第32話『恋心よ、いつまでも。』
「ごめんね、白百合ちゃん。ずっと抱きしめたまま泣いちゃって」
「気にしないでください」
ただ、莉緒先輩が泣き止むまでどのくらいの時間がかかっただろう。その具体的な時間は分からないけど、告白される直前は温かかったコーヒーが冷たいと思えるほどになっていた。
「何か、さっきよりもコーヒーが苦く感じるな。冷たくなったからなのか、失恋したからなのか」
「先輩が飲みたいなら、温かいコーヒーをもう一度淹れますけど」
「ううん、いいよ。今のあたしにはこのくらいの苦味があった方がいい」
「……そうですか」
こういうことを言えるってことは、少しは気持ちが落ち着いたのかな。これなら、すぐにいつもの元気な莉緒先輩に戻るだろう。
「あと、白百合ちゃんを抱きしめていたときに思ったことがあるんだけれど」
「なんですか?」
「……白百合ちゃんの胸って意外と大きくて柔らかいんだね」
「……もうすっかり元気そうですね」
泣いている中で何てことを考えていたのか。ただ、私の胸が莉緒先輩の悲しみを無くすために一役買っていたのなら嬉しい。
綾奈先輩や会長さんの近くにいるからあまり考えなかったけど、Cカップという私の胸はそれなりに大きいのかな。
――プルルッ。
「ちょっとすみません」
スマートフォンが鳴っているので確認してみると、綾奈先輩から新着のメッセージが1件届いていた。
『昨日、店長と清恵さんが温泉に行ったんだって。それで、百合にもお土産にお饅頭を買ってきてくれたんだ。バイトが終わったから届けに行きたいんだけれど、まだ部活中?』
という内容だった。店長さんと副店長さん、温泉に行ってきたんだ。1日だけバイトをした私にもお土産を買ってきてくれるなんて。嬉しいな。
『今日の部活は早く終わって、もう家にいます』
綾奈先輩にそう返信をした。
すると、すぐに『既読』マークが付いて、綾奈先輩は『OK!』というスタンプを送ってくれた。
「……あっ」
ちょっと待って。綾奈先輩がここにお土産を持ってくるってことは――。
「どうしたの、白百合ちゃん」
「綾奈先輩からメッセージが来まして。私が一度バイトしたお店の店長さん達がお土産を買ってきてくれたので、それを届けに綾奈先輩が今からここに来ます」
「えええっ!」
莉緒先輩は顔を真っ赤にして、近くにあったクッションを抱きしめる。
「ど、どうしよう。白百合ちゃんにあんなことを話した後だし……」
「もし、綾奈先輩に会いたくないのであれば、今すぐに出れば大丈夫だと思いますよ。喫茶ラブソティーから歩いて10分くらいかかりますし」
「そ、そっか。でも、神崎さんの顔を近くで拝みたい気持ちもあるし、白百合ちゃんが一緒にいるなら大丈夫そうな感じもする……」
「分かりました。安心してください、莉緒先輩。私が側にいますから。一応、莉緒先輩もいることを綾奈先輩に連絡しておきますね」
「うん」
私はスマートフォンを手にとって、
『言い忘れていたのですが、今、私の家に園芸部でお世話になっている花菱莉緒先輩がいます。それでもいいですか?』
綾奈先輩は莉緒先輩のことを覚えているだろうけれど、私と部活で繋がっていると分かれば少しは来やすくなると思う。
――プルルッ。
すると、すぐに綾奈先輩から返信が。
『花菱さんか、分かった。彼女から聞いているかもしれないけど、彼女とは中学で同じクラスだったことがあるんだ。あと少しで寮に着くから』
過去に告白されて振ったことやサキュバス体質のこともあって、莉緒先輩がここにいていいかどうか心配だったけれど、どうやら大丈夫みたいだ。
「綾奈先輩、あと少しでここに来ますって」
「うん、分かった。あぁ、緊張する。ベッドに潜っていようかな……」
「莉緒先輩もいるって言っちゃいましたよ」
「……そっか」
「あと、綾奈先輩に私が好意を抱いているって言わないでくださいね」
「分かってるよ」
私も、莉緒先輩が綾奈先輩へ復讐しようとしていたこととかを話してしまわないように気を付けないと。
「ねえ、白百合ちゃん。あたし、神崎さんが来たらどうすればいいかな? 好きだからかもしれないけれど、あの子の近くに行くと物凄くドキドキすることがあるの」
莉緒先輩、緊張しているからか今から顔を真っ赤にして体を震わせている。莉緒先輩もサキュバス体質の影響を受けている可能性が高そうだ。
「そうですね、綾奈先輩のことを見ないようにするというのは変ですね。なかなか思いつかないです。ただ、いざとなったらベッドに潜ってください」
「分かった」
何か起きてしまわないように私がしっかりしていよう。
――ピンポーン。
寮の入り口のインターホンが鳴る。モニターで確認すると、そこには制服姿の綾奈先輩が立っていた。
『百合、来たよ』
「はーい、どうぞ」
思ったよりも早く来たな。
間もなく綾奈先輩がこの部屋にやってくるからか、莉緒先輩はさっきよりも強くクッションを抱きしめている。
――ピンポーン。
今度は家のインターホンが鳴る。
さっそく、玄関の扉を開けるとそこには綾奈先輩がいた。
「こんばんは、百合」
「こんばんは、綾奈先輩。バイトお疲れ様でした」
「ありがとう。はい、お土産のお饅頭」
私は綾奈先輩から温泉マークが描かれた袋を受け取る。
「ありがとうございます。何か飲んでいきますか?」
「コーヒーの香りもするしコーヒーがいいかな。温かいのでお願いできる?」
「分かりました。じゃあ、適当にくつろいでください。あと、さっきメッセージ送りましたけど中には莉緒先輩がいますので」
「うん、お邪魔します」
綾奈先輩と一緒に部屋に戻ると、そこにはクッションの上で正座している莉緒先輩が。顔からは表情がなくなっており、体も小刻みに震えている。
「こんばんは、花菱さん」
「こ、こんばんは! 神崎さん!」
綾奈先輩は莉緒先輩の側に置いてあるクッションに座る。
私はお土産の饅頭を勉強机の上に置いて、キッチンに行って綾奈先輩のために温かいブラックコーヒーを淹れることに。
「花菱さんの姿は高校で何度も見かけるけど、こうして話すのは高校生になってからは初めてだよね」
「そ、そうだね! 高校生になっても神崎さんは相変わらず人気みたいね。ファンクラブもあるんでしょ?」
「うん。ファンクラブがあるって知ったときは驚いたよ」
「神崎さんでも驚くことはあるんだ」
「もちろんあるって」
莉緒先輩、綾奈先輩と普通に話すことができているじゃない。さっきの緊張した莉緒先輩を見たときには心配したけれど。
私は綾奈先輩のところにコーヒーを持って行く。
「綾奈先輩、コーヒーをどうぞ」
「ありがとう」
少しでも莉緒先輩が緊張しないように、私は莉緒先輩のすぐ隣に座る。すると、莉緒先輩は私の手をぎゅっと握ってきた。
綾奈先輩は私の淹れたコーヒーを一口飲む。
「美味しい。……まさか、花菱さんと百合が同じ部活だったなんてね」
「ええ。白百合ちゃんはとても良く活動してくれているよ」
「ははっ、白百合ちゃんか。可愛い呼ばれ方をしているんだね」
白百合ちゃんという莉緒先輩だけの呼ばれ方も気に入っているけれど、綾奈先輩に可愛いと言われると何だか恥ずかしい。
「白百合ちゃんっていうのは、やっぱり名前から?」
「それもありますけど、例の白百合の花を担当することになったというのもあります。私の前は莉緒先輩が育てていたんですよ」
「去年の秋に今咲いている白百合の球根を植えて、3月まではあたしが担当していたの。それで、4月に白百合ちゃんが入部して、その名前と白百合の花が好きだから彼女に引き継いでもらったんだよ」
「そうなんだ。私、学校で咲いている白百合の花が大好きでさ。今、花を見ることができるのは花菱さんのおかげでもあったんだね。花菱さん、ありがとう」
「……あなたにそう言ってもらえてとても嬉しいよ」
優しい笑顔を浮かべながらお礼を言う綾奈先輩に対して、莉緒先輩は私の知る中では最高の笑みを見せていた。これが好きな人の力なんだろうな。
「ね、ねえ! 神崎さん」
「うん?」
「……いつまでも、あなたのファンでいてもいい?」
莉緒先輩は真剣な表情をして綾奈先輩にそう言う。きっと、それが莉緒先輩の決めた綾奈先輩との向き合い方なんだと思う。
すると、綾奈先輩はいつものかっこよくも爽やかな笑みを浮かべて、
「そういうことなら、もちろんいいよ」
優しい声色で莉緒先輩にはっきりと言った。すぐにそう言ったのは、高校にある自分のファンクラブのおかげでもあるのかな。
「……ありがとう」
莉緒先輩のその言葉を聞いた瞬間、先輩はようやく一歩を踏み出せたような気がした。きっと、綾奈先輩に復讐しようと考えることもないと思う。莉緒先輩の嬉しそうな笑顔を見ながらそう思うのであった。
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