第一節 第二楽章 コンサートマスター譜

***


 「そだったそだった。みんなあたしのこと笑ってくれたんだよね。」

 そう言って、ゆさはまたにまにまと笑みを浮かべる。

 「ホント、あんな嘘丸出しの言い訳するなんて、私も思ってなかったよ。」

 実際、私はゆさのあの言い訳には驚かされた。それに、お腹を抱えたおかあさんにも。

 けど、ゆさが開口一番、妙なジョークを披露したことで、あの場は和み、私も家族の一員になれた実感を得ることができたのだ。

 「でもあの後って確か……。」

 苦虫を噛んだような表情を露骨に出してしまうゆさ。どうやらあまり思い出したくないみたいだ。けど私は語ることを躊躇わない。

 どんなに苦い思い出も、全ては現在ここに繋がっているのだから。


***


 新しい家族全員とゆさとでひとしきり笑った後、少し落ち着いてきたおとうさんが口を開く。

 「いやぁ、笑った笑った。それにしてもゆさちゃん……だったっけ?君も嘘が下手だねぇ。僕やお母さんとそっくりだ。」

 「けれど……、」と困り顔でおとうさんは続ける。

 「孤児院の子を勝手に連れて行ったとなると……、最悪の場合警察のお世話になっちゃうからなぁ。」

 ゆさの身長まで腰を落としたおとうさんはゆさに問う。

 「ゆさちゃんは、孤児院に戻りたいかい?」

 「絶対いやだ!そんなことしようとしたら、あたし、大声出すから!」

 即答するゆさにおとうさんも驚いて、つい尻餅をついてしまった。

 「それは困るな……。養子を迎えて早々誘拐犯なんて濡れ衣を着せられたら、ご近所付き合いにも影響が出てしまう。」

 おとうさんはしばらく、うーんと唸っていたが、そこに笑いのツボから脱したおかあさんのアドバイスが入った。

 「……お父さん、孤児院に一度電話して、正式にうちの養子として迎えるのはどうかしら?」

 「けど、ミキ一人の分しか女の子の服は用意してないよ?それに育てるお金も……。」

 微笑むおかあさんが返事をする。あぁ、この笑みを浮かべているときのおかあさんは、きっと素敵なことを考えてるんだろう。

 「そんなことなら、わたしたちでどうにかできるわ。この子たちに未来を選ぶチャンスを与えてあげられるのは、いまはわたしたちしかいないんですよ。」

 私の予感は的中していたようだ。

 「それもそうか。けど、しばらくは仕事三昧だな、これは。」

 「いいじゃありませんか。自分の子どものためにがんばってお仕事に勤しむお父さんってとっても素敵だと思いますよ。」

 照れながらではあるが、少し誇らしげな面持ちのおとうさんは、なぜかすごく頼もしく思えた。

 「じゃあ、そうしようか。」

 そう言ったおとうさんは、真っ白な外装とは反対に大理石のように黒く輝く玄関の扉の前へ走っていく。そして鍵を開け、扉を全開にし、前もって決めていたのであろう台詞を言う。

 「ようこそ、佐乃守さのかみ家へ。ミキ、ゆさ。」

 おとうさんのその表情には屈託の欠片も感じないほどの満面の笑みで、口角も思いきり上がっていた。

 私とゆさは大きく広げられたおとうさんの両腕の間をすり抜け、家の中に我先にと入り、まだまだ新しいフローリングに飛び込んだ。

 うつ伏せの状態から起きあがった私たちは、互いの顔を見合い、次は仰向けに寝転がり、子ども二人分の大の字を描く。

 そして大きく息を吸い込み、盛大に笑った。

 孤児院のルールに縛られなくなったことを。孤児院のいじめから解き放たれたことを。自分たちが吸い込んだ空気があの孤児院のものではないことを。

 「やれやれ、ここは僕の胸元に飛び込んできてもいいところだろうに。」

 娘たちを抱き止めようとしていたおとうさんも、そう言いつつ短くため息を漏らして頭を掻いていたけど、おかあさんが傍らに来ると二人とも、優しく暖かい表情で、私たちのことを眺めてくれていた。

 「……さて、それじゃあ僕は孤児院に連絡してくるよ。」

 「えぇ、そうね、お父さんにお願いするわ。ゆさの荷物はまだ孤児院にあるだろうから。」

 ゆさははっとし、急に起きあがる。きっとおとうさんの口から出た「孤児院に連絡」というフレーズに反応したのだろう、明らかに怯えていた。私としてもそれは孤児院でも見たことがない姿だった。

 「大丈夫。ゆさのことも責任持って育てるって言えば、きっと孤児院側も分かってくれるさ。」

 おとうさんはジーンズのポケットからスマートフォンを取り出し、孤児院に電話をかける。

 「もしもし?先ほど伺った佐乃守ですけれども、……あ、はい、神之輝かんのきミキの里親です。ちょっと院長先生にお繋ぎしていただいてもよろしいですか?……はい。あ、もしもし院長先生ですか?先ほど神之輝ミキを養子に迎えました佐乃守です。えーっと、実はですね、どうやってかは僕らには分からないんですが、そちらのゆさちゃんも僕の車についてきていたようで……っ。ですが僕らとしても、これも何かの縁かと思いまして、相談した結果、ゆさちゃんも佐乃守家で責任を持って育てることに決めました。誠に勝手な判断だとは重々承知しておりますが、それでも、よろしいでしょうか……?」

 とても長い沈黙。このときばかりは本物の緊張感が漂っていた。


 「……はい。分かりました。それではまた後日、そちらに伺います。では、失礼致します。」

 スマートフォンでの通話を終えたおとうさんの表情は哀しさと怒りが混ざったように、険しく、しかしいまにも崩れてしまいそうなものだった。

 ゆさは孤児院に戻らなければならない。おとうさん以外、その場の全員が悟った。

 「三倉さくらゆさ。」

 しかしそんな面持ちのおとうさんの声音は、震えてこそいたものの、温かく、柔らかなものだった。

 「はい……。おとー……、さん。」

 ゆさのいまにも消え入りそうなほど小さな応答を受け、大きく深呼吸をするおとうさん。


 「これまでお疲れさま。もう君も、手放さない。ゆさも僕ら家族の一員だ……っ!!」


 そう言ってゆさの元へ駆け寄り抱き締めるおとうさんの頬を一雫の涙が滑り落ちていった。

 「お、おとーさん。あたしいま人生で一番嬉しいけど、同じくらい苦しいよ……。」

 「おっと、ごめんよっ。」とゆさの身体から離れたおとうさん。しかしおとうさんの泣いた証拠の腫れた目尻を指摘しないほど、ゆさもバカではなかった。

 「おとーさん、なんで泣いちゃったの?」

 「……ゆさ。電話で孤児院の人が言っていたこと、伝えてもいいかい?」

 「うん。」

 「わたしも、興味があるわ。研究員の頃でさえ……っ、あ、いえ、ごめんなさいっ。なんでもないわ。……けど、お父さんのそんな顔、わたしも初めて見たから。」

 おとうさんは、ナニか言いそうになり取り乱してしまったおかあさんを、細くしたまなこ一瞥いちべつし嘆息混じりに優しく微笑む。

 「じゃあ、ありのままを伝えるよ。僕がゆさの引き受けを院長に申し出てから言われたこと、その全てをね。」

 おとうさんはスマートフォンを操作し、さっきの通話の録音を流し始めた。それにしてもいつの間にセットしていたのだろうと私は思ったが、そんな疑問など吹き飛ぶような音声が流れてきた。


 「ゆさって三倉ゆさですか!?いやぁもう、佐乃守さんにはなんとお礼を言ったらいいか……っ。すぐそのように手続き致しますね。……実はその子、この孤児院でも随一の問題児でして、先生たちのいうことを全くきかないしルールも守らない、本当に『できの悪い』子で……。両親が生まれた日に亡くなってしまっていて、しつけもろくにできていないんですよ。実のお母様も子宮外妊娠だったにも関わらずお産みになって大量失血で亡くなられていますし、お父様も、お母様が亡くなられたショックで病院から飛び降り自殺したって話です。きっとそんな”自分勝手”なところが遺伝したんでしょうね。そういうことですので、あの子が元々この孤児院にいたということは何卒内密にお願い致します。孤児院ここの評判を下げるわけにはいきませんので。それから、あの子の身になにが起きてもこちらには連絡されなくてけっこうです。孤児院の院長として他の先生方の言葉も代弁して申し上げますが、三倉ゆさ自身の今後がどんなものになっても、知ったことではないと思っております。おっといけない、口が滑ってしまいました……っ。それでは、準備ができましたらまたご連絡致しますので、すぐに来院されてくださいませ。」


 スマートフォンは最後に「では、失礼致します。」と告げ、ツーツーツーと三度響かせたあと、音を鳴らすのをやめた。

 ゆさはいつの間にか私の手を強く握っていた。

 その手は、鎮まることを知らない目覚まし時計のように、ひたすらに震え続けていた。

 「あぁ……っ、”悪魔”、だ……。」

 小さく掠れた声で、そうゆさは呟き、隣にいた私の膝の上に倒れ込む。

 「ゆさ……っ!?」

 私はつい、呼び捨てにしてしまった。けれどこの子もとてつもなく重いモノを背負って生きているのだと知ったあとだからだろうか、”さん付け”していた自分がバカらしく思えた。

 「この子となら本当の意味で友だちになれるかもしれない……っ!」と私の心は想い、疼いていた。

 「きっとショックで気を失ったんだろう。奥のミキの部屋にベッドがある。僕がそこまで抱えていくよ。」

 「私も、ゆさの隣にいたい。」

 そう、ゆさの隣にいてあげたい。

 私を、ゆさの隣にいさせてほしい。

 私は、ゆさの隣であの笑顔が見たい。


 私は、ゆさの隣がいい。


 「わかった。」

 おとうさんはゆさをお姫様を抱えるように慎重に抱き上げ、寝室へと運んだ。その間も私はゆさの手を離さない。

 元々私だけ養子に迎える予定だったからだろう、そこにあった低めのベッドは、一人分のスペースしかなかった。

 ゆさを降ろすと、おとうさんは「いまは安静にしておいてあげよう。」とおかあさんと話し、頑なに手を離さなかった私を部屋に置き、部屋から二人は出ていった。

 ゆさ、起きたら、私の友だちになってね。私はあなたの隣にずっといるから。

 ゆさの脱力した姿に、私も眠気を誘われ、狭いベッドに身を委ねた。

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