第7話 中澤さんの刺繍画 ⑤ 懸念

 中澤さんの体温と脈拍数を記録簿に書き込んで看護師さんが去ると、部屋のみんなが声をかけました。

「中澤さん!遅かったじゃないの!…関係無い俺たちもちょっと心配しちゃったよぉ…」

「…いやぁ、申し訳ない!…やっと外に出られたから、今日は久方ぶりに風呂に入って、午後は刺繍画用の糸とか買い物したら夕方までには病院に戻ろうと思ってたんだけど…街で偶然親しい知人に逢ってね!…一緒に御飯でも食べようって話になっちゃって…」

 中澤さんは意外にも楽しそうに応えたのでした。

「…どうせ病院のメシなんて美味くないだろ?…今日は俺が奢るから美味い物食ってから戻れよ!って言われてついご馳走になっちゃって…いや申し訳無い、そしたら時間が過ぎちゃった…」

 中澤さんは珍しく饒舌に話を続けました。

「そうかい、それは良かったじゃないの!…ただ、看護師さんに迷惑かけちゃあ後が面倒くさくなるよ!…」

 最後にちょっとたしなめられると、

「やっ、全くその通りです!…今夜は反省してもうトイレを済ませて寝ます!皆さん本当にすいませんでした」

 …中澤さんは素直にそう言って廊下に出て行きました。

「…マズイな…あの人、ありゃ~ちょっと飲んでるぜ!」

 中澤さんがトイレに行くと、誰からともなく声が上がりました。

「えっ !? 飲んでるって…まさかお酒?」

 僕は驚いて言いました。

 …確かにさっき、顔色が少し赤らんでいるかなとは思ったのですが、晩秋の日暮れの寒い中を急いで病院に戻って来たからだなと考えていたのです。

 …だからと言って僕が何をどうこうするという訳でも無いので、あと終わりまでもう少しとなったミステリー小説の続きを僕はまた読み始めたのでした。

 …中澤さんは少しして部屋に戻り、ベッドに入ると仕切りカーテンを閉めて静かに眠りに就いたようでした。

 この病院は夜8時までが患者面会時間。…その後看護師さんが病室の様子を確認して、夜9時に消灯になります。

 ベッドの枕元には個別の電気スタンドも備え付けられていますが、この日の夜は何となく肌寒くて僕もみんなもひっそり静かに眠りに就いたのでした。


 入院3日目の朝も、例によって検温の時間を知らせるアナウンスで目覚めました。

「…お早う、毎日だんだん寒くなるねぇ」

 みんなはそんな会話をしながらのそのそと起き出します。

 …検温~朝食~点滴と、定番の入院患者メニューをこなすと中澤さんはまた外出する服装に着替えて、

「それでは行ってきます!」

 と言ってウキウキ顔で病室から出掛けて行きました。

 …「あの人、今日はちゃんと夕方までに帰るかなぁ?」

 僕は誰にという訳でもなく呟きました。

「帰るよ!…今日も勝手に遅くなったら外出許可取り消しだからな…!」

 みんなからはそんな言葉が返って来ました。


 …先ほど点滴を受けてる間に西村京太郎ミステリーを読み終えてしまったので、僕はカーディガンを羽織って一階の売店に行きました。

「あら、いらっしゃい!…今日は昨日おとといよりずいぶん顔色も良いわねぇ…もう病人には見えないわよ」

 売店のおばさんが僕を見て言いました。

「昨日まではまだ入院したばかりで具合が今一つだったから…もう文庫本を読み終わっちゃって、また次の読み物が欲しいんですよ」

「まぁ!…入院、長くなりそうなの?」

「う~ん…いや多分あと一週間くらいかなと思ってるんだけど、何とも言えないな…」

 おばさんと他愛ない会話をしながら、結局僕はまた次の西村京太郎ミステリー文庫本と、桃屋のザーサイ (瓶詰) を買いました。

 …病室に戻ると、清掃係のスタッフがベッドのシーツと枕や掛け布団のカバーを替える作業をしていました。

 この病院では、週に一度入院患者のベッドをこうしてシーツ替えするのでした。

 リニューアルしたベッドに横たわって購入した文庫本を開き、寛ぎながら読書を始めれば、ほどなくして昼食です。

(…こうしてみるとけっこう入院生活って暇でもないなぁ!)

 入院生活3日目にしてそんなことを思いつつ、僕はお昼御飯をむしむしと食べました。

 病院食は相変わらず美味しいものではありませんが、桃屋のザーサイをおかずにすると御飯がどんどん進みます。

 患者さんの中には病院食を残す人もいましたが、20代の僕は全て完食しました。…要するに喘息の発作さえ無ければ全くの健康体と変わりないのです。


 午後の先生の回診はサラリと終わってその後はへよ~んとまどろみタイム。

 僕は本を読んでまどろみ、さらに本を読んではまどろむうちにいつの間にか日暮れどきとなり、給食係のお姉さんが夕食の配膳に来ました。

 …そしてこの時点でまた中澤さんは戻って来ていないのでした。




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