運命は課せられた

「大丈夫かい、メル?」


 気が付くと目の前に、優しいヘーパイストス様の顔があった。

 白髪に白いお鬚、いつも私に安らぎを与えてくださる。


 倉庫の天井も見えるから、あの時からそう時間は経ってなさそうだ。


 他に何人か、別の人影もある。

 倉庫管理の神達が全員招集されたのかもしれない。


「お前が『パンドーラ―の箱』を開けてしまったのは……私の失態だ」


 私を叱りもせず、白いお鬚を引っ張りながら、申し訳なさそうな顔をされている。逆にこちらが、たまらない。


「ヘーパイストス様……申し訳ありません。全て私の責任です」


「いや、私が悪いのだよ。開けてしまうことがないように、チェックが不要なことがわかるよう説明を書いたつもりではあったのだ。『世界を創り変える箱』ならば開けるものはおらぬであろうとな。どうやら足りなかったらしい、こんなことになってしまって、すまぬ」


「そんなことおっしゃらないでください。私は大丈夫ですから!」


 しかし、こう言いつつも私は気になっていた。


 ヘーパイストス様は嘘や冗談や過分な表現をなさる方ではない。

 ゆえに、作品の精度がとてつもないモノであられるのだから。

 『こんなことになってしまって』には絶対に意味があるはず。

 

 周囲を見回した瞬間にそれは判明した。


 あれ? 私がいる!?


 周囲の人影の顔は、毎日鏡で出会っている、私自身の顔をしている。


 一瞬鏡でも置かれているのかと思ったが、私が動いても同じ動きをしない。

 考えてみると、体勢そのものが違う!


 首が回る限りで確認する。


 1、2、3、4、5、6!


 私以外に六人の私がいる!



 ヘーパイストス様は、周囲を見回して驚いた私の顔で、全てを悟られたようだった。


「わかったようだな。そういうことなのだ。もう、他のお前には話したのだが、お前にも説明せねばなるまい。よくお聞き」


「お、お願いします」


 奇妙な光景だった。


 私とヘーパイストス様の周りを、六人の私が囲んでいるのだ。

 全員無言で、私と彼の様子を伺っている。


 もっとも、表情はそれぞれで微妙に違っており、好奇心、羨望、侮蔑、など籠るものが異なっている。


 なぜ、わかるか。


 毎日見ている私の顔だからだ。



「『パンドーラ―の箱』には、人間の災いとなる七つの欲望が込められている」


「七つの欲望?」


「傲慢、嫉妬、怠惰、色欲、憤怒、暴食、強欲の七つだ」


 ヘーパイストス様は、わからないという表情の私に向かって、説明してくださった。


 『傲慢』とは、心の隙間を埋める力であり、幻惑の力。

 これを操るものはルシファー。


 『嫉妬』とは、自分と相手の関係に作用する力である。

 この調整の力を司るものはレヴィアタン。


 『怠惰』とは、心に落ち着きを与える力である。

 静寂、固定に繋がる力を操るは、ベルフェゴール。


 『色欲』とは、魅了する力、心を支えとなる力である。

 他者の心を知るに至るは、アスモデウス。


 『憤怒』とは、爆発力であり、エネルギーである。

 力を与え、力をふるい、世界を壊すものはサタン


 『暴食』とは、他を理解すること、自らの力とすること。

 世界を喰らい、虚無に還すはベルゼバブ


 『強欲』とは、自分に無きものを求める力。

 いつしか、世界を創造するはマモン



 お話をうかがい、納得した私は、この六人の私に囲まれた状況から自分が想像したことを確認したくなった。


 ちょうど数があうのだ、関係しないわけがない。


「もしかして、私が七人に分かれたのは、中に入っていた七つの欲望のせいですか?」


「そのとおりだ、メル。七つの欲望は説明したように、悪しきものではなく、世界を創り変える力なのだ」


「世界を創り変える力……」


「うむ。しかし、人間には過ぎたものであったようでな、過去にこの箱を通じて与えたものの、そのせいで争いが尽きぬという。おそらく、人間を育てようとするゼウス様の思し召しであるのではあろうが、難しいところではある」


 なるほど、確かに神ですら自分の心を律するのは難しい。


 最高神のゼウス様でも奥様のヘーラー様と夫婦喧嘩なさることがあると聞く。

 ましてや、人間では、与えれたのが素晴らしい力になるまでかなり成熟を要するだろう。


 まてよ、そういう私は大丈夫?


「そ、それで私もつくりかえられてしまったと?」


「そうだ。おそらく、出てきたものを封じこめんと頑張ったのであろう。お前が箱の中身を全て吸収し、分かたれたお陰で、ある意味、世界自体には影響無く済んでおるのだ」


 この言葉に、ホッと胸を撫でおろす。

 なんだかんだで、私は心配だったのだ。

 私のせいで大変なことになってしまったのではないかと。


 そして、やや落ち着いた私は、周りの六人を改めて眺める。


 眺める……これ、どうなるのだろう。


 増えたのが良いことに七人で働かされるのだろうか。

 それはそれでよいのだけれど、お給料は、七人分欲しい。


 ……私はこの時、自分の置かれた状態が全然わかっていなかった。



「お前には感謝しているよ、メル。しかし、残念なことにこうなってしまったお前は神の格が変わってしまったから、もうここには置いておけないのだ」


「えっ!」


「お前は神の身で、七つの欲望の力を手にしてしまった。だから、一人の体では耐えられず、七人に増えたのだ。そのひとりひとりも、今や並の神では、百人かかっても敵わない力を持っている。だから、お前に与えられる仕事も変ってしまうのだよ」


「そ、そんな、私はここで、このまま働きたいです!」


「神の法を曲げることは、私にもできないんだ。私も残念に思っている。『創造』とは己の中にあるものを外に出すこと、私はお前にそのかけらを見出していたのだから、メル。私はお前に、いつか私の後を継がせたかったのだ」


「ヘーパイストス様……」


「ある意味、『創造』ではあるかもしれないが、今度の仕事はその逆もある。お前

には辛いことがあるかもしれない……その時は、またここにおいで」


 ヘーパイストス様のお優しい心に触れて、感動する私。しかし――



 ぎゅるううううううう



 おなかが、な、なぜ、こんな時に!?

 ……は、恥ずかしいっ!

 


「ふふふ、『暴食ベルゼバブ』のお前には話してばかりは辛かったかもしれないな、食事を用意させるから、待っていなさい」


 ヘーパイストス様はどこまでもお優しかった。

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