第21話 大貫さんご夫妻 ① 献身

 …僕が入院病室の生活にすっかり慣れてしまった頃、大貫さんという80歳のお爺さんが患者として入って来ました。

 大貫さんは同じ年廻りくらいの奥さんに付き添われ、ご夫婦で僕の向かい側の真ん中のベッドに座りました。

 身長は高くはないけど、恰幅のある白髪のお爺さんで、もともと表情を顔に出さない人なのか、あるいは年齢のせいなのかは分かりませんが、最初見た時の印象は何だか傍洋とした感じの人でした。

 何の病気かは分かりませんが、お爺さんは静かにベッドに横になると、布団をかぶってサッサと眠りに就きました。

 同じ年廻りくらいの奥さんは小柄なお婆さんで、品良く控えめな感じの人でしたが、お爺さんが就寝したのを見ると、僕たち病室の患者一人一人に挨拶をして周りました。

「今日から主人がお世話になります、大貫と申します。…これはつまらない物ですが…」

 そう言って奥さんは小さな菓子折りを差し出しました。

「えっ !? …いや、奥さん、そんな大層な物頂かなくても…別に私たちがご主人をお世話する訳じゃないし…」

 部屋のみんなはそう言って恐縮しましたが、

「いいえ、入院中に主人が皆さんに何か勝手なことを申すかも知れませんので私は心配しております ! …何か申しても、どうか年寄りのたわ言と聞き流して下さいませ。何とぞよろしくお願いいたします!…」

 奥さんは小さな身体をさらに小さくたたむようにして丁寧なお辞儀をしたのでした。

 …という訳で僕は結局、頂いたお菓子をお茶のお供にさっそくつまみながら、病室の気だるい時間を静かに過ごしていきました。

 その間、お爺さんは病気のせいなのか、あるいは治療や薬のせいなのか、ずっと眠りこけたままでした。


 やがて病室の窓から西日が射し込み、夕食の時間となりました。

 …僕たちは例によって味気ない病院食をもそもそと口に運んでいましたが、ふと大貫さん夫妻を見ると、奥さんが作って来たお弁当と惣菜を2人で仲良く召し上がっていました。

「…熱いですからね ! …気を付けて」

 奥さんは用意して来たポットから湯呑みにお茶を入れると、そう言ってご主人の手に持たせました。

 そしてご主人がゆっくりとお茶を飲むと、奥さんはハンカチでご主人の口元をポンポンと拭いていました。

 …僕はその姿を見て、何だか不思議な感慨を抱きました。

(この奥さんは長い夫婦生活の間、ずうっとこんなに甲斐甲斐しくご主人に尽くして来たのかなぁ… !? )

 ひるがえって僕の両親のことを考えると、母親があんなに分かりやすく夫に尽くす姿など一度も見たことはありませんでした。

 …もっとも、僕の父親は超マイペースにして時に突然つっ走る男で、そのため過去幾度となく家族が振り回されて来た実績があり、あの男には尽くすどころか付いて行くのも大変なことだよなぁ…と、今さらながら気付いたのでした。

( …ああしてご主人に甲斐甲斐しく尽くすことが、あの奥さんには幸せなんだろうか …?)

 独り身で若造の僕には、まだ夫婦間の愛など理解は出来ませんでしたが、淡々とご主人の世話を焼く老婦人の姿に、ある種不思議な感動を密かに覚えた1日だったのでした。


 …そして大貫さん入院初日の夜、奥さんは病院から付き添い者用の簡易ベッドを借りて、ご主人の横で寝泊まりすることに決めたのでした。

「今夜は私、主人の付き添いを致しますので皆さんのお邪魔になるかと思いますが、どうかご容赦下さいませ。…よろしくお願いいたします」

 奥さんはそう言ってまたみんなに頭を下げました。

 …簡易ベッドというのは、高さの無い台車に薄いクッションとシーツが載った物で、夕方に看護師さんがガラガラとナースステーションから病室に運んで来ました。

 現物を見ると、患者のベッドよりかなり低い位置に寝ることになり、幅も人の肩幅くらいしかなく、本当に簡易なベッドなのでした。

(…何だか可哀想な感じだなぁ…)

 思わず心の中でそんな呟きが浮かんでいました。


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