第15話 奥の手

 会場中がリング上の光景に声を失っていた。

 そんな中、ただ一人、喋ることを生業とする実況の夜行さんだけが、状況を説明しようと声を発する。


『う、腕だァッ!何ということでしょう!絡新婦の脇腹から……三本目の腕が生えています!!』


 そう、小豆研ぎの完璧な三段蹴りは、先の二段蹴りで絡新婦の両腕を顔のガードから遠ざけた。しかし、三発目の蹴りを受け止めたのは、本来ありえない三本目の腕だったのである。


「まさか初戦で、あなた相手に三本目の腕がばれちゃうなんて思わなかったわ。あなた、結構やるじゃない!」


 文字通りの『奥の手』とも言える三本目の腕が露見したにもかかわらず、絡新婦は嬉しそうに笑いながら言った。


『絡新婦、余裕の笑みを見せております。脇腹から突き出た三本目の腕で小豆研ぎの足首をガッチリキャッチ!』


 小豆研ぎの足首は離さぬまま、絡新婦が小豆研ぎを見下ろす。


「でも残念、これまでね」


 絡新婦が大きく足を持ち上げ、小豆研ぎの腹に落とした。踵が、腹にめり込む。

 小豆研ぎが苦悶に顔を歪めた。肋骨が軋み、腹筋がちぎれる。


「あはははっはははっはははっははっははっはははははははっは!」


 絡新婦が高笑いを上げながら何度も、何度も、何度も、何度も、踵を落とす。


『絡新婦、まるで女王様のような笑い声を上げながら小豆研ぎを踏みつけます!これは苦しいぞ小豆研ぎ!ここで決まってしまうのかァァッ!』


「……ごうか……と、とって、おか……」


「?」


 絡新婦のストンピングが止まった。


『おおっと?どうしたのでしょう?絡新婦、攻撃の手、いや、足を止めました!』


「あずき……とごうか、ひと、とって、く……おか……」


「馬鹿なの?」


 絡新婦が、嘆息を漏らしながら呟く。

 小豆研ぎは歌っていた。足首を万力のような握力で握られ、脱出不可能な状態で踏みつけられながらも、小豆研ぎはその喉を震わせながら、歌っていた。


「小豆研ごうか……人捕って食おか、しょき、しょき……」


 歌声が、静まり返った会場に、弱々しく響く。


「小豆研ごうか、人捕って食おか!」


 突如、観客席から歌声が聞こえた。歌声は山彦のものであった。


「小豆研ごうか、人捕って食おか!」


 山彦の声は、歌というよりも叫びに近いものだった。


「小豆研ごうか、人捕って食おか!……がんばれ!小豆研ぎ!」


 その歌声は、会場全体に響き渡る。

 それは当然、リング上の小豆研ぎの耳にも入ってきた。


「ははっ」


 小豆研ぎの目に、光が戻った。


「小豆研ごうか、人捕って食おか!」


「小豆研ごうか、人捕って食おか!」


 小豆研ぎと山彦の歌声が、会場に響く。


「だからなんだって言うのよ!」


 絡新婦が再び足を持ち上げ、小豆研ぎの腹に踵を落とす。


「小豆」


 小豆研ぎがその足首を捉えた。

 両手でしっかりと握り、そのまま掴まれていない左足で絡新婦の軸足を刈る。


「砥ごうか」


 軸足を刈られた絡新婦が一瞬、バランスを崩す。

 その瞬間、足首を掴んでいた力が少しだけ緩まる。


「人取って」


 小豆研ぎは背筋を使って体をマットから跳ね上げ、全身のばねを最大限に使って体を回転させる。

 その勢いを使い、絡新婦の手を蹴り、無理矢理、掴まれていた足首を引っこ抜く。


「食おか!」

 

 一瞬の早業だった、全てが絶妙のタイミングで行われだからこその脱出である。

 絡新婦はすぐさま立ち上がり、小豆研ぎを恨めしそうに睨み付ける。

 小豆研ぎは絡新婦に背を向けていた。

 彼は歌っていた。

 大声で、手拍子をしながら、会場を扇動するように、歌っていた。

 その顔は満面の笑顔であり、戦っていることなど忘れているかのように穏やかであった。


「小豆研ごうか、人捕って食おか!」


「小豆研ごうか、人捕って食おか!」


 山彦が小豆研ぎの後に続いて手拍子をしながら声を張り上げる。

 下手くそな歌だ。

 だが、あまりにも楽しそうなその歌声に、会場の妖怪たちがノリはじめる。


「小豆研ごうか、人捕って食おか!」


『小豆研ごうか、人捕って食おか!』


 歌声は波及し、やがて会場中が小豆研ぎの歌声に乗って大合唱を始める。


「小豆!」


『研ごうか!』


「人捕って!」


『食おか!』


 絡新婦は小豆研ぎの声にあわせてコール&レスポンスを繰り返す会場を見渡して、呆然としたまま立ち尽くす。


「なんなのこいつら……どいつもこいつも馬鹿じゃないの?」


 小豆研ぎが振り返った。その顔はやはり、笑顔だ。


「いや~忘れていたよ」


 小豆研ぎが照れくさそうに頭を掻きながら、言う。


「あんたみたいな強い人とまともに戦ったって勝てるわきゃねぇんだったわ」


 小豆研ぎが小刻みな跳躍を始める。

 会場の大合唱に乗りながら、小豆研ぎが体をゆらゆらと揺らめかせる。


「ほっ!」


 小豆研ぎの前蹴りは、いとも簡単に絡新婦にはじかれる。しかし、小豆研ぎはそんなことは予定通りだと言わんばかりに次々と蹴りを放つ。

 一息だって休まない。常に絡新婦の死角に回り込みながら、あらゆる角度からの蹴りを放ち続ける。


『会場の大合唱!小豆研ぎ復活です!リズムの波に乗っかって、まるで攻撃でビートを刻むように、蹴りを放ち続けます!』


 実況の夜行さんも、小刻みに肩を揺らしてリズムに乗っている。


「なんなのよ……なんだって言うのよ!」


 絡新婦の顔に、焦りの色が見え始めた。会場全体を敵に回したような感覚が、絡新婦を襲っているのだ。


「へへっ」


 小豆研ぎが、血だらけの顔を歪ませて、不器用に笑った。


「なぁ、どう思う?」


「何がよっ」


「皆、歌ってるんだ。これ、俺の歌なんだぜ」


「だから何?」


「馬鹿にされて、追放されて、嫌われた……そんな俺の歌なんだぜ」


 小豆研ぎが飛び込んだ。

 飛び込み前転の要領で一気に間をつめ、そこから全身を一気に伸ばすようにして下から上に伸び上がるようなドロップキックを放つ。

 絡新婦は的確に両腕を交差させて受けるが、威力に押されてしまう。

 小豆研ぎは流れを止めずに、ブレイクダンスのようにマットの上で全身を回転させながら、低い蹴りを続けざまに重ねる。

 絡新婦は後方に跳躍してそれをやり過ごす。

 そんな絡新婦を、小豆研ぎがマットを転がるようにして追う。


「うしゃっ!」


 小豆研ぎが全身を竜巻のように回転させながら逆立ち姿勢のまま上に伸び上がる。絡新婦はがっちりとガードを固めて蹴りに備えた……が。


「?」


 絡新婦の腕に蹴りの衝撃が来ない。

 その代わりに首筋から肩にかけて何かが絡みつく感触が走った。

 次の瞬間、絡新婦を猛烈な圧迫感が襲った。

 下からの三角絞め。

 小豆研ぎは絡新婦にぶら下がる形で、彼女の首と左腕をがっちりとその両足で挟み込み、右足の甲を左膝の裏にあてがって、力を込める。


「ぐうっ」


 絡新婦の顔がみるみる紅潮し、続いて青く変色する。


『絞めぇぇええ!小豆研ぎ、今までの変則的な蹴り技から一変しての絞め技だァッ!これが小豆研ぎの奥の手だった~~~~~!絡新婦苦しいか?顔色がくるくる変わる!』


 絡新婦のこめかみに血管が浮き上がる。紫色に変色した顔からも、小豆研ぎの絞めが完全に決まっていることがわかった。


「げぇっ」


 絡新婦が大きく息を吐いた。

 膝から力が抜け、がくり、と腰が落ちる。


「おねぇちゃん!」


 絡新婦のセコンドの座敷童が、悲壮な叫び声をあげた。

 刹那、絡新婦の瞳が、かっ、と見開かれる。


 そこから先は、一瞬であった。

 実況の夜行さんが次の一言を発したときには全てが終わっていて、その一言があまりにも間抜けな声として会場に響いた。


『え?』


 リングの中央を見つめながら、夜行さんがそう声を発し、会場は静寂に包まれた。

 妙なシルエットだった。とてつもない異形であるにもかかわらず、一切の違和感を感じさせない、そんな姿だった。


「あ~あ、全部ばれちゃったじゃない」


 絡新婦の声だけが聞こえる。小豆研ぎは……


「こ、こんなリズムは……俺は知らねぇ、ぞ」


 小豆研ぎの体は絡新婦の肩に抱え挙げられていた。

 両手、両足の間接を極められ、頚動脈を押さえられている。


『う、腕が、六本?』


 夜行さんが、何の比喩も修飾もなく、ただ事実だけを口に出した。

 それは実況と呼べるほどのものではなく、あまりの驚きと恐怖に、思わず口を吐いてでた真実、といった様子の言葉だった。

 絡新婦の肩口から、左右それぞれ三本づつ、合計六本の腕が生えていた。

 彼女はそれらを巧みに使い、小豆研ぎの全身の関節を極めている。

 掴まった小豆研ぎは身動きが一切取れない様子で、苦悶の表情を浮かべながら額にじっとりと汗を浮かべている。

 まるで、蜘蛛の巣に掛かった蜻蛉のような姿である。

 蜘蛛の巣に掛かってしまった蜻蛉は、足掻けば足掻くほど全身に蜘蛛の糸が絡まり、身動きがとれなくなる。後は、蜘蛛に食べられるのを待つだけだ。


「タップしなさい。そうすれば楽にしてあげる」


 耳元で、絡新婦が囁く。

 小豆研ぎは表情を歪ませながらも、唇の端を吊り上げて笑った。


「あずき、とごうか……ひと、とって……」


 ぼきん、と腹に響く音が静まり返った会場にこだまする。

 何が起きたのかを観客たちが理解するまでには数秒の時間を要した。

 小豆研ぎを放り投げた絡新婦は、リング中央で静かに、右側から生えた三本の腕を突き上げた。

 一瞬遅れて、地鳴りのような歓声が絡新婦を包んだ。


『け、決着ぅぅぅぅうう!何が起こったのかわかりません!本来リング上での戦いの様子を全て伝えなければならない私、実況の夜行ですが、申し訳ない!見えませんでした!しかし、その事実こそがこの戦いの決着の恐ろしさを十二分に伝えていると、私は信じています!勝ったのは絡新婦!6本の腕を操る、異形の美女が勝ち名乗りです!』


 絡新婦が、ゆっくりとリングを降りる。

 入れ替わるように大会の医療スタッフが担架をかついでリング上で蹲る小豆研ぎに駆け寄っていく。


「……おねえちゃん」


「軽蔑した?」


 絡新婦は、六本の腕でしっかりと座敷童を抱きしめながら、座敷童の耳元で囁く。数秒前、小豆研ぎの両腕の骨をへし折った、その腕で。


「これが私の本当の姿なの。どう?恐ろしいでしょう?」


 絡新婦の声が強張っている。座敷童を抱く腕の力が、少しだけ強くなった。

 拒絶してほしかった。

 そうすれば、何の未練もなく、この児を手放せる。

 自分の本当の姿は醜い。

 いつだってみんな、この姿を見れば驚き、恐れ、逃げ出した。その度に彼女は傷つき、そして絶望してきた。


「お、お姉ちゃん!苦しいよ」


 はっ、と気付いて腕を放すと、座敷童は、じっと絡新婦の顔を見つめ、笑った。そうして今度は座敷童のほうが絡新婦の首に抱きついてくる。


「すごいね!お姉ちゃん、本当に強いんだね!かっこよかった!」


 絡新婦は、もう一度座敷童をやさしく抱きしめた。


 リングの上では医療スタッフが小豆研ぎにしきりに声をかけている。


「どこが痛む?」


 小豆研ぎは途切れ途切れの弱々しい声でその質問に答えていく。


「っく……両腕だな、多分折れてる。あと背骨が少し痛い」


「足は大丈夫なのか?」


「ああ」


「とりあえず今から医務室に運ぶ。少々痛むかもしれないが、我慢してくれよ」


 そう言うと医療スタッフ達は小豆研ぎの体を担架に乗せ、興奮冷めやらぬ会場を後にしようとした。


「いい試合だったぞ!」


 どこからともなく声が掛けられた。


「?」


 小豆研ぎは耳を疑った。

 敗者である自分に声を掛けるものなどいるはずもない。


「そうだ!まさかここまでやるとはなぁ!」

「俺もだよ、信じられねぇ!」

「あのトリッキーな動きは面白いぜ!」


 幻聴ではない。

 観客が、担架に乗せられて会場を後にする小豆研ぎに賛辞の言葉を投げかけてくれている。

 賛辞の言葉は、やがて歌に変わった。

 小豆研ぎが歌い続けてきた、あの歌に。


『小豆研ごうか!人捕って食おか!』


 歌声に乗せて、手拍子が鳴り響く。


『小豆研ごうか!人捕って食おか!』


 会場が、興奮と共に彼の歌を歌っていた。

 それは小豆研ぎが最も望んでいたことの一つで、叶うはずもない夢であった。

 それが今、現実のものとなって彼の耳に、いや、全身に降り注いでいる。

 小豆研ぎは自分でも意識しないうちに、泣いていた。

 目から溢れ出す涙は、決して折られた腕の痛みによるものなどではなかった。


「なぁ……」


 小豆研ぎが、担架を担いでいる医療スタッフに言った。


「どうした?」


 震える声で、小豆研ぎが続ける。


「全く、困っちゃうよな……こいつらみんな、俺より歌上手いでやんの!」



 Aブロック一回戦第二試合 ○絡新婦VS×小豆研ぎ



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