サンは早々に秘密がバレる

 ここでショウセツが、タンフウの思考を遮るように口を開く。


「ともあれ、俺はこういうのが凄く好きなんだ。

 縦ではなく横に広がる世界で、歴史を紐解きたい。前にいたところは実に縦割りで、なかなか融通も利かないから嫌だったんだ。今なら自由に何でも出来る。幸せだよ」


 実際、至極嬉しそうな口調でショウセツは微笑んだ。

 タンフウはため息混じりに言う。


「随分と複雑そうな研究を選んだんだな」

「面白いぞ。そう、今やっているのは歴史の流れに伴う言語の変遷に関してだが、これが終わったら次は『沈黙の二十年』の研究に移ろうと思っている。タンフウはこれについては知っているか?」

「いや、聞いたことはあるけど詳しくは知らない。そもそも僕は最初から理系分野の研究をするつもりでいたから、文系は詳しくないんだ」

「勿体ない。これほど面白い話もないのに」


 前に身を乗り出すようにして、ショウセツは熱っぽく語る。


「動乱を治めた賢王リンゼバード王が即位し、旧紀から新紀に移行した前後。重要なはずのその時期、約二十年に渡っての長い間、この王国には空白の歴史が存在するんだよ。

 たいして時間が経過していないにも関わらず、王国も大衆もほとんどその時のことを伝えていない。おそらく政治的な理由で、当時、意図的に不都合な真実を隠す力が働いたのだろう。

 この空白の時間に何が起こったのか。沈黙の時代に、裏では一体どんな政治的配慮が働いていたのか……」

「……セツさ、それも史学と言うよりは政治学寄りの分野なんじゃないか?」


 後半ほとんど独り言のようになり、自分の世界に入ってしまいそうになったショウセツの思考を遮ってタンフウは問いかけた。笑みを浮かべながらショウセツは頷く。


「だが突き詰めればそれも歴史だろう。

 いいんだ、史学会は史学のみに縛られず、関連した分野を広く扱っていく組織だと王国にも許可を取ってある。現に俺とセイジュの研究内容は恐ろしいほどかぶらないぞ」

「セイジュは、何を研究してるんだ?」

「あいつは科学史家だよ。俺が文系寄りの史学で、セイジュが理系寄りの史学だといえば分かり易い」

「科学史?」

もっぱら、自然科学の歴史に重点を置いて研究してる。セイジュは大雑把な流れはともかく、王国史で詳細を把握しているのは科学やその発展が絡んでくるものだけだ。ただし、ことそれに関してセイジュは驚くほど詳しい」


 相槌を打ってタンフウは指を組む。

 タンフウは歴史も言語も自然科学全般の変遷についてもさっぱりであったが、同じギルドにいるにしては、二人の研究分野がかけ離れているということはよく分かった。


「大変じゃないか。そのやり方だと資料集めも難儀だろうし、キュシャ同士でお互いに協力するのもままならないだろう」

「そりゃ大変に決まってる。けど、それが俺のやりたかったことだから」


 ショウセツは拳を握りしめ、嬉々とした感情を抑えるように口を引き締める。


「俺はギルドで研究したいんじゃない。俺は、アカデミカで研究したかったんだ」


 ショウセツの言葉に、タンフウは目を見開き。

 ややあって、訝しげに聞き返す。


「昨日も気になったんだけど。その、アカデミカって、何なのさ?」

「ああ、そうか。悪い」


 頬をかいて、ショウセツは説明する。


「俺たちが所属してるのは王立研究ギルドだ。

 だがそういった組織の枠組みのことじゃなく、ギルド中で行われている研究の実態について対比して言うのが、『ギルド』と『アカデミカ』だ。

 ギルドはあくまで国の方針に則して研究をしている。出世や発展のためには、場合によっちゃ不本意な研究や、やりたくもないことにだって手を染めなければならないこともあるだろう。

 それに対し、学問へ真摯に向き合い、自分の待遇や研究所の発展は度外視して、純粋に知を探求することを望んでいるキュシャもいる。

 そんなキュシャたちが集い、権力者へいいように利用される形骸的なギルドとは一線を画した、ただ一途に真実を求め続けるあるべき姿の研究所のことを。

 一部のキュシャの間では、『アカデミカ』と呼んでいる」


 タンフウは、そう語るショウセツの熱に圧倒され、言葉を失った。一呼吸おいてから、かろうじて彼は合いの手を打つ。


「そうだったのか。……初めて聞いた」

「森の中に引き籠もっているからだろう」

「……人のことが言えた口かよ」

「俺は二年前まで特区だからな。似たような志の奴らともここよりは多く出会う。それ以上に胸糞の悪い連中にも多く出会うがな」


 過去を思い出したのかショウセツは苦々しい表情で、思い浮かべた誰かに対して舌を出した。

 タンフウは頬杖をつき、うずくまるような体勢で呟く。


「けど、どうなんだろうな。国の方針をさておいて、自分の探究心だけで研究するのはさ。一応、僕たちは王家の支援で研究ができている訳なんだから」

「何も現在のギルドの体制を否定しているわけじゃない。国に媚びを売って、本来の役割を見失い御機嫌取りの研究に奔走している連中を批難しているんだ。それは知に対する冒涜ぼうとくだ」


 彼の口ぶりに、タンフウの脳裏にとある学問が思い当たる。


「セツ。お前、もしかして精霊学が嫌いか?」

「よく分かったなこの上なく大っ嫌いだ」


 声を大にして断言し、ショウセツは不機嫌に腕を組む。


「精霊学そのものに興味がないと言ったら嘘にはなる。けど、あの研究をしてるキュシャにはろくな奴がいない。おべっか使いのミーハーなクズばっかりだ」

「それは」


 彼の言いように、タンフウは失笑した。

 ふて腐れた表情のまま、ショウセツは続ける。


「特区は圧倒的にそういうのが多いからな。俺と似たような信条のアカデミカ希望の奴らは、俺たちみたいに郊外に居を構えた研究所が多い。だから、今じゃほとんど疎遠になってしまった」


 タンフウは曇った表情をショウセツには見せないようにして、呟くように言う。


「そうか。……意外と、多いんだな。そういうキュシャは」

「ああ、幸いにして。全体で見れば、どうしても少数派だけどな。

 お前のところもそうだろう、タンフウ」


 虚を突かれて、タンフウは弾かれたように顔を上げた。ショウセツは屈託ない笑みを浮かべてみせる。


「だから俺は、すぐ近所にアカデミカがあって嬉しかったんだ。特区の腐りきったギルド連中みたいなのじゃなく、お前らと会えたことが」


 慌ててタンフウは手を振って否定する。


「僕のところは、単に郊外にあるってだけだよ。天文学ならそんな研究所ばっかりだ。アカデミカみたいな、崇高な目的でもって研究してる訳じゃない」

「研究に崇高も何もあるかよ。それこそ馬鹿馬鹿しい。

 今どき、王立天文台やその系列以外で働いてる天文学のギルドは、ほとんどがアカデミカだよ。じゃなきゃ天文学を選ぼうなんて思わない」


 ショウセツの言葉に二の句が告げずにいると。

 不意に、外から聞き覚えのある声が響いた。この高い声はサンのものである。


「失礼しまーす」


 ノックが早いか扉を開けるのが早いか、サンは素早く玄関を潜り抜けた。ショウセツの姿を認めると、サンは彼の側に歩み寄る。


「あ、やっぱりここにいた会長。セイジュが呼んでるぞ」

「放っておけばいいよ死ぬわけでもないし。動きたくない」


 力を抜いてソファーに身体を預けながら、間延びした声色でショウセツは駄々をこねた。サンは腰に手を当て、普段とは逆にショウセツを見下ろす。


「わがまま言わないで行ってあげろよ。昔の文献で、ある箇所がどうしても解読出来ないんだとさ。古典は十八番おはこだろう」

「はいはい、仕方ないな」


 面倒くさそうにショウセツはゆっくりと身を起こす。ソファーから立ち上がって玄関の扉に手をかけながら、ショウセツはサンを振り返った。


「そうだ。タンフウから許可、おりたぞ。今日から夕飯は天文連合と合同だ」

「本当? やった!」


 高い声で叫び、サンは飛び上がった。

 その喜びように、つられてタンフウも笑みを浮かべる。サンは目を輝かせてタンフウに向き直った。


「じゃあ、早速作り始めていいか? ……って、さすがに夕食にはまだ早いか。

 なら、丁度いい頃合いまで部屋の片付けをさせて貰ってもいいかな。向こうで自分がやることはなくなったし、セイジュの邪魔をするのもなんだから」


 思わぬ申し入れに、つい反射的にタンフウは両手を前に出した。


「いや、いいよ。夕食を作ってくれるだけでも感謝してるのに」

「いいんだ。自分は料理も片付けも半分、趣味だから。むしろ、この乱雑な部屋を片付けたい。頼むから片付けさせてくれ。綺麗な方が好きなんだ」


 研究報告が近いことを理由に、掃除する人間は誰もおらず、確かに部屋はどこもひどい有様だった。当分、片付く見込みはない。

 熱心にそう言われては、断る理由もない。ありがたくタンフウはサンの申し出を受けることにする。




 ショウセツが去り、居間にはタンフウとサンだけが残った。サンの邪魔にならぬよう、タンフウはソファーから離れてカップや皿を片付ける。


 サンは窓を開け放し、はたきを引っ張り出して、上機嫌で掃除を始めた。椅子の上に乗って腕をいっぱいに伸ばし、端から本棚にはたきをかけている。小柄なサンには少々辛そうだ。

 多くのキュシャがしている格好と同じように、サンもシャツにかっちりした狐色のベストを着込んでいるが、サイズが大きいのか、どうも服に着られているように見えてしまう。身長だけでなく、体格もかなり華奢なので、布地が余るのだ。


 年齢は聞いていなかったが、見たところまだ十代のようだった。働きながら史学会に弟子入りというのだから、義務教育を終えて現在キュシャの試験勉強中か、もしくは高等過程だろうか、とタンフウは考える。高等過程は比較的自由なので、働き始める子供も少なくないのだ。


 洗い物が終わり部屋に戻ると、先ほどよりも危うい姿勢で、はたきかけに難儀しているサンの姿が目に入る。爪先立ちで、今にも体勢を崩しそうになっていた。

 タンフウは歩み寄り、サンに手を貸そうとする。


「大丈夫? そこは高いから、僕がやろうか?」

「だ、大丈夫……わっ!」


 だがタンフウがそこまで辿り着かぬうちに、サンはバランスを崩し、椅子ごと派手に背中から後ろに転倒した。一緒にいつもサンがかぶっている帽子も外れて床に落ちる。

 慌てて助け起こそうとしたタンフウは、サンの姿を見てその動きを止めた。


 サンの頭の後ろで広がったのは、波打つ栗色の髪。

 帽子の下から出てきたのは、背まで届こうかという長さの、つややかな髪の毛だった。


 タンフウは息を呑んでそれを見つめた。咄嗟の事で、事態を飲み込むまでに彼はしばらくの時間を要する。

 しかし意味を理解してからもまだ、タンフウにはただ黙ってサンを見つめる事しかできなかった。


 転んでしばらくは落下の衝撃に身をすくめていたサンであったが、タンフウの目線に気付くと、ぱっと起き上がり、慌ててその髪を再び帽子の中に隠した。

 サンは恐る恐るタンフウを振り返り、顔を赤らめながら彼を見上げる。


「……見た?」

「……見ました」


 どんな表情をしていいか分からず、タンフウは気まずそうにサンから目を反らした。

 彼はちらりと横目で窺いながら、小声で問いかける。


「ええと。女の……子?」


 サンは盛大にため息をつき、がくりと肩を落とす。


「あーあ。まだ二日目なのに、こんなに早くばれちゃった」


 そうと知れた途端、気が抜けたのか、急にサンは声色と口調を変えた。元より高かった声音は更に高く、少年のように歯切れの良かった物言いは途端に柔和になる。拗ねた様子でサンは口を尖らせた。

 どう反応したらいいか分からず、困ったように頬をかきながら、タンフウは当たり障りのないことを尋ねる。


「史学会の二人は知ってるの?」

「勿論、知ってるよ」


 帽子の縁を両手で押さえたままサンは頷いた。


「そもそも会長には、会った時からばれてるんだよ。史学会に行って弟子入りさせてくれと頼んだら、会長は口を開くより早く私の帽子を取りやがりまして」


 その時の様子を想像して、思わずタンフウは吹き出した。つられてサンも一緒になって笑う。


「その時はもう駄目だと思ったんだ。けど、細かいことは何も言わずに会長は一言で許可してくれた。普通、女だって分かったら断ると思うんだけどね。おかげで毎日楽しいけど」


 はにかみながらサンは続ける。


「セイジュにも、そのうちこんな風にしてばれちゃった。セイジュは会長と違って女性に耐性がないみたいだから最初は戸惑っていたけど、女だってばれる前に仲良くなっていたから何とか慣れてくれたみたいで」


 そう言っては穏やかに微笑んだ。

 一方で、タンフウはサンに悟られない程度の弱々しい笑みを浮かべる。



 女はキュシャになれない。

 だから、せめて雑用係として弟子入りする。


 きょうび、下積みとして弟子入りをする人間はほとんどいなかったが、皆無というわけではない。キュシャになるか思案している者、試験に落ちたが次の試験までの間に現場を見ておきたいという者、そういった人間が稀に優秀なキュシャに弟子入りすることはあるという。

 しかし弟子入りしたとして、サンの場合はどうやってもキュシャになることは出来ないのだ。



 サンの夢は叶わない。永遠に。



 しかし、その言葉を口に出すことはなく、タンフウはただ口をつぐむばかりだった。



 彼の思惑を知るよしもなく、ふと思い出したようにサンは顔をあげると、両手を合わせてタンフウに頼み込んだ。


「ごめん。この事、天文連合の他の二人には秘密にしておいてくれない?

 いずれ、ばれちゃうとは思うんだけど……お願い」


 サンの言葉に、黙ってタンフウは頷き返したのだった。

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