第42話『白百合に泣く』

 会長さん達と一緒にいると気が紛れるけど、1人になると綾奈先輩のことを思い出して、心が苦しくなってしまう。なので、家に帰ってからはずっと試験勉強をすることにした。

 集中するように心がけたこともあってか、勉強はとても捗った。

 気付いたときには日が暮れていて、かなりの疲れが襲ってきたのでシャワーを浴びてすぐに眠るのであった。




 6月25日、月曜日。

 ゆっくりと目を覚まし、体を起こすとまだ昨日の疲労感が残っていた。結構寝たはずなんだけどな。部屋の時計を見てみると、針が午前6時過ぎを指していた。

 今日は一日中雲が広がり、雨が降るかもしれないとのこと。放課後まで雨が降らなかったら白百合の花に水をあげよう。

 今日から期末試験前で部活動禁止ということもあって、今日は美琴ちゃんや夏実ちゃんと一緒に登校することに。ただ、私に気を遣ってくれたのか、2人は優しい笑みを浮かべながら私と手を繋ぐだけで会話は特にしなかった。

 登校して1年2組の教室に行くと、そこにはスマートフォンを眺めるあかりちゃんがいた。席に向かうと、あかりちゃんはいつもの落ち着いた笑みを浮かべる。


「あら、みなさん。おはようございます」

「おはよう、あかり」

「おはよう、あかりん!」

「……おはよう、あかりちゃん」


 あかりちゃんはゆっくりと席から立ち上がって、興奮した様子で私の右手をぎゅっと掴んでくる。


「百合ちゃん、神崎先輩とお付き合いすることになり、おめでとうございます。その想いを改めて百合ちゃんに伝えたいと思いまして」

「……ありがとう、あかりちゃん」


 すると、あかりちゃんは嬉しそうな笑みを浮かべる。ガールズラブ関して興奮するあかりちゃんからこうやって祝福されると、私って綾奈先輩と恋人同士になったんだなと実感できる。

 どんな感じで告白したのかとか、キスしたのかとか。そういったことをあかりちゃんにたくさん訊かれるのかなと思ったときだった。


「百合ちゃん」


 小さな声で私の名前を呼ぶと、あかりちゃんは私のことをぎゅっと抱きしめてきた。


「きっと大丈夫です。いつか、神崎先輩と笑い合えるときが来ますよ」


 あかりちゃんは私の頭を優しく撫でてくれる。


「……ありがとう」


 あかりちゃんの言う「いつか」が本当に来ればいいのになと強く思う。ただ、綾奈先輩が意識を失ったあの瞬間から常に遠ざかっているって考えると、その望みは少しずつ薄れているのが正直な気持ちだった。

 それでも、自分の生活はしっかりとやらなきゃいけない。重たい気分を押し殺しながら、綾奈先輩のいない学校生活が静かに始まった。



 綾奈先輩が入院したことが学校にも伝わったのか、休み時間を迎えるごとに校内のざわめきが大きくなっていく。果てには、綾奈先輩のファンクラブ会長の小宮先輩が、綾奈先輩が入院したのは本当なのかと私に訊いてくるほどだった。本当に綾奈先輩って人気なんだなってて思うよ。

 昼休みになると、綾奈先輩がいないからか、会長さんがうちの教室にやってきて一緒にお昼ご飯を食べる。その中で、今日の放課後に美琴ちゃんと3人で綾奈先輩のお見舞いへ一緒に行くことに決めた。夏実ちゃんは玉城先輩と一緒に試験勉強をし、あかりちゃんは他に用事があるので今日は行かないとのこと。

 今日もお見舞いに行くので、園芸部のグループトークに、


『綾奈先輩のお見舞いに行くんですけど、園芸部で育てている白百合の花を一輪持って行っていいですか? 綾奈先輩、白百合の花が大好きなんです』


 というメッセージを送った。許可してくれると嬉しいんだけど。

 すると、すぐに『既読2』とマークが付いて、


『もちろんいいよ、百合ちゃん』

『神崎さん、百合の花が好きだって言っていたもんね。いくつでも持って行きなさい!』


 若菜部長と莉緒先輩からそんな返信が届いた。百合の花は匂いが強いので、一輪だけ持って行くことにしよう。

 綾奈先輩が意識を取り戻したら、美紀さんからすぐに連絡してもらうことになっている。それでも、先輩は今ごろどうしているんだろうと考えてしまう。

 今日、お見舞いに行ったら綾奈先輩に何を話そう。昨日のお見舞いから勉強くらいしかしていないので、そんなに話題がないな。期末試験が近いとはいえ、昨日は休みだったんだから、他のことをすれば良かったなと後悔するのであった。



 放課後。

 会長さんと美琴ちゃんには昇降口の近くで待ってもらい、私は花壇の水やりと先輩のお見舞いに持っていく花を一輪摘むため、白百合の花壇へと向かう。

 今日も花壇には白百合の花がしっかりと咲いており、独特の香りを放っている。

 

「あれ以来……か」


 最後にここに来たのは、綾奈先輩に一度目の告白をしたときだったな。

 あのときは、まさか、また告白して綾奈先輩と恋人になれたり、先輩が意識不明で入院したりすることになるとは思わなかった。

 花壇の側にバッグを置いて、近くの水道場に。

 そこに置いてある園芸部用のじょうろに水を入れ、花壇に戻ったとき、


「うん?」


 頬に何か冷たいものが当たったので、空を見上げてみる。すると、雨が降り始めているのが分かった。


「……あのときと一緒だ」


 3週間前、綾奈先輩と出会ったときも今と同じように雨が降っていて、白百合の花は綺麗に咲き、独特の香りを放っていた。

 赤い瞳で私のことを見る綾奈先輩のことは今でも鮮明に覚えている。白百合の花よりも私の匂いの方が好きだと言ってくれたことも。そのときの綾奈先輩の笑顔を見て、私は先輩に恋をしたんだ。

 ただ、ここで告白したときはフラれて辛かったけど、綾奈先輩もとても辛そうだった。色々な情景が頭の中に蘇ってくる。


「綾奈先輩……」


 手の力が抜け、じょうろを足元に落とす。

 水が足元にかかった瞬間、心が痛くなり始めた。その痛みは増していくばかり。

 綾奈先輩が倒れてからも悲しさや苦しさ、虚しさを確かに抱いていた。

 でも、白百合の花のせいなのか、それともここが綾奈先輩との思い出の場所でもあるからなのか、これまでとは比べものにならないくらいの強い負の感情が一気に襲ってきたのだ。

 気付けば、視界はほとんど見えなくなっており、頬には冷たい雨だけではない何かが流れていた。


「私のせいなんだ……」


 ここで告白しなければ。

 綾奈先輩の家でお泊まりしなければ。

 綾奈先輩から連絡が来てもバイトをしに行かなければ。

 植物園デートをしなければ。

 私の家に連れて来なければ。


 ここで綾奈先輩と出会って、先輩に恋をしなければ。


 これまでに綾奈先輩としてきたことを全て夢だったなら、どれだけ良かったことか。そんなことまでも考えてしまう。白百合の花に水をあげていた私のことを見たときから気になっていたと綾奈先輩は言っていたけど。

 それでも、自分のしたことを全て否定したくなる。1つでも欠けていれば、綾奈先輩が今のような状況に陥ることはなかったかもしれないのに。決して変えることのできない事実だから。綾奈先輩のことが好きだからこそそう強く思う。


 こんな現実をもう見たくなかった。何も感じたくなかった。


 両手で顔を覆って、その場でしゃがみ込み、声に出して泣く。綾奈先輩も私も大好きな白百合の花の前で。

 白百合の花が嫌いになりそう。嫌いになってしまいたいと心の中で八つ当たりをする。そんなことをしたって、どうにもならないと分かっていても。


「百合」

「百合ちゃん」


 遠くから美琴ちゃんや会長さんの声が聞こえたけど、それでも私は泣き続けた。2人の温もりに包まれてからもずっと。



 ようやく、精神的に限界であることが分かり、今日は綾奈先輩のお見舞いに行くことができなかったのであった。

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