第4話 中澤さんの刺繍画 ② 陳情

「…そんなに根を詰めて大変な作業をしてやっと出来上がる刺繍画を、簡単に他人に上げちゃう約束しちゃって良かったんですか?」

 僕は刺繍をする中澤さんの後ろから声をかけました。

 中澤さんは僕の方へ顔を向けると、穏やかに言いました。

「…でもね、病気して入院してもこうして自分に出来る好きなことがあって、こんな素人趣味をね、世話になった看護師さんが出来上がりを楽しみにしてくれてるってのは嬉しいことですよ!…気持ちに張り合いもできるしねぇ…」

 僕もそれを聞いて他人事ながらちょっと嬉しくなり、

「そぉかぁ…良いなぁ、刺繍画って、めちゃくちゃ女の人受けしそうだもんなぁ…!」

 と言うと、

「フフフッ!…そう思うなら、森緒さんもやってみたらどうですか?」

 と応えました。

 僕は慌てて、

「いやいや、無理無理!手先のぶきっちょさ加減が超人的なんで、針とかそういう危険なものは扱えません、僕には!」

 と真面目な顔になって言ったのでした。


 …それからしばらくして午後の2時頃に、院長先生の病室回診がありました。

「あれ?森緒さん入院しちゃったの?…喘息の発作?…そうか、今の時期はまぁ、秋冬の季節の変わり目だからねぇ!」

 先生は僕を子供の頃から診てるので、くだけた感じでそう言いました。

「…喘息の患者さんには良くない時期だから、まぁゆっくりしていきなさい、ハハハ!」

 お気楽モードの回診に僕の気持ちがちょっとズッコケそうになった時、中澤さんが院長先生に言いました。

「先生、…おかげ様で私の状態もだいぶ良くなって来ました。…まだ退院は先でしょうが、その…日中ちょっと外出の許可をお願いできないでしょうか?…ずっとベッドにいると足腰も弱るし、個人的に要るものもあるので外で買い物もしたいんですよ…」

 突然の訴えに、先生は中澤さんのカルテに目を通しました。

「…う~ん、そうだねぇ…まぁ先日の検査の結果もだいぶ数値が良くなっているから、いいでしょう!明日から午前の点滴の後、夕方まで外出を許可します!」

 …先生の言葉を聞いたその時の中澤さんのニンマリ笑顔が他の患者たちにはにわかにまぶしく映ったのでした。


 …先生の回診が終わった後、僕だけまた点滴がありました。

「他の人たちは午前中、森緒さんがぐったり寝てる間にやっちゃったからね、…明日からはみんなと一緒に午前中に点滴しますよ!」

 看護師さんがそう言って僕の腕の静脈に針を射しました。

 薬液が、ベッドの左側の点滴用ハンガーに吊るされた透明な容器からチューブの途中の中継アダプターの中にポッタンポッタンと落下してさらにそこからチューブを通って僕の腕から体内に入って来ます。

 薬液量は 500CCほどで、点滴を挿入してる間は基本的にベッドに横になっていなければならないので退屈だし、これは人によってはかなり苦痛に思う者もいるだろうな…と頭上のポッタンを見ながら僕は思ったのでした。

 周りの患者さんたちを見れば、やはりこの入院生活の中、それぞれイヤホンでラジオや音楽を聴いたり、新聞や雑誌を読んだり、レンタルのテレビを見たりと退屈をしのぎながら過ごしているのでした。

 そんな中、ふと中澤さんを見ると、看護師さんと約束した刺繍画を完成させるべく、一人静かにチクチクと針を動かしていました。

(何か本でも読みたいな… ! )

 ポッタン点滴にすっかり飽きてきてそう思っていた僕は、ようやくそれが 終わると、サッサと看護師さんに針を抜いてもらって1階の売店に行きました。

 売店には新聞や雑誌の他に小説の文庫本も置いてあり、いろいろ考えて僕は西村京太郎の鉄道ミステリー小説を買いました。

(こういう時でもないと長編ミステリーなんて読めないもんね!…)

 ちょっとウキウキしてベッドに戻ると、さっそく僕はその文庫本を開きました。

 何しろ入院患者のすべきことはまず「静養」なので、要するに基本的に何もしないでおとなしくしてないといけません。


 という訳で鉄道ミステリー小説に没頭するうちにあっさり夕方となり、5時前にはもう病院の夕食が配膳されて来ました。

「早いなぁ!…病院夕食」

 職員たちの勤務時間の都合からなのか、まだ日も沈まぬうちに用意された夕食に戸惑いを覚えましたが、昼食がお粥だった僕のお腹は適度に受け入れ態勢が出来ていました。

 …ところが!

「うへぇ!…またお粥 !? 」

 …またしても僕の夕食は白粥に味噌汁だけだったのです。




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