霊狐はタンフウに問いかける

「セイジュのことは分かった。けど、禁書ってのは何なんだ」


 ユーシュは手にしていたティーカップをかたりと音をたててテーブルに戻した。穿った眼差しで彼はショウセツを見据える。


「奴らの狙いはセイジュだけじゃなかったろ。お前はお前で、どうしてそんなヤバそうな本を持ってたんだよ」

「そこまで怪しいものじゃない。確かに発禁処分になってる本だが、探せば他にもどこかにあるだろう。現に、俺は史学研究所からかっぱらってきたんだからな。

 もっとも、それでも分かりやすく禁書を史料室に置くわけがない。時間稼ぎが出来て良かったよ。じゃなきゃ危ないところだった」


 彼の問いに、ショウセツは肩をすくめて答えた。

 その後で彼は口元に手をやり、自身でも考え込みながら、背筋を伸ばして説明する。


「奴らが探していたのは『建国乱舞記』という、ヒズリア王国建国前の動乱から『沈黙の二十年』に至るまでの歴史を記したものだ。しかし発禁処分になり、現在は表に出回っていない」

「どうして発禁処分になったんだ?」

「現在の王家を愚弄するともとれる内容だからだ」


 ショウセツは腕組みして、タンフウとユーシュを順繰りに見やる。


「お前ら、建国神話は、ヒズリア王国建国時の歴史は知っているだろう?」

「……歴史って言えるのか、あれ」


 史学に明るくないタンフウでも、それなら知っていた。義務教育を受けた人間ならば、かなり初期の段階で何度も聞かされる語だからだ。


「かつて人々は、誰しもが精霊と共存し、自在に精霊の力を扱うことができた。

 だが当時の皇太子であったリンゼバードの実の姉、滅国の魔女アンゼローザが、精霊たちの力を搾取し、世界に干渉するという人知を超えた禁忌を犯してこの世を滅ぼそうとした。

 魔女の目論見は賢王リンゼバードと、自らの犠牲をもって世界を繋ぎ止めた悲劇の王子リューカナンにより阻止されたが、魔女の凶行は精霊たちの怒りに触れ、以後は人間たちは精霊術を使うことができなくなってしまった」


 概要をそらんじた後、タンフウは怪訝に眉を寄せる。


「王家にハクをつけるお伽噺だろう?」

「まあ、そうだろうな。

 ともあれ、この本はその部分がとりわけ問題だった。善悪が概ね逆になっているんだ。魔女が正義で、当時の王族が悪側だ。賢王リンゼバードすら、後半はともかく前半は愚王として書かれている。

 神話をいじって面白おかしく書いた、所謂とんでも本だな」

「そんな史料とも言えない本を、どうして持っていたんだよ」

「荒唐無稽な内容でも、その一部には真実が含まれていることがままある。前に話しただろう、次は沈黙の二十年の研究がしたいと。だから参考に拝借してきたんだ」


 一通り話し終えてから、またしてもショウセツは眉間に皺を寄せて考え込んだ。


「だからこの禁書が目的なら、相手は俺と似たような研究をしたがっている史学関係者か、この本の存在をよしとしない権力側の人間だろう。

 だが、あいつらの目的は禁書のみならず、セイジュもだった。

 セイジュの場合、狙う奴はもっと多いだろうが、この二つが組み合わさった相手となると検討がつかない。史学関係者とは考えにくいし、権力者なら正面から来ればいい話だろう」


 セイジュの憑けた風精シルフが最も関係するのは精霊学。禁書が関係すると思われるのは史学か、政治的なものだ。確かにショウセツが思案するように、二つはそう簡単に結びつかない。


 そこまで話すと、にわかにショウセツは立ち上がった。テーブルに置かれたままの茶は、少しも減っていない。


「本当にありがとう。助けてくれたことも、これまでのことも、全部含めて。セイジュも俺も、お前らには本当に感謝している。

 だが、もうサンもいない。俺たちはお前らから平穏を奪いこそすれ、与えられるものはなにもないんだ。俺たちが一緒にいる理由はない。

 ただのご近所さんに戻ろう」


 淡々と告げられた台詞に、タンフウは慌てて立ち上がる。


「待てよ。別に僕らは、そんなつもりでいたわけじゃ」

「分かってるさ。けど、もう


 ショウセツの言葉に、昨日サンと交わした会話が蘇った。図らずも彼女と同じ表現でそう言った彼は、やはり彼女と同じように穏やかな笑みを湛えている。


「セイジュは今、昔のあいつに戻ってしまっている。あいつはこれまで、『得体の知れない化物』か『価値のある被検体』としての目線しか、ほとんど人から向けられてこなかったんだよ。

 今でもまだ完全には、その時のことをぬぐい去れない。お前らと過ごした日々を、あいつは心から好いていたけど。万に一つでも、そんな奇異の眼差しを、憐憫の眼差しを、お前らから向けられてしまうかもしれないということが、セイジュは怖くて仕方ないんだ。

 まして。自分の精霊憑きのせいで、ツヅキを傷つけてしまったから。

 その気持ちは痛いほど分かるから、今日は連れてこられなかった。

 けど、俺は慣れてるから」


 その先は言わず、ショウセツは曖昧に笑って誤魔化した。

 しばらく無言の時間が流れてから。


「知ってたよ」


 静まった部屋に、はっきりと響く声でユーシュが言った。

 彼は無表情で足を組み、椅子に座り込んだまま、目線だけちらりとショウセツを見上げる。


「俺はお前のことを知ってたよ。いくらここがクソ田舎だからって舐めるな。噂は入ってくるさ。知ってた上で、それはさて置いて付き合ってたんだろうが。

 俺もタンフウもツヅキだって、こんな僻地で過ごしてる連中は全員が訳ありなんだ。今更それで引け目を感じるなよバカが」


 一息に告げられた言葉に、ショウセツは息をのんだ。

 構わずにユーシュは続ける。


「セイジュもセイジュだ。ツヅキを刺したのは強盗だろう。あいつが風精憑きであることと直接の因果関係はない。ツヅキだって間違いなくそう思ってるだろうさ。あいつの間抜けが風精憑きのせいだってんなら、むしろ納得だろ。天然でそれの方がよっぽど厄介だ。

 それに、まず前提の話でだな。そもそも面倒くさかったら、はなからお前らを天文連合に招いたりなんかしてないんだよ」


 ショウセツはどこかで緊張していたのだろう、その表情を僅かに緩めて。

 しかし、彼は頭を振る。


「その言葉は。本当に、心から嬉しく思う。

 ……だけど、それでもな」


 ショウセツは天を仰いだ。本棚の上に放って置かれた天球儀をじっと眺めながら、彼は額に拳を打ち付ける。


「今度こそ、上手く立ち回れると思ってた。だから俺は、お前らに声を掛けたんだ。

 けど、駄目だったな。結局、嗅ぎつけられてしまった。

 ……お前らのことは信頼している。けど、だからこそ。俺たちの事情には巻き込みたくないんだ」


 数秒、じっと目を閉じてから。

 ショウセツは弱々しく笑みを浮かべ、二人に向き直った。


「ツヅキが戻ってきたら、改めてセイジュを連れてくるよ。

 けど、それまで。どうか、あいつをそっとしてやってくれないか」


 懇願するようなその言葉に。

 タンフウは、ユーシュに続いて何かを言い募ることが、ついぞ出来なかった。



******



『止めなかったんだな』


 薪を取りに外に出ると、壁沿いに積み上げられた薪の束の上、そこに霊狐がいた。

 タンフウが外で一人になると早々に彼へ絡む霊狐だが、他の人の目を慮ってか、天文連合の建物周りにはそうそう現れない。珍しいことだった。


「……仕方ないだろう。ああ言われたら、引き留められない」


 霊狐の横に積まれた薪を手に集めながら、タンフウは視線を合わせずに言う。


「それに、ツヅキが戻ってきたら。また、その時に改めて話せばいい」

『それにしちゃ、随分と不満そうじゃないか』

「……うるさいな」


 手は止めず、ぶっきらぼうに答えた。彼の姿をじっと見つめながら、霊狐はくっと首をひねってみせる。


『お前は、願わないのか?』

「願うって。何を願えっていうんだ」


 両手に抱えた薪を、彼は苛立ち混じりに強く握った。薪のささくれが指に突き刺さるが、痛みは感じない。

 顔を歪めて、タンフウはようやく霊狐に視線を移した。


「サンが史学会に戻ってくるようにか?

 セツの過去を皆が忘れるようにか?

 セイジュが精霊憑きから解放されるようにか?

 どれを願えばいい。誰かを選べっていうのかよ。

 それにそもそも。全部が全部、僕の独りよがりじゃないか。

 苦しんでいるのは分かるさ。けど、本当にあいつらがそれを望んでいるかなんて分かりっこない。勝手に僕が望んでいいことじゃないんだ。それに」


 史学会へ続く道を示す、木に巻き付いた布を睨み。独り言のようにタンフウは呟く。


「僕がお前と契約して、それを叶えるなんてこと。きっとあいつらは誰一人、望んじゃいない」


 澄ました声で霊狐はゆるりと尾を振る。


『なら。分かってるんだろう。そういうことじゃない』

「……どういうことだよ」

『願うべきはお前自身のことだろう』


 ひょいと薪の上から飛び降り、霊狐はタンフウの前に進み出た。淡く光を放つ体躯が明るさを増し、一際ぶわりと存在感を強くする。


『お前は。自分の平穏な生活を望んでいるんだろう。

 自分自身と、今まで通りの平穏な暮らしを望んでいるんじゃあないのか』


 真っ向から指摘されたタンフウは、そのまま言葉を飲み込んだ。

 霊狐の視線から、逃れることができない。しばらく固まったまま、一人と一匹は向かい合っていた。外套を着ずに出たタンフウに、容赦のない冬の風が突き刺さる。


「……僕は。お前とは、契約しないよ」


 しかしタンフウは今までどおり、そう返した。ややあって絞り出されたその答えに、霊狐は不満げに尻尾を地面へ打ち付ける。


『俺様だって強要している訳じゃねぇさ。だけど今のあんたは、それこそ見ちゃいられないんだ。

 別に命を取ろうってんじゃない。どうしてそこまで俺様との契約を嫌がるんだ』

「……僕は平穏に生きたいだけなんだ」

『だから、それを叶えてやろうってんだろう』

「違う、そういうことじゃない」


 無意識に、長く伸びた前髪を掴んだ。威嚇するように再び尾を振り上げた霊狐の視線を避けるように、タンフウは目を伏せる。


「お前のことを、忌み嫌ってるわけじゃない。

 けど。僕はただでさえ後ろ指を指される立場なんだ。お前と契約することで、これ以上、偏見の目に晒されたくない」


 言いながら頭に浮かんだのは、今朝の夢。それとセイジュのことだった。

 ショウセツと同様、彼にも痛いほどその気持ちが分かった。だからこそ、タンフウはあの時に何も言うことができなかったのだ。

 何を言おうとしても、まるで自分を慰める言葉にしか聞こえなかったからだった。


 タンフウは彼らと違って、逃げられている。

 ただ、それだけの違いだった。



「これ以上。僕は、奇異の目で見られたくない」



 それは、これまでのらりくらりと霊狐の誘いを交わしてきた、嘘偽りない彼の本音だった。

 それが霊狐にも分かって、威勢良く掲げていた尾を静かに下げる。


『……そうかよ。そう言われちゃ、いかな俺様でも何も言えねぇな』


 霊狐はきびすを返し、彼に尻尾を向けた。


『邪魔したな。今日は冷えるぜ、早く戻れよ』


 振り返らずにそう言い残し。

 霊狐は、そのまま森の中へ姿を消した。

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