第45話『おはよう、世の中。』

 お見舞いから帰った後は、期末試験が近いこともあって、家で美琴ちゃんや夏実ちゃんと一緒に試験勉強をする。昨日、風邪で勉強ができなかったから、その分を取り戻さないといけないな。来年度も特待生の資格を得るためにも。

 2人の分からないところを教えることもあってか、試験勉強はかなり捗った気がする。この調子で頑張っていこう。




 木曜日も金曜日も、放課後は綾奈先輩のところにお見舞いへ行き、帰ってきたら試験勉強をした。1人じゃなかったからか、そんな時間はあっという間に過ぎていった。

 金曜日の夜。美紀さんから電話がかかってきた。樋口先生曰く、体調は安定しているけれど、数日経っても意識を取り戻さないので、長期の入院になることも覚悟してほしいと言われたそうだ。

 今年の夏休みに、綾奈先輩と2人きりでどこかにお出かけしたり、お泊まりしたりするのは難しいかな。そう思いながら金曜日は静かに終わっていった。




 6月30日、土曜日。

 今日も朝から青空が広がっていて、強い陽差しが照り付けている。これも昨日、史上初めて、6月中に梅雨明けをしたからかな。

 例年通りなら梅雨が明けるといよいよ夏休みなのに、今年はこれから期末試験。雨が降らないのは嬉しいけれど、暑いので気持ちがげんなりする。教室にエアコンがついていて本当に良かったと思う。

 今日は休日なので、午前中に会長さんと一緒に綾奈先輩のお見舞いへ行くことに。夏実ちゃんや美琴ちゃんは、月曜日にある苦手な数学を勉強したいということで、あかりちゃんを先生役として迎え、美琴ちゃんの部屋で勉強会をしている。

 午前10時。

 花宮総合病院に行くと、入り口近くで待っている会長さんの姿があった。今日は結構暑いのに、白いワンピースを着た会長さんは涼しげな様子だ。会長さんのことを見ると、綾奈先輩に引けを取らないくらいに綺麗だなと改めて思う。


「おはようございます、会長さん」

「おはよう、百合ちゃん」

「梅雨明けしたからか暑いですよね。待たせてしまってごめんなさい」

「ううん、私もさっき着いたから大丈夫よ。それに、ここに立っていると扉が開いたときに涼しい空気が流れてきて気持ちいいの」

「そうだったんですね。じゃあ、さっそく行きますか」

「そうね」


 私と会長さんは面会の手続きを済ませて、綾奈先輩が入院している807号室へと向かう。

 今日も綾奈先輩は病床の上で眠り続けている。持ってきてから日が経ったからか、ガーベラのフラワーアレンジも園芸部で育てた白百合の花も枯れ始めている。


「今日も綾奈はよく眠っているわね」

「そうですね。意識はずっとないですけど、こういう姿を見られるだけまだいいのかなって思えるようになりました」

「ゆっくりと眠っているように見えるよね。百合ちゃん、今日も綾奈に」

「はい」


 私は眠っている綾奈先輩のすぐ側に立つ。


「綾奈先輩、今日もお見舞いに来ましたよ。私の唾液を飲みましょうね」


 綾奈先輩にキスして、私の唾液を先輩の口の中に流し込む。今日の先輩の唇もほんのりと温かくて柔らかいな。許されるのなら、ずっとこうしてキスしていたい。


「えっ……」


 会長さんのそんな声が聞こえた瞬間、背中から熱が伝わってきた。その熱は唇から伝わる熱と一緒だった。

 ゆっくりと唇を離すと、そこには私のことをしっかりと見る綾奈先輩の姿があった。


「……おはよう、百合」

「あやな、せんぱい……」


 綾奈先輩が意識を取り戻したのは夢なんじゃないかと思ったけど、涙が頬に伝っているのが分かったのでこれは現実のことなんだ。


「実はついさっき目を覚ましたんだけどね、夢か現実かよく分からなくて。白百合の花の香りがしたから、夢なのかもしれないって疑ってた。ただ、百合がキスして、百合の唾液の味と温もりを感じたときに、これは夢じゃないって思えたんだ」

「そうでしたか……」

「綾奈、本当に意識が戻ったのね。良かった……」


 会長さんは両眼から涙をボロボロと流していた。ただ、嬉しそうな笑顔を浮かべながら。


「百合、愛花。心配掛けさせちゃったね。それは2人だけじゃないけど。本当にごめんね」

「謝る必要なんてないですよ。綾奈先輩の意識が戻って良かったです」

「百合ちゃんの言う通り。お見舞いに来たときは、百合ちゃんが必ず綾奈の口に唾液を接種させたおかげかもね。あとは白百合の花とか」

「少しでも効果があったのなら嬉しいです」

「唾液を飲ませてくれたんだ。ありがとう、百合。ところで、そこの時計で時間は分かったんだけど、日にちが分からなくて」

「今日は6月30日の土曜日です」

「そっか。じゃあ、私は1週間ずっと意識を失っていたんだ……」


 綾奈先輩がここに入院してから1週間経つんだ。あっという間に過ぎていったけど、振り返ってみると、1週間よりも前に先輩が意識を失ったんじゃないかと思ってしまう。


「もしかして、この1週間は毎日こうしてお見舞いに?」

「本当はそうしたかったんですけど、体調を崩して学校にもいけない日がありました。ただ、会長さんや美紀さん、香奈ちゃんなど毎日誰かしらお見舞いに来ていました」

「そうだったんだね」

「……あとは昨日、奈々実ちゃんも一緒だった。お見舞いに来ていいかどうか迷っていたそうだけれど。許さなくていいからということで、いじめのことを謝ってた。あと、百合ちゃんと一緒に末永くお幸せにって」

「……そっか」


 さすがに鷲尾さんの名前を出したからか、綾奈先輩も寂しげな笑みを浮かべる。


「そうだ、意識を取り戻したので先生や看護師さんに連絡しないと……」

「ちょっと待って、百合」


 綾奈先輩は私の右手をぎゅっと握って、私のことを見つめてくる。


「倒れる前に言ったけど、もう一回言わせて。私は百合のことが大好きだよ。私と恋人として付き合ってくれませんか?」


 そう言う綾奈先輩の顔はとても美しくて、かっこいい。意識を取り戻してすぐにここまでキュンとさせるなんて。本当に綾奈先輩は綾奈先輩なんだな。


「……はい。これからも恋人としてよろしくお願いします」


 私の方からキスして、綾奈先輩と抱きしめ合う。やっぱり、綾奈先輩の意識があるときに口づけをする方がいいな。気持ちがいいし、ドキドキもする。これからずっとこうしていられるように頑張らないと。


「綾奈と百合ちゃん、改めておめでとう。奈々実ちゃんの真似になっちゃうけど、2人とも末永くお幸せにね」

「もちろんだよ、愛花」

「ずっと幸せでいましょうね、綾奈先輩」

「そうだね。……あのさ、百合」

「何ですか?」

「もし、すぐに退院できたら、期末試験が終わった日に百合の家に泊まりに行ってもいい? 一度、百合と2人きりでゆっくりと過ごしたいと思って」

「もちろん、泊まりに来ていいですよ」

「……ありがとう」


 綾奈先輩はニッコリと笑う。そんな彼女のことを見て、きっと大丈夫だろうなと素直に思った。



 その後、ナースステーションと綾奈先輩のご家族に先輩が意識を取り戻したと連絡を入れた。すぐに樋口先生と女性の看護師さんがやってきて、問診などが行なわれ、特に問題はないとのこと。ただ、午後に精密検査を行って体に異常がないか調べるそうだ。

 綾奈先輩のご家族も病室に到着し、香奈ちゃんは先輩が倒れたとき以上に号泣していた。

 美琴ちゃん達や園芸部のグループトークに、綾奈先輩が意識を取り戻したことを伝えると、すぐに良かったという返信をくれた。みんな心配していたもんね。

 午後の精密検査でも綾奈先輩に特に異常はなかった。1週間意識を失ったけど、体力はそこまで落ちていなかった。樋口先生曰く、私が定期的に唾液を接種したことも一つの要因とのこと。

 日曜日になり、綾奈先輩は無事に退院するのであった。

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