第2話 漆黒の炎が舞わすのは白き灰、風と歩み酒に酔う

 始まりの季節――春は目覚めの季節であり、生命の息吹が世界を包む季節でもある。



 そして、出会いと別れ、様々な催しが行われる季節でもあり、この国では何事にも春から始める者が多かった。



 そんな素敵な季節、その中で四季の風を謳う喫茶店。四季風の通り道、略して四季風。



 そこでも他の場所に漏れず、春の準備を終え、様々な変化の準備をしていた。



 四季風、近所の人間からそこそこの評判のある喫茶店だが、朝は早く、店主である女性が今日も声を上げていた。



「こらぁっ華凛! さっさと起きなさい!」



 時刻は朝7時前、喫茶店で出す軽食の下ごしらえや紅茶の在庫確認、季節のケーキの確認、四季風の店主はそれらをしながら、この喫茶店のもう一人の住人であり、彼女の娘でもある少女の朝食を作りながら叫んでいた。



「ちょっと華凛聞いてんの! 聞こえてんならさっさと起きてきなさい!」



 女性が苛立ちを隠そうとせずに叫び、普段から子どもに会う度に泣かれる程度の顔が、さらに怖くなった。



 そしてそんな声が四季風に響く中ついに観念したのか、少女が声を上げた。



「寝てりゅぅ」



「……」



 女性は額に青筋を浮かべ、指を鳴らしながら確かに呟いた。「ぶっ殺す」と。



 その瞬間、四季風に風が走る。



 女性の周りにある小物やらカップ、果ては椅子や机までもガタガタと揺れ出したのである。



「おぅっ。って、詩姫ちゃん」



 厨房の奥から覗ける少女の部屋、そこから切羽詰まったような表情で少女――神園(かみぞの) 華凛(かりん)が扉を勢いよく開け放った。



 だが、部屋から出たのも束の間。



「にゃぁぁッ!」



 転んだわけでもないにも関わらず、華凛が突然、床に叩きつけられたのである。



「痛い痛い痛い、タイタイタイ――詩姫ちゃん痛い痛いって! 待って待って潰れる潰れる。にゃぁッ!」



 床がミシミシと音を鳴らし、まるで華凛の真上から重りを乗せられているかのようである。



「華凛、あたしは起きたのか。って聞いてるのよ?」



「起きてる! 起きてるからぁ!」



「返事は一回、素早く言う」



「にゃぁぁッ!」



 四季風の周囲に家がないため、この惨状が外に漏れることはない。

 しかし、このようなやり取りは華凛が中学に入ったころから続いており、彼女らを知る者たちにとっては茶飯事である。



「さっさと顔洗って歯を磨いて、着替えてご飯食べてとっとと学校に行きなさい」



「え~、やだぁ、まだ春休みだしぃ――」



 詩姫が指を鳴らそうとすると華凛は首をブンブンと横に振り、洗面台に走って行った。



 始まりの季節。そう、今日は華凛が高校2年になって初めての登校である。

 だが、新たな日々を送るための準備をする時間であった春休み、華凛は毎日ダラダラと過ごしていた。



 夜更かししたり、夕方に起きたりすることは当たり前、一般的にだらしないと言われる生活を、春休みが終わってからの心意気や様々な変化に対する予防などが一切ないまま、華凛はこの長期休みを終えたのである。



「あぁ、そうだ華凛――」



 詩姫は調理の手を止め、厨房の先にある土間で靴を脱ぎ、洗面所に顔を出す。そして、どこか呆れたような表情で、顔を洗っている華凛の背中を見る。



「そういえばあんた、この間の終業式出てないでしょ」



「んぁ? うん、眠かった」



 華凛がこともなさげに言い放つのだが、詩姫の額に青筋が増えたことで目を逸らした。



「先生にお大事にって言われたわよ」



「さすがウチ」



「褒めてんじゃないっての」



「にゃぁッ!」



 指を鳴らした詩姫。すると、触れると熱いと感じる風が、華凛の肌を撫でた。



「ほら、さっさと着替えてきなさい」



「は~い」



 そうして、華凛は自室へ戻り、登校の準備をするのだが。ふと、自身の右腕――袖から覗く、黒く描かれた様々な紋章を撫で、腕を抱きしめた。



 華凛は服を脱ぎ、肩まで伸びたその紋章に触れるとどこか悲しそうにため息を吐き、その上から包帯を巻いた後、制服に腕を通す。そして鞄に繋がれた小さな兎のぬいぐるみを握った。



「……」



 鏡の前に立ち、華凛は足から頭までを見ると笑顔になり、クルクルと舞うように回ってポーズをとり「今日も可愛いね」と、自賛する。



 実際、華凛はこの辺りでは評判の美少女と言う立ち位置ではある。

 身長は一般的な女性が羨ましいと思う高さより低い程度で、引き締まった四肢に、健康的な薄い小麦色の肌、そして何より目を引くのが、腰まで伸びた真っ白な髪と真っ赤な瞳である。



 華凛は大きく深呼吸をすると先ほどまで纏っていたどこか軽い空気を再度纏わせ、四季風の喫茶スペースに向かうのであった。



「詩姫ちゃ~ん、準備出来たよん」



「ったく、言われなくてもやりなさいよ、毎朝毎朝。あ、華凛、これそっち持って行って」



 詩姫は出来上がった朝食の乗ったお盆を、華凛に持っていくように言い、紅茶を淹れる準備をし始めた。



 神園(かみぞの) 詩姫(しき)この四季風の店主であり、華凛の母親であるが華凛の年齢は16であり、詩姫の年齢は24。つまり本当の親子ではなく、8年前詩姫が華凛を引き取ったのである。



 そんな詩姫だが、見た目は……と、いうより顔だが、とても整った顔つきで、目つきは鋭い。近所の小学生低学年が詩姫の顔を見ただけで泣くほどには他人を目で射殺せる。華凛と同じくモデル体型であり、顔が怖くなければモテるだろう。と、この店の常連は口にしている。



「……」



 華凛は詩姫を見つめている。



「何よ?」



「うん? あ~、うんにゃ、血の繋がりはないけれど、胸だけは似てるにゃぁって――」



「あ?」



「ごめんなさい!」



 詩姫の睨みに、華凛が震え上がった。

 二人ともモデルのような体形であるが、それはそれはとてもスレンダーなのである。



「まったく。さっさと食べちゃいなさい、遅れるわよ」



「はいは~い」



 華凛はカウンター席に腰を下ろすと、テーブルに並んだ料理を眺めていた。

 タマゴやトマトなどの食材を使ったサンドウィッチとイチゴのシロップ漬けに、キャベツや豚肉のミルク煮、ニンジンや玉ねぎなどを包んだオムレツ、海藻のサラダ、ヨーグルト。そんな朝食に華凛も詩姫も手を付け始める。



「いただきま~す」



「はい、いただきます。華凛、あんた朝くらいはちゃんと起きなさいよ」



「にゃ? ウチ、朝以外には起きないよん? 学校では優等生だし」



「学校サボって寝ることはカウントに入っていないのかしら? とにかく、朝はシャキっとしなさい。一々あんたの相手するのは疲れるのよ」



「そんなこと言いながら毎朝構ってくれる詩姫ちゃんは好きだよん」



「ったく、調子の良いことばかり言って」



「照れてる?」



 特に変化が見えない詩姫の顔を覗き込み、華凛は尋ねたのだが、明らかにそうではない。と、いう空気で、詩姫のデコピンを額に受けていた。



「アホなこと言ってんじゃないわよ。ったく、あんたがいるからあたしの婚期も遠のくっていうのに」



「それはウチのせいじゃないよね? 詩姫ちゃんが結婚するにはもう、プチ整形しかないって。そんな目つきで結婚してくれるのは、同類かマゾだけだよ。というかまだ結婚願望ってあったの――」



 華凛が言い終わるより先に、彼女の前髪がふわりと靡いた。そして、背後の机に乗っているメニュー表が真っ二つになったのである。



 詩姫の持つ神の力、その風が華凛の頬を通り、メニュー表を切り裂いたのである。



「何か?」



「なんでもないですぅ」



 華凛は青い顔で精一杯の愛嬌を振りまいた。



「どこをどう間違えたらこんな調子のいい子に育つのかしら? 最初の頃はもっと大人しかったのに」



「そりゃあ詩姫ちゃん、ウチは心に傷を負ったピュアガールだったからね。というか詩姫ちゃんの言葉に今さら驚きはしないけれど、本当いきなりぶっこんでくるよね?」



 年齢差8歳、そんな世間一般では異常な親子、しかも詩姫は結婚もしておらずそういう相手もいない。



 華凛の言う心の傷がどれほどのものかはわからないが、事情があるのは確かであり、その傷を思い出させるような発言を詩姫は平気でする。



「こんなことで折れるほど柔に育てた記憶はないわよ。そもそもこんな言葉だけで折れるっていうならまた一から鍛え直すだけ」



「か、勘弁してください!」



 余程のトラウマなのだろう、華凛は首を振り、詩姫に媚を売りながらあんな地獄はもうヤだ。と、呟くのであった。



「あら何よ、昔は小さい頃のあんたを見て近所の人がよく躾が出来ていますね。って褒めてくれたのよ? 家の子も躾けてほしいって」



「……」



 華凛が引き攣った笑みを浮かべ、詩姫から視線を逸らし、どこか遠く――その躾を依頼した幼馴染の家の方向を眺めていた。



「ああうん。その結果出来上がったのが水玖だったね」



「ヤンチャだったんだもの、あたしの逆鱗に触れたのが悪いわ」



 華凛は乾いた笑い声をあげたのだが、ふと首を下げ横目で四季風の入り口に視線を投げた。

 すると四季風の扉が控えめに、カタカタと揺れながら開けられたのである。



 そしてその扉から覗くクリクリとした大きな瞳とひょこひょこと動く纏められた髪。



「水玖、入っておいで」



「あぅ……」



 おどおどと入ってきた少女――津原(つはら) 水玖(みく)が近づいてきた。



 水玖の見た目は明らかに華凛と同い年には見えず、小学生低学年に間違えられそうなほど小柄、クリクリと常に潤っているような大きな瞳に、肩まであるサイドポニー、抱きしめれば体温が高く、冬は華凛の抱き枕と化す。そしていじらしくイジメてほしそうな雰囲気と指示が出るまでは震えながらも動かない様はまさにワンコ。



「お――」



 水玖が華凛と詩姫に向かって、口を開く。



「おはようございま~すッ!」



「水玖、うっさい」



「ひゃぁっ、ごめんなさいごめんなさいです」



 水玖はそのまま床を滑るように詩姫の足元まで行き、土下座をする。



「……この子もこの子で、どう間違えたらこんなになるのかしら」



 昔はあたしにも食って掛かるほど乱暴だったのに。と、詩姫はため息を1つ。



「詩姫ちゃんの躾の賜物じゃないかなぁ」



「声あげたら土下座するような子に躾けた記憶はないわ」



 頭を下げている水玖に、詩姫は紅茶の入ったティーカップを手渡すと少し待つように言い、華凛を急かす。



 そうして華凛は準備をし始め、水玖の頭を一撫ですると詩姫から弁当箱を受け取り、そのまま四季風から出ようとするのである。



「それじゃあ詩姫ちゃん、いってきま~す」



「いってきま~すです」



「はいはい、さっさと行きなさい。あ、水玖、あんた呆けてること多いんだから車には気を付けなさいよ。華凛、ちゃんと水玖のリードは離さないように。それと――」



「わかってるわかってる、それじゃあ行ってくるよぉ」



「……ったく」



 詩姫は肩を竦め、華凛と水玖が見えなくなるまで見送ると、そのまま四季風に戻って行った。



 どれだけキツい言葉を放っていても、その内面はこのようであり、華凛も水玖もグレなかったのは詩姫の教育の賜物だろう。

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