露店。しかしウィタ目線はそこではなく、その横の空間に向けられていた。大人の高さくらいある人形と「挑戦者求む」の看板。


「さあさあ! 剣の腕に自信のある強者大歓迎! 我こそはという奴ぁいねえか! 豪華賞品もあるぜえ!」


 スキンヘッドの店主が大声を挙げて、辺りを取り囲む観衆を焚きつける。しかし観衆は互いに苦笑いするだけで、名乗り出るものはいなかった。なぜなら先程までチャレンジしていた大男が失敗した姿を彼らは見ていたから。


 ちなみにその大男は店の隅で膝を抱えてしょげている。


「おいおい、誰かいねえのかぁ? せっかくの栄典だってのに腰抜けばかりかよ」

「やります」


 店主の下手な煽りを突き破るように返事をしたのはまだ幼さの残る少年の声。店主は声の主を探してあたりを見回す。たむろするギャラリーの最前列、店主が視線を下ろすとウィタが手を挙げていた。


「おにいちゃん、剣つかえるの?」

「少しだけな。しばらくそこで待ってろよ」


 シェイラの頭をぽふっと撫でると、ウィタは観衆の中から足を踏み出した。


「小さな剣士一名様、ご案内!」


 店主が大袈裟に声をあげる。それに呼応するように観衆から大歓声。中には『あんなチビに無理だろ』とか『あの子可愛くない?』だとかも聞こえてくる。


「ルールは簡単。この三体の人形をたたっ斬るだけ。ただし、挑戦できるのはそれぞれ一回までだ。質問はあるか?」

「ありません」


 ウィタは代金を渡しながら、短く返事をした。


「まいどあり。あっと、魔法は厳禁な。あくまでも剣術のみで挑んでくれ。子供用だから難易度は低いが、だからって下手にやっても斬れやしねえ」


 『子供用』というワードにウィタの眉がぴくりと動く。剣の才を自負しているウィタのハートにほんのり火がついた。


「剣はこれを使ってくれ。業物ってわけじゃあないが、それなりにちゃんと切れる代物だ」


 店主が剣を渡すと、ウィタは鞘から抜いて刀身を観察した。なるほど確かに店主が言ったことは嘘ではないようで、少なくとも粗悪品ではないらしい。

 

 ウィタは体の中心に剣を合わせて構えた。何度も繰り返し、体に染み込むほど洗練された淀みのない美しい姿勢。清涼感すら感じるそれは、

 子供が放ったとは思えないほど鋭い袈裟切りに、店主は感嘆の声を漏らした。


 剣の軌道に沿って崩れる人形の上半身が、ドサリと音を立てて地面に落ちる。


『いいぞいいぞ!』

『すごいわ、あの子!』


 観衆が盛り上がりをみせる中、続いて二体目も斬り伏せた。


 地面に軽く固定されているだけの人形は、力みすぎれば倒れてしまい、躊躇すれば刃が通らない。だが、繊細で鋭い剣さばきこそが真骨頂である彼にとってそれは――


「はぁっ!」


 あまりにも容易い。


『うぉおおおっ! あのちびっこすげえぞ!』

『ふ、ふん。やるじゃん……』

『きゃー! かっこいいー!』


 見事に両断された人形 観衆が沸き上がる。


「へえ……坊主、な」

「これくらいならちょっと剣術かじった人なら誰でもできますよ」

「がっはっは! 言うねえ!」

「それよりもさっき『子供用』って言ってましたけど、もっと難しいのあるんですよね」

「あるぜ。ただ、並の腕前じゃあ無理だぜ。それでもやるのか?」

「やる」


 むしろ、とばかりにウィタは挑戦的に笑った。


 店主が奥に立てかけてあった人形を担いできて、乱暴に地面へ置いた。先程の人形と同じような形状ではあるが若干大きくみえる。


 ウィタは早速人形の方へ向き直り、剣を構えた。先程よりも難易度が高いと言われても、なんら臆することのない真っ直ぐとした眼差し。並の腕前ではできないなら、自分はできるだろう。ウィタは自身の実力を理解していた。


 ウィタはもう一度静の型をとり、一太刀、そして二太刀。


 やはり難しく作られているのか、刃が人形を通るときに抵抗を感じる。しかし、それでもウィタはあっという間に二体の人形を斬り伏せた。


 沸き立つ観衆。栄典ほどではないが、ウィタはその大きな歓声の中心にいた。この舞台の主役は彼だ。


 その監修ごと切り裂くかのように、三体目も同じくその鋭い剣で切りつけた。


「……ッ」

「かぁーっ! 惜しいな坊主!」


 しかしその剣は人形の腹の半分より手前で止まってしまった。


「……これ、本当にできるんですか?」


 ウィタは不満げに店主に言う。


 ウィタにとって剣は自分そのものだ。剣こそが人生、人生の全てが剣。だから、少年はらしくもなく、子供らしく拗ねた。


「なんだぁ坊主、疑ってんのか? コツさえ分かれば坊主でも斬れるかもしれねえが……まあ無理もないわな。そこまで言うなら見本見せてやるよ。剣、貸してみな」


 店主はウィタから剣を受け取ると、腰を低く構えた。地面を掴むように足を大きく開き、剣先を下ろす。


 膨張する筋肉で、肌着が息苦しそうに張り詰めている。


「ズアァッ!」


 ウィタとは全く異なる剣筋。豪快、しかし力任せではない鋭い一撃。閃きという表現が合うだろう。この男もまた剣士だった。


「どうだぁ坊主。こいつはこうやって斬……」


 それをウィタは。恐ろしく冷たく、張り付くような視線を、店主に浴びせていた。


「おじさん、もう一回挑戦させてください」

「お、おう」


 視線が人形の方へと移る。しかしその目は人形ではなく、その空間にあるを見ているようだった。


 ウィタが構えた。しかしそれは自身の得意な静の型ではなく、つい先程店主が見せた――


(おいおい、まさかこいつ俺の動きを……)


 剛の型。


「はぁああっ!」


 まさに歓声を切り裂くような出来事だった。本当に、その瞬間だけぴたりと歓声が止み、静寂が横切る。そして徐々にまた歓声が、より大きくなって場を震わせた。


 一般人は、挑戦が成功したのだとただただ盛り上がる。有識者は彼がした絶技に驚愕と興奮を覚える。


 彼は間違いなくそこにいる全ての人々を魅了した。


 ウィタは自身の掌を見つめ、何かに納得した素振りを見せたあと、観衆、そして店主へ小さく一礼した。


「坊主、おめえは……」

「知りませんでした。まさか俺の剣で切れないものがあるなんて。だから、おじさんの動きを真似しました」


 確かにあの人形は癖のある素材や繊維の向きにすることで攻略を難しくなっている。それをこの少年は模倣というあまりにもシンプルな方法で攻略してしまった。


 理には適っている。店主の一挙手一投足が攻略方法なのは間違いない。しかし、それを一目で完璧に模倣してしまう人間が、しかも子供がこの世にどれだけいるだろうか。


 店主は少年の底の見えないセンスに慄然とした。


「いやあ恐れ入った。まさか今日だけで二人も成功者が出るとはなあ。さて、景品はどれがいい?」

「……これ」

「こんなんでいいのか? 坊主には似合わないと思うが……」

「構いません」


 武器や防具に使うであろうアクセサリが並べてある中、ウィタが選んだのは桃色の鉱石が施された髪飾り。


「ちなみにそれは一回目の景品だ。二回目の景品は……よっこいせと」


 店主が並べたのはウィタの身長よりも大きな魔物のぬいぐるみ。


「こいつらはなあ、俺が作ったんだ。息子の友達がこういうの好きみたいでな、最近作り始めたんだが……どうだ。上手いもんだろう?」

「は、はあ……」


 これをこの筋肉ダルマのおっさんが……? とぬいぐるみの出来の良さにウィタは苦笑する。確かに剣さばきは素晴らしかったが、剣と針では話が変わってくるだろうに。


 人は見かけによらない。ウィタはそう思った。


「ええと……じゃあ、これ貰います」


 ウィタは狸のようなぬいぐるみを持ち上げた。意外と重い。彼はそれを抱っこしたまま後方にいるシェイラの元へと向かった。


「ぽこたんさんだぁ!」


 嬉しさ満開のシェイラが体を大きく広げて狸のぬいぐるみを仰ぐ。


 ぽこたんの愛称で知られるウツロタヌキという魔物が存在する。変身や分身の魔法で駆け出しの冒険家を惑わせることで知られている。そういう意味でのウツロもあるが、なにより目が死んでいることが名前の由来である。


「やるよ」

「いいの!?」

「ああ、大事にしろよ」

「うん! ありがとおにいちゃん!」


 ウィタはぬいぐるみをシェイラに渡す。が、無駄に大きいため、小柄なシェイラは小さな悲鳴を上げてぬいぐるみに押し潰されてしまった。


(早く家を探さないと……せめて知り合いさえ見つかれば……)

「あれ、シェイラちゃん? なんだ。坊主と友達だったのか?」


 ウィタが頭を悩ませていたところ、店主から思いがけない言葉が飛び出した。


 シェイラはぼんやりと店主の顔を見つめる。


「……あっ! タコのおじさんだ!」


 タコ。おそらくスキンヘッドの店主とシルエットが似ているからだろう。店主は口をすぼめて肢体をにょろにょろと動かして遊ぶ。


「もしかしてシェイラと知り合いなんですか?」

「ん、あぁ。さっき言ってた息子の友達ってのがシェイラちゃんなんだ。坊主こそ、この子と知り合いだったとは……いや、なるほど。迷子になってたところを拾ったってところか」


 店主はビシッと言い当てる。流石は大人といったところか。それともシェイラが迷子の常習犯なのか。


 ウィタはシェイラと出会ったときのだいたいの時間や場所を店主に告げた。




「……そんじゃあシェイラちゃんは俺に任せとけ」


 店主がウィタに言う。


「よろしくお願いします。じゃあシェイラ、あとはおじさんについて行くんだぞ」

「うん……」


 シェイラは少し浮かない顔だ。


「どうした?」

「……おにいちゃん、また会える?」


 不安げで今にも泣きそうな表情を見せる。シェイラは既にウィタのことを慕っていた。まだ幼い少女にとって別れは事件だった。


「ああ。会いに来るよ。……そうだ」


 ウィタは思い出したようにポケットをまさぐる。先程貰った景品の桃色の髪飾り。シェイラの頭につけた。


「どうおにいちゃん。かわいい?」


 髪飾りをつけたシェイラがくるりと回ってみせる。


「ああ」

「えへへー」

「……きっと俺がまたここに来るのは数年後だと思う。多分俺もシェイラも大きくなって、互いが分からないかもしれないから、せめてその髪飾りを目印にするよ」

「シェイラならおっきくなってもおにいちゃんのことすぐわかるよ!」

「そうか。それなら安心だな」


 互いが互いの顔を見合わせ、シェイラはチャーミングに、ウィタはクールに微笑んだ。ウィタもこの短い時間の中で、この少女を妹のように思っていた。


「それじゃあシェイラをお願いします」

「おうちょっと待て坊主」


 気持ちよく別れの言葉を交わしたウィタを店主が呼び止めた。


「なんですか?」

「これ持ってけ」


 店主が差し出したのは白の装飾であしらわれた剣。刀身が長く、今のウィタではとてもではないが扱えない品なのだが……


 先程使っていた剣。あれも悪くない品だったが、目利きに精通しているわけではないウィタでも一発でこの剣は業物だと分かってしまう代物である。


「いいんですか? こんなにいいものを」

「なるんだろ? 勇者に。……俺ァ、坊主のファンになっちまったようでね。つまりこれは投資ってやつだ」


 店主がにやりと口角を上げる。


 実際、この剣は彼が持つ中でも最上級の代物だ。おいそれと他人に渡せるものではない。しかし、少年が見せた才能の片鱗は、大金よりもずっと価値があるのだ。


 こいつは次の時代の先頭に立つ人間だ――店主はそう予感していた。


「あくまでも投資だ。ちゃんと返せよ? 金じゃあなくて……ま、分かってるか」


 結果で示せ、ということだろう。


「またいつかここに来たら俺の店に寄ってくれや。ここから少し離れた場所にザリフ武具店ってところだ。あー、あと、坊主。名前はなんて言うんだ?」

「ウィタ=ティーゼス」

「ティーゼス……? なるほどなるほど! がっはっは! やっぱり坊主とは縁がありそうだ!」

「?」


 突然、店主が大袈裟に笑い始めた。ウィタはその奇妙な反応に首を傾げる。


 自身の姓になにか思い当たることでもあったのだろうか。父は優れた剣士だが、こんなに離れた国まで名が通ってるとは聞いたことがない。


 ウィタはそれが気になり店主に質問をしようと口を開いたその時。


「少年、なかなかに良い腕を持っておるな」


 ふと、誰かに呼び掛けられた。聞いたことはない。しかし年季の籠った重厚感のある声だ。


 誰だろう、とウィタは振り返る。


 ……どこかで見たことがある。いや、見た。今日見た。色の落ちた髪と、ゆったりとした白い装束をはためかせる。


 思考が一瞬滞る。


「ゆ、勇者アルドルト!? どうしてこんなところに!?」


 そこに居たのは前期勇者、そしてついさっきまで行われていた武の栄典優勝者――つまり現勇者でもあるアルドルト=ヘンリだった。


「ちょっと連れとはぐれてしまってのう」


 カラカラと笑うその姿は森厳たる勇者を想像させない。しかしその穏便の仮面から零れる百戦錬磨の気配。目の前に佇むは少年が憧憬する勇者その人だ。


「あれー、ウィタくんこんな所で何してるの!?」


  そしてウィタの背後からは反対側に走っていったはずのマレスの声。うるさいやつが来た、とウィタは煙たがるように嘆息した。


「このおじさんだ……あれ? あれれれ? ゆ、ゆゆゆ、勇者様!?」

「ん、お主は……おお、一年前くらいに犬ころに襲われとった少年か」

「覚えててくれたの!? あの、僕、ずっとお礼が言いたくて……助けてくれてありがとうございました!」

「なあに、当たり前のことをしたまでさ」

「はわわ……」


 マレスは感動のあまり、言葉を失ってしまった。どのような形であれ現界の頂点に立つ男に覚えられていたうえ、理想のセリフを食らったのだから無理もない。


「ところで少年らよ。君たちはもしかして栄典を目指しているのか?」

「ちがうよ! 僕らが目指しているのは勇者だよ!」


 我に返ったマレスが傲慢にも勇者の前で言い放つ。


「ほう」

「お前じゃ無理だ。早く諦めろって」

「ぐぬぬぅ……」


 悔しそうに顔を膨らませるマレスだが、実際の話、勇者を目指すのであれば、少なくとも目の前にいるウィタ、そしてアルドルトを超えなければならない。


 十年後にもなるとアルドルトは齢七十を迎えるのだが、それでも彼は衰えることはないだろう、と少年ら、そしてそのほかの人間は確信していた。それ程までに彼の纏う活力が強烈なのだ。


「十年後、アルドルト様に勝ってみせます」

「ぼ、僕だって!」

「ふーむ……」


 アルドルトは品定めをするように目を細めて口喧嘩をしている少年らを見つめた。


「なるほどのう。次は楽しませてもらうわい」


 本気かお世辞か、どちらの少年に向けて言ったのかも分からない。しかし勇者の目は確かに二人の少年を映し、そう言い放ったのだ。


「ほらね〜」

「お前には言ってないだろ」

「言ってたよ!」

「言ってない」

「はっはっは! 仲がいいのう……んっ?」


 アルドルトは視線を少年らから上に移すと、なにかに気付いたのか眉を上げた。


「おーい! こっちじゃこっちー!」


 人混みの奥の方へ向かって手を振った。先程言っていたが見つかったようだ。


「さて、連れも見つかったし私は退散するかのう」

「えぇー。そんなぁー……」

「こらこら。勇者を目指すならこんなことで落ち込んではダメだろう? それにどうせまた会えるんだから元気を出しなさい」

「うん……」

「それじゃあ私からアドバイスだ。強くなりたいなら大切なものを見つけなさい。何でもいい。プライドでも道具でも。あとはそうだな……女もいいな」


 最後の一言で凛とした表情を崩し、だらしなく顔を緩める。


 マレスはあまり理解していないが感動したのか目を輝かせ、ウィタは少しだけ眉をしかめた。


「さらばだ少年たち」


 アルドルトは身を翻し、人混みの中へと溶けていった。最後まで飄々としていて想像とは違っていたが、勇者の姿が見えなくなった後でも少年たちはこの目に焼き付けようと視線を離さなかった。


 彼らはより一層誓う。


 強くなろう。見上げるのではなく同じ高さで対峙しよう。そして成るのだ。勇者に。


   *


「大切なもの、か」

「どうしたのウィタ?」


 ふたつに結んだ真っ赤な髪がそよぐ。どこかへ向かう道の途中、エトナが首を傾げながらウィタを見上げていた。


「いや、なんでもない。少し思い出してただけだ」

「ふーん、変なの」


 アルドルトの言葉の意味は理解しているが、いまだにそれを見つけることはできていなかった。


(たとえそれを見つけられなくても……)


 それがなくても、今のウィタは十二分に強い。しかし……


「さ、ここらで本日の手合わせタイムとしましょうか」


 エトナが大きく一歩、二歩、前に歩みでる。


 日課の手合わせ。ウィタは未だ、エトナに勝つことができていなかった。


 彼はまだ途上にいる。彼女を倒すことができれば、なにかを掴むことができるかもしれない。それが彼が彼女をパーティに誘った理由。


 ウィタは剣を抜く。


「今日は勝つ」

「フレーフレー!」


 晴天。葉擦れのざわめき。踊る火の粉と青年の呻き声。

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