第四章「タリクタム=キヤンテ同君連合」

4-1

 タリクタムとキヤンテ、同日に婚礼を行った両国の国王夫妻が、あと一月ばかりで結婚記念日を迎えようかとしていた、ある日のことである。

 夕食までのひと時を夫婦水入らずで過ごそうと、兵と自分の鍛錬を終えたラウサガシュが女王の部屋を訪ねると、セーナーヴィーは愛用の紫檀の机に向かい、書き物をしていた竹筆を置いて迎えてくれた。


「夕食のお誘いには、いささか早いのでは?」

 喜びの欠片もちらつかせてくれない、淡々とした調子は相変わらずであるが。

「だから来た。空き時間は有効に使わんとな」

「私は空いておりませんでしたが、まあよいでしょう。適当に寛いでいてください」


 憎まれ口を叩きつつも、そう勧めてくれながらセーナーヴィーは、手元の紙片を裏返して青銅の文鎮を乗せ直した。妻のことに興味津々のラウサガシュは、セーナーヴィーの机に寄った。


「何を書いていたんだ? セーナ」

「溜まっていた手紙の返事を、各所に。今は姉宛に」

「シヤナーハに?」

「ええ、数日前にもらっておりまして」

「また届いていたのか! これで何通目になる? シヤナーハは、ついでにアズカヤルも、息災にしているのか?」

「そうですね……、お変わりはあったようですが、まずまずでいらっしゃるようですよ」


 何気なく問うたラウサガシュに、セーナーヴィーは少し悩んで答えてから、シヤナーハからの手紙をすっと差し出した。

 潮騒が鳴る人魚宮から、伝書鳩が運んできたそれは、小さく八つに折り畳まれた上、丸めて筒に入れられていた形がついている。


「何だ? 読めというのか?」

「ええ。あなたにもよしなにとのことですし、此度はアズカヤル殿からのご一筆も添えてあります。くれぐれも過剰反応なされませぬよう」

 というセーナーヴィーの忠告も空しく、摘まみ上げて手紙を開いたラウサガシュは、タリクタムの女王夫妻からの、舞い上がった近況報告に目を剥いた。


「何ぃっ!? 子ができただあっ!?」

「だそうです。おめでたいことです」

「くそうっ、弟に先を越されてしまうとは……! こちらも負けてはおれん、頑張らねばならんぞ、セーナ」


 心の底から悔しがって、ラウサガシュはセーナーヴィーを見やった。今宵の閨が思いやられる、暑苦しい夫の意気込みを、食傷気味にセーナーヴィーは受け流した。


「私にすれば、姉が先でいてくれて心強いばかりです。予想通りの発言をしてくださいますね、あなた」

「予想通りか、そうか」


 単純と呆れられたのが現実だが、自分という人間をよくよく理解されているようで、ラウサガシュは頬を緩めた。気を取り直して最後まで読み終えてから、ラウサガシュはセーナーヴィーに手紙を返却した。



「しかし何だな、その手紙は、のろけしか書かれておらんじゃないか。妹宛の私信とはいえ、タリクタム女王の書とは思えん」

「姉から届く手紙は毎度このようです。『アズカヤル殿の国王戴冠式が無事終わった。背の君の瞳の方が宝冠よりも煌めいていた』だの、『王配の寡夫殉死の義務を撤廃することに成功。アズカヤル殿の可愛さの勝利だ』だの。何を書いて知らせて来ても結局は、アズカヤル殿のことばかりです」


 つまるところ、届いた手紙の数だけセーナーヴィーは、姉からのろけたおされてきたということだろう。自身の知るタリクタムの人喰い人魚像からは程遠い、シヤナーハのアズカヤルに対する盲愛ぶりに、ラウサガシュは唖然とした。

 

「あのシヤナーハがそうなるとはな。アズカヤルもアズカヤルで、シヤナーハに惚れ抜いておるようだし。人喰い人魚と人身御供が、夫婦めおとになって恋をしたか、陳腐なおとぎ話のようになったじゃないか」

「こうして二人は、末永く幸せに暮らしました。めでたしめでたし――ですね。姉の相手をさせるには、お若すぎるアズカヤル殿のことをお案じになっていたのでしょう? あなた。結構なことではありませんか」

「まあな」


 急ぎ成人させて婿に出したアズカヤルが、国の違いも歳の差もものともせずに、シヤナーハと仲睦まじくしていることを、ラウサガシュが安堵しているのは事実である。自棄になって承諾した二重結婚だが、失うものがあれば得たものありで、可愛がっていた異母弟と引き換えに、今、ラウサガシュの目前には、最愛の妻となったセーナーヴィーがいる。

 椅子に掛けたその姿を愛おしく見下ろして、ラウサガシュは男物の服の肩に女らしく落ちかかる、セーナーヴィーの髪を掬った。


「めでたしめでたしなのはあちらばかりではないだろう? んん? 相手が浮かれ切っているのだから遠慮はいらん、セーナも存分にのろけ返してやれ」

「虚構で張り合う趣味はございません」


 夫の指から滑り落ちる、自らの髪を横目で追いながら、セーナーヴィーは自分たち夫婦の円満をばっさりと否認した。


「虚構ということはないだろう!? セーナ!」

「現実でないことは虚構でしょう。私に人にするようなのろけ話はございません。が」

「が?」


 冷たくあしらわれてしょんぼりとするラウサガシュを、自分が掛けた椅子の背もたれに手を乗せながら、セーナーヴィーは上目遣いで見つめてきた。


「ちょうどよくいらしたことですし、あなたも一筆添えられませんか? お二人に宛てご懐妊の祝辞でも」


 その顔と提案が憎らしくてならず、ラウサガシュはセーナーヴィーの背後から椅子越しに抱き付いた。


「それは妙案だ。祝いついでに、俺がセーナの分までのろけておいてやろう」

「良識の範囲内でお願いします」

「良識を越えてきたのは向こうだろうが」



 セーナーヴィーは書きかけの手紙を表返し、ラウサガシュはそんな彼女にじゃれついたまま、それを読みつ読まれつしながら二人で続きをしたためていると、ためらいがちに女官が声を掛けてきた。


「国王陛下、女王陛下に申し上げます、タリクタムより使者がお越しでいるそうです」

「何?」

 思いもよらない報告に、眉をひそめたラウサガシュの腕を、セーナーヴィーがぎゅっと掴んだ。


「セーナ?」

「嫌な予感がします。私の返事を待つことなく、わざわざ使者など立てて……、姉は一体何を知らせてきたというのでしょう?」



*****



「……っ!」

 タリクタムからの使者を目にした瞬間、セーナーヴィーはびくりと身を震わせ、喉をひきつらせた。

 玉座の前の床の上で平伏し、キヤンテの国王夫妻のお出ましを待っていた使者が、火の神の印が入った喪章をつけていたからだ。

 それは彼女の母国タリクタムで、国を挙げて喪に服さねばならないような弔事があったこと意味している。


「苦しゅうない、面を上げよ」

 血の気を引かせたセーナーヴィーをまずは座らせてやってから、ラウサガシュはその手を離さず傍らに立ち、力強く寄り添ってやったまま、顔を上げゆく使者に険しく問いかけた。

「タリクタムで何があった? お前はどんな凶報を伝えに来た?」


 使者の目は、自国の王妹を慕う心のままにセーナーヴィーを窺い、それから意を決した様子でラウサガシュの圧を受け止めた。口が重いことだからこそ一息に、告げられた報は信じがたいものだった。


「は。我らが女王シヤナーハ陛下の訃報を――」

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