第10話 Jewelry 宝石(1)


   *


 知り合いを締め上げる時には、嫌なやつになるに限る。


 その宿屋の一階は酒場になっていて、他と比べてもそこそこ高い金を払わなければ入れない場所だったが、どいつもこいつも悪い酔い方をして馬鹿笑いをしていた。

 中でも特に笑い声が気に食わないやつの椅子を蹴飛ばして転ばせ、代わりに俺がそいつの席に座った。


「フィ~ル~君~。相変わらずいいもん食べてんじゃないの。ちょっとよこせよ」


 対面に座った男は、野を駆ける駿馬の生命力とギリシャ彫刻の美しさを兼ね備えており、その耳は人間の二倍ほど尖って長かった。

 金髪で細身の美丈夫であり、典型的なエルフ――精霊術士のフィルニールは人差し指と中指、薬指と小指を左右のまぶたに置いて、頭痛をこらえるような仕草をした。これはエルフのおまじないだ。


「精霊の導きのあらんことを……」


 人間が「クソったれ」と言うところも、エルフ様はお上品なことだ。


 俺たちはちょっとした知り合いであり、まあまあ仲は悪い。フィルニールは何かあればすぐ殺し屋を差し向けるし、俺も話を聞くだけのために嫌がらせをする。


 俺は机の上にあるギロチンロブスター(ダンジョン産の魔物。ロブスターと言うよりも1メートルほどのデカいザリガニだ)のアヒージョを勝手につまんだ。


 オリーブオイルの風味、塩とレモンに負けない力強いギロチンロブスターの味が口いっぱいに広がる。さすが、元の世界ではフレンチの高級食材なだけあって美味い。ザリガニだけど。


 機嫌よく俺は、隣の席に座った男の服で手をふいた。男の服にはオリーブオイルとレモンの果汁の染みがついた。


 酒場中の馬鹿笑いはいつの間にか止んでいた。


「おい、どうした? みんな急に黙っちゃって? 酒が足りないのか? 店員さんすいませーん、このクソエルフのおごりでこの酒場全員にエールお願いしまーす!」


 エルフと言うと森から出ずにロハスな感じで暮らしている印象があるし、それはおおむね間違っていないのだが、冒険者になるようなやつとなると少し話が違ってくる。


 森の外の世界の価値観を積極的に取り入れて、その中で勝ち上っていくことを望むエルフもいる。フィルニールはその口だ。


 金が好きで、金を貯めるのも好きで、金を使って遊ぶのが好き。酒も煙草も女も賭け事もだ~い好き。

 だから冒険者になったし、実際Aランクにもなってかなり成功している方だ。


 今この酒場にいるのはほとんどフィルニールの取り巻きたちだ。横に抱いていた女をフィルニールはつまらなそうに突き放した。


 荒事に慣れた冒険者たちが、俺という異分子をどう扱うか考えあぐねているのがわかった。あっという間にAランクに駆け上った白虎の谷の優秀な精霊術士、フィルニールがどれだけ強いかをこいつらは知っている。

 だが、彼よりもランクが上の冒険者ギルドでもめったに口出しできない、事実上の特権階級Sランク。それが俺だ。


 暴力の予感に腰元でアリザラがウキウキと震えた。


「黙ってりゃ調子に乗りやがって……!」


「よせ」


 立ち上がりかけた男にフィルニールは言った。こいつはさすがに実力差をわかっている。

 カッカしてる男は獣人だったが、獣比率が低くてただの猫耳のおっさんにしか見えなかった。こういうのは異世界の最悪なところのひとつだ。


「ですが!」


「私はよせと言ったのだ。聞こえなかったのか」


 一瞬、フィルニールの背後の景色が歪んだ。高密度の炎の精霊が現界した証拠の陽炎だった。ゴブリン程度なら十分かそこらでカリカリのベーコンみたいにできる。


 エルフの精霊術士の中でも、このレベルの炎の精霊を召喚できるのはフィルニールくらいだ。白虎の谷の層の厚さがうかがえる。


 男のネコミミがしぼむ。目障りだ。


「こいつは剣すら抜かずにヒドラを相手にできる男だぞ。お前にも見せてやりたかったよ。そこらの樹よりも胴が太い多頭の蛇が、自ら自分の頭同士で食い合って死んでいく様を。お前にそれができるのか? 不死身の毒蛇を殺せるのか?」


 そうして男はようやく引き下がったが、心の底ではほっとしているのがわかった。Sランクの魔王殺しに喧嘩を売らなくても済んだし、ボスにそれを咎められなかったのだから。


「し、失礼します……」


 恐る恐るといった様子で店員が俺たちのいるテーブルにエールを運んできた。


「あっ!」


 緊張のあまりか、店員の足がもつれてカップが宙を舞った。


 俺の超能力はテレパシーだけじゃない。何しろ天才だから、念動力サイコキネシスもお手の物だ。


 店員が床に顔を打たないようにその場に固定し、飛び散ったエールをすくい上げた。

 水滴が球体になって空中に浮かんだ。琥珀のような色のエールの玉の中で、細かな泡がいくつも弾けては消えた。

 ふわふわと浮かんだエールの水滴を、俺はフィルニールのカップに注いだ。


 店内の視線をたっぷり引き付けて、俺は固まったままの店員にもういいよと手で合図をした。


 デモンストレーションはこんなところで充分だろう。

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