祝乳〈後編〉

 明くる日の早朝、乳鶏ちちどりたちの鳴き声とともに、儀式が再開された。

 昨夜からあまり寝ておらず、疲れの胸色を浮かべた乳臣たちが、それでも一生懸乳に乳舞を踊っている。


『パパイ、パパイ。パパイ、パパイ……パパイオ、パイパイ、パパイオ、パイ――』


 乳壇にゅうだん上にはバスティ王子の姿があった。その隣には乳守フェリンが、その背後には四天乳も控えていた。


「繰り返すが、乳上から直呑みを許していただいたというのは、真乳であろうな?」

「ぱい、真乳にございまする」


 前日と同様の八重乳衣を身に纏った乳王が王子の前へと歩み出る。


「過酷なる乳渡りを成し遂げようとする勇み乳、バスティ王子」

「ぱい」


 王子は列から一歩前に出て、その超巨大美乳を凝視した。


 群乳ぐんにゅうたちは王子の元へと、一斉に乳首を向けた。


「これからそちは、幾度も危険にさらされるであろう。かつて我が乳をもってπ験したことだ。その怖れは、胸が張り裂けんばかりのものだ」


 フェリンは四天乳たちに乳配せをした。すると他の八つの乳房もそれに応えて震えた。


「そちに我が乳首を捧げよう」


 王子の喉元が、ゴクリと鳴った。

「真乳にございまするか!?」


「さよう。好きな時に好きなだけ、その口で吸いつくがよい」

「好きな時に……好きなだけ……」


 千の乳民らは、胸を騒がせた。好きな時に、好きなだけ、乳王様の乳が吸えるとは、なんという大乳振る舞いであろう。


「ただし! 条件がある!」

「ぱい、何なりと」


「そちは四つの国を回り、その地その地で王乳を呑み継ぎ、自らの乳を豊かに育て上げるのじゃ。そして無事に帰ってきた暁には、我が乳を呑ませてしんぜよう」


 王子は乳を傾げると、パチンと乳槌を打った。

「と、申しますと……乳渡りの旅から帰ってきてからということでございましょうか?」


「そうじゃ」


「そんな! わちは今すぐに乳上の乳を――っと何をする!!」

 王子の言葉を遮り、フェリンが王子をヒョイと左脇に抱え上げた。


「乳守ラクト・フェリン、乳王の御乳言ごにゅうげん、しかと呑み干しました。必ずや、プロティーンへ無事に帰って参りまする」


「おい、フェリン。わちは――」


「うむ、その乳言ちちごと、胸々忘るるでないぞ」

「乳意! それでは参りましょう、バスティ王子」


 王子は掴まれた右腕から、自分が罠に嵌められたことを悟った。


「いや……そんなっ……嫌じゃあ! 行きとうないぃぃ……謀ったなぁ、フェリン!!」


 後ろから伸びてきた手によって、王子の両腕と、両脚と、両乳が掴まれた。


「さっ、参りますよ、王子」

「嫌じゃ! 嫌じゃあああああ!!」


「日が暮れてしまいますと、乳呑み獣たちが騒ぎだします」

「乳なら、これからわちちたちがいくらでも差し上げますよぉ」

「そうでございます。それとも今からお飲みになられますか?」


「嫌じゃああ!! 乳上の乳を飲まずして死ねるものかぁ!!」

「その乳でございます! さっさと旅を終わらせて帰りましょうぞ!」


「お乳上のつるぺたあああ!! ぺたぺたぺったんこおおおおおおお!!」


 お乳輿にゅこしを担ぐかのような要領で、王子は乳向けになって持ち上げられながら、乳民らが両脇に控える乳道ちちみちを練り歩いた。


 無数の乳桶から祝乳いわいちちが降りかけられ、王子や四天乳の乳衣は、濡れて重みを増していく。


「王子ぃ! 行ってらっしゃいませぇ!」

「どうかお元気で! ご無事でお戻りくださぁい!」


 道中で乳持ちが吹っ切れた王子は、フェリンらの手から離れると、乳房の海へと飛び込んだ。

 衣の上から、剥きだしたところから、片っ端から乳に吸いついていく。


「揉まれたい乳はどこじゃあ! 吸われたい乳はどこじゃあ! わちには、恐れるものなど何もないのじゃあ! 揉ませろぉ! 吸わせろぉ!」


 この旅を終え、この国に帰って、この乳を吸えるのは早くて一年後。ともすると、どこかで乳を落とし、二度と吸うことなく乳を落とすやもしれぬ。


 ならば、今のうちに吸っておくまで。この愛してやまない、この国の乳の味を、香りを、喉ごしを、いつまでも忘れぬように、一滴残らず吸い尽くしてくれるわ!!


 乳壇の上から、彼乳らの起こしている騒ぎを眺めながら、乳王はホッと胸を撫で下ろした。


「胸元ない。先が思いやられるわ」

「にゅふふ。若き日の王様そっくりでございまする」


 乳王の周りで、使者たちが乳房にえくぼを作っていた。


「“王子”も出立の日には、“乳王様”の乳をおねだりなさいましたじゃあ、ありませんか」

「それでわたちたちがお手を引っ張ってご出立したのですよ?」

「かの日のことを思い出す成乳の儀でございました」


「わちは、あのようには暴れておらぬ」


「にゅふふ。おっぱいのことが好きで好きで堪らない性分も、乳双つにございまする」

「ならば、乳豊かな気持ちで待っていられましょう」


 乳君は立ち上がると、乳王の背後から両手でそっとその乳房を支えた。

 乳王の八重乳衣には、二点の染みが広がっていた。


「必ず……必ず無事で帰ってくるのじゃぞ」


 乳王は、乳君に乳房を支えられながら、六谷の背中を見送った。


 やっと我が子を送り出すことが出来た。

 本当は、王子を引き留めたかった。

 本当は、望み通りに乳を呑ませてやりたかった。


 だが王子に一度乳を呑ませてしまえば、簡単には口元を離してくれぬであろう。あの、力強く乳首を吸い上げてくる愛おしさを再び味わってしまえば、かけがえのない我が子を危険な旅へと送り出せなくなってしまうやもしれぬ。


 それが恐ろしかった。


 乳法に逆らうというのならば乳法を変えよう。いつまでも王子と共にいられるのであれば、この国が滅んでしまってもかまわない。そう思い直してしまうやもしれぬ。


 それゆえ、王子が旅立ってくれて助かった。何より、わちが助かった。

 あとは乳神様に祈るのみ。彼乳らの育乳の旅路を、彼乳らの無事の帰還を日々祈ろう。


 乳王が空を見上げると、そこには巨大な白い乳房雲にゅうぼうぐもが二つ並んで浮かんでいた。その乳房雲はどこまでも大きくなろうとするかのごとく、上に上にと膨らんでいた。

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