汽動公安官

あかつき

第1話

秋の夕空。


 街中に汽笛が響く。


 道行く人々が夕暮れの茜色に染まった空を眺めれば、澄んだ空に薄く筋状の蒸気が立ち上っていた。


 次第に太くなる蒸気の煙の発生源は、黒々とした影を浮かび上がらせている発電所の基幹部分である巨大蒸気缶である。


 その蒸気缶はみるみる内に漏れ出す蒸気を太くし、遂にはぶしゅっという空気の抜ける音に次いで大きな破裂音が響き、白い蒸気を空へ大量に放出させた。


 世界に誇る巨大発電所が見せるその光景は、ここ南海市の名物の1つである。





 産業革命以後、蒸気機関と機械産業が興隆した世界。


 工業製品が迷妄の闇を消し、電灯が夜を払い、蠢く闇の一族を封じて此の世を人の世界とした。


 加えてこの国では日緋色鉄という名の不思議な特性を持つ金属の発見と利用が産業革命を加速させた。


 蒸気機関においてはより火力の強い無煙炭の精製と圧縮化が進められ、水を小型の圧力容器へ装填する技術の開発と共に、日緋色鉄の実用化と使用で頑丈、小型な圧力缶を作成できるようになり、それまで巨大化の傾向にあった機関部を小型化する事に成功した。


 街中には蒸気自動車が走り、蒸気機関発電が盛んに行われ、街中にはあらゆる場所で蒸気機関付きの駆動機や動力機が使われている。


 もちろん大型の蒸気機関がより効率的になった事も忘れてはならない。


 熱伝導効率と共鳴性が非常に良い日緋色鉄がこの際にも大いに活躍している。


 ただこの日緋色鉄には若干の問題があった。


 共鳴性が徒となって水蒸気爆発や蒸気漏出事故が起こった際、周囲にある日緋色鉄で出来た物を共鳴させて同じ爆発や漏出を起こしてしまう事があるのだ。


 それもある程度距離が離れていれば問題ないし、精錬された物だけという条件があるのだが、使われている日緋色鉄の量が多かったり、大きかったりすればそれに比例して影響範囲も広くなる。


 今の所大きな事故は起こっていないが、万能金属と思われていた日緋色鉄も便利なだけではないのだった。





 南海市はこの国の南部の半島北西端にあり、気候は温暖であるが雨は少ない。


 古来より国の海の玄関口として栄え、独立心旺盛な人々は戦乱期に有力者達の合議制で地域を運営した事で有名だ。


現在は特徴ある気候を活かした封建時代より続く果樹栽培や木材産業が盛んで、また近代以降は日緋色鉄の鉱石を産出する鉱山が多数域内から発見された事で興隆する事となる。


 人口は40万余り。


 市域は北と南を山地に挟まれ、東から西の内海へと流れ下る多雨地帯を源流とした大河が市中を北と南に分かつ。


 北の山地を越えれば、大都市の推長香や京畿、河辺がある。


 南は大洋に面している為、今も海外へと大きく開かれた玄関口の役目を果たしており、安価な海外の石炭を船舶で大量に輸入しているのだ。


 お陰で製鉄、日緋色鉄の精錬、蒸気発電の複合産業が育ち、南海市は大いに栄えている。


 その南海市の中心部から東に外れた田園と住宅地が入り交じる日隈区。


 かつて木材の集積地として発展し、また過去には大大名の城下町として商業的な繁栄を遂げた南海市とは少し趣の異なるこの地区。


 今でこそ南海市の一部になってはいるが、古代より栄えた豪族がそのまま近代までこの地を治めていたという少し特殊な地域で、かつては日隈村として別の自治体だった。


 目立つのは水田と養蚕工場、そして日隈神社。


 それに加えて農産物の市場がある。


 地域内の山間地から南海市へと向う途中にあるこの日隈区において、産物の交易がかつて行われていた名残で、今もここに山間地からの産物が集積され、また南海市からの工芸品が買われていくのだ。


 今も南海市の玄関口となっている国有鉄道の南海駅から別れ、日緋色鉄を産出する岸区まで走る鉄道路線の途中駅がある。


 因みに岸区で産出された日緋色鉄の鉱石は、そのまま鉄道で南海市の東側、海岸地帯にある雑賀区の工場へ運ばれ、精錬と精製が行われている。


 その駅、名前も日隈駅の駅前商店街にある日隈駅前公安官事務所に大柄な公安官が自転車に乗ってやって来た。


「おう隅田班長、交代か?」


 事務所内で勤務日誌を付けていた先行勤務の葛城公安官伍長がその公安官、隅田上等公安官に声を掛けた。


 その隅田上等公安官はいつも通り黒い制帽を目深に被り、黒い詰め襟の制服をきっちり着こなした上に白手袋、そして隙無く拳銃や警棒が吊られた茶色の帯革を付けている。


 そしてその顔はと言うと、彫りの深い顔立ちに濃い茶色の色眼鏡。


 公安官としてこの怪しさは無いと言うくらいの風体だが、この男頼み事を断らない。


 それに口数は極端に少ないが話を聞くのは嫌いでないらしく、付近のお年寄りや子供達から絶大な人気を誇る。


 付近には高校や中学、小学校もあるが、高校生や中学生も小学校の時からお世話になっている隅田のことを何かと頼りにしており、不良達も彼のいう事は素直に聞く。


 年齢不詳の隅田は、自称30歳。


 既にこの公安官事務所に勤めて8年以上の最古参で、地域の事で知らない事はないほどであった。


「……勤務……お疲れ様です」


 無表情で言葉少なくぼそぼそという隅田に苦笑を向けた葛城は、そのまま日誌を付け終えると隅田にぽんと手渡した。


「特に引き継ぎはない」


「……そうですか」


 日誌をめくり、中を改めている生真面目な隅田に葛城はふと思い出した様に言う。


「あ、そうだそうだ、あの子達、ほら、ええっと……」


「……太田君達ですか?」


「ああ、そうそう、さっき来てたぞ。お前がいないんで帰ったけどな」


「分かりました……神社にいるでしょうから……後で行ってみます」


「おう、じゃあな!」


 荷物を背負い、隅田の乗ってきた自転車をどけて自分の自転車を引き出した葛城は手を上げて元気良くそう言うと、颯爽と商店街を駆け抜けていった。


「……問題なし、勤務開始」


 ぼそっとそれだけ言うと隅田は日誌と一緒に受け取った鍵を手に事務所の戸を閉め、商店街を歩いて神社へと向う。


「お、隅田さん!今日は須田さんが当番かね?」


「……ええ、宜しくお願いします」


「おっと今晩は枕を高くして眠れるなあ」


「ありがとうございます……頑張ります」


「隅田さん、後でよっとくれ、良いメバルがあるんだ」


「……そうですか、いつもすいません」


 次々に商店街の店主や女将さん、お客から声を掛けられる隅田。


「隅田さん!申し訳ないがちょっと手伝ってくれないか」


「……あ、これですか?」


 大きな氷を持て余していた肉屋の店主の求めに応じ、隅田は軽々と大きな背丈ほどもある氷を持ち上げて店の奥にある冷蔵庫へと運んだ。


 周囲から歓声が上がるが、隅田は特に反応せずそのまま奥へと向う。


「いやあ済まないねえ、今日に限って氷屋のやろう大きなの置いて行きやがって」


「……いえ、お水を頂けますか?」


「おう、どうぞどうぞ!」


 肉屋の店主から貰った水を一気に流し込む様に飲むと、隅田は次いで腰の物入れから黒い粉末の入った瓶を取り出し、人目を避けて呷る。


「ありがとうございます……」


「おう」


 肉屋の店主に杯を返し、その見送りと氷運びを見ていた人々の歓声を受け、隅田は軽く頭を下げてから静かに歩き出した。


 そして自分を訪ねてきたという子供達が集まっているであろう神社、この区の名前の元にもなった日隈神社へと向うのだった。








 日隈神社境内





 平地にある日隈神社に階段はない。


 かつてこの地を治めていた豪族の館そのままに、周囲には堀と低い石垣があるだけだ。


 宮司を務めているのはその豪族の末裔。


 ある意味古代のまま存在し続けている集落と言えよう。


 その境内に橋を越えてゆっくりと歩いてきた公安官は、先程の日隈商店街を通り抜けてきた隅田である。


 肉屋の店主と別れてからもあちこちで捕まって色々手伝いをしてしまったので、随分と遅くなってしまったのだ。


 その隅田の姿を見付け、境内に潜んでいた小さな影が盛んに動き回る。


 木陰や茂み、物陰に潜んでいたその影は巧みに動き回り、隅田の視界に入ってこない。


 しかし隅田は立ち止まると、周囲をしばらく見回してから石灯籠の影に隠れる影に声を掛けた。


「そこにいるのが……太田君かな」


「ちぇっ、またみつかっちゃったよっ」


「すげえなあ~」


「隅田さんすごいっ」


 隅田の言葉と悔しそうな男の子の声に反応して、あちこちの茂みや物陰から男の子と女の子がわらわらと現れる。


 総勢8名の彼らは、この近くにある日隈小学校に通う小学生達。


 隅田が当番日と聞いて公安官事務所を訪れたのだが、交代前で会う事が出来なかったので、先に日隈神社の境内で遊んでいたのだ。


 隅田がやって来れば、商店街が騒がしくなるのですぐに分かる。


 子供達のリーダーでもある太田少年はそう考えており、事実その通りになったので隅田が到着する直前、皆に指示を出して隠れさせたのだ。


「今日もおまわりさんの勝ち~」


「あ~つまんね~っ」


太田少年が頭の上で手を組んで言うのを無表情に眺めていた隅田は、ふと腰の物入れから紙片にくるまれたあめ玉やお菓子を取り出した。


 先程商店街の店主さん連中から押しつけられた物だ。


 薄荷飴、餅粉菓子、醤油煎餅、甘納豆、蕎麦煎餅。


 次から次へと隅田の手に現れる菓子を見て、子供たちの目の色が変る。


「……私は食べないので、どうぞ……」


「わ~っ」


「ありがとうおまわりさん~」


「あ、お前ら、裏切るなよ!」


 太田少年が必死に止めるが、子供達はたちまちの内に隅田の手に群がるとその中の好きな菓子を貰っていく。


 最後に残されたのは蕎麦煎餅。


 実はこれ太田少年の大好物だったりする。


「……どうぞ?」


 ニコニコしながら隅田から貰った菓子を持って近くの椅子へ座り、美味しそうに食べていた少年少女達を羨ましそうに見つめていた太田少年の目の前に、蕎麦煎餅が差し出される。


「う、こ、今度は勝つからなっ」


 おずおずと隅田の手から蕎麦煎餅を受け取り、一気に頬張る太田少年の姿を無表情ながらもどこか少し緩んだ雰囲気で見る隅田。


「明日社会科見学があるんだよ~」


「……そうですか」


「うん、蒸気機関発電所へ行くんだ」


「俺たち8人だけだけどな!他のヤツは市場とか港とかへ行くんだってよ~」


 この遠い場所からもはっきり見える大きな大きな南海市蒸気機関発電所を指さしながら言う太田少年。


「なるほど……」


「おれ将来は蒸気機関技師になって色んな物を作るんだ!」


「良いですね……良い物を作って下さい」


 太田少年達が神社の椅子に座ってお菓子を食べながら話すのを頷きながら聞く隅田。


 しばらくして夕方も更けたので、隅田は太田少年達を家へと帰すべく立ち上がった。


「ではそろそろ……」


「ええ~?」


「もうちょっと!」


なかなか帰ろうとしない子供達に、隅田はとっておきの話を披露する。


「あんまり遅くまでいると……赤い目の鵺に攫われますよ?」


「兄ちゃん鵺なんか信じてるのか?おれの学校の井辺先生と同じだな!」


 それを聞いた太田少年が朗らかに笑う。


 鵺とはかつてこの国の闇を支配したと言われる存在で、その姿は様々に言い伝えられているが、一様に赤い目をしていたといわれている。


「井辺先生?」


「そう、おれの担任の先生だけどさ……鵺は居るって言うんだぜ!」


「鵺なんかいないって!」


「そうだよ~」


「こんだけ明るいんだもん!」


 太田少年の馬鹿にしたような言葉を皮切りに、子供達が付近に設けられた電灯を指で示して口々に言う。


 煌々とした明かりを点し始めた電灯は、周囲の闇を一掃していた。


「確かに……明かりが嫌いな鵺は、電灯は嫌うかも知れません」


「だよな!」


「……鵺は居なくともあなたたちの両親は心配します」


「……う、それは」


 父母を出されて狼狽える子供達の背を優しく隅田は押した。


「では……帰りましょう」


 そして隅田は少年達の後ろ姿を見送り終えると、顔を背後へと向けた。


 人気の絶えた境内に砂利を踏む音が響く。


「……ふふふ、少年少女との触れ合いかね?随分と人間らしくなったものだ」


「板橋少佐……ご無沙汰しています」


 隅田が正対して礼を送りながら言うと、黒い背広に同じ色の山高帽、白いマフラーを首から垂らした年齢不詳の男が面白そうに言った。


「鵺の一族か……懐かしいな」


「鵺は……居ます」


「もちろん否定はしない、しかしまあ感知機構は健全に働いている様だな……」


 しかし板橋と呼ばれた男は途中から隅田を無視して言葉を継ぐ。


「板橋少佐……この様なところで、何か……ご用でしょうか」


 板橋と呼ばれた細面の男は、再度隅田から問いかけられた事に一瞬呆けたが、次の瞬間くくくと喉で鳥が鳴く様な奇妙な笑い声を上げながら隅田に近づく。


「良い反応だ……実に人間らしい」


「……人間……らしい」


 そして隅田の肩に手を置いてにまにまと嫌らしい笑みを浮かべて言葉を継ぐ。


「……もう十分学んだのじゃないか?」


「わ、私は……いえ」


 下を向く隅田に板橋は心底おかしそうに笑い声を上げながら言う。


「くくく、くははは、良い、実にイイ反応だよ」


「……」


「廃人を基盤にしたとは言えここまで急速に成長するとは実に良い……軍へ戻る日は近そうだな?」


 下を向いたままの隅田の耳元に口を近づけ、板橋が言うと、隅田は顔を上げて反論する様に言葉を発した。


「……期間は10年間であったと記憶しています」


「くふ、記憶機構も損なわれていない様だな?」


「……あの」


 戸惑う様な声を出す隅田に、板橋はぐっと強くその肩を握るとそれまでとは一転し、凄みを利かせた低い声を出した。


「おい」


「……はい」


「勘違いするんじゃないぞ蒸気人形風情が」


「勘違い……」


 無表情のまま呆然とする隅田に板橋は畳み掛けた。


「お前は実験体なんだ、ここで暮しているのもあくまでその実験の一環だ」


 そして隅田の顔から色眼鏡を取り上げる。


 隅田の目には眼球がなく、淡い青色の光を放つ電球が入っているのみ。


 その異形の姿を見て板橋は満足そうに頷くと、隅田の手に眼鏡を返し、踵を返しつつ言う。


「一度死んだお前を軍の力で蘇らせてやったんだ……その分しっかり働け、良いな」


「……一体、何が……」


 背を向けた板橋に手の中の眼鏡を見たまま問う隅田。


 板橋は一瞬その歩みを止め、ため息を吐いてからぽつりと言った。


「……戦争が近い、それだけだ」








 同日深夜、公安官事務所





 事務所における待機勤務の時間となり、隅田は警邏勤務をきっちり時間通り終えて戻って来た。


 真っ暗な事務所の中で、隅田の目が青く光る。


 その視線の先には、自分の名札が掲げられていた。


「隅田……誠一郎上等公安官……」


 自分の名を口にし、その名札を手でなぞる。


 確かにその名の公安官は存在する、かつてこの身体の持ち主だった者だ。


 しかし隅田にその時代の記憶はない。


 彼が目覚めたのは推長香にある陸軍兵器工廠の極秘兵器開発所の実験室。


 彼を起動させたのは、板橋陸軍技術少佐である。


 今の隅田の記憶は全てそこから記録されているものだ。


 どういう技術を使用したのかは分からない、ただ自分が此の世にあらざる技術によって生み出された人間ではない、人間に似た存在である事は理解していた。


 それも全て板橋少佐の説明からだったが、確かに自分は人間ではない。


 事務所の鏡を見る隅田の前に、見た事のない青い光を目に宿して異形の存在が現れる。


「これが……今の……私……」


 人間ではないと理解しているが、いつも心の奥底で自分は人間だと主張する者がいる。


 自分が須田誠一郎という人間であった頃の記憶が、奥底に眠っているような気がするのだが、それもはっきりとは分からない。


 ただ知識として須田誠一郎の半生と性格、家族関係は記憶している。


 老いた両親がここ南海市にいたが、既に亡くなっていること。


 家族や親戚とは国都で公安官になって以来疎遠であった事。


 そして念願の故郷に配属された時、警備対象であった南海市蒸気機関発電所の大事故に巻き込まれて半死半生となった事。


 ただ事故自体は隠蔽され、誰も知らない事。


「私は……私の存在は……」


 隅田はそうつぶやきながら自分の胸に触れる。


 詰め襟の制服の下から伝わってくるのは、暖かい鼓動では無く無機質な振動。


 そして微かに聞こえる日緋色鉄の共鳴音。


 不可思議な蒸気機構によって稼働する「人形」の証だった。


「私は……人ではない……のだ」


 そして今、人間らしさを失った、あるいは当初から持っていない自分は公安官というあらゆる類いの人と触れ合う仕事を通じ、人間を学んでいる最中なのだ。


 最初の5年で人間の行動基準や行動規範というものを理解した隅田だったが、その後の5年では人間の不可思議さと人間性というものについて深く考えさせられた。


 そしていつしか自分もこの町の「人間」であるかの様な錯覚を覚えていたのだ。


「私は……人間に……、須田誠一郎に……なりたいのか?」


 自分の何気ない手助けで喜んでくれる商店街の人々。


 楽しい会話をしてくれる街のお年寄り達。


 色んな出来事を語り、くるくると目まぐるしく感情と行動を変える子供達。


 馬鹿話をしては大笑いし、苦楽を共にしてきた職場の同僚達。


 全てを受け入れ、まるでその中の一員になったかの様に感じていたこの数年間は教育期間としても得がたいものであった事だろう。


 しかしそうではない。


「自分は……何を、しているんだ?」


 自分は軍に縛られた自動人形。


 蒸気機関で動く、機械人形なのだ。


 混乱する思考と感情を無理矢理ねじ伏せ、隅田は蒸留水を飲み、瓶詰めの黒い粉を震える手で取りだして一気に嚥下する。


 ぶしゅっと背から蒸気が漏れ出し、周囲が白い蒸気で埋まった。


 燃料効率はすこぶる良いが、石炭粉と水をこまめに摂取しなければならない隅田。


 こんな自分が……蒸気を吐き出す自分が人間のワケが無いではないか。


 悩む事が既に人間のする事であるという事を失念したまま、隅田は再び勤務に戻るのだった。





 翌日午前、日隈駅前公安官事務所





「おう、お疲れさん」


「交代お疲れ様です……」


 昨日自分と交代した葛城が公安官事務所へとやって来た。


今度は自分が葛城と交代して貰う番だ。


「引き継ぎは……特にありません」


「おう」


 きっちり書き込みを終えた日誌を葛城に手渡し、隅田は持参していた荷物を担ぐ。


「じゃあ気を付けて帰れよ」


「……はい、ありがとうございます」


 自転車に跨がりそう言葉を返すと、隅田はゆっくりと本署に向うのだった。








 同時期、南海市蒸気機関発電所





 轟轟と地響きの様な音を立てて稼働する発電所のタービン機関の脇。


 板橋陸軍技術少佐らは南海市蒸気機関発電所の職員の案内で発電所内を視察していた。


 彼は何も隅田に会う為だけにここ南海市へやってきたわけでは無かったのである。


「ふむ……ここの日緋色鉄は純度が高い様だね」


「はい、採鉱している岸鉱山からは質の良い鉱石が取れますし、隣接している精錬所も世界最高水準の技術を誇る設備を有しておりますので」


「なる程……」


 感心した様に頷く板橋少佐だったが、職員は少し苦い顔で言葉を継ぐ。


「まあそれ故に凄まじい力を生むのですが、制御が非常に難しく、事故が起こると手が付けられません」


「……ふむ、8年前の爆発事故だな?」


 視察団を先導する技術少将が質すと、南海電力の職員は首を竦めた。


「はい……その折もみ消しにはご尽力頂きまして……」


「まあその話は良い、犠牲者は出なかったのだからな」


「はあ、まあ表向きは……ですが」


 技術少将の含みある言葉に職員は顔を引き攣らせて応じる。


 板橋少佐もその対策本部に所属していたから知っているが、実際は犠牲者が出なかったどころの話では無かったのだ。


 警備に付いていた公安官40名、発電所職員50名、そして見学者30名余りがこの事故で亡くなっている。


 尤もその内公安官の数名は陸軍工廠へと運ばれたのだが……


「まあ見返りと言っては何ですが……発電設備内に陸軍の研究機関を設けるお話は確かに承っております」


「うん、頼んだよ、もう間もなく始まる国を挙げての事業には必須の設備だ」


 職員の阿る様な言葉に機嫌良く少将が頷きながら応じた。


 陸軍の機械兵士作成計画には日緋色鉄の供給と莫大な電力が必要で、その実験段階でも設備面では相当苦労があったのだが、この南海市蒸気機関発電所を運営している南海電力株式会社が資金面を含めてこの事業を支援する事で話が付いていた。


 南海電力としても機械兵士にこの危険な発電所の運営を担わせたいという思惑がある。


 機械兵士に危険な作業を全て担わせる事が出来れば、人件費を含めた対策費用や事故時の人的被害は大幅に減るだろう。


 それに軍の重要施設を付属させれば、戦争が始まったとしても自分達の設備も含めて優先的に防衛して貰えるに違いないのだ。


 少将の会話が終わったのを見計らい、板橋少佐が質問をする。


「共鳴爆発の安全対策はどう取っている?」


「はい、周囲から隔離した状態で設備を運営し、この発電所の動力は発電機以外全て電力にて賄っています。これは石炭を運搬する列車も同様で電力機関車を使用しています」


「ふむ」


「また現在開発中ですが、共鳴停止装置を考案しています」


「それは……あれか?日緋色鉄の共鳴は逆にも作用するという……?」


「そうです、しっかり共鳴した後に片方を停止させれば、もう片方も停止してしまうのですが……爆発した状態の物を共鳴させては停止させる前に爆発してしまうので、難航しています……元から全く別に作動している状態であれば共鳴爆発までに至らないのですが、大規模な事態が発生した時にそんな遠くにあるのでは間に合いませんし……」


「なるほど、実際届けられるかどうかも分からないな?」


「はい、共鳴爆発は蒸気機関にも及びますので、搬送手段が断たれてしまう可能性があります」


 そこで職員は説明を一旦切り、腕時計を見て申し訳なさそうに技術少将と板橋少佐へ言葉を発した。


「ではこの辺でここは切り上げて次に参りましょう……実はこの後小学生の社会科見学が控えておりまして……」


「ああ、聞いている。まあその辺は任せるので気にしないで良い。将来の国を担う子供達だ、粗略に扱う事はしないで貰いたい」


「ありがとうございます」


 職員の説明と案内が続く中、技術少将が板橋少佐を呼び寄せた。


「あの実験体……隅田と言ったか?」


「はい」


「仕上がりはどうだ?」


「……少し人間に染まりすぎましたが、十分でしょう」


 板橋少佐の回答に満足げな少将が言葉を継ぐ。


「人間を倒すには人間を知らねばならん。鵺の一族も思考は人間だからな……だが、知り過ぎるのは良くないな?」


「はい、弱味も身に着けてしまいます……今回でそれが分かりました」


「ふむ、では今度から教育は市井では行わんようにせねばならん」


「……では?」


「ああ、戦争も近い。この視察が終わったら回収しろ」


「了解しました」


 少将が前を向いたのを確認してから、板橋少佐は暗い笑みを浮かべるのだった。





 その後、太田少年達日隈小学校の8名の生徒が大きな鞄を持った女性教師に引率されてやって来た。


「井辺先生~その荷物なあに?」


「先生の良い物が入っているのよ」


 女の子が問うが、薄く色の入った眼鏡をかけている美人女性教師はそう言って笑い、問いをはぐらかす。


「ふ~ん」


 女の子が興味を失って太田少年の後を追うと、井辺教諭は笑みを消して眼鏡の位置を直し、鞄を設備の隅に隠す。


「……これで良いわ」


 井辺は案内役の職員が子供達を誘導し始めたのを見送ってから、そう言ってさっと踵を返した。


「これ以上この国の軍と産業界が結託しては困るの……8年前は1人の公安官のせいで大きな結果を残せなかった。今ここで大きな事故を起こしておかないと……」


 暗い笑みを浮かべてそうつぶやいた女教師井辺は、足早にその場から立ち去る。


 しばらくしてその鞄の中身は破裂したが、その破裂はごく小さく、目立たない物だったので反応する者や気付く者はいなかった。


 そう、人は気付けなかった。


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