第23話 Hook 釣り(3)


「私はそれでもよかった。真に高貴であるためには、見返りを求めてはならないと思った」


 おっ、またもや過剰な正義感だぞ。

 気になったが、あえて俺は指摘せずに話の続きをうながした。


 料理を楽しむ。この世界には柔らかいまま普通の高さにまで成長する竹があるため、一年中チンジャオロースが食べ放題なのだ。


「その点において、父は私と考えが違ったようでな。領民からより多く税を取り立てるようになった。それだけならよかったのだが、王都に金を納める途中で中抜きをしていたのだ」


 よくある話だ。

 この手の話が貴族社会の中では珍しくもないことくらい俺でも知っているから、取り立てて言うべきことはない。


 欲張りすぎて金額を怪しまれるか、誰かが密告するか、財務管理者がとてつもなく優秀でなければこの時代では表面化することのない問題である。


 搾取される側である領民ですら、それを理解しているふしがある。彼らにとって、多少苦しくても生活が続いていくこと自体が幸せなのだ。


「私は王都に父を密告した」


 おっと。


「領民の生活に支障が出るほどだったのか?」


「いや。他の領地と比べても良心的な税率だったと言えよう。むしろそれまでが低すぎたのだ。貴族としての体面を保つのに最低限と言えるほどの」


「なら、何故密告したんだ? 誰も損をしていない。中央は決められた額の税金を回収できて、領民は餓えていない。お前の実家はちょっとお小遣いをもらえてハッピー。何の問題があるんだよ?」


「それが正しくない行いだったからだ」


 ここだな。

 俺はレイラの心に深く浸透した。自分をトロトロに溶かして、俺とレイラの間に区別がつかないくらいに混ざり合っていった。

 俺はレイラだったし、レイラは俺だった。

 だからわかることがある。


「正しいのが貴族だって思ってる?」


「いいや、正しくなくても貴族は貴族だ。そういう連中もいる。私は嫌いだが」


 そこは納得してるんだ。


「お前は正しさという価値観を絶対的に信じているが、それを信じるに至る道筋がまったく見えない。俺の言っていることがわかるか?

 貴族としての教育もあったのかもしれないが、信じるに至るのとはまた別のことだ」


「正しさを信じることに理由などいらない。正しい答えを選び続ければ、よりよい生き方ができるからだ。野の獣が本能で水を口にするように、人は望んで正しい行いをしなければならない」


「法の神を信じているのか、お前は?」


「ロウか」


 この異世界の今は、魂をつかさどる女神のような実在する神と、宗教を動かす原動力として紙の上に存在する概念としての神がいて、混沌としている。

 法の神・ロウは後者の神だ。


「私は法の神を信じていない。法はただ人を裁く基準でしかなく、そこに人格を介在させる必要はない。人格によって判断がぶれるようでは、法は機能しない」


 やっぱりそうだ。こいつの正義感には根っこがない。


 根っこが人のすべてではないが、それでも根っこがあってその上に人格を築くのが普通の人間だ。

 レイラはある種の例外なのだ。ただ空洞だけがある。どんな地盤よりも頑丈な空洞だ。


「お前の正義感は無から生じたものだ。それなのに、とてつもなく強固でもある。お前は正しい。それ故に怪物だ」


「世間話をするのではなかったのか? 随分な言われようだな」


「褒めてるのさ」


「そのようだ」


 実際、俺は口笛を吹きたいくらいの気分だった。


 俺の言ったことは何ひとつ間違っていなかった。俺はレイラの記憶を手繰り寄せたが、レイラの信念と呼ぶべきものに根拠らしきものはちっとも見つからなかった。彼女は物心ついた頃から、かくあるべしと自分に定め、そこから一歩もぶれずに成長してきたのだった。


 心が読めるということは他人と違う経験をすることでもある。

 俺が読み取ったものを言葉に変換する過程でこぼれ落ちてしまうニュアンスがいくつもあるせいで、正しく他人に伝えられる気がしない。俺の唯一無二の経験だ。


 人は他人との関わり合いの中で相手の気持ちを類推したりすることはあるが、すべてを正しく把握することはない。それはきっと本人ですらもわからないことだ。俺という例外を除いて。


 俺は書類をコピーするみたいに簡単に他人の心を読み取ることができる。ウィーン・ガーッガーッ・ピー。はい終了。そうして読み取ったものの中には一見普通でも、実はとんでもない異形がまぎれ込むことがある。


 レイラはまさにそれだ。

 左遷された貴族/強い正義感/上昇志向/貴種らしい潔癖さ。普通の人間が読み取れるのはそこまでだろうし、それで充分だ。


 だが、俺にはレイラが持つそれらの要素の根幹が、まったく空虚なことまでわかっているのだ。


 レイラは根本的な部分で何の動機も持っていない。にもかかわらず、正しいことを正しいとして行うことができる。できる、というよりそうするしかないのか。


『汝と出会う前のわらわと似ておるわ、この女』


 苦々しげにアリザラが言った。


 確かにそうだ。レイラの人間としてはある種虚無的なふるまいは、そうあれかしと望んで作られた道具としての存在によく似ている。本人が自覚を持つという機能を欠いたことまで含めて。


『だったら気が合いそうじゃないか?』


『振るい手としては正義感の点において有望じゃな。だが、十年ももたんじゃろう。この手の人間は早死にするものよ』


 ほとんど死神と同義である忌剣の言い分はとことんドライだった。


 こういった怪物的な心の有り様に触れることができるのは、超能力者の特権だ。この力があって得をしたと思ったことは実はあまりないが、俺は珍しいものが好きだ。


 誰だってそうだろう? 珍味は味わってみたくなるし、おかしな形の木の棒や綺麗な小石は拾ってみたくなる。世界でひとつしかない宝石を自分だけのものにしたくなる。


 好奇心だ。


 サルを進化させ、シャチに人を襲わせるような熱烈な気持ちが、時には枯れてしまいそうになる俺の心を何度も震わせてきた。


「幸い、大した額でなかったおかげで誰も処刑されずに済んだ。父も貴族のままだ。ただ、ろくも領地もずいぶんと減ったが」


「それでお前はこんなところで冒険者相手に駆けずり回る羽目になったってわけか」


「軽蔑したか? 口はでかいがやっていることは大したことのない女だと」


「いや、お前とは仲良くやっていけそうな気がするよ」


 俺はエビチリをレイラの皿によそってやった。これは美味い。美味いものは分け合う価値があるものだ。特にお近づきになりたい相手とは。


「私はそうは思わない」


 レイラは憮然としたままの口調を崩さなかったが、エビチリは食べた。

 面頬を傾けて、口の部分だけがあらわになる。油が付いて、唇がやけにてらてらとしていた。


「……美味いな、これ!」


「でしょ?」


 俺は仲良くやっていけそうな気がする。本人がどう思っているにしても。


   *


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